戦争犯罪の補償とは? わかりやすく解説

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戦争犯罪の補償

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 13:59 UTC 版)

ドイツの歴史認識」の記事における「戦争犯罪の補償」の解説

BRDでは1956年に、ナチス迫害犠牲者のための補償について連邦法として「連邦補償法」が制定された。これは国家賠償とは異なりナチス犯罪被害者対するいわば個人補償である戦後補償として位置づけられている。ただし対象大部分ドイツ国民か、当時ドイツ国民で後にドイツ国籍を離れた人間である。また補償を受ける犠牲者には社会保障額が減額されるなど、実際にナチス関係者よりも犠牲者の方が低い扱いをされていた。 また制定当初は、もっぱらユダヤ人対すホロコーストや、それに象徴される迫害への補償であったこのため50万人犠牲になったと言われるシンティ・ロマ人に対して1956年ロマ対す補償請求BRD最高裁は「経験上、彼らは犯罪行為、特に窃盗詐欺に向かう傾向認められる」として拒否結局1963年新たな判決が下るまで、ドイツ司法ナチス時代ロマ対す迫害事実上追認していた。 さらに共産党員に対しては、1956年共産党非合法化以降自由主義的な民主主義秩序根幹揺るがそうとした者」として補償拒否されている。罪を問われることの無かったほとんどの元ナチス党員、さらに連合軍戦犯裁判有罪になった人間も「ドイツ国内法上の犯罪者」ではないため、問題なく恩給年金給付され叙勲障害にもなっていないが、非合法化時に共産党員だった人間多く場合ナチス時代補償だけでなく、恩給年金支払いも「元共産党員」というだけで拒否されていた。また「ナチ政権による被害者の会」代表のフリッツ・ブリングマンがドイツ功労十字勲章候補に挙ったときも「元共産党員」である事を理由叙勲対象から外されている。さらに「安楽死作戦での犠牲者や、同性愛者兵役拒否者など、ナチスによって社会的に価値の低い人間として迫害受けた他の犠牲者補償対象にはならなかったが、これらについては1988年新し要綱作成され、「苛酷事例」における給付対象拡大により補償受けられるようになったまた、第二次世界大戦下のドイツにおける強制労働英語版)は、「奴隷労働」としてニュルンベルク裁判でも軍需相であったシュペーア労働動員総監のザウケルの判決において罪状一部とされていながらそれまで包括補償協定」や「苛酷緩和最終規定」、あるいはドイツ統一後の「和解基金」の設立といった補償問題見直しなされた際にも置き去りにされていた。 1998年アメリカで強制労働被害者から補償訴え起こされた。裁判そのもの時効であったが、強制労働携わったとしていくつものドイツ企業訴えられることとなり、製品不買運動にまで発展したことから、訴えられドイツ企業団は、ナチス強制労働政策参加してしまったことによる歴史的責任」を、BRD下院は「政治的道義的責任」を認め2000年ナチスによる「強制労働」の被害者への補償のために「記憶・責任・未来基金設置BRD下院可決された。この基金総額100マルクにのぼる膨大なもので、BRD企業団と国が折半して拠出している。この基金参加することで、BRD企業アメリカから、ナチス犯罪に関わっていないという「法的安定性」の保証見返りとして獲得しアメリカで経済活動の自由得た。 ただ、BRD政府一貫して請求権問題解決済み」という立場取っており、このような基金が「法的な意味における補償ではない」ということはBRD並びに基金受け取ったポーランドチェコ双方共通する認識である。また、あくまでもドイツ側認識は「戦争犯罪ではなくナチス不法行為」に対するものであり、このためBRDでは、都市の破壊など通常の戦争犯罪による被害についての補償行っていない。 日本ではBRD周辺国対し莫大な賠償行ってきた」と報じられることがしばしばあるが、実際にドイツ行ってきた戦争被害への賠償はほとんどがBRD国民向けであり、また「戦争被害に関する個人請求権」を認めているのはBRD国民に対してだけで、それ以外戦争被害に関する個人請求権一切認めていない。 『フランクフルター・アルゲマイネ』紙が2000年7月6日記事にしたところでは、96年までにBRD政府が行った戦後補償1. 負傷空襲戦争捕虜などで犠牲になったドイツ兵士民間人への補償28兆円)、2. ナチス不法行為対す補償(7兆円)、3. 戦争行為被害受けた他国民への補償手付かずとなっている。さらに2003年6月26日ドイツ最高裁1944年6月ギリシャディストモ行われたナチス親衛隊による虐殺についての賠償請求を「個人的な請求認められない」と拒否。また2003年12月10日BRDボン地裁は、コソボ紛争時の1999年NATO軍の空爆死傷した旧ユーゴスラビア犠牲者遺族らがBRD政府100万ユーロ当時レートで約1億3千万円)の賠償求めた訴訟で「個人戦争受けた被害について自国以外の国に賠償求めることはできない」として請求棄却2005年7月28日ケルン高裁もこの判決支持2006年11月2日BRD最高裁原告の上告を棄却判決確定)しており、21世紀に入っても「ドイツ人以外には戦争被害賠償しない」という立場変わりはない。 その一方で戦後ポーランドチェコから追放されドイツ人財産返還請求する動き長年渡り存在しており、2006年12月には追放ドイツ人ポーランド政府相手取り欧州人権裁判所訴訟起こしている。2008年10月10日欧州人権裁判所は、「ポーランドドイツヨーロッパ人協約批准したのは第二次世界大戦の後であり、当裁判所今回請求審査する立場にない」との判決下し請求却下した。これはポーランド側主張通り追放ドイツ人への補償財産返還法的義務がないことを意味すると共に同様にドイツに対して第二次大戦時およびそれ以前行為に対して欧州人権裁判所判断下さないという立場取ったことを示している。そういった一連の動き反発する形で、2004年9月ポーランド議会ドイツ政府相手取って戦争被害賠償請求決議」を行うなど、戦後60年経て未だにBRD周辺国横たわる深刻な政治問題となっている。 なお、現在のBRD国内では、ドイツ人追放不当な犯罪行為とする認識こそ一般的ではあるが、追放者による周辺国対す財産返還補償請求への支持多数派わけではない。これは追放ドイツ人請求している相手国に対しドイツ戦争被害賠償行っていないことから、請求権相互に適用するBRD側にも莫大な賠償責任発生してしまうからである。上述ポーランド議会賠償請求決議では被害額首都ワルシャワだけで350ドルし、またポーランド対しBRDの払うべき賠償金は6,400ドル相当とする数字出ている。このためBRD政府は「請求権問題解決済み」の立場繰り返し表明しドイツ人および周辺国行った請求をすべて支持しないことを明言しているが、それに対す法的措置取っておらず、ドイツ人からの財産返還請求が行われる余地残されているとされる一般的にドイツ人追放財産補償返還請求を行う側は「周辺国戦争被害通常の戦争行為結果であるが、ドイツ人追放特定の民族対す迫害であり人道に対する罪属するものであるから別に扱わねばならない」として請求権行使正当性主張している。支持側の主要な政治家としてはエドムント・シュトイバークラウス・キンケルなどがいる。政党別ではキリスト教社会同盟支持者が多いが、この理由は同党の支持基盤であるバイエルン州には戦後ベネシュ布告によって財産没収されチェコから追放されドイツ人多数住んでいるからである。 このような事態招いた原因であるが、BRD政府第二次大戦における他国戦争被害に関する請求権について原則的に戦後相手国が接収したドイツ財産相殺されたことで、請求権相互に放棄され解決済み」の立場取っている。しかし、旧西側国々とは条約協定調印しているが、ポーランドチェコなどソ連を除く旧東側諸国相手にはそのような法的処理なされていない。このため、「解決済み」とするのはあくまでも政府見解とどまり法的根拠不明確なままであるその結果BRD政府首脳ドイツ人請求権行使について「支持しない」という立場繰り返すが、補償返還請求法的な位置づけについては明言避けている。 最大追放ドイツ人団体である追放者連盟の代表エーリカ・シュタインバッハは法的処理要求しているが、2009年10月時点ドイツ政府議会には具体的な動きはない。なお2004年8月1日シュレーダー首相が「補償請求支持しない」と発言した際、シュタインバッハは「強制移住被害者気持ちを傷つける」と批判している。 これは法的処理を行うと、それらの国より追放されドイツ人から「請求権肩代わり」による請求が起こることを恐れるがゆえの意図的な怠慢思われるが、それがドイツ人からの請求を受ける側のポーランドチェコ警戒不信招いている。 2005年11月に『シュピーゲル』誌の発表した世論調査によると、ポーランド人のうち61%は、BRD政府戦前ドイツ領だった地域取り戻そうとしているか、あるいはその補償求めてくるのではないか考え、また41%は、追放されドイツ人の各団体の目的失った個人財産返還あるいはその補償にあるのではないかという危惧を示すなどなどポーランド側度重なる要求にもかかわらず追放者財産法的処理先延ばし続けドイツ政府態度に、多くポーランド人不信感抱いていることが明らかとなっている。 また、ドイツ人追放財産扱いEU統合にも影響与えている。リスボン条約付帯文書である基本権憲章財産権を盾に、ドイツ人追放者が財産返還補償求めてくる恐れがあるチェコ難色示し、他の26カ国が批准終えた中でチェコだけ批准が行われず、一時期条約発効が宙に浮きかねないとの危惧もたれた。これについては2009年10月30日欧州連合首脳会議にて「基本権憲章チェコ適用しない」との特例措置認め政治宣言採択されたことで、2009年11月13日同国条約批准している。なおすでにドイツ人から欧州人権裁判所提訴されていたポーランドは、イギリスと共に欧州連合基本権憲章適用免れることを定めた議定書付帯させている。 請求権問題に関するポーランドチェコ立場異なる。ポーランド1953年請求権放棄宣言しているため、ドイツに対して互い請求権放棄確認する法的処理要求しており、議会賠償請求決議もそのための牽制見られている。一方チェコナチスドイツ継承国であるBRD対す賠償請求権放棄していないとの立場取り、現在もBRD対すナチス犠牲者への賠償請求行っているがBRD政府は「請求権解決済み」として応じていない。 また2010年2月にはギリシャのパンガロス副首相第二次大戦賠償BRD求めると発言し1960年協定解決済みとするBRD側が反発フォークスが「ユーロ圏いかさま師」との見出しで、ギリシャ象徴するミロのビーナス像が中指立て挑発的姿勢を取る姿を表紙掲載した。さらに2012年9月にはギリシャ財務省第二次大戦ドイツから被った損害対す賠償請求額を算定する明かし2013年4月にはアブラモプロス外務相議会戦争賠償ドイツ請求する方針示し地元メディア請求額1620ユーロ上る報じその後ギリシャからはBRD対す賠償請求続けられ2019年4月にはギリシャ議会においてBRD対す賠償請求求め決議可決された。 2019年4月にはポーランド補償金評価議会グループのヤヌシュ・シェフチャク下院議員雑誌「WPolityce」のインタビューにて第二次大戦中損害賠償金としてBRD少なくとも9000ドル請求する方針だと述べており、21世紀において未だに第二次大戦戦後補償問題BRD周辺国との間でわだかまり残している事が明らかとなっている。 また2022年ロシアのウクライナ侵攻においてはウクライナ側からBRDに対して軍事援助の不十分を批判する声として独ソ戦において800万人ウクライナ人の命が奪われた事を引き合いに出すなどBRD慎重な態度批判する文脈で「第二次大戦反省」が取り上げられる事もある。

※この「戦争犯罪の補償」の解説は、「ドイツの歴史認識」の解説の一部です。
「戦争犯罪の補償」を含む「ドイツの歴史認識」の記事については、「ドイツの歴史認識」の概要を参照ください。

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