アーリア人種説の拡大
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/30 03:51 UTC 版)
「アーリアン学説」の記事における「アーリア人種説の拡大」の解説
ドイツと同盟関係にあったハンガリー人と日本人は、しばしば「名誉アーリア人」と呼ばれた。因みにナチスの御用学者であったハンス・ギュンターの『北方人種』によれば日本人もアーリア人であり、遥かなる太古においてはドイツ人と日本人は同族だったとされているが、これは現在、当時の日独同盟政策との整合性を持たせるためのこじつけであると考えられている。 トルコ・ナショナリズムの一潮流トゥラン主義や汎トルコ主義を標榜した右翼知識人ジェヴァト・ル・ファト・アティルハン(トルコ語版)は、1934年にナチス・ドイツの反ユダヤ主義者ユリウス・シュトライヒャーに招かれてミュンヘンを訪れ、ナチスの人種論や反ユダヤ主義を流布するプロパガンダ手法などを学んだ。翌年帰国してイスタンブールで、トルコで初めて自らを明確に「反ユダヤ的」と形容した「国民革命」を創刊。人種論に基づく汎トルコ主義を唱えたヒュセイン・ニハル・アトスズ(トルコ語版)のような汎トルコ主義知識人たちが寄稿する論壇となった。同時にフランスのゴビノーやその思想を受け継いだイギリスのチェンバレンらの論説、20世紀初頭のヨーロッパで広まっていた反ユダヤ主義に関する文章や論考が頻繁に掲載され、「純血」「純粋な種」「純粋トルコ人」といった人種概念がトルコに持ち込まれた。 神智学協会の創始者ヘンリー・スティール・オルコットと共にスリランカの仏教の復興を図ったアナガーリカ・ダルマパーラは、アーリアン学説を19世紀のスリランカに流布した。現在多くのシンハラ人たちが、自らをスリランカに最初に住み着いた「ライオンの子孫ウィジャヤ王子」の末裔で、仏教を信奉し守る使命を持つ民族であり、アーリア人種であると信じている。スリランカ研究者の間では、この3つを結びつけて今日のシンハラ人の民族的アイデンティティを形成したのはダルマパーラだとされている。アーリア人種の概念は、長年にわたるスリランカの民族紛争に影響を与えた。
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