記念の詩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/13 02:15 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動『記念の詩』(きねんのし、ドイツ語: Sinngedichte)作品1は、ヨハン・シュトラウス2世が作曲したウィンナ・ワルツ。
邦題
- 『格言詩』
- 『記念の歌』
- 『警句』
などの邦題があるが、本記事では『ヨハン・シュトラウス2世作品目録』(日本ヨハン・シュトラウス協会、2006年)に従い、『記念の詩』を正式なものとする。
解説

1844年10月15日、ヨハン・シュトラウス2世はカジノ・ドムマイヤーにおいてデビューした。ヨハン2世はまず当時の慣習に従って、オベールやマイアベーアのオペラの序曲を演奏し、それから以下の4つの自作品を初演した[3]。
- ワルツ『記念の詩』(op.1)
- 『デビュー・カドリーユ』(op.2)
- ポルカ『心ゆくまで』(op.3)
- ワルツ『どうぞごひいきに』(op.4)
この中でも『記念の詩』は目玉作品であり[4]、とりわけ聴衆を熱狂させて19回もアンコールされたという[3]。デビューコンサートは大成功を収め、『デア・ヴァンデラー』紙は10月19日の紙面で「おやすみランナー、こんばんはシュトラウス1世、おはようシュトラウス2世!」と称えた[4]。
第1ワルツ

時は流れて1894年10月15日前後、ヨハン2世が音楽家生活50周年を迎えたことを祝って、盛大な記念行事がウィーンのあちこちで催された。弟のエドゥアルト・シュトラウス1世は、ヨハン2世のワルツ・メドレー『花冠(Blüthenkranz)』を作曲し、メドレーの二番手として兄のデビュー当時を象徴するこの『記念の詩』を配している[5]。(ちなみに、一番手はヨハン2世が6歳の時に作曲したとされる『最初の楽想』である[5]。)
ニューイヤーコンサート
ウィーンフィル・ニューイヤーコンサートへの登場は以下の通りである。
- 1975年 - ヴィリー・ボスコフスキー指揮(作曲者の生誕150年)
- 1999年 - ロリン・マゼール指揮(作曲者の没後100年)
出典
参考文献
- 小宮正安『ヨハン・シュトラウス ワルツ王と落日のウィーン』中央公論新社〈中公新書〉、2000年12月10日。ISBN 4-12-101567-3。
- 加藤雅彦『ウィンナ・ワルツ ハプスブルク帝国の遺産』日本放送出版協会〈NHKブックス〉、2003年12月20日。ISBN 4-14-001985-9。
- 若宮由美「ヨーゼフ・バイヤー作曲のバレエ《ドナウの水の精》--ヨハン・シュトラウスとの関連」『埼玉学園大学紀要 人間学部篇』第10号、埼玉学園大学、2010年12月、 231-243頁、 ISSN 13470515、 NAID 110008451475。
外部リンク
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