出産
★1.石を産む。
『日本霊異記』下-31 美濃国の女が男と交わることなく懐妊し、3年を経て2つの石を産んだ。
*石で出産を遅らせる→〔石〕7。
★2.河童を産む。
『遠野物語』(柳田国男)55 松崎村の川端の家の女が、河童の子を産んだ(*→〔河童〕1)。生まれた子は手に水掻きがあり、醜怪な形だった。河童の子は切り刻まれ1升樽に入れられて、土中に埋められた。その女の母もまた、かつて河童の子を産んだことがあったという。
★3.玉を産む。
『古事記』中巻 新羅国のアグヌマという沼の辺に女が昼寝していると、日の光が虹のごとく女の陰を射した。女は孕んで、赤玉を産んだ。
*黄金を産む→〔金(きん)〕4。
★4.卵を産む。
『今昔物語集』巻5-6 天竺般沙羅国王の后が、5百の卵を産んだ。后はこれを恥じ、5百の卵を小さな箱に入れて、恒伽河(=ガンジス河)へ流し棄てた→〔卵〕4。
★5.手を産む。
『東海道名所記』巻5 夫が若妻を友人に預けて、他国へ赴く。友人は、若妻が人に盗まれぬよう、自分の手を、毎夜彼女の腹の上に置いて守る。若妻は懐妊して、10ヵ月後に手ひとつを産んだ。以来、この村を「手孕み村」という。
『源平布引滝』3段目「九郎助住家の場」 木曾先生(せんじょう)義賢の妻・葵御前は、出産間近い身を、百姓九郎助の家にかくまわれる。瀬尾(せのお)十郎兼氏が、葵御前の腹を裂こうとするので(*→〔腹〕3b)、九郎助夫婦は「今、葵御前が出産なさった」と嘘を言い、錦にくるんだ片腕を示す(*→〔片腕〕2a)。斎藤別当実盛が、「葵御前は癪聚(しゃくじゅ)の愁いあり、かしづきの者が介抱する、その手先に感応して、はらんだのであろう。今より此所(ここ)を、『手孕み村』と名づくべし」と言って、瀬尾を納得させる。
『明けの明星と宵の明星』(ベトナムの神話・伝説) 仲の良い兄弟がいた。兄は妻帯しており、弟は独身だった。兄が兵役についたので、弟は、兄の妻を守るために、自分の手を毎晩彼女の腹の上に置く。ところが彼女は身ごもってしまい、弟は兄の怒りをおそれて家を出る。兄は兵役を終えて家に帰り、妻の妊娠を知って弟を疑うが、やがて妻が産んだのは「手」だった。弟に罪がないことを知った兄は、弟を捜すために家を出た→〔惑星〕3b。
★6.肉塊を産む。
『日本霊異記』下-19 豊服広君の妻が、鳥の卵のごとき肉塊を産んだ。「不吉なもの」と思い、笥に入れて山の石の中に置いた。7日後に見ると女児が生まれ出ており、通常の人間とは異なる身体であったが、成長してすぐれた尼になった〔*『三宝絵詞』中-4に類話〕。
『封神演義』第12回 陳塘関総兵李靖の夫人殷氏は、妊娠3年6ヵ月になっても出産しなかった。ある夜、彼女は「老道士が霊珠を胎内に入れる」と夢に見て産気づき、直径5寸ほどの肉毬(にくきゅう)を産み落とした。肉毬は、みるみる大きさが2倍になり、3倍になる。夫李靖が刀で肉毬を切ると、金色に輝く可愛い男児が飛び出た。太乙真人が男児をナタ(ナタク)と名づけ、弟子にした→〔成長〕1a。
『マハーバーラタ』第1巻「序章の巻」 ドリタラーシュトラの妃ガンダーリーは、身ごもって2年後に、鉄玉のごとく固い大きな肉塊を産んだ。肉塊は百個の細胞に分離し、ドゥルヨーダナ以下、百人の息子が生まれた。
雷公を捕らえる(中国・トン族の神話) 大洪水後、生き残った姜良(チャンリャン)と姜妹(チャンメイ)が兄妹婚をするが、生まれたのは肉塊だった。亀が「刀で肉塊を切り、骨と肉を分けて捨てよ。内臓もそれぞれ分けて投げ捨てよ」と教える。言われたとおりにすると、翌日、それらは人間になった。骨からできたのが漢族、肉からできたのがヤオ族である。我々は皆、1人の母親から生まれたのだ。
★7.水を産む。
『異苑』56「幽霊の子」 晋代のこと。筍沢という男が死後幽霊となって家に帰り、妻と仲むつまじく暮らした。妻は懐妊し、10ヵ月たって出産したが、産み落としたのはすべて水だった。
『栄花物語』巻5「浦々の別」 一条天皇に寵愛された承香殿女御(=元子)は、懐妊したものの、臨月をすぎても出産の兆候がないので、太秦広隆寺に参籠した。女御は寺内で産気づき、水を産んだ。水は尽きることなく流れ出て、女御の腹は見るまにしぼみ、普通の人の腹よりもへこんでしまった。
『続古事談』巻1-35 皇嘉門院(=崇徳帝中宮)の名は「聖子」だった。王子(皇子)誕生を願っての命名だったが、ある人が「『聖』の下のつくりは『王』ではなく、『壬』だ。『壬』には『むなしい』という意味がある」と批判した。やがて聖子は懐妊し、臨月になって、多量の水を産んだ。
★8.蓮花を産む。
『今昔物語集』巻5-5。 鹿の腹から生まれた鹿母夫人は、王后となり蓮花を産んだ。池に投じられた蓮花には5百の葉が生じ、葉ごとに1人ずつ童子が乗っていた。
★9.尻尾のある子を産む。
『百年の孤独』(ガルシア=マルケス) 血のつながりの濃いウルスラとホセ・アルカディオ・ブエンディーアの結婚に、親戚は反対した。以前に彼らの伯母と伯父が結婚して、豚の尻尾がついた息子が生まれたからだった。彼らの子・孫・曾孫・玄孫に尻尾はなかったが、百年余を隔てて再び、玄孫のアマランタ・ウルスラが、ブエンディーア一族の最後の生き残りである甥のアウレリャーノとの間に、豚の尻尾のついた赤ん坊を産んだ。
★10a.国土を産む。
『古事記』上巻 イザナキ・イザナミの2神はオノゴロ島で結婚し、国産みを行なった。最初に淡路島を産み、次いで四国、隠岐の島、九州、壱岐の島、対馬、佐渡の島、本州の順に産んでいった。こうして、まず主要な8つの島々を産んだので、我が国を「大八島国」というのである〔*この後も2神はいくつかの島を産み、次にさまざまな神々を産んだ〕。
*イザナキ・イザナミの国産みの故事を真似る→〔木〕13bの『現代民話考』(松谷みよ子)9「木霊・蛇ほか」第1章。
★10b.アダムとイヴ(エヴァ)の物語を、イザナキ・イザナミ神話の訛伝と見なす。
『霊の真柱(たまのみはしら)』(平田篤胤)上つ巻 西の果ての国々の古伝に云う。世の初めの時、天つ神が天地を造った後に、土塊(つちくれ)を2つ丸めて男女の神となした。男神の名を「安太牟(アダム)」、女神の名を「延波(エハ)」と言い、この2人の神が国土を産んだ。これは皇国(みくに)のイザナキ・イザナミ神話が、誤り伝えられたものと思われる。
『義経記』巻7「愛発(あらち)山の事」 奥州へ下る義経一行が、近江と越前の境、「愛発(あらち)の中山」へさしかかる。その地名の由来を、弁慶が次のように語った。「加賀白山の女体の神・龍宮の宮(りゅうぐうのみや)が、志賀の都で唐崎の明神を見そめ、やがて身ごもった。龍宮の宮は『自分の国で産みたい』と言って、加賀へ帰る途中、この山で安らかに出産なさった。その時、お産のあら血をこぼしたので、『愛発の中山』と呼ぶのです」。
『義経記』巻7「亀割山にて御産の事」 義経の北の方は、羽前(=山形県)の亀割山まで来て産気づき、弁慶の世話で若君を産みおとした。亀割山にあやかり、亀の万年・鶴の千年になぞらえて、「亀鶴御前」と名づけた〔*義経たちは平泉の藤原秀衡のもとへ身を寄せるが、秀衡の死後、その息子泰衡が義経を攻め、義経も北の方も亀鶴御前も死ぬ。亀鶴御前は五歳であった〕。
『熊野の御本地のさうし』(御伽草子) 善財王の后・五衰殿の女御は王子を身ごもったが、彼女を憎む他の999人の后たちのはかりごとによって、山で斬首される。首を討たれる直前に、女御は王子を産み落とす。斬首された女御は、右手で王子を抱いて膝の上に置き、左の乳房をふくませ、岩にもたれかかって静かに倒れ臥した〔*類話の『神道集』巻2-6「熊野権現の事」では、后は妊娠5ヵ月で出産したが、生まれたのは五体完全で玉のような王子だった、と記す〕。
ブルターニュの伝説 コモール伯は妻が懐妊するたびに殺し、すでに4人の妻が死んでいた。5人目の妻トリフィヌは城から逃げ出すが力尽き、森の中の草地で男児を産む。コモールの気配がしたので、彼女は子を木の洞に隠す。コモールはトリフィヌの首を斬る。
『斜陽』(太宰治) 「私(かず子)」は、貴族の家に生まれた。現在29歳で離婚歴がある。6年前、「私」は妻子持ちの中年作家・上原二郎に、いきなり接吻されたことがあった。それが、「私」の心のひめごとになった。日本は戦争に負け、社会は大きく変わった。貴族の特権も失われた。恋の成就と道徳革命のために、「私」は上原の子供を宿したいと願う。「私」は上原を誘って一夜の関係を結び、望みどおり妊娠する。「私」は私生児を産み、古い道徳と戦って、太陽のように生きるつもりだ。
★13a.高齢出産。
『創世記』第17~21章 アブラムが99歳の時、主(しゅ)が現れて告げた。「これからは、アブラハムと名乗りなさい。あなたの妻サライをサラと呼びなさい。サラは来年男児を産む。その子をイサクと名づけなさい」。サラは老齢で、月のものもなくなっていたので、アブラハムはこれを信じなかった。しかし翌年、サラは90歳で男児イサクを産んだ。
『日本霊異記』中-31 聖武天皇の御世。遠江の人、丹生(にふ)の直(あたひ)弟上(おとかみ)が70歳の時、その妻が62歳で懐妊し、女児を産んだ。女児は左手を握って生まれ、7歳の時に手を開くと、舎利が2粒あった。そこで七重の塔を建て、舎利を安置した。塔建立後、女児はすぐ死んだ。
『聊斎志異』巻5-183「金永年」 利津(りしん。山東省)の金永年は82歳、老妻は78歳で、夫婦の間には子供がなかった。突然、金永年の夢に神様があらわれ、「本当は子孫は絶えるはずだったが、お前は正直一途に商売に励んでいるから、息子を1人授ける」と、お告げがあった。まもなく老妻の腹が動き出し、10ヵ月後に1人の男児を産んだ。
★13b.にせの高齢出産。
『狭衣物語』巻2 独身の女二の宮(=嵯峨帝の娘)が妊娠し(*→〔秘密〕3)、ひそかに男児を産んだ。母(=嵯峨帝の后)は、娘の不始末を隠そうと考え、「自分と嵯峨帝の間にできた子だ」と公表する。母は見かけは30歳くらいだったが、実際は45歳であり、ずいぶん前に月のものも止まっていた。嵯峨帝も世人も、高齢の妊娠・出産に驚きつつ、「そういうこともあるだろう」と納得した。
『椿説弓張月』続篇巻之2第33回 琉球の尚寧王と中婦君の間には、なかなか世継ぎが生まれなかった。臣下の利勇は、「『男子は八八六十四(64歳)にて陽道閉ぢ、女子は七七四十九(49歳)にて陰道閉づ』と言います。王様はまだ50歳、お妃様は30歳を過ぎたばかりです。王子誕生の可能性は十分にあります」と説き、中婦君は利勇と密通してでも子を得ようとしたが、ついに子供を産むことはできなかった。
『幽明録』25「死後のお産」 10余年連れ添った妻が子供を産まずに死んだので、夫が泣き悲しむ。妻の遺体が起き上がり、「私の身体はすぐには朽ちないので、交わりをして男児を1人産みましょう」と言って、また横たわった。人が寝静まってから夫は妻の遺体と交わり、その後、遺体を葬らず別室に安置する。十月十日(とつきとおか)たって、妻の遺体は男児を産む。男児は「霊産」と名づけられた。
『なぜ神々は人間をつくったのか』(シッパー)第10章「鍵」 多くの文化において、男児の誕生は、女児の誕生より価値があるとされてきた。古代メソポタミアでは、「男が長くて太いペニスを持っていれば、彼は息子に恵まれる」と言われた。また「男が女と荒れ地で交われば、女児が生まれる。畑や庭(=開墾された肥沃な土地)で交われば、男児が生まれる」とも言われた。
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