会計史
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会計史(かいけいし)では、会計の歴史および会計と密接に関係がある帳簿や簿記の歴史について扱う。会計は利益を利害関係者に説明する行為(英語: accounting)を指し、簿記は帳簿に取引を記録する行為(英語: bookkeeping)を指す[1]。歴史的には、会計は財の記録とそれにもとづく管理、簿記は会計に固有の記録・計算用ツールともいえる[2]。現在の会計という語は企業会計を指す場合が多いが、国家についての記録も多数が残されている[3]。本記事では古代を含めて国家・商業組織の会計や家計簿を対象とする。
注釈
- ^ ものを数えた最古の記録として、2万年前のイシャンゴの骨が知られている[6]。
- ^ 日本では商業書や算術書は古くから存在し、江戸時代には商業書『商売往来』があり、算術書『塵劫記』には商業計算が書かれているが、会計についての教育書は明治以降となる[27]。
- ^ 当時の国庫会計を伝える遺物として、紀元前650年頃の「エジプト国庫記録官・王室記録長官・納税記録官・国立穀物倉庫総裁兼エジプト陸軍将官」のハップ・メンの石棺がある[53]。
- ^ 古代エジプトの教訓文学である『ケミイトの書』や『ドゥアケティの教訓』には、書記の素晴らしさを讃え、書記になるように勧める作品がある[55]。
- ^ トークンは新石器時代から計算具として使われていたという説や、トークンが文字の原型になったという説もある[5]。
- ^ 西アジアにおけるインド数字の最古の記録は、ネストリウス派司祭のセベルス・セベクトの662年の文書であり、インド記数法を使った最古のアラビア語文献が数学者・天文学者のアル=フワーリズミーの『インド数字による計算法』(825年)である[63]。
- ^ インドの二大叙事詩の一つである『マハーバーラタ』では、帝王学教育としてガナカについて語られる場面がある[65]。
- ^ ゼロの概念はなかったが、9個の数字によって位取りをした[73]。
- ^ 内容的には、三柱決算法に属する。資本的支出と収益的支出が未分離であり、建物の購入代金・修理費・開田の費用・農機具などがまとめて「雜用」となっている[77]。
- ^ ワクフの急増は、マムルーク朝の財源だったイクター制の崩壊を招いた[89]。
- ^ 哲学者のイブン=シーナーの自伝によれば、野菜売りの商人からインドの計算法を教わったとある[11]。
- ^ 三脚帳法が考案された正確な年代は不明であり、現金に代わって信用取引が増加した時代の産物とされる[92]。
- ^ 初穂料は、会計的には受取収益にあたる。また『国々御道者日記』には、早くも大福帳という表記が見られる[96]。
- ^ キープの会計は階層構造をもち、上方向は合計、下方向は分割となる[99]。
- ^ 中でもハウハの首長フェリペ・グァクラパウカルはスペイン本国に行き、年金や特権を認められた[101]。
- ^ 1986年には、ドゥームズデイ・ブックの出版900年を記念して英国放送協会(BBC)がプログラム『ドゥームズデイ・プロジェクト』を開発した。
- ^ フィボナッチは、イスラーム王朝のムワッヒド朝の都市であるブージ(現在のベジャイア)でインド・アラビア数字と算盤を学んだ[106]。
- ^ アラビア数字はときに禁止され、普及の障害となった。ローマ数字と比べると、0を終わりに付け足したり、0を6や9に変えるなど改竄しやすいというのが理由だった[13]。
- ^ シェイクスピアの戯曲『ヴェニスの商人』には、中世のヴェネツィアではなくシェイクスピアの同時代の16世紀から17世紀の取引地名が登場する。これは過去のヴェネツィアの繁栄を同時代のロンドンに結びつけて題材にしたともいわれる[109]。
- ^ イタリアでは都市国家によって組合の構成が異なり、会計にも影響を及ぼした。フィレンツェは他人同士による期間組合(マグナ・ソキエタス)であり、ヴェネツィアでは貴族の血縁を中心とした家族組合(ソキエタス)による口別損益計算が行われていた[110]。
- ^ イタリア商人は為替相場を利用し、ヨーロッパの資金を西アジアに移動して利潤を生み出した。十字軍は多額の遠征費を必要としたため、イタリア商人の立場をより有利にした[112]。
- ^ 当初の複式簿記は、損益勘定が元帳にないか、あったとしても企業全体の損益を総括できなかった。そのため利益を計算するには、棚卸をもとに総資産と総負債を時価評価した財務表を作成して差額を求め、前期と今期を比較した[114]。
- ^ 内容は両替商による貸付記録だが、貸方による回収記録がないため、賃借左右対称方式ではなく賃借前後分離方式だったとされる[116]。
- ^ たとえば預金を裏付けに手形を振り出して決済をする場合は、商人にとって現金よりも便利ではあるが記帳は複雑化する[121]。
- ^ メディチ銀行では、支店の支配人は会計報告のためにいつでも召集に応じることや、年1回の決算に加えて必要ならばいつでも決算を行って報告する義務があった[122]。
- ^ 現存する秘密帳簿としては、教皇庁とも取引をした商人であるフランチェスコ・ディ・マルコ・ダティーニやメディチ銀行のものなどがある。メディチ銀行の秘密帳簿からは複式簿記の要素が見られる[124][31]。
- ^ 『スムマ』で名声を得たパチョーリはレオナルド・ダ・ヴィンチとも交流した。『モナ・リザ』や『最後の晩餐』には、パチョーリが教えた遠近法の影響がみられるという説もある[126]。
- ^ 『スムマ』29章から。「毎年帳簿を締切ることは常に良いことであるが、他の人と組になっている人の場合には特にそうである。諺に「計算を度々すれば、友情が続く」といっている」[127]。
- ^ 当時の複式簿記の普及が分かる作品として、ヨースト・アマンとヨハン・ノイドルファーの木版画『商業の寓話』がある[132]。
- ^ ルウェールとマルクのいずれも1370年代に破産しており、当時の金融業のリスクを示す証拠にもなっている。14世紀後半の両替商は約15家系あり、各80人から90人の顧客がいた[135]。
- ^ マウリッツは軍事教練など政策のマニュアル化を推進しており、王侯簿記は財政マニュアルとして導入されたと推測される[140]。
- ^ ゲーテの小説『ヴィルヘルム・マイスターの演劇的使命』では、登場人物のヴェルナーが「複式簿記は人間の頭で発明した最も優れたもののひとつである」という主旨の発言をする。この発言が、ゲーテ自身の言葉だと誤解されている場合がある[142]。
- ^ 簿記の分類は、大商人・会社は複式簿記、中有規模の商人は仕分帳・仕入先元帳・売掛帳・得意先元帳・現金売上帳・現金支払帳・現金帳・商品有高帳・負債控帳・染色帳(織物業の例)、小規模の商人は仕入帳・売掛帳・現金帳、最も小規模な商人は借入帳・売掛金および貸付債権を記した帳簿となる[149]。
- ^ 作家のオノレ・ド・バルザックは、作品でたびたび会計を取り上げた。『人間喜劇』の『禁治産』(1836年)に登場するポピノ判事は、帳簿に人々の暮らしを記録し、貧しい人々を助ける際の資料とした[150]。同じく長編小説『役人』(1844年)には出納官や会計検査院の仕事が描かれている[151]。
- ^ 貴族の反感、利権を持つ徴税人の抵抗、ジョン・ローのミシシッピ計画との対立などの理由があった[153]。
- ^ デフォーは卸売をはじめとして多様な事業経験があり、『ロビンソン・クルーソー』では主人公が貸借対照表のような形式で自己分析をする場面がある[159]。
- ^ 福澤諭吉は『帳合之法』において、複式簿記にあたる「double entry」を本式、単式簿記にあたる「single entry」を略式簿記と呼んでいる[160]。
- ^ 合衆国最古の予算は、1790年に財務長官のアレクサンダー・ハミルトンが提出した予算書とされる[158]。
- ^ 作家のチャールズ・ディケンズの父親は破産した会計士であり、作品にさまざまな会計士を登場させた。正直者だが運のない者、強欲で詐欺を働く者、意図的に公会計を不透明にしている財務官などである[166]。
- ^ そろばんは演算過程を保存しておけるので、帳簿に書く必要はない[187]。
- ^ アメリカ商業学校の教師ヘンリー・B・ブライアントとヘンリー・D・ストラットンの『初等中学簿記』(1871年)の翻訳である[190]。
- ^ この商法は、1807年のフランス商法(会計帳簿と財産目録)、1829年のスペイン商法(年次貸借対照表)、1861年のドイツ商法(財産評価規定)をもとにしている[194]。
- ^ 開城簿記の起源については、高麗時代、李氏朝鮮時代、19世紀など諸説がある[195]。
- ^ ジョゼフ・コンラッドの小説『闇の奥』は作者の体験をもとに書かれており、コンゴ自由国で植民地業務を行う会計士が登場する[202]。
- ^ 王立アフリカ会社のような特権会社は経営が悪化して一般の民間業者に代わっていった[204]。
- ^ ダホメ王国にはヨーロッパと奴隷貿易を行うアフリカの国家という特異な面もあった[207]。
- ^ 電信は1844年にアメリカ連邦議会で採用され、電話は1885年にベル・システムが完成した。作表機は1890年、プリンター付きの計算機は1892年、加減乗除の機能をもつ計算機が1893年、単能計算機は1926年に完成した[211]。
- ^ スターリン主義者からは、会計学は個別企業のみを対象にしていると批判された[223]。
- ^ 権威ある基準には、内容に応じて十進法の分類番号をつけている[225]。
- ^ 資産負債中心観に基づくものとして、連結財務諸表中心の制度導入、財務諸表体系へキャッシュフロー計算書を導入、退職給付・研究開発費・税効果会計・金融商品・棚卸資産を評価する会計基準の導入、などがある[229]。
- ^ 古くは比較貸借対照表や資金運用表がある[231]。
- ^ 株価暴落の原因として、金融商品の資産の恣意的な再評価があったという分析が理由である[233]。
- ^ 検討項目としては、標準原価計算、直接原価計算、操業度と原価との関連、固定費と変動費の分類、損益分岐点、責任制と対応した原価設定、コストセンター、原価差異の許容限度、差異分析の利用、製造原価設定と標準修正、諸勘定から得られる設備投資の情報、自製・外注選択などがあった[243]。
- ^ 監査士資格は各省庁の権益の結果として4種類に分かれ、銀行の監査士は中央銀行、保険機関の監査士は保険庁、証券会社と一般企業の監査士は財務省となった[246]。
- ^ 市場経済化にともなってモスクワ大学では経済学部が難関となり、その中でも会計コースが人気を集めた。利益計算の学問である点と、高給である欧米の大手監査法人がモスクワに事務所を設立した影響がある[247]。
- ^ 増減記帳法の手順は次のようになる。(1) 記帳伝票を作成する。(2) 記帳伝票と原始証憑にもとづいて明細帳等に記録する。(3) 記帳伝票を集計して記帳伝票総括表を作成する。(4) 記帳伝票総括表にもとづいて勘定口座へ転記する。(5) 総勘定元帳各勘定口座と補助簿の残高を照合する。(6) 総勘定元帳と補助簿にもとづいて会計報告書(財務諸表)を作成する[248]。
- ^ 普通仕分帳がない点、勘定分類は西側諸国の5種類に対して3種類である点、現金勘定や商品勘定の違い、資産評価、手形取引や有価証券取引など多数の相違点がある[253]。
- ^ 商品売買のムラーバハ、機械や不動産リースのイジャーラ、事業投資・損益分担契約のムダーラバ、債権のスクーク、保険のタカフルなどが発達している[255]。
- ^ 2016年の時点でイスラーム教徒の数は世界人口の20パーセントを超えており、金融市場におけるイスラーム金融の成長率は20パーセントに達するとされる[257]。
- ^ インドネシアの大学では、植民地時代から続くオランダ式会計からアメリカ式会計に変わり、イスラーム会計は大学ではなくイスラーム経済研究センターが教えている[258]。
- ^ イスラーム会計処理で意見が対立しやすい重要な問題として、貨幣の時間価値の扱いと、型式より実質を優先する点がある[255]。
- ^ 2006年には、新しい住宅ローンの70パーセントがサブプライムや非従来型ローンで占められ、発行額は2001年の1000億ドルから2005年の1兆ドルまで増加した[263]。
- ^ IAS39号およびIFRS7号で認められていない金融資産の保有目的区分の変更を条件つきで認めた。IFRSを採用しているEU企業が、アメリカ企業に対して不利にならないように、EUが要請したとされる[267]。
- ^ 公正価値会計への批判としては、収益費用観と資産負債観に代表される会計観の違いや、景気循環増幅効果などマクロ経済の観点からの批判もある[268]。
- ^ ASAFのメンバーは、2018年時点でパン・アフリカ会計士連盟(PAFA)、アジア・オセアニア会計基準設定主体グループ(AOSSG)、企業会計基準委員会(ASBJ)、中国財政部会計司(MOF-ARD)、韓国会計基準委員会(KASB)、欧州財務報告諮問グループ(EFRAG)、フランス会計基準局(ANC)、英国財務報告評議会(FRC)、イタリア会計基準設定主体(OIC)、ラテンアメリカ基準設定主体グループ(GLASS)、カナダ会計基準審議会(AcSB)、米国財務会計基準審議会(FASB)となる[269]。
- ^ 羽仁の家計簿は1ヶ月単位で費目ごとに予算を立てるようになっており、1年間の総収入から生活費・衣食住費・教育・保険衛生・娯楽などを算出し、それを12等分して管理する[193]。
- ^ 作家のウィリアム・バロウズは、バロース社の創始者ウィリアム・シュワード・バロウズ1世の孫にあたる[278]。
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