ドイツ芸術の家建設
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そのきっかけは1931年にミュンヘンの美術展示場、「グラースパラスト(ガラス宮殿)」が失火で炎上したことだった。19世紀半ばに工業技術の粋を集めて作られた鉄とガラスの工業展示館は19世紀以降、全国的な公募美術展のために使われ、ドイツ各地から保守的な風俗画や前衛作品まで多様な作品が寄せられていた。1933年政権に就いたヒトラーはグラースパラスト再建計画に介入し強力に推進し、みずから眼をかけていた建築家パウル・ルートヴィヒ・トローストに設計を任せ、モダニズムを排して古代ギリシア風を模した石造の巨大建築を作らせた。この新グラースパラスト改め『ドイツ芸術の家』は 1933年秋に着工し1937年夏に完成する予定だったが、この竣工にあわせて、ドイツの「民族芸術」の模範となる作品を全国から集める展覧会が企画された。これが『大ドイツ芸術展』(Großen Deutschen Kunstausstellung)である。
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