霊的進化と転生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 09:16 UTC 版)
ブラヴァツキーはダーウィンが提唱した「進化論」から進化という概念を、インドやチベットの思想から「カルマの法則」と「輪廻転生」(再生)の理論を取り入れ再解釈した。 〈神智学〉では、キリスト教のように絶対者が霊魂の救済と罰を審判するのではなく、すべての行為が原因となって果報を生じる「カルマの法則」の普遍的な因果応報が人間を支配すると考えられた。自らの行為による結果を自分で引き受けるというカルマの法則により、人間は自身の運命を決めていく。この法則により、自らの努力により無限の精神の向上が約束されているとする(このような発想はインドの輪廻・業(カルマ)とは異なっている)。これには今生の生だけでは不十分であり、人生という「学びの学校」を、幾度となく再生(輪廻転生)を繰り返した「霊的進化」の終わりに、人間の「霊的な完成(高次の自己)」を想定し、最終的にマハトマ(偉大な魂)の境地にまで至るとされた。自助努力によって無限の精神の向上が可能であり、最後には「神」に近い存在に近づくことができるとし、キリスト教に替わって自己が自己を救済するというシステムを構築したのである。 近代〈神智学〉では、東洋の哲学・宗教の多くの教えが改変されたが、特に「輪廻転生」の理論は根本的に改変され、元来の教義からはるかに遠ざかっている。〈神智学〉の転生の信仰では、永続する個人的な根源、死後も存続し次の生へ転移する「自我(霊魂)」の存在が想定されている(仏教では実体のある自我は存在せず、個人的意識・霊魂が輪廻することはない)。神智学徒たちは、チベットのトゥルク(化身ラマ)という悟りに到達した人が、衆生が地上で苦しむ限り涅槃に達しないという菩薩の誓いを立て、死の瞬間に人格と意識の統一を保持し転生するという慈悲の転生から着想を得て、秘教的仏教では死後の意識の根源を認めていると賛美したが、フレデリック・ルノワールは、チベットの概念では生まれ変わる「永続的な根源」や「個人的な意識」の存在は想定されておらず、その教えを歪曲したものであると指摘している。チベットの思想において、トゥルクは全くの例外的存在である。 フレデリック・ルノワールは、ブラヴァツキーの進化論的な転生の教義は、西洋近代の転生の思想の系譜に連なると指摘している。〈神智学〉の転生論はアラン・カルデックが創始したフランスの心霊主義運動(スピリティスム)から借用したもので、カルデックの考え自体も、社会的不平等を説明しようとしたシャルル・フーリエ、ピエール・ルルーなどの19世紀の何人かの社会主義者たちからの借用であり、その社会主義者たちの理論も、18世紀後半に生まれたニコラ・ド・コンドルセやジャック・テュルゴーなどの「進歩」の概念に拠っている。おそらく最初に明記したのはドイツの思想家ゴットホルト・エフライム・レッシングによる『人間教育』(1780年)であるという。 また、「人間」以外の動物にも生まれ変わるという考えを受け入れることはできなかったため、人間は人間に生まれ変わり転生を通して進歩向上するとした。西洋近代の転生の信仰は東洋に由来するものではなく、「進歩」という観念を支持するヨーロッパの哲学者たちから生まれたもので、人類の「直線」的な進歩の観念によるものだが(一方、ヒンドゥー教や仏教の時間は「円環周期」的なものである)、〈神智学〉は(西洋近代の転生論の系譜に連なる)自身の転生論に真の仏教の教義があるとした。人間はその進化の7つの時期に応じて、それぞれ異なる惑星に生まれるという。 神智学協会は、転生についてこまごました情報を示し、人間は地上の生という「学びの学校」で達成できる「霊的成長」の限界まで来ると、次に転生するまでの間、霊魂は高次の精神界に行き、デーヴァチャン(英語版)という「楽園」で1500年休息して(幼くして死んだ子供は別で、すぐに転生する)、地上の生で得た成果を整理し、その後カルマの法則に従い前世の功罪に応じて生まれ変わり、再び肉体を得て地上の生に戻る(再受肉)とした。神智学徒たちは、これら「秘教的仏教」を構成する「永遠の真理」は、マハトマから口授されたものであると述べている。 インドでは解脱の手段として苦行、ヨーガ、祈りなど様々な方法がとられており、〈神智学〉同様、輪廻転生と霊的進化を教義に持つスピリティスム(カルデシズモ)では、「霊的進化」の手段として慈善活動を重視するが、〈神智学〉では霊的進化の手段として、理論と霊知の探究に力点を置いている。 〈神智学〉の霊的進化論(霊性進化論)は、最終段階で神に近い存在に至るとされるが、キリスト教で神が天地創造の段階で人間を神の似姿として作ったという神話の逆である。また、人類は初めは肉体をもたない霊的な存在(第一根源人種)であったが、徐々に退化して物質世界に埋没したのが類人猿になったとされる。吉村正和は、これは猿人からの進化を説くダーウィンの進化論の逆であると述べている。
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