退廃芸術 退廃とされた芸術家と作品のその後

Weblio 辞書 > 同じ種類の言葉 > 文化 > 美術 > 芸術 > 退廃芸術の解説 > 退廃とされた芸術家と作品のその後 

退廃芸術

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/04 09:08 UTC 版)

退廃とされた芸術家と作品のその後

退廃芸術家の放浪と作品制作禁止命令

退廃芸術展に出展された画家や彫刻家、その多くは表現主義など前衛的な芸術家であるが、彼らはもはや「国家の敵」で「ドイツ民族の脅威」とみなされた。芸術家たちは評判も信用も失い、ドイツ国内外を放浪し始めた。マックス・ベックマンは、ミュンヘンの退廃芸術展の開幕日、アムステルダムへ逃亡した。マックス・エルンストはペギー・グッゲンハイムの助力でアメリカ合衆国に移民した。エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナーは1938年、スイスで自殺した。パウル・クレーもスイス各地を放浪したが、ドイツで退廃芸術家として分類されていたためにスイス市民権を得ることができなかった。

エルンスト・バルラハなどドイツに残った退廃芸術家たちは大学などの職を失い、全国造形美術院から「民族と国家に責任を負う文化の仕事にふさわしくない」として除名の通知が届き、以後の芸術活動を一切禁止された[66]。こうした画家たちは画材を買うことすら当局に監視され、制作継続が困難となった。またゲシュタポによる抜き打ち捜査対象となり、制作をひそかに続けていないかどうか厳しくチェックされた。エミール・ノルデのように、ユダヤ人嫌いで1920年からナチスに入党していた人物ですら、退廃芸術家の烙印を押された以上、制作を続けることができず、数人の友人に支えられ『描かれざる絵』という小さな水彩画を見つからないように描きながら戦時中を生き延びる[67]

そして、フェリックス・ヌスバウムら、ドイツに踏みとどまったユダヤ系の作家たちは後に強制収容所へと送られて死亡することになる。この時期に死亡した上に、押収などで代表作を失って半ば忘れられた美術家も多く、その再発見には現在もなお多くの困難がある。

退廃芸術作品の売却と処分

退廃美術展が全国を巡回する中、展覧会用に各地の美術館から「預かる」形で押収されていた美術品17,000点について、1938年には正式に国家が没収し自由に処分できるとする法律が公布され、展覧会を巡回していない美術品はベルリンの倉庫に押し込まれた[68]。その中から、ナチスの高官たち、特にヘルマン・ゲーリングは自分の趣味である美術品収集のためにゴッホセザンヌ、ムンクなど13点を取り置きさせて別荘に持ち去った[69]

ベルリンのケペニッカー通りにあった「退廃芸術」作品倉庫跡地に設置された解説板

宣伝省高官フランツ・ホフマンやツィーグラーなどからなる「押収された退廃芸術作品活用のための委員会」が編成され、残りの作品のうち売れるものは売って外貨を獲得し軍備の費用にあてることとなり、メンバーの中にいた画商たちに売却がゆだねられた[70]。特に、当時国際的に評価の上がっていた印象派ポスト印象派の絵画が高く売れることが期待された。しかし、ドイツ国内で危険視されている作品を褒めることは許されず、褒めることのできない作品を顧客に対して高く売ることは至難の業だった[71]。しかもナチスから買うことを忌避する外国人もいるため、出所がドイツであることを隠して売ることも困難であり、処分は進まなかった。この時売られた作品は、各国のコレクターが出所を言えない物として秘蔵しているとされ、各国の美術館に流れ着いて公開されている作品以外の所在は分からないままである。

残った膨大な作品に対し、宣伝省のホフマンから「売れない作品は、国民の前で見せしめとして盛大に焼き払いたい」との圧力があった[72]。結果、1939年3月に倉庫の鍵は明け渡され、同年3月20日、ベルリンの消防署の庭でホフマンたちによって多くの作品が焼き払われた。しかし後日、この時燃やされた売れる見込みのない作品や持ち出せなかった作品は少数で、燃やされた大部分は木材や梱包材などであったということがわかっている[73]。実際は、鍵を明け渡す前、宣伝省の職員や画商らが売れるものはなお売ろうとベルリン郊外のニーダーシェーンハウゼン城に作品の大部分を避難させており、その多くは売買、交換、そしてスイスでの1939年6月の大々的なオークションで、各国マスコミの関心の集まる中、ヨーロッパの美術館やアメリカの個人コレクターなどに売却された[74]

こうして3,000点以上が売られていったが、なお城に残った作品の行方は分かっていない。各地の画商に流出して売られていったものもあったようだが、空襲の激化するさなか1943年にベルリンの宣伝省地下に移送され[75]、以後はおそらく空襲やベルリン市街戦で破壊されたと考えられる。ベルリンを占領した赤軍は、退廃芸術展に展示されていた作品多数が地下に埋められていたのを発見し、これを持ち去った。この内のいくつかが現在『出所不明』とされた上でエルミタージュ美術館に展示されているが、ベルリンから持ち去られたうち何割がこうして展示されているかは不明である。これらの作品がどのように生き残ったかについても、確認できる文書資料はない。




  1. ^ ニコラス p.16、Barron 1991, p.26
  2. ^ Adam 1992, p. 33
  3. ^ 関楠生 pp..27-30
  4. ^ Adam 1992, pp. 29-32.
  5. ^ ニコラス p.17
  6. ^ Grosshans 1983, p. 9.
  7. ^ 関楠生 p.34
  8. ^ 勅使河原純 pp..48-49
  9. ^ ニコラス p.16
  10. ^ ニコラス p.17
  11. ^ 関楠生 pp..24-25
  12. ^ 関楠生 p.45
  13. ^ 関楠生 p.110
  14. ^ 関楠生 pp..45-46
  15. ^ 1942年3月23日の『食卓談話』より。関楠生 p.110, 勅使河原純 p.54
  16. ^ 勅使河原純 pp..50-53
  17. ^ 関楠生 pp..202-210
  18. ^ 関楠生 p.26
  19. ^ 関楠生 pp..30-33, ニコラス p.18
  20. ^ 関楠生 pp..35-36
  21. ^ ニコラス p.15
  22. ^ 関楠生 pp..36-46
  23. ^ 関楠生 p.34
  24. ^ 関楠生 pp..46-48
  25. ^ 関楠生 pp..48-50
  26. ^ ニコラス pp..18-19、関楠生 pp..62-64
  27. ^ ニコラス pp..20-21
  28. ^ ニコラス p.21
  29. ^ ニコラス p.26, 関楠生 pp..56-62, p.72
  30. ^ 関楠生 pp..75-81
  31. ^ 関楠生 pp..9-11
  32. ^ 関楠生 p.19
  33. ^ 関楠生 pp..38-43
  34. ^ 関楠生 p.16
  35. ^ 関楠生 pp..11-18
  36. ^ 関楠生 pp..19-21
  37. ^ 関楠生 pp..65-70
  38. ^ ニコラス p.27, 関楠生 p.73
  39. ^ 関楠生 p.74
  40. ^ 関楠生 pp..75-81
  41. ^ 関楠生 p.81
  42. ^ 関楠生 pp..82-86, ニコラス p.27-29, p.33
  43. ^ 関楠生 p144, 勅使河原純 pp..57-58
  44. ^ 関楠生 pp..144-146
  45. ^ 関楠生 pp..146-149、勅使河原純 pp..60-61
  46. ^ 関楠生 pp..176-179
  47. ^ 関楠生 pp..154-172
  48. ^ 関楠生 p.168
  49. ^ 関楠生 p.165
  50. ^ 関楠生 p.149
  51. ^ 関楠生 pp..151-152
  52. ^ ニコラス p.32
  53. ^ 関楠生 pp..152-154, ニコラス p.32
  54. ^ 関楠生 pp..172-176
  55. ^ 関楠生 pp..179-180
  56. ^ 関楠生 p.181
  57. ^ 関楠生 pp..87-90
  58. ^ 関楠生 pp..90-93
  59. ^ 関楠生 p.103
  60. ^ 関楠生 pp..104-107, ニコラス p.30
  61. ^ 1942年3月23日、『食卓談話』
  62. ^ 関楠生 p.110, p.143
  63. ^ 関楠生 pp..112-115
  64. ^ 関楠生 pp..115-126
  65. ^ 関楠生 pp..49-50
  66. ^ ニコラス pp..22-24
  67. ^ ニコラス p.24, 関楠生 pp..220-225
  68. ^ 関楠生 pp..184-185
  69. ^ 関楠生 pp..185-186、ニコラス p.34
  70. ^ 関楠生 p.186、ニコラス pp..34-35
  71. ^ 関楠生 p.187
  72. ^ 関楠生 p.187、ニコラス p.36
  73. ^ 関楠生 p.189
  74. ^ ニコラス、pp..11-14, 関楠生 pp..189-192
  75. ^ 関楠生 p.192
  76. ^ 関楠生 pp..226-228
  77. ^ 関楠生 pp..228-251
  78. ^ 関楠生 pp..233-234
  79. ^ 関楠生 p.239
  80. ^ 関楠生 pp..237-238
  81. ^ 関楠生 pp..224-250





退廃芸術と同じ種類の言葉


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「退廃芸術」の関連用語

退廃芸術のお隣キーワード

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   
検索ランキング



退廃芸術のページの著作権
Weblio 辞書情報提供元は参加元一覧にて確認できます。

  
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの退廃芸術 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2019 Weblio RSS