カトリック教会との関係とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > カトリック教会との関係の意味・解説 

カトリック教会との関係

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 09:49 UTC 版)

殉教血史 日本二十六聖人」の記事における「カトリック教会との関係」の解説

この無声映画当時日本統治下にあった朝鮮京城現在の韓国ソウル市)で、牧畜事業営んでいたカトリック信徒平山政十が、巨額個人資産投入して製作した作品であり、一般向けに公開され商業映画であるが、平山主導のもと多数カトリック教会関係者協力得て製作された。この時期外国人宣教師主導体制から自立途中にあった日本カトリック教会が生みだした最初本格的劇映画というべき作品である。 映画内容は、長崎処刑され26人のキリスト教徒日本二十六聖人)の殉教史実によった物語であり、当時代表的な時代劇監督である池田富保演出担当し主演のペドロ・バプチスタ神父山本嘉一演じその他に片岡千恵蔵伏見直江山田五十鈴などが出演している。脚本当初キリシタン史の専門家である明治大学教授松崎実と作家佐藤紅緑との共作脚本だったが、平山渡欧後何らかの事情却下され上智大学教授ヘルマン・ホイヴェルス神父による新たな脚本製作されることになった。また演技指導担当者も、予定されていた伝道士の石川音次郎から、フランシスコ会のエジド・ロア神父当時鹿児島知牧)に替えられた。これらの変更は、脚本演技指導担当者日本人から外国人神父変更されていることから、平山渡欧後日本カトリック教会の上層部が、この映画の製作全面的協力をすることに合意したからなのではないか考えられる公開後一般新聞でも紹介され国内では映画評論家カトリック教会関係者にはおおむね好評だった。また平山欧米諸国でも上映するため、1932年5月渡米し1933年4月には渡欧している。この海外興行は、アメリカでは排日運動影響もありカトリック教会協力得られなかったため、平山仲介経由せずに教会関係者交渉し巡業形式全米各地の上映を進めた。また平山は、ヨーロッパでアメリカ興行のように巡回形式による興行を行うのではなく、あくまで映画会社契約を結び一般映画館へ配給される形で上映されることを希望していたが、交渉難航し最終的にカトリック系映画会社エイドフォンと契約成立した。この映画会社平山結んだ契約内容や、作品の上状況規模もしくは有無に関して具体的な資料はなく、この映画ヨーロッパで正式に一般公開されたかは不明である。 映画界とは無縁平山が、教会関係者支援受けて製作したこの映画は、日本のカトリック信徒が、軍国主義化していく日本社会において、社会的な迫害対象置かれるなど困難な社会的状況に対して打開を図るべく実行されたものであり、平山政十はこの映画を、キリシタン時代対す個人的な関心や、芸術家的欲求促されて、製作に取り組んだわけではない。「一に国民教化資料として三百年来伝統的誤解をとき、二には国外対す日本国民性の宣伝ともなそうとする」という彼の製作目的言葉みられるように、国内観客向けては、江戸時代以来キリスト教徒への偏見払拭することを目的とし、国外観客に対しては、日本人信徒殉教史実通して日本対外的イメージ向上することを目指していた。この点において、この映画は「プロパガンダ映画宣教宣伝映画)という性質持っていた。 事実、この作品海外興行された時、日本官憲支援受けた国策的なプロパガンダとして用いられることになった平山海外における興行促したものは、カトリック信徒こそが模範的な日本国民であるということ日本社会認めさせたい、という彼の願望であった平山決し好戦主義者ではなかったが、カトリック信徒非国民であるという批判退けるため、彼の示した過剰なまでの愛国者行動は、日本軍部の対外政策に対して無批判追従する結果に陥ってしまったことも事実である。 平山活動が、カトリック教会置かれ困難な現状打開する目的行われたのであるだけに、昭和初期カトリック教会直面した苦境が、いかに対応の困難なものであったかを象徴するものになった

※この「カトリック教会との関係」の解説は、「殉教血史 日本二十六聖人」の解説の一部です。
「カトリック教会との関係」を含む「殉教血史 日本二十六聖人」の記事については、「殉教血史 日本二十六聖人」の概要を参照ください。


カトリック教会との関係

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/08 08:41 UTC 版)

ピエール・テイヤール・ド・シャルダン」の記事における「カトリック教会との関係」の解説

信仰教義部会英語版)はテイヤールの生前1962年勅令時点存在していた禁書目録には、テイヤールの著作一切載せなかった。 その後間もなく著名な聖職者たちがテイヤールの著作神学的に強力に擁護したアンリ・ドゥ・リュバック(後に枢機卿)は1960年代テイヤール・ド・シャルダン神学について3冊の包括的な本を書いた。ドゥ・リュバックはテイヤールがいくつかの概念において正確さ欠けていたと言及しながら、テイヤール・ド・シャルダン正統性認め、テイヤールの批判者たち反論している。「感情によって知性鈍らせたテイヤールの多く論者について心配する要はない」。その10年後、教皇ベネディクト16世となるドイツ神学者ヨーゼフ・ラッツィンガーは、ラッツィンガーの『キリスト教入門』でテイヤールのキリスト論熱烈に語っている。 テイヤール・ド・シャルダンが、これらの思想現代世界観角度から再考し生物学的アプローチへの完全に否定できない傾向にもかかわらず全体として正しく把握しいずれにせよ、再びアクセス可能にしたことは、彼の重要な奉仕と見なされなければならないその後数十年にわたり著名な神学者枢機卿を含む聖職者たちが、テイヤールの考え賞賛する文章書き続けている。1981年、アゴスティーノ・カサロリ(英語版枢機卿は、バチカン新聞l'Osservatore Romano』の一面次のように書いた私たち同時代の人々は、この大胆な試みにおける構想困難さ表現欠落越えて間違いなく、魂の奥底キリスト取りつかれた人間首尾一貫した人生証し記憶することでしょう。彼は信仰と理性両方尊重することに関心持ちヨハネ・パウロ2世訴え対す反応予期していました。「恐れずに、文化文明進歩広大な領域の扉をキリストのために大きく開いてください1981年7月20日聖座はカサローリ枢機卿とフランヨ・シュペール(英語版枢機卿協議結果、この書簡はテイヤールの著作には曖昧さ重大な教義上の誤りがあると指摘した1962年6月30日に聖庁が出した警告立場変えるものではないと述べている。 ラッツィンガー枢機卿著書典礼精神』の中で、カトリックミサ試金石としてテイヤールのヴィジョン次のように取り入れている。 そして礼拝目標創造物全体目標が一体であること、つまり、自由と愛の世界であることが言えるようになったのです。しかし、これは歴史的なものが宇宙的なものに姿を現すことを意味します宇宙一種閉じた建物ではなく歴史偶然に起こることができる静止した容器でもありません。宇宙はそれ自体一つ始まりから一つ終わりまでの運動なのですある意味で、創造歴史である。テイヤール・ド・シャルダン現代進化論的世界観背景に、宇宙上昇プロセス、すなわち結合連続として描いている。そこでは精神とその理解全体包み込み一種生命体として融合しているのであるエペソ人への手紙コロサイ人への手紙引用しながら、テイヤールはキリストノウアスフィア向かって努力し最後にすべてをその「完全さ」の中に取り込むエネルギーとして見ている。ここから、テイヤールはキリスト教礼拝新しい意味を与えることになる。すなわち聖体化され聖体キリスト論的「完全性」において物質変容神格化予期するのである彼の考えでは、聖体宇宙動き方向与え、そのゴール予期する同時に、それを促すのである。 エイヴリー・ダレス(英語版枢機卿2004年次のように述べている。 フランスイエズス会士テイヤール・ド・シャルダンは、独自の詩的なスタイルで、聖体新し創造最初実りとして瞑想することを好んだシャルダンは『モンストランス』というエッセイの中で、ひざまずきながら祈るとき、聖母成長し始めついにはその神秘的な膨張によって「全世界白熱し、それ自体一つ巨大な聖体ようになった感覚持った述べている。宇宙最終的に聖変化されると考えるのはおそらく間違っているが、テイヤールは聖体宇宙最終的な栄光の関係を正しく認識したのであるクリストフ・シェーンボルン枢機卿2007年次のように書いている。 科学者古生物学者)であり神学者であるピエール・テイヤール・ド・シャルダン神父ほど、キリスト知識進化思想を結びつけようとした人は他にほとんどいない。... 彼の魅力的なビジョンは...大きな希望キリストへの信仰世界対す科学的アプローチ一緒にすることができるという希望表してきた。... これらの短い言及は、テイヤールの努力正当に評価することはできないテイヤール・ド・シャルダン全世代与えた魅力は、科学キリスト教信仰一緒に見るという彼の急進的な方法からきているのである2009年7月バチカン報道官のフェデリコ・ロンバルディは「今では誰も(テイヤールは)研究されるべきではない異端作家であると言おうとは思わないだろう」と述べている。 ドナル・ドール(神学者)は2020年著書でテイヤールに言及している。『今日のための信条私たち新し地球意識のための信仰コミットメント。』 教皇フランシスコ回勅『Laudato si'』の中でテイヤールの終末論的な貢献言及している。

※この「カトリック教会との関係」の解説は、「ピエール・テイヤール・ド・シャルダン」の解説の一部です。
「カトリック教会との関係」を含む「ピエール・テイヤール・ド・シャルダン」の記事については、「ピエール・テイヤール・ド・シャルダン」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「カトリック教会との関係」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「カトリック教会との関係」の関連用語

カトリック教会との関係のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



カトリック教会との関係のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの殉教血史 日本二十六聖人 (改訂履歴)、ピエール・テイヤール・ド・シャルダン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS