ポンメルシー夫妻の知人とは? わかりやすく解説

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ポンメルシー夫妻の知人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/06 04:51 UTC 版)

コゼット」の記事における「ポンメルシー夫妻の知人」の解説

ムクドリ 本名:ガブリエル・ラスコー。1834年生まれ浮浪児。サン・ジュリアン・ル・ボーヴル教会近く生まれ育った父親囚人(すでに逝去)、母親ミミ・ラスコー祖母アカダラケ伯爵夫人。ラ・プティット・ロケット監獄(=現代日本いうところの少年院)に収容されことがある10歳時の事件原因で鼻を骨折、今も鼻が曲がっている。 ムクドリ呼ばれるのは、ムクドリのなかで最も嫌われている存在であり、彼もまた人々の間で最も嫌われている存在だからである。そのあだ名通りすばしっこく態度悪く、口はもっと悪い。だが、本当母親思い心根の優しい少年。その優しさはやがて、ポンメルシー夫妻ファンティーヌにも向けられるうになる当時パリ貧民街であったムフタール通りパン盗もうとして失敗し、街の人々捕まえられところをコゼット助けられる以後、『ラ・リュミエール』紙の文書配達係として働くようになる。 やがて働いていくうちに『正しい人』になってゆき、“年下先生ファンティーヌ愛するようになる。アカダラケ夫人は「身分に差がありすぎる」としてそれを恐れるが、本人はあくまで本気であったファンティーヌマダム・カレームとともにイギリスへ逃亡した後は、ファンティーヌ想いながらパリ改造建設工事従事する底辺労働者として働く毎日送りコゼットたちの面倒を見ながら、手紙ファンティーヌ近況伝える。そして、10年ぶりに帰国したファンティーヌ再会しお互いの愛を心で確かめ合った二人は、紆余曲折経てファンティーヌ両親のような幸せな結婚生活を送る。 その心根優しさ献身ぶりを評価されコゼットから“息子同然に扱われ本当息子ジャン=リュックよりも頼りにされるようになる17歳以降は常にポンメルシー家の人々のことを考え、彼らに尽くしてきた。しかし、他人人となり身分自分対す態度判断するジャン=リュックだけは彼を理解しようとしなかった。自身親思いであるがゆえに、ジャン=リュックの親すらも見捨てる薄情自己中心的性分腹を立て、彼を説教することもあった。 マリユス救出の際は、コゼット石工グランクールとともにアム城塞同行した。やがて、ファンティーヌ再会し内縁の夫となった彼は、パリ改造のときにつちかった技術駆使してボロボロなりかけていた《ジェラールの宿》を修繕エピローグでは、妻の横で包丁をとぎながら、つまみ食いをする息子見て笑う、心あたたまる場面がある。 アカダラケ伯爵夫人 ムクドリ祖母で、ミミの母。現在は犯罪者見栄っ張り豪奢な衣装一式貸し出すとりかえ屋”を経営しているが、その昔ゴミ拾い生計立てていた。《伯爵夫人》という現在の地位は、幸運努力あちこちばらまいた脅迫状成り立っている。 産んだ子供たちのなかで唯一生き残っているのが娘のミミだが、数年前自分事業めぐって大喧嘩してしまいそれ以来顔を合わせていない模様生きがいもっぱらミミの子供の中で唯一生き残ったムクドリ彼の頭にシラミを見つけて、黒い髪を虎刈りにしてしまうのが彼女の生活習慣一環になっている。 孫のムクドリファンティーヌ愛していることに警戒感を抱く一方1851年12月武装蜂起心身ボロボロになったコゼットをかくまい、彼女のために衣装化粧面倒をみることになる。コゼットしょっちゅう高くついたオムレツ」の話をする。 実は、1817年コゼットの母ファンティーヌ一緒にパリつるんでいた4人のお針子娘のひとりで本名をダリア・ドリオンという。幼少の頃コゼット知っており、パリ出て行くファンティーヌコゼットを心配していたという。 コゼット実父地方からパリ出てきた学生であることを教え、母ファンティーヌがどんな人物であったコゼット教えたその時幼くて生真面目性格で、夢に生きるところは娘のファンティーヌにそっくりだ、とコゼット感想漏らしている。 ファンティーヌ・ポンメルシー男爵令嬢コゼットの娘だと分かると、今までかたくなに反対していた孫との結婚について態度軟化させるが、あくまでも反対の立場貫き通したミミ・ラスコー ムクドリの母。警察公認娼婦気質おとなしい、ふわふわ漂っている感じ女性サン・シュルピス教会陰にひっそりと建つカフェ・リゴロで客引きをしている。アブサンモルヒネが彼女の心を支えている。 身にまとう豪奢な衣類は、母アカダラケ伯爵夫人経営するとりかえ屋”からいたいたもの。だが、母の事業手伝か否か大喧嘩になってしまい、現在は冷戦状態にある。だが、息子ムクドリ想う気持ち母娘共通。 手先不器用ゆえ、娼婦という仕事天職だと考えている。本当娼婦をやめてほしいムクドリ願い聞いてくれない逃亡先のイギリスから帰ってきたファンティーヌの姿を見て、「これほど息子似合う娘はいない」と彼女を絶賛するマダム・ファジェンヌ ミミ客引きに使うカフェ・リゴロの経営者1843年に夫が店で働いていた女とアメリカ逃げてしまったため、ひとりで店を切り盛りしている。警察密告者もうまくやっている。客に何か混ぜ物をした“青いワイン”を出す。 優良顧客娼婦ミミ息子ムクドリ頼み聞き入れ手紙受け取り先にカフェ・リゴロを指定させるが、それがかえって仇となり、店が警察関係者狙われることとなる。しかも、カウンターの端を貸していた《代書屋ヒバリ》が世間騒がせている《ラ・リュミエール》だと知ってしまう。もともとムクドリは好きではなかったが、それ以降ファンティーヌからの彼に宛てた手紙焼いてしまうほど彼を嫌うようになってしまう。 本人とうの昔捨てたつもりの人情味によって、その人間性支えられている女性ウジェーヌ・ヴェルディエ その風貌から、《伝道師》あるいは《モーゼ》と呼ばれる凄腕印刷工。パジョルの師匠印刷工たちが住むパリカイロ通りで、内縁の妻テレーズ自分の子供3人、テレーズ連れ子4人と一緒に住んでいる。 1832年6月暴動の際、国民軍軍服着てバリケードから逃れた5人の人物のなかのひとりで、唯一警察の手から逃れた人物。 『ラ・リュミエール紙』の発行情熱を注ぐ。ムクドリに、「革命はもう起きてる」と告げた1851年12月武装蜂起では、プティ・カロー通りでマリユスらと結束して戦う。 テレーズ ヴェルディエの内縁の妻。肝っ玉すわった気立て良い女性。飾りひも工場女工をしている。ヴェルディエと結婚するまでに、夫と2度死別している。 プティ・カロー通りバリケード負傷したコゼットかくまったそのとき、彼女は夫のことを察したのだったヴィクトル・パジョル かつてヴェルディエの下で修行していた印刷工。ひょうきんな性格で「モンキー」と呼ばれていた男。コゼット同い年1832年6月暴動舞台となった居酒屋コラント亭から逃げたが、そのとき片足骨折してしまう。医者診てもらえたものの、密告され、逮捕モン・サン・ミッシェル監獄14年間、囚人23974号として過ごした。そのせいで生涯片足を引きずって歩くことを余儀なくされてしまう。逮捕当時17歳だった。 31歳になったとき、出獄監獄出会ったブルジョワの男を殺すべく、その行方追っている。その男を『ラ・リュミエール』紙の新聞社で見つけるが、マリユスの頼みに応じて復讐あきらめる。しかし、内縁の妻ジェルメーヌ逮捕されたことで怒り頂点達したジェルメーヌ・フルーリー パジョルの内縁の妻。地方出身で、以前雇い主の子供を身ごもったため、雇い主の妻に追い出されてしまう。生活に困窮していたところでパジョルと出逢い同棲するうになる。現在はパジョルと以前雇い主との間にできた子供、それにパジョルとの間にできた子供とともにモンマルトル住んでいる。 フランス第二帝政下で、内縁の夫代わりに逮捕されてしまう。 アシーユ・クレロン マリユスの理解者。『ラ・リュミエール』紙の事務局長務める。 「女はペンを握るようにできていない」、「記事を書くには女であることが邪魔になる」というのが持論で、コゼット何度も執筆をやめるようすすめる。コゼットはそんな彼が気に入らないが、マリユスはそんな彼を信頼している。 1842年6月6日、コラント亭のあとにできたカフェでマリユスとヴェルディエが杯を交わしているときに再会を果たす。実は、6月暴動の際にヴァルジャンから提供され国民軍軍服着てバリケードから脱出した5人目の男だった。それ以降、マリユスたちとの親交は深い。 実は、彼こそがバジョルが探している“監獄出会ったブルジョワの男”であり、『レ・ミゼラブル』のジャヴェールと同じ、7月王政時代警察スパイであった6月暴動暴徒として潜り込み暴動に関わっていた者を探し、その者の名前や居場所密告していた。さらに、マリユスが扇動罪で何度も逮捕されたのは、この男が記事の内容事前に密告していたからである。 さらに、バリケードから逃げた老人負傷した若い男探していた。彼が探していたのは、すなわちジャン・ヴァルジャンとマリユスである。やがてヴェルディエのもとに戻ってきたパジョルによってその正体暴かれ新聞社を去ることとなる。 1851年12月2日パリ警部になった彼はその手でポンメルシー夫妻逮捕しよう邸宅訪れ家族使用人監禁する。しかし、ジャン=リュック一言でポンメルシー夫妻ブーローニュにいることが分かると、夫妻逮捕すべくブーローニュ警察手を回す。が、パリ起きた事件知った夫妻はプティ・カロー通り武装蜂起参加し、夫マリユスは死去、妻コゼットは娘や専属料理人連れてイギリスへ逃亡してしまう。あてのなくなった彼は、関係者たちしらみつぶしに当たり、コゼットたちを探しにかかる。 しかし、コゼットパリにいることを確信した彼は、劇場コゼット追い詰め、彼女をかくまった罪でニコレット捕まえようとした。が、そのとき劇場隠れていたパジョルに銃殺される。 パスカル・ボジャール 『ラ・リュミエール』紙の挿絵画家。ポンメルシー夫妻良き理解者で、彼の描くティエール風刺画は《頭の大き赤ん坊》として知られている。 父が軍人彼にも後を継がせようと期待していたが、その期待裏切ってパリへ出奔。父は芸術学校学費払ってくれたものの、それ以外の金は払わず勘当されてしまう。 人間日常生活にこそ絵を描くための崇高さを秘めている考えてやまない。常に画家らしい服装をし、常に目に見えるものをどう描こう考えている。父親売りルイ・ナポレオン取り入ろうとし、徐々に堕落していくジャン=リュック浅はかみずぼらしい人間性を鼻で笑ったソフィー・ド・ベリサン コゼット修道院時代同級生。すぐに頬を赤くする恥ずかしがりや。コゼット結婚式テオ口説かれ、のちにテオの妻となる。テオ結婚してからの彼女は恥ずかしがりやの性分消える。 ニコレットの劇を観に来たとき、夫テオと同様、隣に愛人連れていた。 エレン・タルボー コゼット修道院時代同級生イギリス人才女。名前を英語で読むと『ヘレン・タルボット』になる。イギリスに帰国後、結婚して《マダム・フィッツパトリック》となる。 ファンティーヌマダム・カレーム受け入れたときには未亡人になっており、わずかな給付金だけで暮らしていた。ふたりにたいそう親切で、ファンティーヌの手紙の受け取り口となる。 ジェラール夫妻 ブーローニュ宿屋を営む夫妻。ポンメルシー夫妻は《ジェラールの宿》をちょくちょく訪れる、最重要顧客である。夫のムッシュー・ジェラールは大のナポレオンびいきで、ルイ・ナポレオンブーローニュ沖合に姿を現したとき、感極まって泣いたほどだった。妻のマダム・ジェラールは料理の腕がたいそう良い1853年にマダム・ジェラールが亡くなってから、宿の人気落ちぶれていった。 マダム・ジェラールの没後数年は、他の宿に協力してもらって客をまわしてもらっていたが、満足のゆくサービスできない状態が続いていた。そのひどさは、他の宿からジェラールの宿のことを話すだけでも「宿の格が落ちる」と言われるほどであった。 しかし、ポンメルシー一家パリから移住してからは状況一変マダム・カレームの下で修行したファンティーヌ作る料理話題となり、コゼットムクドリが宿を手伝うことでサービスも宿の環境格段に良くなった。さらに、ファンティーヌ従業員全員に英語を教えたことで、イギリス人の客が多く集まるようになった1867年3月には、他の宿から「うちでは不満か?」と聞かれるほどの繁盛ぶりを見せている。 この宿は、『レ・ミゼラブル』で幼少時代コゼットがこき使われた『ワーテルロー軍曹』を反面教師したものジョンドレット兄弟 アカダラケ伯爵夫人の“とりかえ屋”で働く20歳双子兄弟1828年生まれ言葉分かるが喋らず、ジェスチャー感情表現する1832年12月、よその家の戸口の前で凍死寸前になっていたところを伯爵夫人助けられる両親からある女性売られたが、その女性が逮捕されたためにまた捨てられ哀れな兄弟伯爵夫人我が子同然に育てられた。 以来二人伯爵夫人恩義感じている。コゼットは店の常連であり、伯爵夫人知り合いである。 彼らのモデルになった人物はゼルマのふたりの実弟男の子供可愛がらないテナルディエ夫妻は、ガヴローシュの下に生まれてきたふたりの息子を、当時、《良い金づる》だった息子たち相次いで亡くしたパリ悪女マニョン売った。そのマニョン1830年代前半パリ席巻していた悪党集団パトロン=ミネット”と関係があるとして逮捕されてしまった。売られ息子たち実兄ガヴローシュ世話になった後、パリ浮浪児になった。 《ジョンドレット》は、テナルディエパリ潜伏していたときに使っていた名前である。 トゥート・ナシオン モベール広場縄張りにしているゴミ拾い老女名前の意味は“だれでもかれでも”。アカダラケ伯爵夫人とは交流が深い。 パリ改造広場追い出されてからは、コゼット浮浪者グループ一員となって行き場のない人間集まった市門で暮らすようになるマリー・ジョゼフィーヌ トゥート・ナシオン孫娘少女時代ムクドリ惚れており、お互い祖母を介して縁談進めようとしていたが、ムクドリは彼女に関心を持たなかった。 やがて別の男性との間に3人の子供をもうけ、母親となる(末の子供はまだ乳児だったが、市門追いやられてから、疥癬くる病患って死去)。コゼット属す浮浪者グループ一員。 [ 目次移動する | 先頭移動する ]

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ポンメルシー夫妻の知人

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コゼット (小説)」の記事における「ポンメルシー夫妻の知人」の解説

ムクドリ 本名:ガブリエル・ラスコー。1834年生まれ浮浪児。サン・ジュリアン・ル・ボーヴル教会近く生まれ育った父親囚人(すでに逝去)、母親ミミ・ラスコー祖母アカダラケ伯爵夫人。ラ・プティット・ロケット監獄(=現代日本いうところの少年院)に収容されことがある10歳時の事件原因で鼻を骨折、今も鼻が曲がっている。 ムクドリ呼ばれるのは、ムクドリのなかで最も嫌われている存在であり、彼もまた人々の間で最も嫌われている存在だからである。そのあだ名通りすばしっこく態度悪く、口はもっと悪い。だが、本当母親思い心根の優しい少年。その優しさはやがて、ポンメルシー夫妻ファンティーヌにも向けられるうになる当時パリ貧民街であったムフタール通りパン盗もうとして失敗し、街の人々捕まえられところをコゼット助けられる以後、『ラ・リュミエール』紙の文書配達係として働くようになる。 やがて働いていくうちに『正しい人』になってゆき、“年下先生ファンティーヌ愛するようになる。アカダラケ夫人は「身分に差がありすぎる」としてそれを恐れるが、本人はあくまで本気であったファンティーヌマダム・カレームとともにイギリスへ逃亡した後は、ファンティーヌ想いながらパリ改造建設工事従事する底辺労働者として働く毎日送りコゼットたちの面倒を見ながら、手紙ファンティーヌ近況伝える。そして、10年ぶりに帰国したファンティーヌ再会しお互いの愛を心で確かめ合った二人は、紆余曲折経てファンティーヌ両親のような幸せな結婚生活を送る。 その心根優しさ献身ぶりを評価されコゼットから“息子同然に扱われ本当息子ジャン=リュックよりも頼りにされるようになる17歳以降は常にポンメルシー家の人々のことを考え、彼らに尽くしてきた。しかし、他人人となり身分自分対す態度判断するジャン=リュックだけは彼を理解しようとしなかった。自身親思いであるがゆえに、ジャン=リュックの親すらも見捨てる薄情自己中心的性分腹を立て、彼を説教することもあった。 マリユス救出の際は、コゼット石工グランクールとともにアム城塞同行した。やがて、ファンティーヌ再会し内縁の夫となった彼は、パリ改造のときにつちかった技術駆使してボロボロなりかけていた《ジェラールの宿》を修繕エピローグでは、妻の横で包丁をとぎながら、つまみ食いをする息子見て笑う、心あたたまる場面がある。 アカダラケ伯爵夫人 ムクドリ祖母で、ミミの母。現在は犯罪者見栄っ張り豪奢な衣装一式貸し出すとりかえ屋”を経営しているが、その昔ゴミ拾い生計立てていた。《伯爵夫人》という現在の地位は、幸運努力あちこちばらまいた脅迫状成り立っている。 産んだ子供たちのなかで唯一生き残っているのが娘のミミだが、数年前自分事業めぐって大喧嘩してしまいそれ以来顔を合わせていない模様生きがいもっぱらミミの子供の中で唯一生き残ったムクドリ彼の頭にシラミを見つけて、黒い髪を虎刈りにしてしまうのが彼女の生活習慣一環になっている。 孫のムクドリファンティーヌ愛していることに警戒感を抱く一方1851年12月武装蜂起心身ボロボロになったコゼットをかくまい、彼女のために衣装化粧面倒をみることになる。コゼットしょっちゅう高くついたオムレツ」の話をする。 実は、1817年コゼットの母ファンティーヌ一緒にパリつるんでいた4人のお針子娘のひとりで本名をダリア・ドリオンという。幼少の頃コゼット知っており、パリ出て行くファンティーヌコゼットを心配していたという。 コゼット実父地方からパリ出てきた学生であることを教え、母ファンティーヌがどんな人物であったコゼット教えたその時幼くて生真面目性格で、夢に生きるところは娘のファンティーヌにそっくりだ、とコゼット感想漏らしている。 ファンティーヌ・ポンメルシー男爵令嬢コゼットの娘だと分かると、今までかたくなに反対していた孫との結婚について態度軟化させるが、あくまでも反対の立場貫き通したミミ・ラスコー ムクドリの母。警察公認娼婦気質おとなしい、ふわふわ漂っている感じ女性サン・シュルピス教会陰にひっそりと建つカフェ・リゴロで客引きをしている。アブサンモルヒネが彼女の心を支えている。 身にまとう豪奢な衣類は、母アカダラケ伯爵夫人経営するとりかえ屋”からいたいたもの。だが、母の事業手伝か否か大喧嘩になってしまい、現在は冷戦状態にある。だが、息子ムクドリ想う気持ち母娘共通。 手先不器用ゆえ、娼婦という仕事天職だと考えている。本当娼婦をやめてほしいムクドリ願い聞いてくれない逃亡先のイギリスから帰ってきたファンティーヌの姿を見て、「これほど息子似合う娘はいない」と彼女を絶賛するマダム・ファジェンヌ ミミ客引きに使うカフェ・リゴロの経営者1843年に夫が店で働いていた女とアメリカ逃げてしまったため、ひとりで店を切り盛りしている。警察密告者もうまくやっている。客に何か混ぜ物をした“青いワイン”を出す。 優良顧客娼婦ミミ息子ムクドリ頼み聞き入れ手紙受け取り先にカフェ・リゴロを指定させるが、それがかえって仇となり、店が警察関係者狙われることとなる。しかも、カウンターの端を貸していた《代書屋ヒバリ》が世間騒がせている《ラ・リュミエール》だと知ってしまう。もともとムクドリは好きではなかったが、それ以降ファンティーヌからの彼に宛てた手紙焼いてしまうほど彼を嫌うようになってしまう。 本人とうの昔捨てたつもりの人情味によって、その人間性支えられている女性ウジェーヌ・ヴェルディエ その風貌から、《伝道師》あるいは《モーゼ》と呼ばれる凄腕印刷工。パジョルの師匠印刷工たちが住むパリカイロ通りで、内縁の妻テレーズ自分の子供3人、テレーズ連れ子4人と一緒に住んでいる。 1832年6月暴動の際、国民軍軍服着てバリケードから逃れた5人の人物のなかのひとりで、唯一警察の手から逃れた人物。 『ラ・リュミエール紙』の発行情熱を注ぐ。ムクドリに、「革命はもう起きてる」と告げた1851年12月武装蜂起では、プティ・カロー通りでマリユスらと結束して戦う。 テレーズ ヴェルディエの内縁の妻。肝っ玉すわった気立て良い女性。飾りひも工場女工をしている。ヴェルディエと結婚するまでに、夫と2度死別している。 プティ・カロー通りバリケード負傷したコゼットかくまったそのとき、彼女は夫のことを察したのだったヴィクトル・パジョル かつてヴェルディエの下で修行していた印刷工。ひょうきんな性格で「モンキー」と呼ばれていた男。コゼット同い年1832年6月暴動舞台となった居酒屋コラント亭から逃げたが、そのとき片足骨折してしまう。医者診てもらえたものの、密告され、逮捕モン・サン・ミッシェル監獄14年間、囚人23974号として過ごした。そのせいで生涯片足を引きずって歩くことを余儀なくされてしまう。逮捕当時17歳だった。 31歳になったとき、出獄監獄出会ったブルジョワの男を殺すべく、その行方追っている。その男を『ラ・リュミエール』紙の新聞社で見つけるが、マリユスの頼みに応じて復讐あきらめる。しかし、内縁の妻ジェルメーヌ逮捕されたことで怒り頂点達したジェルメーヌ・フルーリー パジョルの内縁の妻。地方出身で、以前雇い主の子供を身ごもったため、雇い主の妻に追い出されてしまう。生活に困窮していたところでパジョルと出逢い同棲するうになる。現在はパジョルと以前雇い主との間にできた子供、それにパジョルとの間にできた子供とともにモンマルトル住んでいる。 フランス第二帝政下で、内縁の夫代わりに逮捕されてしまう。 アシーユ・クレロン マリユスの理解者。『ラ・リュミエール』紙の事務局長務める。 「女はペンを握るようにできていない」、「記事を書くには女であることが邪魔になる」というのが持論で、コゼット何度も執筆をやめるようすすめる。コゼットはそんな彼が気に入らないが、マリユスはそんな彼を信頼している。 1842年6月6日、コラント亭のあとにできたカフェでマリユスとヴェルディエが杯を交わしているときに再会を果たす。実は、6月暴動の際にヴァルジャンから提供され国民軍軍服着てバリケードから脱出した5人目の男だった。それ以降、マリユスたちとの親交は深い。 実は、彼こそがバジョルが探している“監獄出会ったブルジョワの男”であり、『レ・ミゼラブル』のジャヴェールと同じ、7月王政時代警察スパイであった6月暴動暴徒として潜り込み暴動に関わっていた者を探し、その者の名前や居場所密告していた。さらに、マリユスが扇動罪で何度も逮捕されたのは、この男が記事の内容事前に密告していたからである。 さらに、バリケードから逃げた老人負傷した若い男探していた。彼が探していたのは、すなわちジャン・ヴァルジャンとマリユスである。やがてヴェルディエのもとに戻ってきたパジョルによってその正体暴かれ新聞社を去ることとなる。 1851年12月2日パリ警部になった彼はその手でポンメルシー夫妻逮捕しよう邸宅訪れ家族使用人監禁する。しかし、ジャン=リュック一言でポンメルシー夫妻ブーローニュにいることが分かると、夫妻逮捕すべくブーローニュ警察手を回す。が、パリ起きた事件知った夫妻はプティ・カロー通り武装蜂起参加し、夫マリユスは死去、妻コゼットは娘や専属料理人連れてイギリスへ逃亡してしまう。あてのなくなった彼は、関係者たちしらみつぶしに当たり、コゼットたちを探しにかかる。 しかし、コゼットパリにいることを確信した彼は、劇場コゼット追い詰め、彼女をかくまった罪でニコレット捕まえようとした。が、そのとき劇場隠れていたパジョルに銃殺される。 パスカル・ボジャール 『ラ・リュミエール』紙の挿絵画家。ポンメルシー夫妻良き理解者で、彼の描くティエール風刺画は《頭の大き赤ん坊》として知られている。 父が軍人彼にも後を継がせようと期待していたが、その期待裏切ってパリへ出奔。父は芸術学校学費払ってくれたものの、それ以外の金は払わず勘当されてしまう。 人間日常生活にこそ絵を描くための崇高さを秘めている考えてやまない。常に画家らしい服装をし、常に目に見えるものをどう描こう考えている。父親売りルイ・ナポレオン取り入ろうとし、徐々に堕落していくジャン=リュック浅はかみずぼらしい人間性を鼻で笑ったソフィー・ド・ベリサン コゼット修道院時代同級生。すぐに頬を赤くする恥ずかしがりや。コゼット結婚式テオ口説かれ、のちにテオの妻となる。テオ結婚してからの彼女は恥ずかしがりやの性分消える。 ニコレットの劇を観に来たとき、夫テオと同様、隣に愛人連れていた。 エレン・タルボー コゼット修道院時代同級生イギリス人才女。名前を英語で読むと『ヘレン・タルボット』になる。イギリスに帰国後、結婚して《マダム・フィッツパトリック》となる。 ファンティーヌマダム・カレーム受け入れたときには未亡人になっており、わずかな給付金だけで暮らしていた。ふたりにたいそう親切で、ファンティーヌの手紙の受け取り口となる。 ジェラール夫妻 ブーローニュ宿屋を営む夫妻。ポンメルシー夫妻は《ジェラールの宿》をちょくちょく訪れる、最重要顧客である。夫のムッシュー・ジェラールは大のナポレオンびいきで、ルイ・ナポレオンブーローニュ沖合に姿を現したとき、感極まって泣いたほどだった。妻のマダム・ジェラールは料理の腕がたいそう良い1853年にマダム・ジェラールが亡くなってから、宿の人気落ちぶれていった。 マダム・ジェラールの没後数年は、他の宿に協力してもらって客をまわしてもらっていたが、満足のゆくサービスできない状態が続いていた。そのひどさは、他の宿からジェラールの宿のことを話すだけでも「宿の格が落ちる」と言われるほどであった。 しかし、ポンメルシー一家パリから移住してからは状況一変マダム・カレームの下で修行したファンティーヌ作る料理話題となり、コゼットムクドリが宿を手伝うことでサービスも宿の環境格段に良くなった。さらに、ファンティーヌ従業員全員に英語を教えたことで、イギリス人の客が多く集まるようになった1867年3月には、他の宿から「うちでは不満か?」と聞かれるほどの繁盛ぶりを見せている。 この宿は、『レ・ミゼラブル』で幼少時代コゼットがこき使われた『ワーテルロー軍曹』を反面教師したものジョンドレット兄弟 アカダラケ伯爵夫人の“とりかえ屋”で働く20歳双子兄弟1828年生まれ言葉分かるが喋らず、ジェスチャー感情表現する1832年12月、よその家の戸口の前で凍死寸前になっていたところを伯爵夫人助けられる両親からある女性売られたが、その女性が逮捕されたためにまた捨てられ哀れな兄弟伯爵夫人我が子同然に育てられた。 以来二人伯爵夫人恩義感じている。コゼットは店の常連であり、伯爵夫人知り合いである。 彼らのモデルになった人物はゼルマのふたりの実弟男の子供可愛がらないテナルディエ夫妻は、ガヴローシュの下に生まれてきたふたりの息子を、当時、《良い金づる》だった息子たち相次いで亡くしたパリ悪女マニョン売った。そのマニョン1830年代前半パリ席巻していた悪党集団パトロン=ミネット”と関係があるとして逮捕されてしまった。売られ息子たち実兄ガヴローシュ世話になった後、パリ浮浪児になった。 《ジョンドレット》は、テナルディエパリ潜伏していたときに使っていた名前である。 トゥート・ナシオン モベール広場縄張りにしているゴミ拾い老女名前の意味は“だれでもかれでも”。アカダラケ伯爵夫人とは交流が深い。 パリ改造広場追い出されてからは、コゼット浮浪者グループ一員となって行き場のない人間集まった市門で暮らすようになるマリー・ジョゼフィーヌ トゥート・ナシオン孫娘少女時代ムクドリ惚れており、お互い祖母を介して縁談進めようとしていたが、ムクドリは彼女に関心を持たなかった。 やがて別の男性との間に3人の子供をもうけ、母親となる(末の子供はまだ乳児だったが、市門追いやられてから、疥癬くる病患って死去)。コゼット属す浮浪者グループ一員。 [先頭へ戻る]

※この「ポンメルシー夫妻の知人」の解説は、「コゼット (小説)」の解説の一部です。
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