人種論
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カントは現代の国際的な自由主義の発展に多大な貢献をしたことでも知られているが、他方で近年は、カントの人種理論(人種学)には白人至上主義などの問題点を指摘されており、科学的人種主義の父祖の一人とみなされている。 カントは1764年の『美と崇高との感情性に関する観察』において、アフリカの黒人と白人種との差異は本質的な差異であると論じている。 アフリカの黒人は、本性上、子供っぽさを超えるいかなる感情も持っていない。ヒューム氏は、どの人に対しても、黒人が才能を示したただ一つの実例でも述べてほしいと求め、彼らの土地からよそへ連れて行かれた十万の黒人の中で、そのうちの非常に多くのものがまた自由になったにもかかわらず、学芸や、その他なんらかの称賛すべき性質のどれかにおいて、偉大なことを示したただの一人もかつて見られたことはないが、白人の間には、最下層の民衆から高く昇り、優れた才能によって声望を獲得する人々が絶えず見られると主張している。それほどこの二つの人種の間の差異は本質的で、心の能力に関しても肌色の差異と同じほど大きいように思われる。 — イマヌエル・カント『美と崇高との感情性に関する観察』第4章 ここでカントが引用したデイヴィッド・ヒュームは、奴隷制に反対していた一方で、黒人などの白人以外の文明化されていない人種は、白人種のような独創的な製品、芸術、科学を作り出せないと述べていた。 このほかに、カントはアラビア人については、東洋で最も高貴で「アジアのスペイン人」といってよいが、冒険的なものへ退化した感情を持っているとしたり、ペルシア人は典雅で繊細な趣味を持っており、「アジアのフランス人」といってよいと述べている。日本人は極度の強情にまで退化しており、沈着、勇敢、死の軽視といった点で「アジアのイギリス人」といってよいと述べている。インド人は宗教において異様な趣味を持っており、中国人は太古の無知の時代以来の風習を保持しており、畏怖すべき異様さを持つとする。続けてカントは東洋人は人倫的な美についての観念を持たないと論じる。 ひとえにヨーロッパ人だけが強力な傾向性の感性的な魅力を多くの花で飾り、多くの道徳的なものと編み合わせ、この魅力の快適さを高めるばかりでなく、大いに品の良いものとする秘訣を見出したことが分かる。東洋の住民はこの点では非常に誤った趣味を持っている。 — イマヌエル・カント『美と崇高との感情性に関する観察』第4章 さらに、女性は隷属状態にあるという黒人の国についてカントは以下のように述べる。 ラバ師の報告によれば、黒人の大工に、彼の妻女たちに対する高慢な仕打ちを非難したとき、彼は次のように答えた。「あなたたち、白人はほんとに馬鹿だ。というのは、最初あなたたちは女たちに多くのことを許容し、その後、彼女たちがあなたたちの頭を狂乱させたときに不平をいうのだから。」これには、おそらく考慮するに値するものがあるかのようであるが、要するにこいつは頭の先から足の先まで黒かったのであり、それは彼の言ったことが愚かであった明らかな証明となる。 — イマヌエル・カント『美と崇高との感情性に関する観察』第4章 カントはこのように人種を論じた上で、現在のヨーロッパ人によって「美と崇高の正しい趣味」が花開いたのであり、教育によって古い妄想から解放され、すべての世界市民 (コスモポリタン)の人倫的感情が高まることを望んでいると論じた。 カントはその後も人種について研究を続けて、1777年の「様々な人種について」では人間は共通の祖先を持つとした。ほかに1785年の「人種の概念の規定」など様々な論文を書いている。 他方で、カントは以下に引用するように1756年から1796年まで続けられたケーニヒスベルク大学での講義『自然地理学』において、明確に白色人種の卓越性を論じ続けた。 暑い国々の人間はあらゆる点で成熟が早めではあるが、温帯の人間のような完全性にまで到達することはない。人類がその最大の完全性に到達するのは白色人種によってなのである。すでに黄色のインド人であっても、才能はもっと劣っている。ニグロははるかに低くて、最も低いのはアメリカ原住民の一部である。 — イマヌエル・カント『自然地理学』第2部第1編第4節 「その他の生得的な特性に即した地球全体の人間に関する考察」 ここでは、最劣等にアメリカ原住民を置いており、必ずしも黒人だけを最劣等に置いていたわけではないが、白人種を最優とすることについては生涯変化することはなかった。 この他にもカントは、ニグロは生まれた時は白く、陰茎と臍の周囲だけが黒いが、火傷や病気によって白くなるし、熱帯地方に住むヨーロッパ人(白人)は多くの世代を重ねてもニグロにはならないと述べたり、肌の黒さの原因はその地域の熱暑であるとしている。 このようにカントは多くの著作で白人優位主義を述べており、そこにイデオロギー的な意図があったわけではないにせよ、カントは明確に白人優位主義を述べる人種主義者であり、人種差別的な限界があると指摘されている。 カントの人種学の研究は、ナイジェリア出身でポストコロニアル哲学者のE.C.エゼや、セレクベルハン(Tsenay Serequeberhan)、Mark Larrimore、Robert Bernasconi、ジャマイカ出身の政治哲学者C.W.ミルズ等によって発展してきた。エゼは、カントの政治的人間学は、ヨーロッパ的自己を中心にして、他の非ヨーロッパ人種の人間性を否定するという特殊性を前提として成立する人間の植民地化であり、普遍主義的なヒューマノイド(疑似人間)を抽象化させることによって成り立っていると主張し、カント研究界をドラマティックに切断した。セレクベルハンは、カントは、近代ヨーロッパが他の人間よりも優越しているという理念またはウソを作り上げた最も重要な哲学者の一人であるとした。 他方で、カントの人種論に偏見はなく、到る所で白人の横暴をつき、黒人の肩を持っているという指摘や、カントは人種の文化的生活を文化的な進歩の議論 において捉えており、人種の差異は必ずしも重要な意味を帯びるものではないと指摘されてもいる。クラインゲルドは1790年代にカントは心をいれかえて、人種理論との矛盾が完全に解消されたわけではないが、人種間のヒエラルキーについての観念は後退したとしている。
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