退廃芸術 戦後の研究

退廃芸術

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/06 11:46 UTC 版)

戦後の研究

退廃芸術弾圧の代償

退廃芸術弾圧の代償は余りにも大きいものであった。第二次世界大戦によって、ドイツでも中世から近代までの多くの美術作品や歴史的建築などが永久に失われた。

戦間期に形成されていた美術館や個人コレクターによる世界有数の近代美術コレクションは、押収や海外への売却によって解体され、アメリカ合衆国やスイスなどへ国外流出し、ドイツはゼロから印象派などのコレクションを再形成しなければならないことになった。

ナチス崩壊で、ナチスに支えられていた御用画家や彫刻家たちは失脚した一方、退廃美術弾圧によりドイツやヨーロッパの優れた芸術家が、あるいは命を落とし、あるいはアメリカ合衆国へと去ってしまった。ドイツは芸術を破壊した国家という汚名をかぶることになった。

汚名を雪ぐための、また近代美術家の名誉を回復するための動きもあった。ドイツに残っていたノルデらは戦後表彰を受けて地位を回復した。1955年に、カッセルで開かれ今日まで続いている現代美術展『ドクメンタ』は、第一回目は近代美術の見直しが目的であり、かつて退廃とされた芸術家が招待された。

芸術的な荒野と化したドイツから、影響力のある作家が再び登場するのは、1960年代フルクサスの時代、また、ヨゼフ・ボイスゲルハルト・リヒターアンゼルム・キーファーら、ナチスの行為やドイツの民族性を、あえて受け入れて制作する作家たちの登場を待たねばならない。

退廃芸術展の再現

『退廃芸術展』に関しては、戦後に何度も大規模回顧展が行われている[76]1962年、ディックス、ココシュカら「退廃芸術家」らが名誉委員会に招待されたうえで、ミュンヘンの「ドイツ芸術の家」改め現代美術や大規模企画展の専門館となった「芸術の家(ハウス・デア・クンスト)」で『退廃芸術展』が開催され、各国に散逸した作品をあつめて展覧会の復元が試みられた。1987年には同じ「芸術の家」で再度決定版となる『退廃芸術展』が開催され、カタログでは退廃芸術展や大ドイツ芸術展の論文が掲載され、退廃芸術展全貌の紙上再現が試みられた。1991年にはロサンゼルスで『退廃芸術展』が開催され、1987年のカタログをさらにアップデートした物が出版され、全米各地を巡回した。日本でも1995年神奈川県立近代美術館で『芸術の危機──ヒトラーと頽廃美術』展が開催されている。

大ドイツ芸術展への直面

『大ドイツ芸術展』は一度だけ再現されている[77]。これらナチス公認芸術は一旦アメリカ軍が党や政府の庁舎などから没収し、西ドイツ政府に引き渡され長らく封印されたも同様の状態だった。1970年代始め、フランクフルトの若い美術研究家グループがこれらを集めて大ドイツ芸術展の再現企画を行った。左翼学者の多かった彼らの意図はナチスに芸術がいかに組み込まれ貢献したかを検証する批判的なもので、出品作もナチスやナチス芸術に対するノスタルジーや再評価を避けるように、また東ドイツ社会主義リアリズムに酷似した作品は避けるように配慮されており、作品の横にもナチスの蛮行や作品の背景にあった出産奨励政策などナチスの負の側面を説明するキャプションがお節介なほど配置された。

しかしこの展覧会は、おりしもナチス時代を振り返る書籍が相次いで刊行される「第三帝国ブーム」に時期が重なり、またナチスに関するものを展示すること自体がナチスの犠牲者を無視する無神経な企画だとして反対する別の左翼グループの猛反発を受ける。彼らは、入場者に対しナチ体制に弾圧された人々のグループが会場案内を行い、入場者は展覧会の鑑賞結果を報告し、それをしかるべき機関が分析するよう求めた[78]。こうした論争は多くの新聞の関心を呼び、また、若者にナチスへの関心を高めかねない余計な展覧会という論調もあった。両グループは討論の末、「入場者に対するアンケート」などを受け入れることで開催に合意し、1974年10月15日から12月8日までの展覧会は無事開催が可能になった。スキャンダラスな展覧会に美術に無関心な市民までが列を成し、『退廃芸術展』のような状態を呈した。

入場者の感想は、退屈きわまる作品ばかりだったという声が圧倒したが[79]、農村風景など意外に心休まるいい作品が多かったという声もあった[80]。また展覧会の是非に関しては、これらを排除し隠し続けて神格化してしまうよりは一度全貌を明らかにして克服したほうが良いと、展覧会意図を評価する意見が多かった。またナチの古典的な巨大建築や巨大彫刻、農民や兵士を中心とした絵画に、ソ連や東ドイツの社会主義リアリズムの巨大建築や絵画との共通点を見出す論調が多く[81]、なぜこれらも並列しなかったのかとのメディアからの批判もあり、論争を起こした。




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  2. ^ Adam 1992, p. 33
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  60. ^ 関楠生 pp..104-107, ニコラス p.30
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  77. ^ 関楠生 pp..228-251
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  80. ^ 関楠生 pp..237-238
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