1966年のテレビ (日本)とは? わかりやすく解説

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1966年のテレビ (日本)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/14 23:25 UTC 版)

1966年のテレビ(1966ねんのテレビ)では、1966年昭和41年)の日本におけるテレビジョン放送全般の動向についてまとめる。

主なできごと

カラー放送の動き

この年から、全面カラー化に向けて放送業界の動きが活発になっていき、カラーテレビの普及に弾みがかかるようになる。

  • カラー放送の全国整備が完成(奄美群島を除く)。
電電公社テレビネット回線のカラー対応の高規格化整備が奄美地域を除く全国に於いて3月20日に完了し、これにより、全国のカラーテレビジョン放送のネット中継網が完成[1][2]。これを受け、国内の数多くの地方局で、カラー放送が相次いで開始された。NHKでは同日に、一部の離島を除き、総合及び教育テレビのカラー放送が全国で視聴できるようになり[3]地方の民放局でもカラー放送未実施の局が、相次いでそれを開始した(「#既成局のカラー放送開始」の項を参照)。
10月、NHK総合テレビ日本テレビにおいてニュースのカラー放送が始まる。NHKでは国内だけでなく海外でもカラーフィルムを使った報道取材を開始した。但し、モノクロフィルムによる取材はそのままモノクロ映像で放送するのが原則だが、NHKではその一部を独自にカラー加工して放送(モノカラー方式)したりした。
  • TBSがカラー放送に本腰を入れ始める
いままでカラー放送に積極的でなかったTBSがこの年からそれを増加し始める。4月に同社の技術局が本格的なカラー放送時代に備え「テレビスタジオ増設委員会」を、同年11月には「カラー放送特別委員会」を設置する。番組では7月から『土曜ロードショー』、『兼高かおる世界の旅』、『ウルトラマン』のカラーフィルムによる番組を増加したのを始め、9月16日には、大きさ・重量共に今までのスタジオカラーカメラの約3分の1で、カラー撮影の色彩性能も非常に優れた、フィリップス社製の最新型プランビコン式カラーカメラ(型番:PC-60)を自社のGスタジオに日本初導入、10月放送のカラー特別番組『トッポ・ジージョ・イン・ジャパン』を皮切りに、スタジオカラーカメラによる番組制作を本格的に開始する(後述)。[注 1]
  • 民放で、カラーのスポットCMが開始
3月6日日本テレビにて、世界初のカラースポットCM(日立)が放映される(番組内のカラーCMは、生CMも含め、日本では1959年4月10日から開始)。
  • 民放では本格的なカラーテレビ時代に備え、前述のTBSを始め、NET朝日放送で関連の委員会が設置されている。


日本テレビ系列のNNN、フジテレビ系列のFNNの発足
民放ネットワークが、TBSキー局とするJNNに続き、この年の4月に日本テレビ系・NNN、10月にフジテレビ系・FNNがそれぞれ発足した。


テレビ番組


NHK、ラジオ中国、TBSが、従来よりも高画質のハイバンド仕様の放送用2インチVTRを日本で初導入
翌年には、東京の他のキー局・大阪の準キー局を始め、地方のテレビ局でも導入が開始。これは後に、同VTRを使った番組制作・編集等に於いて、後の全面カラー化を促進する為の大きな土台の1つとなり、後に1インチVTRやデジタルVTR(D2-VTRD3-VTR等)に代わるまで、テレビ局の収録・編集・送出用VTRの要となった。


視聴率
TBSがこの年の年間視聴率で、ゴールデンタイム(19〜22時)において首位となる(1963年から4年連続)。また、NHKはこの年の年間視聴率で、全日帯(6〜24時)において首位となる(こちらも1963年から4年連続)。


番組関係のできごと

1月
2月
3月
4月
5月
  • 4日 - フジテレビ系で大川橋蔵主演の時代劇銭形平次』放送開始[5]1984年4月4日まで18年、全888回にわたって続く長寿番組となった[23]
  • 5日 - NHK総合、『海外取材番組』で「民族と国家」が放送開始( - 7月21日、全12回)。[5]
  • 8日 - NHK総合、『報道特集』で「ベトナム報告」を放送。[5][24]
  • 15日 - 日本テレビ系、日曜夕方枠でカラー放送の演芸番組笑点』放送開始[5]。初代司会は立川談志が務め[注 6]、演芸コーナー、談志とゲストによる対談、大喜利の3部構成からなる(2025年現在は演芸と大喜利の2部構成)。なお、当時の大喜利メンバーには、同番組開始から放送開始50周年を迎えた2016年5月22日まで50年の長きにわたってレギュラー出演を続けてきた桂歌丸(5代目司会者→終身名誉司会→永世名誉司会[注 7])をはじめ、5代目三遊亭圓楽(4代目司会者)、歌丸との罵倒合戦で人気を博した三遊亭金遊(→小圓遊)らがいた[25]。番組は2021年5月で放送55周年を迎え[26][27]、2900回を超え2025年8月現在も継続中。
  • 17日
    • NHK総合、生活情報番組『こんにちは奥さん』で、当時の厚生大臣鈴木善幸と重症心身障害児をもつ母親を招き、「鈴木厚生大臣に訴える 重症心身障害児をもつ母親たち」を放送[28]。放送は反響を呼んだ。[5]
    • TBS系、ドキュメンタリー番組『カメラ・ルポルタージュ』で「エンタープライズ号の北爆同乗記」を放送。[5]
  • 23日 - フジテレビ系で演芸番組『お茶の間寄席』放送開始( - 1969年9月30日)。
6月
  • 2日 - TBS系、ドキュメンタリー番組『現代の主役』で、円谷英二の真髄に迫った「ウルトラQのおやじ」が放送。映画『サンダ対ガイラ』の撮影風景や、円谷英二の長男・との親子対談、怪獣による円谷へのインタビューなどを放送。番組内では、脚本家・金城哲夫も冒頭に出演し、同番組の構成も少し手伝ったという。[29]
  • 6日 - フジテレビ系で米の子供向けカラー映画ドラマ『わんぱくフリッパー』放送開始。全国PTA協議会の推薦作品となる。[30]
  • 10日 - NHK総合、『幼児の世界』で「反抗」を放送。[5][31]
  • 17日 - NHK総合、時代劇『大岡政談』で「若様紛失」を放送[32]。この放送の編集にて、マルチ・オーディオVTRの使用を開始(放送2日前)。録画面と音楽・効果音のタイミング合わせが正確となり、番組の質と作業能率が向上した。[5]
7月
  • 1日
  • 2日 - TBS系、カラー劇映画『土曜ロードショー』放送開始[6]。この頃から、TBS系列に於いてカラー番組が少しずつ増加していく。
  • 3日 - NHK総合、連続テレビ小説『おはなはん』が大ヒットし、視聴者からのアンコール放送の要望に応え、今までのドラマを1時間に再編集した上で、『特集おはなはん』を放送[33]。この放送の際には、今までのドラマから必要部分のみ国産録画用フィルム(キネレコ)にダビング・再編集して放送した。[5]
  • 4日 - フジテレビ系月曜19時30分枠で、日本初のカラー特撮ドラマ『マグマ大使』(手塚治虫原作、ピー・プロダクション制作)放送開始(全52回、 - 1967年6月26日)。
  • 10日 - TBS系『兼高かおる世界の旅』、この日から翌月28日まで「夏休みカラープレゼント」と題して、カラーでの制作・放送を行う(#0311「南へのいざない」〜#0318「秋への序曲」)。これ以降、同番組が全面カラー化となる翌年4月2日放送分までは、一部の回にてカラー制作・放送を実施。
  • 17日 - TBS系「タケダアワー」枠で、円谷プロ制作のカラー特撮ドラマウルトラマン』放送開始(全39話、- 1967年4月9日)[注 3][6]
  • 28日 - NHK総合、『海外取材番組』で「宇宙時代」が放送開始( - 9月15日、全8回)[5]。番組最後のモノクロ制作となる(次回の「カナダ」(9月22日放送開始)から全面カラー化)。
8月
9月
  • 4日 - NHK総合、『報道特集』で「文化大革命」を放送。[5][35]
  • 89日 - NHK教育、『教養特集』で「公害を考える」を2日間に渡って放送。8日は「産業と公害」、9日は「公害と市民」を放送。[5]
  • 10日 - 読売テレビ、放送を予定していた、身体障害者を扱った芸術祭参加ドラマ『土砂降り』(作:高橋玄洋)の放送中止をこの日決定。これに対し同月22日に、日本放送作家組合と作者の高橋が読売テレビに抗議した。[5]
  • 21日 - フジテレビ系、2日後の23日に放送予定だったドラマ『若者たち』の第33話「さよなら」の放送中止をこの日に決定[5]。この回は在日韓国人に対する日本人による差別を描いていた内容で、放送直前に平新艇事件が発生したために中止となった。ちなみに、同ドラマは同月30日の第34話を最終回として放送を終了した[5]。尚、同ドラマは、放送中止になった第33話を含め、全34話が放送用2インチVTRのビデオマスターテープで保存され、2008年に全話を収めたDVD-BOXが発売されている(同番組の項目も参照)。
  • 22日 - NHK総合、『海外取材番組』が、この日放送開始の「カナダ」( - 10月27日、全6回。この日の第1回は「無限の大地」)から全面カラー化。海外取材番組の全面カラー化のはしりとなる。[5][36]
  • 29日 - TBS系の視聴者参加型音楽番組『10人抜きのど自慢』が、4年の幕を降ろす[注 8]
10月
11月
  • 3日 - いずれもNHK総合
    • 文化の日特集として、『NHKリポート』にて「現代の家族生活」を1時間半に渡って放送。[5][45]
    • 『海外取材番組』で、「東欧の新しい波」が放送開始( - 12月22日、全7回。カラー放送)。[5]
  • 13日 - いずれもNHK総合
    • 19時のニュース(カラー放送)で、この日から開催された「大相撲九州場所」の好取組の模様を、NHKが開発したカラー用キネレコ装置に記録しての放送を開始。[注 12][5]
    • 全日空松山沖墜落事故」が発生。翌14日まで、速報を含めるニュースを終夜に渡りフィルム等のフィラーを入れながら放送、特別番組を編成。[5][46][47]
  • 19日 - NHK総合、2月4日の羽田沖の全日空機墜落事故の問題点を追及したドキュメンタリー番組『謎の一瞬』を放送。この番組はこの年のイタリア賞のテレビ・ドキュメンタリー部門で受賞。日本のテレビ番組で同賞の受賞は初めて。[5][48]
  • 21日 - 日本テレビ系、劇団木馬座が自らスポンサーとなった、自劇団の着ぐるみ人形劇によるカラーの幼児番組『木馬座アワー』放送開始( - 1969年9月27日。司会:森あさ子) 。「ケロヨーン」「バハハーイ」 の流行語を生んだ。[5]
  • 23日
    • NHK総合、『にっぽん診断』で「歩行者対運転者」を、東京大阪仙台の各スタジオを結んで放送。[5][49]
    • 日本テレビ系、深夜番組『11PM』で、サイコロ・花札をつかった賭博を、元暴力団組長である安藤昇が実演、問題化する。[5]
  • 28日 - 朝日放送・TBS系で牛乳石鹸一社提供の帯演芸番組『シャボン玉寄席』放送開始( - 1971年7月2日)。
  • 2829日 - NHK・TBS・NETと米3大ネットワーク(NBCCBSABC)が、「インテルサットII 号 F1」衛星を利用して交換中継。[5]
    • NHK総合では29日に、『宇宙中継 ~国連総会議場から~』を放送。中国の代表権問題に関する表決が放送された。[5][50]
  • 月内 - NHK名古屋放送局(ローカル)、愛知県の交通事故死が激増し、直近3か月で連続最多記録を更新している事態を受け、総合テレビで『悲惨な日本記録を考える』『交通戦争の中の子どもたち』ほか関連番組を放送し、事故防止キャンペーンを展開する。[5]
12月

その他テレビに関する話題

朝日放送(後の朝日放送グループホールディングス[注 15]2代目社屋(ABCセンター)稼働開始(6月1日)
  • 4月 - TBS技術局が本格的なカラー放送時代に備え「テレビスタジオ増設委員会」を設置。同年11月には「カラー放送特別委員会」を設置する。[39]
  • 5月16日 - NHKがアンペックス社製のハイバンド2インチVTR、VR-2000を初使用[5][61]
  • 6月1日
  • 9月1日 - NET、「カラー放送準備委員会」を「カラー放送実施委員会」に改称する。[62]
  • 9月16日 - TBSがGスタジオに、オランダ・フィリップス社製の最新型プランビコン式カラーカメラ(型番:PC-60)4式を日本で初導入。それまでのカラーカメラに比べ、大きさ、重さ共に約3分の1となり、かつ美しい自然な画質と安定した性能を持ったのが功を奏し、これを契機に、同局がスタジオカラーカメラでの本格的な番組制作を開始する様になる。[39][40]
  • 10月3日 - フジテレビ系列のニュースネットワーク、「フジニュースネットワークFNN - Fuji News Network)」発足。[5]
  • 10月20日 ラジオ中国(RCC)が、東芝アンペックス社製のハイバンドVTR VR-2000を導入、稼働開始[58]。日本の民放での同VTRの導入・稼働は恐らくこれが初。
山梨放送社屋(山梨文化会館)稼働開始(10月21日)

既成局のカラー放送開始

視聴率

(※関東地区、ビデオリサーチ調べ)

  1. 第17回NHK紅白歌合戦(NHK総合、12月31日)74.0%
  2. プロボクシング・世界バンタム級タイトルマッチ「ファイティング原田×エデル・ジョフレ」(フジテレビ、5月31日)63.7%
  3. ザ・ビートルズ日本公演(日本テレビ、7月1日)56.5%
  4. 連続テレビ小説 おはなはん(NHK総合、9月19日)56.4%
  5. ニュース(NHK総合、12月31日 21:00-21:05)55.9%
  6. プロボクシング・世界フライ級王座決定戦「ホラシオ・アカバロ×高山勝義」(フジテレビ、3月1日)50.7%
  7. てなもんや三度笠(TBS、10月2日)49.4%
  8. ゆく年くる年(NHK総合、12月31日)47.9%
  9. スタジオ102(NHK総合、2月5日 7:30-8:00)47.4%
  10. ニュース(NHK総合、2月5日 8:00-8:15)46.7%
  11. ニュース(NHK総合、4月26日 7:00-7:15)46.2%
  12. スター千一夜王貞治・小八重恭子」(フジテレビ、12月2日)45.9%
  13. 統一スト現場中継(NHK総合、4月26日 7:15-7:35)45.5%
  14. ザ・ガードマン(TBS、9月23日)44.7%
  15. カメラリポート(NHK総合、6月28日)44.4%
  16. そっくりショー(日本テレビ、2月8日)43.9%
  17. 氷点(NETテレビ、4月17日)42.7%
  18. 三菱ダイヤモンドアワープロレスリング(日本テレビ、5月13日)41.9%

テレビ番組

テレビドラマ

NHK
日本テレビ
TBS
フジテレビ
NETテレビ

映画番組

子供向けドラマ

日本テレビ
TBS
フジテレビ
NETテレビ

特撮番組

テレビアニメ

バラエティ番組

演芸番組

クイズ番組

音楽番組

トーク番組

報道・情報・ワイドショー番組

芸能番組

  • 芸能百選(カラー)(NHK総合)[92]

教養・ドキュメンタリー番組

料理番組

  • ママの日曜献立(カラー)(日本テレビ)[69]

特別番組

既存番組のカラー化

年内開始番組を除く

  • 選抜高等学校野球大会(NHK総合) - この年(3月26日の開会式より)からカラー化[14]
  • きょうの料理(NHK総合) - 東京(放送センター)制作分については4月4日から(大阪制作分については翌年1月から)[97]
  • 自然のアルバム(NHK総合)- 1966年度の放送(4月10日〜翌年4月2日)は、全51回の内12回がカラー放送[注 22][98]
  • NHK競馬中継(NHK総合) - 4月17日(この日は「皐月賞」の中継)より[14][21]
  • 兼高かおる世界の旅(TBS) - 7月10日8月28日(「夏休みカラープレゼント」)、9月4日(第15次取材ハイライト)、10月2日(「インディ500マイルレース」)がカラーで放送される。
  • 海外取材番組(NHK総合) - 4月21、28日の2回シリーズ「隣邦韓国」がカラー[22]。そして9月22日(「カナダ」第1回「無限の大地」)からは毎回カラー[36]
  • NHK(夜)7時のニュース(NHK総合) - 10月25日から(スタジオとカラーフィルムによる報道取材のみ)[42]
  • NHK特派員だより(NHK総合) - 11月27日から随時[99][100](翌年7月2日から毎回カラー放送[101]
  • NHK特派員報告(NHK総合) - 12月20日から(一部回を除く)[99][102]

カラーフィルムによる報道取材開始

  • 10月25日:NHK放送センター(関東圏。カラーでの放送は当初夜7時のニュースのみ。)[42]
  • 10月29日:日本テレビ(カラーでのニュース放送は当初『NNNワイドニュース』のみ)

参考文献

など

脚注

注釈

  1. ^ TBSでは1959年2月2日にカラー実験放送を開始、同年5月15日からスタジオカラーカメラによる番組も放送していたが、カラーテレビ受像機が未だ一般的に普及していなかったのを始め、同放送の様々な機器のカラー特性が未だTBSのエンジニアが満足する水準でなかったことや、それまでのカラーカメラは重量(約200kg)、大きさ共にモノクロのそれの約3倍もあり、スタジオでの番組制作となるとそれだけでなく、照明量がモノクロの場合の3~10倍を要し、出演者が汗だくになることがある等、著しく手間と負担がかかること等もあり、カラー番組の本格的な増加に踏み切れなかった。(「TBSテレビ#沿革」等の項目も参照。)
  2. ^ このうち『あけてくれ!』は放送されなかったが、1967年12月24日に再放送で第28話として初放送された。
  3. ^ a b なお『ウルトラQ』終了翌週ならびに『ウルトラマン』開始前となる7月10日には緊急特別番組として『ウルトラマン前夜祭 ウルトラマン誕生』(モノクロ)が放送された(杉並公会堂で公開収録)。
  4. ^ NHK放映終了後もなお人気を誇り、その後もTBSやテレビ東京などで放送され、2000年代にはNHK教育でも放送された。
  5. ^ 同年3月9日から4月10日まで韓国各地にて取材したカラーフィルムからの構成。
  6. ^ 以後、前田武彦三波伸介五代目三遊亭圓楽桂歌丸春風亭昇太と交代。
  7. ^ 『笑点』の開始5分前に放送されているミニ番組『もう笑点』で、死去前日の2018年7月1日放送分まで出演した。なお、没後に生前の功績を称え「永世名誉司会」の称号を与えた。
  8. ^ 当初から参天製薬の一社提供で『(大学→サンテ)10人抜きのど自慢』だったが、この年の4月から松下電器産業(後のパナソニック)にスポンサーが交代し『ナショナル10人抜きのど自慢』となった。
  9. ^ 後の『日曜プライム』枠。
  10. ^ 当初からTBS・JNN系列であるが、当時広島県は民放テレビがRCCと広島テレビ放送しかなく(後にNET→テレビ朝日系列となる広島ホームテレビは1970年12月1日に開局している)、RCCは当時のNETの教育番組も放送していた。
  11. ^ 日立グループが提供を参加するのは放送開始から6年半後の1973年4月から。
  12. ^ ちなみにNHK総合で放送の「大相撲九州場所」は、前年(1965年)からカラー放送となっている。
  13. ^ テレビアニメとしてはそれ以前に『もぐらのアバンチュール』『新しい動画 3つのはなし』『インスタントヒストリー』『おとぎマンガカレンダー』などが放映されている。
  14. ^ フジテレビ系は1971年より『ゆく年くる年』に参加。ちなみに当時、フジテレビの時報スポンサーはリズム時計工業CITIZENブランド)だった。
  15. ^ 2018年4月1日の放送持株会社制移行で朝日放送グループホールディングスとなり、テレビ放送事業は新たに設立された朝日放送テレビに承継された。
  16. ^ 同局ならびに山梨日日新聞社を中心とする山日YBSグループの本社ビル(設計は丹下健三)。
  17. ^ 移転は前日の10月20日に完了している[63]
  18. ^ 札幌地域のみでの開始。道内の全局カラー化の完成は、翌年の12月21日。
  19. ^ 札幌地域のみでの開始。道内の全局カラー化の完成は、1968年。
  20. ^ 秋田放送ホームーページの「会社概要 沿革」には、1966年9月開始と記され、具体的な日付は記されていない[71]。ここでは日付が具体的に出ている、「NHK年鑑'67」の33ページの記述によっている。
  21. ^ フィリップ社製のプランビコン式カラーカメラ使用(型番不明)[65]。RSKが加盟しているJNNキー局のTBSは、この5カ月半後の9月16日に、同じフィリップス社製の同式では当時最新型のカラーカメラ(型番:PC-60)を日本で初導入している[39][40]
  22. ^ 5月1日放送「南アルプスの雪どけ」、5月15日放送「ウミネコの生態」を始め計12回。

出典

  1. ^ a b 日本放送協会総合技術研究所『五十年史』(1981.03) 102ページ (渋沢社史データベース)(2023年6月29日閲覧)
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  3. ^ a b c 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'66』日本放送出版協会、1966年、50頁。 
  4. ^ NHK朝の連続テレビ小説に玉川学園・玉川大学出身者が多数出演”. 玉川豆知識. 玉川学園. 2024年12月9日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl bm bn bo bp bq br bs bt bu bv bw bx by bz ca cb cc cd ce cf 「放送史年表 -詳細版- 1966年」(NHK放送文化研究所)(2025年5月17日閲覧)
  6. ^ a b c d 株式会社東京放送『TBS50年史 資料編』株式会社東京放送、2002年1月、337頁。 
  7. ^ 1966(昭和41)年1月2日 初の怪獣番組「ウルトラQ」スタート - 毎日.jp ニュースボックス、2012年3月1日閲覧[リンク切れ]
  8. ^ NHKクロニクル『消息を絶った全日空機』アナログ総合 1966年02月04日(金) 午後10:30 〜 午後10:50
  9. ^ NHKクロニクル『墜落した新鋭ジェット機』アナログ総合 1966年02月05日(土) 午後00:20 〜 午後00:45
  10. ^ NHKクロニクル『特別番組 「搜索24時間」』アナログ総合 1966年02月05日(土) 午後07:30 〜 午後07:59
  11. ^ 第3回ギャラクシー賞受賞作品”. 放送批評懇談会. 2014年11月13日閲覧。
  12. ^ 放送番組センター 放送ライブラリー『現代の主役 小澤征爾「第九」を揮る』(2025年8月7日閲覧)
  13. ^ NHKクロニクル『日本列島の春 〔春に巣立つ〕〔日本を造る〕』アナログ総合 1966年03月21日(月) 午前10:30 〜 午前11:55
  14. ^ a b c d 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'67』日本放送出版協会、1967年、103頁。NDLJP:2474364/72 
  15. ^ a b 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'67』日本放送出版協会、1967年、132頁。NDLJP:2474364/87 
  16. ^ NHK朝の連続テレビ小説に玉川学園・玉川大学出身者が多数出演”. 玉川豆知識. 玉川学園. 2024年12月9日閲覧。
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  20. ^ a b 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'67』日本放送出版協会、1967年、112頁。NDLJP:2474364/77 
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  24. ^ NHKクロニクル『報道特集 「ベトナム報告」』アナログ総合 1966年05月08日(日) 午後09:30 〜 午後10:09
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  27. ^ 新宿高島屋で「笑点」55周年特別記念展、実際に使われた小道具など展示 お笑いナタリー、2021年2月24日
  28. ^ NHKクロニクル『こんにちは奥さん 「厚生大臣に訴える」』アナログ総合 1966年05月17日(火) 午前08:45 〜 午前09:39
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  30. ^ a b 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'67』日本放送出版協会、1967年、23頁。 
  31. ^ NHKクロニクル『幼児の世界 「反抗」』アナログ総合 1966年06月10日(金) 午前10:30 〜 午前10:59
  32. ^ NHKクロニクル『大岡政談 「池田大助捕物帳」 ―若様紛失―』アナログ総合 1966年06月17日(金) 午後08:00 〜 午後08:59
  33. ^ NHKクロニクル『特集「おはなはん」 ~林謙一作 随筆“おはなはん”より~』アナログ総合 1966年07月03日(日) 午後01:40 〜 午後02:37
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  50. ^ NHKクロニクル『宇宙中継 ~国連総会議場から~』アナログ総合 1966年11月29日(火) 午前07:15 〜 午前07:58
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  77. ^ 日本テレビ最後のハウス食品一社提供番組。
  78. ^ 7月16日に『日産スター劇場』で放送。 アメリカ合衆国ロケ作品。
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  80. ^ a b c d 日本テレビ放送網株式会社 社史編纂室『大衆とともに25年 沿革史』日本テレビ放送網、1978年8月、466~7頁。NDLJP:11954641/249 
  81. ^ 日本初放映から38年後の2004年に、当時と同じTBSで日本オリジナルのリメイク版が放映された。
  82. ^ 1984年4月まで18年にわたり放送され、大川版終了後も、同じくフジテレビで北大路欣也主演で数回制作されている(これ以外にも、大川版終了から3年後の1987年には日本テレビで風間杜夫主演で制作された。また2004年にはテレビ朝日村上弘明主演で制作された)。
  83. ^ 朝日新聞 1966年6月6日 朝刊9ページ テレビ欄(朝日新聞クロスサーチで閲覧)
  84. ^ a b 朝日新聞 1966年4月10日 朝刊9ページ テレビ欄(朝日新聞クロスサーチで閲覧)
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  86. ^ 日本テレビ放送網株式会社 社史編纂室『大衆とともに25年 沿革史』日本テレビ放送網、1978年8月、470~1頁。NDLJP:11954641/251 
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  94. ^ a b c d e 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'67』日本放送出版協会、1967年、110頁。 
  95. ^ 朝日新聞 1966年4月8日 朝刊9ページ テレビ欄(朝日新聞クロスサーチで閲覧)
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  101. ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'68』日本放送出版協会、1968年、94頁。 
  102. ^ 朝日新聞 1966年12月20日 朝刊9ページ テレビ・ラジオ欄(朝日新聞クロスサーチで閲覧)
  103. ^ NHK nenkan - Google Books
  104. ^ NHK nenkan - Google Books



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