人種論とは? わかりやすく解説

人種論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 08:59 UTC 版)

イマヌエル・カント」の記事における「人種論」の解説

カント現代国際的な自由主義発展多大な貢献をしたことでも知られているが、他方近年は、カント人種理論人種学)には白人至上主義などの問題点指摘されており、科学的人種主義父祖一人みなされている。 カント1764年の『美と崇高との感情に関する観察』において、アフリカ黒人白人種との差異本質的な差異であると論じている。 アフリカ黒人は、本性上、子供っぽさ超えるいかなる感情持っていない。ヒューム氏は、どの人に対しても、黒人才能示したただ一つ実例でも述べてほしいと求め、彼らの土地からよそへ連れて行かれ十万黒人の中で、そのうちの非常に多くのものがまた自由になったにもかかわらず学芸や、その他なんらかの称賛すべき性質のどれかにおいて、偉大なことを示したただの一人もかつて見られことはないが、白人の間には、最下層民衆から高く昇り優れた才能によって声望獲得する人々絶え見られる主張している。それほどこの二つ人種の間の差異本質的で、心の能力に関して肌色差異と同じほど大きいように思われる。 — イマヌエル・カント『美と崇高との感情に関する観察第4章 ここでカント引用したデイヴィッド・ヒュームは、奴隷制反対していた一方で黒人などの白人以外の文明化されていない人種は、白人種のような独創的な製品芸術科学作り出せないと述べていた。 このほかに、カントアラビア人については、東洋で最も高貴で「アジアスペイン人といってよいが、冒険的なものへ退化した感情持っているとしたり、ペルシア人典雅繊細な趣味持っており、「アジアフランス人といってよいと述べている。日本人極度強情にまで退化しており、沈着、勇敢、死の軽視といった点で「アジアイギリス人といってよいと述べている。インド人宗教において異様な趣味持っており、中国人太古の無知時代以来風習保持しており、畏怖すべき異様さを持つとする。続けてカント東洋人人倫的な美について観念持たない論じる。 ひとえにヨーロッパ人だけが強力な傾向性感性的な魅力多くの花で飾り多く道徳的なものと編み合わせ、この魅力快適さ高めるばかりでなく、大い品の良いものとする秘訣見出したことが分かる東洋住民はこの点では非常に誤った趣味持っている。 — イマヌエル・カント『美と崇高との感情に関する観察第4章 さらに、女性隷属状態にあるという黒人の国についてカントは以下のように述べる。 ラバ師の報告によれば黒人大工に、彼の妻女たちに対す高慢な仕打ち非難したとき、彼は次のように答えた。「あなたたち白人ほんとに馬鹿だ。というのは、最初あなたたち女たち多くのことを許容しその後彼女たちあなたたちの頭を狂乱させたときに不平をいうのだから。」これには、おそらく考慮する値するものがあるかのようであるが、要するにこいつは頭の先から足の先まで黒かったのであり、それは彼の言ったことが愚かであった明らかな証明となる。 — イマヌエル・カント『美と崇高との感情に関する観察第4章 カントこのように人種論じた上で現在のヨーロッパ人によって「美と崇高正し趣味」が花開いたのであり、教育によって古い妄想から解放されすべての世界市民 (コスモポリタン)の人倫感情が高まることを望んでいると論じたカントその後人種について研究続けて1777年の「様々な人種について」では人間は共通の祖先を持つとした。ほかに1785年の「人種概念規定」など様々な論文書いている。 他方で、カントは以下に引用するように1756年から1796年まで続けられケーニヒスベルク大学での講義自然地理学』において、明確に白色人種卓越性論じ続けた。 暑い国々人間あらゆる点で成熟早めではあるが、温帯人間のような完全性にまで到達することはない。人類がその最大完全性到達するのは白色人種によってなのである。すでに黄色インド人であっても才能はもっと劣っているニグロはるかに低くて、最も低いのはアメリカ原住民一部である。 — イマヌエル・カント自然地理学第2部第1編第4節その他の生得的な特性即した地球全体人間に関する考察」 ここでは、最劣等アメリカ原住民置いており、必ずしも黒人だけを最劣等置いていたわけではないが、白人種を最優とすることについては生涯変化することはなかった。 この他にもカントは、ニグロ生まれた時は白く陰茎と臍の周囲だけが黒いが、火傷病気によって白くなるし、熱帯地方に住むヨーロッパ人白人)は多く世代重ねてニグロにはならない述べたり、肌の黒さ原因はその地域熱暑であるとしている。 このようにカント多く著作白人優位主義述べており、そこにイデオロギー的な意図があったわけではないにせよ、カント明確に白人優位主義述べ人種主義者であり、人種差別的な限界があると指摘されている。 カント人種学研究は、ナイジェリア出身ポストコロニアル哲学者E.C.エゼや、セレクベルハン(Tsenay Serequeberhan)、Mark Larrimore、Robert Bernasconi、ジャマイカ出身政治哲学者C.W.ミルズ等によって発展してきた。エゼは、カント政治的人間学は、ヨーロッパ自己中心にして、他の非ヨーロッパ人種の人間性否定するという特殊性前提として成立する人間植民地化であり、普遍主義的なヒューマノイド(疑似人間)を抽象化させることによって成り立っていると主張しカント研究界をドラマティック切断した。セレクベルハンは、カントは、近代ヨーロッパ他の人間よりも優越しているという理念またはウソ作り上げた最も重要な哲学者一人であるとした。 他方で、カントの人種論に偏見はなく、到る所白人横暴をつき、黒人肩を持っているという指摘や、カント人種文化的生活を文化的な進歩議論 において捉えており、人種差異は必ずしも重要な意味を帯びるものではないと指摘されてもいる。クラインゲルドは1790年代カントは心をいれかえて、人種理論との矛盾が完全に解消されわけではないが、人種間ヒエラルキーについての観念後退したとしている。

※この「人種論」の解説は、「イマヌエル・カント」の解説の一部です。
「人種論」を含む「イマヌエル・カント」の記事については、「イマヌエル・カント」の概要を参照ください。

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