戦争犯罪の補償
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BRDでは1956年に、ナチスの迫害の犠牲者のための補償についての連邦法として「連邦補償法」が制定された。これは国家賠償とは異なり、ナチスの犯罪被害者に対するいわば個人補償である戦後補償として位置づけられている。ただし対象の大部分はドイツ国民か、当時ドイツ国民で後にドイツ国籍を離れた人間である。また補償を受ける犠牲者には社会保障額が減額されるなど、実際にはナチス関係者よりも犠牲者の方が低い扱いをされていた。 また制定当初は、もっぱらユダヤ人に対するホロコーストや、それに象徴される迫害への補償であった。このため50万人が犠牲になったと言われるシンティ・ロマ人に対しては1956年にロマに対する補償請求をBRD最高裁は「経験上、彼らは犯罪行為、特に窃盗や詐欺に向かう傾向が認められる」として拒否。結局1963年に新たな判決が下るまで、ドイツ司法はナチス時代のロマに対する迫害を事実上追認していた。 さらに共産党員に対しては、1956年の共産党非合法化以降「自由主義的な民主主義秩序の根幹を揺るがそうとした者」として補償が拒否されている。罪を問われることの無かったほとんどの元ナチス党員、さらに連合軍の戦犯裁判で有罪になった人間も「ドイツの国内法上の犯罪者」ではないため、問題なく恩給や年金を給付され、叙勲の障害にもなっていないが、非合法化時に共産党員だった人間は多くの場合ナチス時代の補償だけでなく、恩給や年金の支払いも「元共産党員」というだけで拒否されていた。また「ナチ政権による被害者の会」代表のフリッツ・ブリングマンがドイツ功労十字勲章の候補に挙ったときも「元共産党員」である事を理由に叙勲対象から外されている。さらに「安楽死」作戦での犠牲者や、同性愛者や兵役拒否者など、ナチスによって社会的に価値の低い人間として迫害を受けた他の犠牲者も補償の対象にはならなかったが、これらについては1988年に新しい要綱が作成され、「苛酷事例」における給付対象の拡大により補償を受けられるようになった。 また、第二次世界大戦下のドイツにおける強制労働(英語版)は、「奴隷労働」としてニュルンベルク裁判でも軍需相であったシュペーアや労働動員総監のザウケルの判決において罪状の一部とされていながら、それまで「包括補償協定」や「苛酷緩和最終規定」、あるいはドイツ統一後の「和解基金」の設立といった補償問題の見直しがなされた際にも置き去りにされていた。 1998年アメリカで「強制労働」被害者から補償の訴えが起こされた。裁判そのものは時効であったが、強制労働に携わったとしていくつものドイツ企業が訴えられることとなり、製品不買運動にまで発展したことから、訴えられたドイツ企業団は、ナチスの強制労働政策に参加してしまったことによる「歴史的責任」を、BRD下院は「政治的道義的責任」を認め、2000年ナチスによる「強制労働」の被害者への補償のために「記憶・責任・未来」基金の設置がBRD下院で可決された。この基金は総額100億マルクにのぼる膨大なもので、BRD企業団と国が折半して拠出している。この基金に参加することで、BRD企業はアメリカから、ナチスの犯罪に関わっていないという「法的安定性」の保証を見返りとして獲得し、アメリカで経済活動の自由を得た。 ただ、BRD政府は一貫して「請求権問題は解決済み」という立場を取っており、このような基金が「法的な意味における補償ではない」ということは、BRD並びに基金を受け取ったポーランドやチェコ側双方に共通する認識である。また、あくまでもドイツ側の認識は「戦争犯罪」ではなく「ナチスの不法行為」に対するものであり、このためBRDでは、都市の破壊など通常の戦争犯罪による被害についての補償は行っていない。 日本では「BRDは周辺国に対し莫大な賠償を行ってきた」と報じられることがしばしばあるが、実際にはドイツの行ってきた戦争被害への賠償はほとんどがBRD国民向けであり、また「戦争被害に関する個人の請求権」を認めているのはBRD国民に対してだけで、それ以外の戦争被害に関する個人請求権は一切認めていない。 『フランクフルター・アルゲマイネ』紙が2000年7月6日に記事にしたところでは、96年までにBRD政府が行った戦後補償は 1. 負傷、空襲、戦争捕虜などで犠牲になったドイツの兵士、民間人への補償(28兆円)、2. ナチスの不法行為に対する補償(7兆円)、3. 戦争行為で被害を受けた他国民への補償(手付かず)となっている。さらに2003年6月26日、ドイツ最高裁は1944年6月にギリシャのディストモ村で行われたナチス親衛隊による虐殺についての賠償請求を「個人的な請求は認められない」と拒否。また2003年12月10日、BRDのボン地裁は、コソボ紛争時の1999年にNATO軍の空爆で死傷した旧ユーゴスラビア人犠牲者の遺族らがBRD政府に100万ユーロ(当時のレートで約1億3千万円)の賠償を求めた訴訟で「個人が戦争で受けた被害について自国以外の国に賠償を求めることはできない」として請求を棄却(2005年7月28日ケルン高裁もこの判決を支持。2006年11月2日BRD最高裁が原告の上告を棄却し判決が確定)しており、21世紀に入っても「ドイツ人以外には戦争被害を賠償しない」という立場に変わりはない。 その一方で、戦後ポーランドやチェコから追放されたドイツ人財産の返還を請求する動きが長年に渡り存在しており、2006年12月には追放ドイツ人がポーランド政府を相手取り、欧州人権裁判所に訴訟を起こしている。2008年10月10日に欧州人権裁判所は、「ポーランドとドイツがヨーロッパ人権協約を批准したのは第二次世界大戦の後であり、当裁判所は今回の請求を審査する立場にない」との判決を下し、請求を却下した。これはポーランド側の主張通り、追放ドイツ人への補償・財産返還の法的義務がないことを意味すると共に、同様にドイツに対しても第二次大戦時およびそれ以前の行為に対して、欧州人権裁判所は判断を下さないという立場を取ったことを示している。そういった一連の動きに反発する形で、2004年9月にポーランド議会がドイツ政府を相手取って「戦争被害賠償請求決議」を行うなど、戦後60年を経ても未だにBRDと周辺国に横たわる深刻な政治問題となっている。 なお、現在のBRD国内では、ドイツ人追放を不当な犯罪行為とする認識こそ一般的ではあるが、追放者による周辺国に対する財産返還・補償請求への支持が多数派なわけではない。これは追放ドイツ人が請求している相手国に対し、ドイツは戦争被害の賠償を行っていないことから、請求権を相互に適用するとBRD側にも莫大な賠償責任が発生してしまうからである。上述のポーランド議会の賠償請求決議では被害額を首都ワルシャワだけで350億ドルとし、またポーランドに対しBRDの払うべき賠償金は6,400億ドル相当とする数字が出ている。このためBRD政府は「請求権問題は解決済み」の立場を繰り返し表明し、ドイツ人および周辺国の行った請求をすべて支持しないことを明言しているが、それに対する法的措置を取っておらず、ドイツ人からの財産返還請求が行われる余地が残されているとされる。 一般的にドイツ人追放者財産の補償・返還請求を行う側は「周辺国の戦争被害は通常の戦争行為の結果であるが、ドイツ人追放は特定の民族に対する迫害であり人道に対する罪に属するものであるから別に扱わねばならない」として請求権行使の正当性を主張している。支持側の主要な政治家としてはエドムント・シュトイバーやクラウス・キンケルなどがいる。政党別ではキリスト教社会同盟に支持者が多いが、この理由は同党の支持基盤であるバイエルン州には戦後ベネシュ布告によって財産を没収され、チェコから追放されたドイツ人が多数住んでいるからである。 このような事態を招いた原因であるが、BRD政府は第二次大戦における他国の戦争被害に関する請求権について原則的に「戦後、相手国が接収したドイツの財産と相殺されたことで、請求権は相互に放棄され解決済み」の立場を取っている。しかし、旧西側の国々とは条約・協定を調印しているが、ポーランドやチェコなどソ連を除く旧東側諸国相手にはそのような法的処理がなされていない。このため、「解決済み」とするのはあくまでも政府見解にとどまり、法的根拠が不明確なままである。その結果、BRD政府や首脳はドイツ人の請求権の行使について「支持しない」という立場を繰り返すが、補償・返還請求の法的な位置づけについては明言を避けている。 最大の追放ドイツ人団体である追放者連盟の代表エーリカ・シュタインバッハは法的処理を要求しているが、2009年10月時点でドイツ政府・議会には具体的な動きはない。なお2004年8月1日にシュレーダー首相が「補償請求を支持しない」と発言した際、シュタインバッハは「強制移住の被害者の気持ちを傷つける」と批判している。 これは法的処理を行うと、それらの国より追放されたドイツ人から「請求権の肩代わり」による請求が起こることを恐れるがゆえの意図的な怠慢と思われるが、それがドイツ人からの請求を受ける側のポーランドやチェコの警戒と不信を招いている。 2005年11月に『シュピーゲル』誌の発表した世論調査によると、ポーランド人のうち61%は、BRD政府が戦前にドイツ領だった地域を取り戻そうとしているか、あるいはその補償を求めてくるのではないかと考え、また41%は、追放されたドイツ人の各団体の目的は失った個人財産の返還あるいはその補償にあるのではないかという危惧を示すなどなど、ポーランド側の度重なる要求にもかかわらず、追放者財産の法的処理を先延ばしし続けるドイツ政府の態度に、多くのポーランド人が不信感を抱いていることが明らかとなっている。 また、ドイツ人追放者財産の扱いはEUの統合にも影響を与えている。リスボン条約の付帯文書である基本権憲章の財産権を盾に、ドイツ人追放者が財産返還・補償を求めてくる恐れがあるとチェコが難色を示し、他の26カ国が批准を終えた中でチェコだけ批准が行われず、一時期条約発効が宙に浮きかねないとの危惧がもたれた。これについては2009年10月30日に欧州連合首脳会議にて「基本権憲章はチェコに適用しない」との特例措置を認める政治宣言が採択されたことで、2009年11月13日に同国は条約を批准している。なおすでにドイツ人から欧州人権裁判所に提訴されていたポーランドは、イギリスと共に欧州連合基本権憲章の適用を免れることを定めた議定書を付帯させている。 請求権問題に関するポーランドとチェコの立場は異なる。ポーランドは1953年に請求権の放棄を宣言しているため、ドイツに対しては互いの請求権放棄を確認する法的処理を要求しており、議会の賠償請求決議もそのための牽制と見られている。一方、チェコはナチスドイツの継承国であるBRDに対する賠償請求権を放棄していないとの立場を取り、現在もBRDに対するナチス犠牲者への賠償請求を行っているがBRD政府は「請求権は解決済み」として応じていない。 また2010年2月にはギリシャのパンガロス副首相が第二次大戦の賠償をBRDに求めると発言し、1960年の協定で解決済みとするBRD側が反発、フォークスが「ユーロ圏のいかさま師」との見出しで、ギリシャを象徴するミロのビーナス像が中指を立てる挑発的姿勢を取る姿を表紙に掲載した。さらに2012年9月にはギリシャ財務省が第二次大戦でドイツから被った損害に対する賠償請求額を算定すると明かし、2013年4月にはアブラモプロス外務相が議会で戦争賠償をドイツに請求する方針を示し、地元メディアは請求額が1620億ユーロに上ると報じ、その後もギリシャからはBRDに対する賠償請求は続けられ2019年4月にはギリシャ議会においてBRDに対する賠償請求を求める決議が可決された。 2019年4月にはポーランドの補償金評価議会グループのヤヌシュ・シェフチャク下院議員が雑誌「WPolityce」のインタビューにて第二次大戦中の損害賠償金としてBRDに少なくとも9000億ドルを請求する方針だと述べており、21世紀において未だに第二次大戦の戦後補償問題がBRDと周辺国との間でわだかまりを残している事が明らかとなっている。 また2022年ロシアのウクライナ侵攻においてはウクライナ側からBRDに対して軍事援助の不十分を批判する声として独ソ戦において800万人のウクライナ人の命が奪われた事を引き合いに出すなどBRDの慎重な態度を批判する文脈で「第二次大戦の反省」が取り上げられる事もある。
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