マックス・リーバーマンとは? わかりやすく解説

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マックス・リーバーマン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/25 05:27 UTC 版)

マックス・リーバーマン
Max Liebermann
生誕 1847年7月20日
プロイセン王国ベルリン
死没 1935年2月8日
ドイツ国・ベルリン
運動・動向 ベルリン分離派
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マックス・リーバーマン: Max Liebermann, 1847年7月20日 - 1935年2月8日[1])は、ドイツ画家ベルリン分離派創立者の一人である。

略歴

彼はベルリンユダヤ人実業家の息子で、法学や哲学を学んでいたが、その後1869年ヴァイマル1872年パリ1876年にはオランダに移り絵画を勉強した。一旦ミュンヘンに住んだ[2]が、1884年にベルリンに戻り残りの生涯をそこで過ごした。

リーバーマンは当初、田園の人物や、自身の生活風景などを描いた。後にロヴィス・コリント(Lovis Corinth)、マックス・スレーフォークト(Max Slevogt)らとともにドイツ印象派の代表的作家となる。彼は受け継いだ遺産をフランスの印象派絵画の収集にも費やした。その後、自分の庭の風景のほかにブルジョワジーなど富裕階級の生活風景や肖像画を描くようになり、ドイツの美術界や上流社会で尊敬される画家となった。一方で、より新しい世代であったゴッホなどを余り評価せず、ベルリンのナショナルギャラリーがゴッホの作品を巨費を投じて買った際には非難の一文を書いている。

1899年から1911年まで、彼はベルリン分離派を指揮した。1920年から1932年までプロイセン芸術院の総裁の地位にあり、プール・ル・メリット勲章を受章、ベルリン名誉市民に推挙されるなど老齢ながらドイツ画壇に君臨した。しかし1933年ナチ党の権力掌握後、ユダヤ人の出自によって非難されるようになり、芸術院からもナチス体制へどのような態度を取るか問いただされた。1933年5月、彼は芸術家が出自や政治という要素によって非難されるような状態では芸術院にとどまることはできないと名誉総裁の称号を返上した。

発表の機会や栄誉をすべて失ったリーバーマンは1935年に世を去り[1]、数十年にわたりベルリン市の名士で芸術院の重鎮でもあったのに、葬儀に立ち会ったのはケーテ・コルヴィッツら数名だけであった。

ベルリン分離派の長として

世紀の変わり目のベルリンで新しい美術様式を求めるユーゲント・シュティールがおこり、有志が1895年、ベルリンで文芸雑誌『Pan』を創刊する[3]。リーバーマンは創立者の一人として表紙画のパーン神[注釈 1]の頭部をフランツ・フォン・シュトゥックとともに描き[4]、版画を寄せた[5]。装丁と美術の責任者は作家のユリウス・マイヤー=グラーフェ、美術史家のリヒャルト・グラウル英語版である。

ギャラリー

主な著作

  • Libermann, Max ; Gold, Alfred. Carl Steffeck (1818-1890). Seine Kunst. Berlin: P. Cassirer, 1913. OCLC 1008339632. カール・ステフェック邸展覧会1913年10月の図録。
    • (von Max Libermann), sein Leben 「その人生」
    • (von Alfred Gold), seine Werke 「その作品」
  • Liebermann, Max ; Busch, Günter ; Roehricht, Karl Hermann. Die Phantasie in der Malerei : Schriften und Reden.(ドイツ語) ベルリン:Buchverlag Der Morgen, 1986. 伝記。
  • Liebermann, Max. Im garten von Max Libermann. Hamburger Kunsthalle, 2004. OCLC 609716100

関連項目

脚注

注釈

  1. ^ 掲載誌の詩名の由来「パーン」はギリシャ神話の半人半獣の神。

出典

  1. ^ a b 20世紀西洋人名事典の解説”. コトバンク. 2018年9月7日閲覧。
  2. ^ 山岸 健風景と音・音風景/人間と社会 : 耳を澄まして」『人間関係学研究 : 大妻女子大学人間関係学部紀要』第13号、大妻女子大学、2011年、74,77、 ISSN 1345-496XNAID 110008907017 
  3. ^ 佐藤 1995, p. 30, §1-1 世紀転換期のヨーロッパ文芸雑誌 1) 『Pan』.
  4. ^ 佐藤 1995, p. 33, §1-2 『Pan』の理念と同人組織.
  5. ^ Liebermann、Lührig、Vallotton、吉城寺 1996.
  6. ^ ユダヤ人の起業家デヴィッド・フリードマンドイツ語版が所有していたがナチス・ドイツに押収され、戦後グルリット コレクション英語版コルネリウス・グルリットのコレクション)から発見される(グルリット コレクションのリストドイツ語版のナンバー2に収録)。フリードマンの家族に生存者はいなかったが、キンダートランスポート英語版ニコラス・ウィントンによるユダヤ人の子供の救出活動)で生き延びた大甥、デヴィッド・トーレンに返還された。

参考文献

主な執筆者名の順。

  • 佐藤 洋子「日欧文化の相互影響について : 『明星』『方寸』とヨーロッパ文芸雑誌」『早稲田大学日本語研究教育センター紀要』第7号、早稲田大学、1995年4月1日、25-76頁、 ISSN 0915-440XNAID 110000470383 。別題『Uber die wechselseitigen Einflusse zwischen der japanischen und europaischen Kultur : 『Myojo』, 『Hosun』und die Kunstzeitschriften Europas
  • 『ヒトラーと退廃芸術』河出書房新社、関 楠生。  ISBN 430922234X

関連資料

urn:n:de:hebis:30-180015369002:{{{2}}}。マックス・リーバーマン、マルク・シャガールの写真入り。

主な展示図録

個展

  • Sigrid Achenbach, Matthias Eberle ; Redaktion, Michael Pauseback(編). Max Liebermann in seiner Zeit. Ausstellung und Katalog. 仮題『彼の時代のマックス・リーバーマン。 展示会とカタログ』ミュンヘン:Prestel [in Komm.]、1979年。 ISBN 3791304895NCID BA2807950X
    • ベルリン国立美術館 Staatliche Museen preussischer Kulturbesitz1979年9月6日–11月4日
    • ミュンヘン:ハウス・デア・クンスト1979年12月15日–1980年2月17日。
  • Howoldt, Jenns Eric ; Baur, Jürg Andreas(編)Max Liebermann in Hamburg : Landschaften zwischen Alster und Elbe 1890-1910. 仮題『ハンブルクのマックス・リーバーマン:アルスターとエルベ間の風景1890-1910』1994年頃。オストシュトゥットガルト近郊オストフィルダーン-ルイト:Gerd Hatje、 ISBN 3775704957NCID BC02542669
  • Nichts trügt weniger als der Schein Max Liebermann der deutsche Impressionist. 仮題『ドイツ印象派のマックス・リーバーマンという欺瞞』ミュンヘン:Hirmer、1995年頃。 ISBN 3777469106NCID BA28363296ブレーメン美術館1995年12月16日–1996年3月24日。別題:Max Liebermann der deutsche Impressionist.
  • Pfleger, Susanne(編). Max Liebermann : Szenen aus dem Leben : Druckgraphik der Sammlung Dr. Hans-Joachim und Elisabeth Bönsch. Köln : Wienand, c1997. 仮題『マックス・リーバーマン:人生の風景:ハンス・ヨアヒム・ベンシュ博士とエリザベス夫人の版画コレクション展』ケルン:ウィーナンド、1997年頃。 ISBN 3879095337NCID BA3170034X。Bönsch, Hans-Joachim ; Bönsch, Elisabeth.
  • Natter, Günter ; Schoeps, Julius H.(編).Max Liebermann und die französischen Impressionisten. 仮題『マックス・リーバーマンとフランス印象派』ウィーン:ユダヤ博物館(編)、ケルン:DuMont、1997年頃。 ISBN 3770142942, 3770142934NCID BA35081501。書籍版。
    • ウィーン市立ユダヤ博物館 Jüdischen Museums Wien1997年11月7日–1998年1月18日。
  • Frenssen, Birte.(編)Max Liebermann : der Realist und die Phantasie. herausgegeben von der Hamburger Kunsthalle. Hamburg, c1997. 仮題『マックス・リーバーマン:現実主義者と幻想』Frenssen, Birte(編); ハンブルク美術館。ハンブルク:Dölling and Galitz、1997年頃。 ISBN 3930802732NCID BA83155813
  • Wesenberg, Angelika ; Achenbach, Sigrid.(編)Max Liebermann, Jahrhundertwende. Herausgegeben von Angelika Wesenberg. c1997. 仮題『マックス・リーバーマン、世紀の変わり目』ベルリン美術館旧国立美術館、1997年頃。 ISBN 3875849787NCID BB13180267。 国立美術館、ベルリン銅版画ギャラリー(英語)収蔵作品、旧国立美術館プロシア文化遺産が主催。Nationalgalerie (Berlin).
    • ベルリン:旧国立美術館1997年7月20日–26日。
  • Wesenberg, Angelika ; Langenberg, Ruth ; Achenbach, Sigrid ほか(編). Im Streit um die Moderne : Max Liebermann, der Kaiser, die Nationalgalerie. c2001. 仮題『現代性をめぐる論争:マックス・リーバーマン、皇帝、旧美術館』。マックス・リーバーマン協会、ベルリン : ニコライ、2001年頃。 ISBN 3875841026NCID BA58674127
  • ロベルト・フレック(編)Max Liebermann : Wegbereiter der Moderne. 仮題『マックス・リーバーマン:現代性のパイオニア』ケルン:DuMont、2011年頃。 ISBN 9783832193508NCID BB06254068
  • Faass, Martin. Max Liebermann am Meer. c2011. 仮題『マックス・リーバーマンと海』マルティン・ファアスほか寄稿、マーティン・ファアス(発行)、ミュンヘン:ヒルマー出版。 ISBN 9783777436517NCID BB06254669。別題『Sea in art』。Munchen : Hirmer Verlag.

企画展 — コリント、スレーフォークトとの3人展ほか。

  • Imiela, Hans Jürgen.(編)Druckgrafik : Max Liebermann, 1847-1935, Max Slevogt, 1868-1932, Lovis Corinth, 1858-192 Texte, Hans-Jürgen Imiela. c1980. 仮題『版画:マックス・リーバーマン 1847-1935、マックス・スレーフォークト 1868-1932、ロヴィス・コリント 1858-1925』、シュトゥットガルト:国際情勢研究所(Institute für Auslandsbeziehungen)(ウィキデータ)、1980年頃。 NCID BA85230126
  • Liebermann, Max、Lührig, Georg、Vallotton, Félix、吉城寺尚子(編)『「パン」の版画』石橋財団ブリヂストン美術館、東京〈アート・イン・フォーカス・シリーズ〉、1996年頃。 NCID BN14493885 
  • Czymmek, Götz ; Kessler-Aurish, Helga.(編)German impressionist landscape painting : Liebermann--Corinth--Slevogt. c2010. 仮題『ドイツ印象派の風景画:リーバーマン-コリント-スレーフォーク』イェール大学出版局。シュトゥットガルト:Arnoldsche Art Publishers、2010年頃。 ISBN 9783897903210, 9780300166149NCID BB04553090

外部リンク


マックス・リーバーマン

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西ドイツ国鉄VT11.5型気動車」の記事における「マックス・リーバーマン」の解説

ベルリンの壁崩壊後1990年東ドイツ国鉄ではすでに廃車となり売却されていた60110両編成1本と予備車を、西ドイツベルリンを結ぶ連絡列車用として借り入れた同年7月27日から9月29日までハンブルク - ベルリン間のインターシティ「マックス・リーバーマン」で使用された。 この「マックス・リーバーマン」での運用最後に601型の営業運転全面的に終了した

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