カトリック教会との関係
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「殉教血史 日本二十六聖人」の記事における「カトリック教会との関係」の解説
この無声映画は当時、日本統治下にあった朝鮮の京城(現在の韓国ソウル市)で、牧畜事業を営んでいたカトリック信徒の平山政十が、巨額の個人資産を投入して製作した作品であり、一般向けに公開された商業映画であるが、平山の主導のもと多数のカトリック教会関係者の協力を得て製作された。この時期、外国人宣教師の主導体制から自立の途中にあった日本カトリック教会が生みだした、最初の本格的劇映画というべき作品である。 映画の内容は、長崎で処刑された26人のキリスト教徒(日本二十六聖人)の殉教の史実によった物語であり、当時の代表的な時代劇監督である池田富保が演出を担当し、主演のペドロ・バプチスタ神父を山本嘉一が演じ、その他にも片岡千恵蔵、伏見直江、山田五十鈴などが出演している。脚本は当初、キリシタン史の専門家である明治大学教授の松崎実と作家の佐藤紅緑との共作脚本だったが、平山の渡欧後、何らかの事情で却下され、上智大学教授のヘルマン・ホイヴェルス神父による新たな脚本で製作されることになった。また演技指導の担当者も、予定されていた伝道士の石川音次郎から、フランシスコ会のエジド・ロア神父(当時の鹿児島知牧)に替えられた。これらの変更は、脚本や演技指導の担当者が日本人から外国人神父に変更されていることから、平山の渡欧後に日本カトリック教会の上層部が、この映画の製作に全面的協力をすることに合意したからなのではないかと考えられる。 公開後、一般新聞でも紹介され、国内では映画評論家やカトリック教会関係者にはおおむね好評だった。また平山は欧米諸国でも上映するため、1932年5月に渡米し、1933年4月には渡欧している。この海外興行は、アメリカでは排日運動の影響もありカトリック教会の協力を得られなかったため、平山は仲介を経由せずに教会関係者と交渉し、巡業形式で全米各地での上映を進めた。また平山は、ヨーロッパではアメリカ興行のように巡回形式による興行を行うのではなく、あくまで映画会社と契約を結び一般映画館へ配給される形で上映されることを希望していたが、交渉は難航し、最終的にはカトリック系映画会社エイドフォンと契約が成立した。この映画会社と平山が結んだ契約内容や、作品の上映状況の規模もしくは有無に関して具体的な資料はなく、この映画がヨーロッパで正式に一般公開されたかは不明である。 映画界とは無縁の平山が、教会関係者の支援を受けて製作したこの映画は、日本のカトリック信徒が、軍国主義化していく日本社会において、社会的な迫害の対象に置かれるなど困難な社会的状況に対して打開を図るべく実行されたものであり、平山政十はこの映画を、キリシタン時代に対する個人的な関心や、芸術家的欲求に促されて、製作に取り組んだわけではない。「一には国民教化の資料として三百年来の伝統的誤解をとき、二には国外に対する日本国民性の宣伝ともなそうとする」という彼の製作目的の言葉にみられるように、国内の観客に向けては、江戸時代以来のキリスト教徒への偏見を払拭することを目的とし、国外の観客に対しては、日本人信徒の殉教の史実を通して、日本の対外的イメージを向上することを目指していた。この点において、この映画は「プロパガンダ」映画(宣教・宣伝映画)という性質も持っていた。 事実、この作品は海外で興行された時、日本の官憲の支援を受けた国策的なプロパガンダとして用いられることになった。平山を海外における興行に促したものは、カトリック信徒こそが模範的な日本国民であるということを日本社会に認めさせたい、という彼の願望であった。平山は決して好戦主義者ではなかったが、カトリック信徒は非国民であるという批判を退けるため、彼の示した過剰なまでの愛国者的行動は、日本軍部の対外政策に対して無批判に追従する結果に陥ってしまったことも事実である。 平山の活動が、カトリック教会の置かれた困難な現状を打開する目的で行われたものであるだけに、昭和初期のカトリック教会が直面した苦境が、いかに対応の困難なものであったかを象徴するものになった。
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カトリック教会との関係
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「ピエール・テイヤール・ド・シャルダン」の記事における「カトリック教会との関係」の解説
信仰教義部会(英語版)はテイヤールの生前と1962年の勅令の時点で存在していた禁書目録には、テイヤールの著作を一切載せなかった。 その後間もなく、著名な聖職者たちがテイヤールの著作を神学的に強力に擁護した。アンリ・ドゥ・リュバック(後に枢機卿)は1960年代にテイヤール・ド・シャルダンの神学について3冊の包括的な本を書いた。ドゥ・リュバックはテイヤールがいくつかの概念において正確さに欠けていたと言及しながら、テイヤール・ド・シャルダンの正統性を認め、テイヤールの批判者たちに反論している。「感情によって知性を鈍らせたテイヤールの多くの論者について心配する必要はない」。その10年後、教皇ベネディクト16世となるドイツの神学者ヨーゼフ・ラッツィンガーは、ラッツィンガーの『キリスト教入門』でテイヤールのキリスト論を熱烈に語っている。 テイヤール・ド・シャルダンが、これらの思想を現代の世界観の角度から再考し、生物学的アプローチへの完全に否定できない傾向にもかかわらず、全体として正しく把握し、いずれにせよ、再びアクセス可能にしたことは、彼の重要な奉仕と見なされなければならない。 その後、数十年にわたり著名な神学者や枢機卿を含む聖職者たちが、テイヤールの考えを賞賛する文章を書き続けている。1981年、アゴスティーノ・カサロリ(英語版)枢機卿は、バチカンの新聞『l'Osservatore Romano』の一面に次のように書いた。 私たちの同時代の人々は、この大胆な試みにおける構想の困難さや表現の欠落を越えて、間違いなく、魂の奥底でキリストに取りつかれた人間の首尾一貫した人生の証しを記憶することでしょう。彼は信仰と理性の両方を尊重することに関心を持ち、ヨハネ・パウロ2世の訴えに対する反応を予期していました。「恐れずに、文化、文明、進歩の広大な領域の扉をキリストのために大きく開いてください」 1981年7月20日、聖座はカサローリ枢機卿とフランヨ・シュペール(英語版)枢機卿の協議の結果、この書簡はテイヤールの著作には曖昧さと重大な教義上の誤りがあると指摘した1962年6月30日に聖庁が出した警告の立場を変えるものではないと述べている。 ラッツィンガー枢機卿は著書『典礼の精神』の中で、カトリックのミサの試金石としてテイヤールのヴィジョンを次のように取り入れている。 そして礼拝の目標と創造物全体の目標が一体であること、つまり、自由と愛の世界であることが言えるようになったのです。しかし、これは歴史的なものが宇宙的なものに姿を現すことを意味します。宇宙は一種の閉じた建物ではなく、歴史が偶然に起こることができる静止した容器でもありません。宇宙はそれ自体、一つの始まりから一つの終わりまでの運動なのです。ある意味で、創造は歴史である。テイヤール・ド・シャルダンは現代の進化論的世界観を背景に、宇宙を上昇のプロセス、すなわち結合の連続として描いている。そこでは精神とその理解が全体を包み込み、一種の生命体として融合しているのである。エペソ人への手紙とコロサイ人への手紙を引用しながら、テイヤールはキリストをノウアスフィアに向かって努力し、最後にすべてをその「完全さ」の中に取り込むエネルギーとして見ている。ここから、テイヤールはキリスト教の礼拝に新しい意味を与えることになる。すなわち聖体化された聖体はキリスト論的「完全性」において物質の変容と神格化を予期するものである。彼の考えでは、聖体は宇宙の動きに方向を与え、そのゴールを予期すると同時に、それを促すものである。 エイヴリー・ダレス(英語版)枢機卿は2004年に次のように述べている。 フランスのイエズス会士、テイヤール・ド・シャルダンは、独自の詩的なスタイルで、聖体を新しい創造の最初の実りとして瞑想することを好んだ。シャルダンは『モンストランス』というエッセイの中で、ひざまずきながら祈るとき、聖母が成長し始め、ついにはその神秘的な膨張によって「全世界が白熱し、それ自体が一つの巨大な聖体のようになった」感覚を持ったと述べている。宇宙が最終的に聖変化されると考えるのはおそらく間違っているが、テイヤールは聖体と宇宙の最終的な栄光の関係を正しく認識したのである。 クリストフ・シェーンボルン枢機卿は2007年に次のように書いている。 科学者(古生物学者)であり神学者であるピエール・テイヤール・ド・シャルダン神父ほど、キリストの知識と進化の思想を結びつけようとした人は他にほとんどいない。... 彼の魅力的なビジョンは...大きな希望、キリストへの信仰と世界に対する科学的アプローチを一緒にすることができるという希望を表してきた。... これらの短い言及は、テイヤールの努力を正当に評価することはできない。テイヤール・ド・シャルダンが全世代に与えた魅力は、科学とキリスト教信仰を一緒に見るという彼の急進的な方法からきているのである。 2009年7月、バチカン報道官のフェデリコ・ロンバルディは「今では誰も(テイヤールは)研究されるべきではない異端の作家であると言おうとは思わないだろう」と述べている。 ドナル・ドール(神学者)は2020年の著書でテイヤールに言及している。『今日のための信条。私たちの新しい地球意識のための信仰とコミットメント。』 教皇フランシスコは回勅『Laudato si'』の中でテイヤールの終末論的な貢献に言及している。
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