ポンメルシー夫妻の知人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/06 04:51 UTC 版)
ムクドリ 本名:ガブリエル・ラスコー。1834年生まれの浮浪児。サン・ジュリアン・ル・ボーヴル教会の近くで生まれ育った。父親は囚人(すでに逝去)、母親はミミ・ラスコー。祖母はアカダラケ伯爵夫人。ラ・プティット・ロケット監獄(=現代日本でいうところの少年院)に収容されたことがある。10歳の時の事件が原因で鼻を骨折、今も鼻が曲がっている。 ムクドリと呼ばれるのは、ムクドリが鳥のなかで最も嫌われている存在であり、彼もまた人々の間で最も嫌われている存在だからである。そのあだ名の通り、すばしっこくて態度も悪く、口はもっと悪い。だが、本当は母親思いの心根の優しい少年。その優しさはやがて、ポンメルシー夫妻やファンティーヌにも向けられるようになる。 当時パリの貧民街であったムフタール通りでパンを盗もうとして失敗し、街の人々に捕まえられたところをコゼットに助けられる。以後、『ラ・リュミエール』紙の文書配達係として働くようになる。 やがて働いていくうちに『正しい人』になってゆき、“年下の先生”ファンティーヌを愛するようになる。アカダラケ夫人は「身分に差がありすぎる」としてそれを恐れるが、本人はあくまで本気であった。 ファンティーヌがマダム・カレームとともにイギリスへ逃亡した後は、ファンティーヌを想いながらパリ改造の建設工事に従事する底辺の労働者として働く毎日を送り、コゼットたちの面倒を見ながら、手紙でファンティーヌに近況を伝える。そして、10年ぶりに帰国したファンティーヌと再会し、お互いの愛を心で確かめ合った二人は、紆余曲折を経て、ファンティーヌの両親のような幸せな結婚生活を送る。 その心根の優しさと献身ぶりを評価され、コゼットから“息子”同然に扱われ、本当の息子ジャン=リュックよりも頼りにされるようになる。17歳以降は常にポンメルシー家の人々のことを考え、彼らに尽くしてきた。しかし、他人の人となりを身分や自分に対する態度で判断するジャン=リュックだけは彼を理解しようとしなかった。自身が親思いであるがゆえに、ジャン=リュックの親すらも見捨てる薄情で自己中心的な性分に腹を立て、彼を説教することもあった。 マリユス救出の際は、コゼットや石工グランクールとともにアムの城塞へ同行した。やがて、ファンティーヌと再会し、内縁の夫となった彼は、パリ改造のときにつちかった技術を駆使して、ボロボロになりかけていた《ジェラールの宿》を修繕。エピローグでは、妻の横で包丁をとぎながら、つまみ食いをする息子を見て笑う、心あたたまる場面がある。 アカダラケ伯爵夫人 ムクドリの祖母で、ミミの母。現在は犯罪者や見栄っ張りに豪奢な衣装一式を貸し出す“とりかえ屋”を経営しているが、その昔はゴミ拾いで生計を立てていた。《伯爵夫人》という現在の地位は、幸運と努力とあちこちにばらまいた脅迫状で成り立っている。 産んだ子供たちのなかで唯一生き残っているのが娘のミミだが、数年前に自分の事業をめぐって大喧嘩をしてしまい、それ以来、顔を合わせていない模様。 生きがいはもっぱら、ミミの子供の中で唯一生き残ったムクドリ。彼の頭にシラミを見つけて、黒い髪を虎刈りにしてしまうのが彼女の生活習慣の一環になっている。 孫のムクドリがファンティーヌを愛していることに警戒感を抱く一方、1851年12月の武装蜂起で心身ボロボロになったコゼットをかくまい、彼女のために衣装や化粧の面倒をみることになる。コゼットにしょっちゅう「高くついたオムレツ」の話をする。 実は、1817年にコゼットの母ファンティーヌと一緒にパリでつるんでいた4人のお針子娘のひとりで、本名をダリア・ドリオンという。幼少の頃のコゼットを知っており、パリを出て行くファンティーヌとコゼットを心配していたという。 コゼットの実父が地方からパリに出てきた学生であることを教え、母ファンティーヌがどんな人物であったかコゼットに教えた。その時、幼くて生真面目な性格で、夢に生きるところは娘のファンティーヌにそっくりだ、とコゼットは感想を漏らしている。 ファンティーヌ・ポンメルシー男爵令嬢がコゼットの娘だと分かると、今までかたくなに反対していた孫との結婚について態度を軟化させるが、あくまでも反対の立場を貫き通した。 ミミ・ラスコー ムクドリの母。警察公認の娼婦。気質のおとなしい、ふわふわ漂っている感じの女性。サン・シュルピス教会の陰にひっそりと建つカフェ・リゴロで客引きをしている。アブサンとモルヒネが彼女の心を支えている。 身にまとう豪奢な衣類は、母アカダラケ伯爵夫人の経営する“とりかえ屋”からいただいたもの。だが、母の事業を手伝うか否かで大喧嘩になってしまい、現在は冷戦状態にある。だが、息子ムクドリを想う気持ちは母娘共通。 手先が不器用ゆえ、娼婦という仕事が天職だと考えている。本当は娼婦をやめてほしいムクドリの願いも聞いてくれない。 逃亡先のイギリスから帰ってきたファンティーヌの姿を見て、「これほど息子に似合う娘はいない」と彼女を絶賛する。 マダム・ファジェンヌ ミミが客引きに使うカフェ・リゴロの経営者。1843年に夫が店で働いていた女とアメリカへ逃げてしまったため、ひとりで店を切り盛りしている。警察や密告者ともうまくやっている。客に何か混ぜ物をした“青いワイン”を出す。 優良顧客の娼婦ミミの息子ムクドリの頼みを聞き入れ、手紙の受け取り先にカフェ・リゴロを指定させるが、それがかえって仇となり、店が警察関係者に狙われることとなる。しかも、カウンターの端を貸していた《代書屋のヒバリ》が世間を騒がせている《ラ・リュミエール》だと知ってしまう。もともとムクドリは好きではなかったが、それ以降、ファンティーヌからの彼に宛てた手紙を焼いてしまうほど彼を嫌うようになってしまう。 本人がとうの昔に捨てたつもりの人情味によって、その人間性を支えられている女性。 ウジェーヌ・ヴェルディエ その風貌から、《伝道師》あるいは《モーゼ》と呼ばれる凄腕の印刷工。パジョルの師匠。印刷工たちが住むパリのカイロ通りで、内縁の妻テレーズと自分の子供3人、テレーズの連れ子4人と一緒に住んでいる。 1832年6月の暴動の際、国民軍の軍服を着てバリケードから逃れた5人の人物のなかのひとりで、唯一警察の手から逃れた人物。 『ラ・リュミエール紙』の発行に情熱を注ぐ。ムクドリに、「革命はもう起きてる」と告げた。 1851年12月の武装蜂起では、プティ・カロー通りでマリユスらと結束して戦う。 テレーズ ヴェルディエの内縁の妻。肝っ玉がすわった、気立ての良い女性。飾りひも工場で女工をしている。ヴェルディエと結婚するまでに、夫と2度死別している。 プティ・カロー通りのバリケードで負傷したコゼットをかくまった。そのとき、彼女は夫のことを察したのだった。 ヴィクトル・パジョル かつてヴェルディエの下で修行していた印刷工。ひょうきんな性格で「モンキー」と呼ばれていた男。コゼットと同い年。 1832年6月の暴動の舞台となった居酒屋コラント亭から逃げたが、そのときに片足を骨折してしまう。医者に診てもらえたものの、密告され、逮捕。モン・サン・ミッシェル監獄で14年間、囚人23974号として過ごした。そのせいで生涯、片足を引きずって歩くことを余儀なくされてしまう。逮捕当時は17歳だった。 31歳になったとき、出獄。監獄で出会ったブルジョワの男を殺すべく、その行方を追っている。その男を『ラ・リュミエール』紙の新聞社で見つけるが、マリユスの頼みに応じて復讐をあきらめる。しかし、内縁の妻ジェルメーヌが逮捕されたことで怒りは頂点に達した。 ジェルメーヌ・フルーリー パジョルの内縁の妻。地方出身で、以前の雇い主の子供を身ごもったため、雇い主の妻に追い出されてしまう。生活に困窮していたところでパジョルと出逢い、同棲するようになる。現在はパジョルと以前の雇い主との間にできた子供、それにパジョルとの間にできた子供とともにモンマルトルに住んでいる。 フランス第二帝政下で、内縁の夫の代わりに逮捕されてしまう。 アシーユ・クレロン マリユスの理解者。『ラ・リュミエール』紙の事務局長を務める。 「女はペンを握るようにできていない」、「記事を書くには女であることが邪魔になる」というのが持論で、コゼットに何度も執筆をやめるようすすめる。コゼットはそんな彼が気に入らないが、マリユスはそんな彼を信頼している。 1842年6月6日、コラント亭のあとにできたカフェでマリユスとヴェルディエが杯を交わしているときに再会を果たす。実は、6月の暴動の際にヴァルジャンから提供された国民軍の軍服を着てバリケードから脱出した5人目の男だった。それ以降、マリユスたちとの親交は深い。 実は、彼こそがバジョルが探している“監獄で出会ったブルジョワの男”であり、『レ・ミゼラブル』のジャヴェールと同じ、7月王政時代の警察のスパイであった。6月の暴動に暴徒として潜り込み、暴動に関わっていた者を探し、その者の名前や居場所を密告していた。さらに、マリユスが扇動罪で何度も逮捕されたのは、この男が記事の内容を事前に密告していたからである。 さらに、バリケードから逃げた老人と負傷した若い男を探していた。彼が探していたのは、すなわちジャン・ヴァルジャンとマリユスである。やがてヴェルディエのもとに戻ってきたパジョルによってその正体を暴かれ、新聞社を去ることとなる。 1851年12月2日、パリで警部になった彼はその手でポンメルシー夫妻を逮捕しようと邸宅を訪れ、家族や使用人を監禁する。しかし、ジャン=リュックの一言でポンメルシー夫妻がブーローニュにいることが分かると、夫妻を逮捕すべくブーローニュの警察に手を回す。が、パリで起きた事件を知った夫妻はプティ・カロー通りの武装蜂起に参加し、夫マリユスは死去、妻コゼットは娘や専属料理人を連れてイギリスへ逃亡してしまう。あてのなくなった彼は、関係者たちをしらみつぶしに当たり、コゼットたちを探しにかかる。 しかし、コゼットがパリにいることを確信した彼は、劇場でコゼットを追い詰め、彼女をかくまった罪でニコレットも捕まえようとした。が、そのとき、劇場に隠れていたパジョルに銃殺される。 パスカル・ボジャール 『ラ・リュミエール』紙の挿絵画家。ポンメルシー夫妻の良き理解者で、彼の描くティエールの風刺画は《頭の大きい赤ん坊》として知られている。 父が軍人で彼にも後を継がせようと期待していたが、その期待を裏切ってパリへ出奔。父は芸術学校の学費を払ってくれたものの、それ以外の金は払わず勘当されてしまう。 人間の日常生活にこそ絵を描くための崇高さを秘めていると考えてやまない。常に画家らしい服装をし、常に目に見えるものをどう描こうか考えている。父親を売り、ルイ・ナポレオンに取り入ろうとし、徐々に堕落していくジャン=リュックの浅はかでみずぼらしい人間性を鼻で笑った。 ソフィー・ド・ベリサン コゼットの修道院時代の同級生。すぐに頬を赤くする恥ずかしがりや。コゼットの結婚式でテオに口説かれ、のちにテオの妻となる。テオと結婚してからの彼女は恥ずかしがりやの性分が消える。 ニコレットの劇を観に来たとき、夫テオと同様、隣に愛人を連れていた。 エレン・タルボー コゼットの修道院時代の同級生。イギリス人の才女。名前を英語で読むと『ヘレン・タルボット』になる。イギリスに帰国後、結婚して《マダム・フィッツパトリック》となる。 ファンティーヌとマダム・カレームを受け入れたときには未亡人になっており、わずかな給付金だけで暮らしていた。ふたりにたいそう親切で、ファンティーヌ宛の手紙の受け取り口となる。 ジェラール夫妻 ブーローニュで宿屋を営む夫妻。ポンメルシー夫妻は《ジェラールの宿》をちょくちょく訪れる、最重要顧客である。夫のムッシュー・ジェラールは大のナポレオンびいきで、ルイ・ナポレオンがブーローニュの沖合に姿を現したとき、感極まって泣いたほどだった。妻のマダム・ジェラールは料理の腕がたいそう良い。 1853年にマダム・ジェラールが亡くなってから、宿の人気は落ちぶれていった。 マダム・ジェラールの没後数年は、他の宿に協力してもらって客をまわしてもらっていたが、満足のゆくサービスができない状態が続いていた。そのひどさは、他の宿からジェラールの宿のことを話すだけでも「宿の格が落ちる」と言われるほどであった。 しかし、ポンメルシー一家がパリから移住してからは状況が一変。マダム・カレームの下で修行したファンティーヌが作る料理が話題となり、コゼットとムクドリが宿を手伝うことでサービスも宿の環境も格段に良くなった。さらに、ファンティーヌが従業員全員に英語を教えたことで、イギリス人の客が多く集まるようになった。1867年3月には、他の宿から「うちでは不満か?」と聞かれるほどの繁盛ぶりを見せている。 この宿は、『レ・ミゼラブル』で幼少時代のコゼットがこき使われた『ワーテルローの軍曹』を反面教師にしたもの。 ジョンドレット兄弟 アカダラケ伯爵夫人の“とりかえ屋”で働く20歳の双子の兄弟。1828年生まれ。言葉は分かるが喋らず、ジェスチャーで感情を表現する。1832年12月、よその家の戸口の前で凍死寸前になっていたところを伯爵夫人に助けられる。両親からある女性に売られたが、その女性が逮捕されたためにまた捨てられた哀れな兄弟。伯爵夫人に我が子同然に育てられた。 以来、二人は伯爵夫人に恩義を感じている。コゼットは店の常連であり、伯爵夫人の知り合いである。 彼らのモデルになった人物はゼルマのふたりの実弟。男の子供を可愛がらないテナルディエ夫妻は、ガヴローシュの下に生まれてきたふたりの息子を、当時、《良い金づる》だった息子たちを相次いで亡くしたパリの悪女マニョンに売った。そのマニョンも1830年代前半にパリを席巻していた悪党集団“パトロン=ミネット”と関係があるとして逮捕されてしまった。売られた息子たちは実兄ガヴローシュの世話になった後、パリの浮浪児になった。 《ジョンドレット》は、テナルディエがパリに潜伏していたときに使っていた名前である。 トゥート・ナシオン モベール広場を縄張りにしているゴミ拾いの老女。名前の意味は“だれでもかれでも”。アカダラケ伯爵夫人とは交流が深い。 パリ改造で広場を追い出されてからは、コゼットの浮浪者グループの一員となって、行き場のない人間が集まった市門で暮らすようになる。 マリー・ジョゼフィーヌ トゥート・ナシオンの孫娘。少女時代はムクドリに惚れており、お互いの祖母を介して縁談を進めようとしていたが、ムクドリは彼女に関心を持たなかった。 やがて別の男性との間に3人の子供をもうけ、母親となる(末の子供はまだ乳児だったが、市門へ追いやられてから、疥癬とくる病を患って死去)。コゼットが属する浮浪者グループの一員。 [ 目次へ移動する | 先頭へ移動する ]
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ポンメルシー夫妻の知人
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「コゼット (小説)」の記事における「ポンメルシー夫妻の知人」の解説
ムクドリ 本名:ガブリエル・ラスコー。1834年生まれの浮浪児。サン・ジュリアン・ル・ボーヴル教会の近くで生まれ育った。父親は囚人(すでに逝去)、母親はミミ・ラスコー。祖母はアカダラケ伯爵夫人。ラ・プティット・ロケット監獄(=現代日本でいうところの少年院)に収容されたことがある。10歳の時の事件が原因で鼻を骨折、今も鼻が曲がっている。 ムクドリと呼ばれるのは、ムクドリが鳥のなかで最も嫌われている存在であり、彼もまた人々の間で最も嫌われている存在だからである。そのあだ名の通り、すばしっこくて態度も悪く、口はもっと悪い。だが、本当は母親思いの心根の優しい少年。その優しさはやがて、ポンメルシー夫妻やファンティーヌにも向けられるようになる。 当時パリの貧民街であったムフタール通りでパンを盗もうとして失敗し、街の人々に捕まえられたところをコゼットに助けられる。以後、『ラ・リュミエール』紙の文書配達係として働くようになる。 やがて働いていくうちに『正しい人』になってゆき、“年下の先生”ファンティーヌを愛するようになる。アカダラケ夫人は「身分に差がありすぎる」としてそれを恐れるが、本人はあくまで本気であった。 ファンティーヌがマダム・カレームとともにイギリスへ逃亡した後は、ファンティーヌを想いながらパリ改造の建設工事に従事する底辺の労働者として働く毎日を送り、コゼットたちの面倒を見ながら、手紙でファンティーヌに近況を伝える。そして、10年ぶりに帰国したファンティーヌと再会し、お互いの愛を心で確かめ合った二人は、紆余曲折を経て、ファンティーヌの両親のような幸せな結婚生活を送る。 その心根の優しさと献身ぶりを評価され、コゼットから“息子”同然に扱われ、本当の息子ジャン=リュックよりも頼りにされるようになる。17歳以降は常にポンメルシー家の人々のことを考え、彼らに尽くしてきた。しかし、他人の人となりを身分や自分に対する態度で判断するジャン=リュックだけは彼を理解しようとしなかった。自身が親思いであるがゆえに、ジャン=リュックの親すらも見捨てる薄情で自己中心的な性分に腹を立て、彼を説教することもあった。 マリユス救出の際は、コゼットや石工グランクールとともにアムの城塞へ同行した。やがて、ファンティーヌと再会し、内縁の夫となった彼は、パリ改造のときにつちかった技術を駆使して、ボロボロになりかけていた《ジェラールの宿》を修繕。エピローグでは、妻の横で包丁をとぎながら、つまみ食いをする息子を見て笑う、心あたたまる場面がある。 アカダラケ伯爵夫人 ムクドリの祖母で、ミミの母。現在は犯罪者や見栄っ張りに豪奢な衣装一式を貸し出す“とりかえ屋”を経営しているが、その昔はゴミ拾いで生計を立てていた。《伯爵夫人》という現在の地位は、幸運と努力とあちこちにばらまいた脅迫状で成り立っている。 産んだ子供たちのなかで唯一生き残っているのが娘のミミだが、数年前に自分の事業をめぐって大喧嘩をしてしまい、それ以来、顔を合わせていない模様。 生きがいはもっぱら、ミミの子供の中で唯一生き残ったムクドリ。彼の頭にシラミを見つけて、黒い髪を虎刈りにしてしまうのが彼女の生活習慣の一環になっている。 孫のムクドリがファンティーヌを愛していることに警戒感を抱く一方、1851年12月の武装蜂起で心身ボロボロになったコゼットをかくまい、彼女のために衣装や化粧の面倒をみることになる。コゼットにしょっちゅう「高くついたオムレツ」の話をする。 実は、1817年にコゼットの母ファンティーヌと一緒にパリでつるんでいた4人のお針子娘のひとりで、本名をダリア・ドリオンという。幼少の頃のコゼットを知っており、パリを出て行くファンティーヌとコゼットを心配していたという。 コゼットの実父が地方からパリに出てきた学生であることを教え、母ファンティーヌがどんな人物であったかコゼットに教えた。その時、幼くて生真面目な性格で、夢に生きるところは娘のファンティーヌにそっくりだ、とコゼットは感想を漏らしている。 ファンティーヌ・ポンメルシー男爵令嬢がコゼットの娘だと分かると、今までかたくなに反対していた孫との結婚について態度を軟化させるが、あくまでも反対の立場を貫き通した。 ミミ・ラスコー ムクドリの母。警察公認の娼婦。気質のおとなしい、ふわふわ漂っている感じの女性。サン・シュルピス教会の陰にひっそりと建つカフェ・リゴロで客引きをしている。アブサンとモルヒネが彼女の心を支えている。 身にまとう豪奢な衣類は、母アカダラケ伯爵夫人の経営する“とりかえ屋”からいただいたもの。だが、母の事業を手伝うか否かで大喧嘩になってしまい、現在は冷戦状態にある。だが、息子ムクドリを想う気持ちは母娘共通。 手先が不器用ゆえ、娼婦という仕事が天職だと考えている。本当は娼婦をやめてほしいムクドリの願いも聞いてくれない。 逃亡先のイギリスから帰ってきたファンティーヌの姿を見て、「これほど息子に似合う娘はいない」と彼女を絶賛する。 マダム・ファジェンヌ ミミが客引きに使うカフェ・リゴロの経営者。1843年に夫が店で働いていた女とアメリカへ逃げてしまったため、ひとりで店を切り盛りしている。警察や密告者ともうまくやっている。客に何か混ぜ物をした“青いワイン”を出す。 優良顧客の娼婦ミミの息子ムクドリの頼みを聞き入れ、手紙の受け取り先にカフェ・リゴロを指定させるが、それがかえって仇となり、店が警察関係者に狙われることとなる。しかも、カウンターの端を貸していた《代書屋のヒバリ》が世間を騒がせている《ラ・リュミエール》だと知ってしまう。もともとムクドリは好きではなかったが、それ以降、ファンティーヌからの彼に宛てた手紙を焼いてしまうほど彼を嫌うようになってしまう。 本人がとうの昔に捨てたつもりの人情味によって、その人間性を支えられている女性。 ウジェーヌ・ヴェルディエ その風貌から、《伝道師》あるいは《モーゼ》と呼ばれる凄腕の印刷工。パジョルの師匠。印刷工たちが住むパリのカイロ通りで、内縁の妻テレーズと自分の子供3人、テレーズの連れ子4人と一緒に住んでいる。 1832年6月の暴動の際、国民軍の軍服を着てバリケードから逃れた5人の人物のなかのひとりで、唯一警察の手から逃れた人物。 『ラ・リュミエール紙』の発行に情熱を注ぐ。ムクドリに、「革命はもう起きてる」と告げた。 1851年12月の武装蜂起では、プティ・カロー通りでマリユスらと結束して戦う。 テレーズ ヴェルディエの内縁の妻。肝っ玉がすわった、気立ての良い女性。飾りひも工場で女工をしている。ヴェルディエと結婚するまでに、夫と2度死別している。 プティ・カロー通りのバリケードで負傷したコゼットをかくまった。そのとき、彼女は夫のことを察したのだった。 ヴィクトル・パジョル かつてヴェルディエの下で修行していた印刷工。ひょうきんな性格で「モンキー」と呼ばれていた男。コゼットと同い年。 1832年6月の暴動の舞台となった居酒屋コラント亭から逃げたが、そのときに片足を骨折してしまう。医者に診てもらえたものの、密告され、逮捕。モン・サン・ミッシェル監獄で14年間、囚人23974号として過ごした。そのせいで生涯、片足を引きずって歩くことを余儀なくされてしまう。逮捕当時は17歳だった。 31歳になったとき、出獄。監獄で出会ったブルジョワの男を殺すべく、その行方を追っている。その男を『ラ・リュミエール』紙の新聞社で見つけるが、マリユスの頼みに応じて復讐をあきらめる。しかし、内縁の妻ジェルメーヌが逮捕されたことで怒りは頂点に達した。 ジェルメーヌ・フルーリー パジョルの内縁の妻。地方出身で、以前の雇い主の子供を身ごもったため、雇い主の妻に追い出されてしまう。生活に困窮していたところでパジョルと出逢い、同棲するようになる。現在はパジョルと以前の雇い主との間にできた子供、それにパジョルとの間にできた子供とともにモンマルトルに住んでいる。 フランス第二帝政下で、内縁の夫の代わりに逮捕されてしまう。 アシーユ・クレロン マリユスの理解者。『ラ・リュミエール』紙の事務局長を務める。 「女はペンを握るようにできていない」、「記事を書くには女であることが邪魔になる」というのが持論で、コゼットに何度も執筆をやめるようすすめる。コゼットはそんな彼が気に入らないが、マリユスはそんな彼を信頼している。 1842年6月6日、コラント亭のあとにできたカフェでマリユスとヴェルディエが杯を交わしているときに再会を果たす。実は、6月の暴動の際にヴァルジャンから提供された国民軍の軍服を着てバリケードから脱出した5人目の男だった。それ以降、マリユスたちとの親交は深い。 実は、彼こそがバジョルが探している“監獄で出会ったブルジョワの男”であり、『レ・ミゼラブル』のジャヴェールと同じ、7月王政時代の警察のスパイであった。6月の暴動に暴徒として潜り込み、暴動に関わっていた者を探し、その者の名前や居場所を密告していた。さらに、マリユスが扇動罪で何度も逮捕されたのは、この男が記事の内容を事前に密告していたからである。 さらに、バリケードから逃げた老人と負傷した若い男を探していた。彼が探していたのは、すなわちジャン・ヴァルジャンとマリユスである。やがてヴェルディエのもとに戻ってきたパジョルによってその正体を暴かれ、新聞社を去ることとなる。 1851年12月2日、パリで警部になった彼はその手でポンメルシー夫妻を逮捕しようと邸宅を訪れ、家族や使用人を監禁する。しかし、ジャン=リュックの一言でポンメルシー夫妻がブーローニュにいることが分かると、夫妻を逮捕すべくブーローニュの警察に手を回す。が、パリで起きた事件を知った夫妻はプティ・カロー通りの武装蜂起に参加し、夫マリユスは死去、妻コゼットは娘や専属料理人を連れてイギリスへ逃亡してしまう。あてのなくなった彼は、関係者たちをしらみつぶしに当たり、コゼットたちを探しにかかる。 しかし、コゼットがパリにいることを確信した彼は、劇場でコゼットを追い詰め、彼女をかくまった罪でニコレットも捕まえようとした。が、そのとき、劇場に隠れていたパジョルに銃殺される。 パスカル・ボジャール 『ラ・リュミエール』紙の挿絵画家。ポンメルシー夫妻の良き理解者で、彼の描くティエールの風刺画は《頭の大きい赤ん坊》として知られている。 父が軍人で彼にも後を継がせようと期待していたが、その期待を裏切ってパリへ出奔。父は芸術学校の学費を払ってくれたものの、それ以外の金は払わず勘当されてしまう。 人間の日常生活にこそ絵を描くための崇高さを秘めていると考えてやまない。常に画家らしい服装をし、常に目に見えるものをどう描こうか考えている。父親を売り、ルイ・ナポレオンに取り入ろうとし、徐々に堕落していくジャン=リュックの浅はかでみずぼらしい人間性を鼻で笑った。 ソフィー・ド・ベリサン コゼットの修道院時代の同級生。すぐに頬を赤くする恥ずかしがりや。コゼットの結婚式でテオに口説かれ、のちにテオの妻となる。テオと結婚してからの彼女は恥ずかしがりやの性分が消える。 ニコレットの劇を観に来たとき、夫テオと同様、隣に愛人を連れていた。 エレン・タルボー コゼットの修道院時代の同級生。イギリス人の才女。名前を英語で読むと『ヘレン・タルボット』になる。イギリスに帰国後、結婚して《マダム・フィッツパトリック》となる。 ファンティーヌとマダム・カレームを受け入れたときには未亡人になっており、わずかな給付金だけで暮らしていた。ふたりにたいそう親切で、ファンティーヌ宛の手紙の受け取り口となる。 ジェラール夫妻 ブーローニュで宿屋を営む夫妻。ポンメルシー夫妻は《ジェラールの宿》をちょくちょく訪れる、最重要顧客である。夫のムッシュー・ジェラールは大のナポレオンびいきで、ルイ・ナポレオンがブーローニュの沖合に姿を現したとき、感極まって泣いたほどだった。妻のマダム・ジェラールは料理の腕がたいそう良い。 1853年にマダム・ジェラールが亡くなってから、宿の人気は落ちぶれていった。 マダム・ジェラールの没後数年は、他の宿に協力してもらって客をまわしてもらっていたが、満足のゆくサービスができない状態が続いていた。そのひどさは、他の宿からジェラールの宿のことを話すだけでも「宿の格が落ちる」と言われるほどであった。 しかし、ポンメルシー一家がパリから移住してからは状況が一変。マダム・カレームの下で修行したファンティーヌが作る料理が話題となり、コゼットとムクドリが宿を手伝うことでサービスも宿の環境も格段に良くなった。さらに、ファンティーヌが従業員全員に英語を教えたことで、イギリス人の客が多く集まるようになった。1867年3月には、他の宿から「うちでは不満か?」と聞かれるほどの繁盛ぶりを見せている。 この宿は、『レ・ミゼラブル』で幼少時代のコゼットがこき使われた『ワーテルローの軍曹』を反面教師にしたもの。 ジョンドレット兄弟 アカダラケ伯爵夫人の“とりかえ屋”で働く20歳の双子の兄弟。1828年生まれ。言葉は分かるが喋らず、ジェスチャーで感情を表現する。1832年12月、よその家の戸口の前で凍死寸前になっていたところを伯爵夫人に助けられる。両親からある女性に売られたが、その女性が逮捕されたためにまた捨てられた哀れな兄弟。伯爵夫人に我が子同然に育てられた。 以来、二人は伯爵夫人に恩義を感じている。コゼットは店の常連であり、伯爵夫人の知り合いである。 彼らのモデルになった人物はゼルマのふたりの実弟。男の子供を可愛がらないテナルディエ夫妻は、ガヴローシュの下に生まれてきたふたりの息子を、当時、《良い金づる》だった息子たちを相次いで亡くしたパリの悪女マニョンに売った。そのマニョンも1830年代前半にパリを席巻していた悪党集団“パトロン=ミネット”と関係があるとして逮捕されてしまった。売られた息子たちは実兄ガヴローシュの世話になった後、パリの浮浪児になった。 《ジョンドレット》は、テナルディエがパリに潜伏していたときに使っていた名前である。 トゥート・ナシオン モベール広場を縄張りにしているゴミ拾いの老女。名前の意味は“だれでもかれでも”。アカダラケ伯爵夫人とは交流が深い。 パリ改造で広場を追い出されてからは、コゼットの浮浪者グループの一員となって、行き場のない人間が集まった市門で暮らすようになる。 マリー・ジョゼフィーヌ トゥート・ナシオンの孫娘。少女時代はムクドリに惚れており、お互いの祖母を介して縁談を進めようとしていたが、ムクドリは彼女に関心を持たなかった。 やがて別の男性との間に3人の子供をもうけ、母親となる(末の子供はまだ乳児だったが、市門へ追いやられてから、疥癬とくる病を患って死去)。コゼットが属する浮浪者グループの一員。 [先頭へ戻る]
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