ファミリーコンピュータ ハードウェア

ファミリーコンピュータ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/09 07:43 UTC 版)

ハードウェア

開発

当時、アーケードゲームで人気を博していた『ドンキーコング』が見劣りなく家庭で遊べる程度の性能を目標に設定して、開発は1981年10月または11月頃より、当時業務用ゲーム事業の縮小によって手の空いていた開発第二部(上村雅之らアーケードゲームの開発陣)が行った[27][28]。開発開始の直前にコレコ社がコレコビジョンの試作品を任天堂に持ち込んでおり、その性能に開発第二部の技術者たちは驚くとともに、今後開発すべき製品のイメージとしてコレコビジョンを据えた[29]

開発コードネームは最初は「テレビゲーム」[30]、その後「ヤングコンピュータ」[30]など紆余曲折した。「ファミリーコンピュータ」の名前は上村の妻が付けたという話もあるが[31]、上村本人はそれを否定し実際は自ら命名し、妻は略称の「ファミコン」を名付けたと証言した[30]

当時の任天堂の販売戦略・設計思想としては次のような5つの要目があった[32]

低価格設定
手軽に買える価格設定を行い、親が子供に買い与えやすいようにする。
ソフトの重視
多彩なソフトをどんどん発売し、常に新しい遊びを提供する。
デザイナーの重視
コンピュータの専門家ではないデザイナーでも開発支援ツールを使うことで、ゲームのデザインができる。
観ているだけでも楽しい
ゲームで遊んでいる本人以外でも、観ているだけで楽しめる映像表現を提供する。
簡易な操作性
十字型のキーと2つのボタンだけで、画面を見ながら容易にキャラクターを操作できる。

このように、デザイナーの自由な発想を満足させ、かつプレイヤー・オーディエンスともに満足させるものを提供するため、結果的にゲームに不要な部分は排除され、ゲーム専用機に絞ったことにより、汎用機と比較して高性能化を実現した。

低価格設定

当時の任天堂社長である山内溥は、当初「本体価格を1万円以下に抑えよ」との要求を出しており[注釈 8]、それを踏まえて上村らのハード開発部隊は徹底的に製造費を下げる方針を採った。一例として、本体附属のコントローラにアタリのジョイスティック型ではなく十字キー型を選択した[33][34][注釈 9]。さらに当初コントローラはコネクタ接続を予定していたが、コスト低減のためにコネクタを省略して本体直付けとした[36]

高性能

1980年代前半はまだ家庭用ゲーム機の普及率が低く、汎用のICチップ[注釈 10]を流用することが一般的であった。結果として画面解像度は低く(100×100程度)、色数も数色程度で、画面スクロールの実現も難しいゲーム機が多かった。パソコンにしてもまだ黎明期にあり、高価な割にCPUやメモリの制約が厳しく、グラフィックやサウンドに至っては最低限の仕様とされていた。

それに対して、任天堂は家庭用ゲーム機でアーケードで稼働しているゲームを遜色なく遊べるようにするために、当時人気のあった『ドンキーコング』のアーケード基板を参考に、ゲーム向けに仕様を最適化した各種カスタムICの開発を行った。山内は他社が真似をするのに1年間[37]もしくは3年間[33]はかかる性能を要求した。

カスタムICはリコー製のものを使用した。リコーが選ばれたのは以下の背景があった。

  1. 三菱電機で任天堂と「カラーテレビゲーム15」の後のゲーム機用LSIの開発に携わっていた八木広満がリコーに移籍し、1980年(昭和55年)に半導体事業に参入しており、任天堂と縁があった[38]
  2. リコーは1981年(昭和56年)4月に75億円をかけて、大阪府池田市にカスタムIC専用工場を完成させたが、実績不足から顧客を獲得できず苦境にあった。
  3. リコーは当時機械式複写機を電子化することを予測し、最新の半導体設備と技術陣を準備していたが、その電子化には多くの時間を要するところから、新しい半導体設計をこなせるだけの余裕が残っていた[38]
  4. 当時はアメリカを中心にパソコン市場が急速に拡大していた時代で、半導体を生産する日本のメーカは「DRAM戦争」と呼ばれていた主記憶素子の高速化・大容量化の技術競争に巻き込まれていたが、リコーは半導体専業メーカではなかったことからその影響を受けていなかった[38]

任天堂は当初カスタムチップのベースCPUにアーケードゲームで使い慣れていたZ80を希望したが、リコーは自社がロックウェルからライセンス取得の見通しが立っていた6502を使うことを提案した[39]。リコーは「Z80のライセンス交渉には相当の時間を要するため、開発期間が長期化する恐れがある」[39]「6502を使うとチップ面積がZ80の1/4になりコスト面で有利なほか、日本国内で6502はあまり普及しておらず他社に真似されにくい」ことから6502を勧め、任天堂でも検証の結果「面積をとるZ80よりも、音源電子回路と6502を一つのLSIに組み込んでカスタム化したLSIを採用することで低コスト化の課題が解決できる」[40]「新設計の画像表示用プロセッサとの相性が良い」ため6502を採用することになった[41]

カスタムチップの仕様を決めるに当たり、宮本茂などのゲームデザイナーの要望を取り入れた。当初上村らが設計したチップでは最終的な本体価格が高額になってしまうことが判明したため、製造費低減策として使用できる色数の削減や音源の性能を落とす必要が出てきたが、最終的な色の仕様などは宮本が決定した[42]

なお、任天堂がリコーに「2年で300万台保証する」と約束した[43]ためにカスタムLSIの価格を抑えられたという話があるが、山内はこの話を否定している[44]。また任天堂の「2,000円で売ってほしい」という要求に対し、リコーが「100万台の生産を保証するなら可能であるが、それ以下であれば不可能である」と回答している[45][43]

このようにコスト要因もあり、CPUの速度やメモリの容量は抑えられたため汎用性は低かったが、ゲームの表現力に必要で、コスト負担の比較的少ない要素を搭載[注釈 11]した周辺回路の機能により、汎用パーツによって構成されたハードウェアと比較して表現力を向上させることに成功した。こうしてグラフィック面に特化して設計されたことで、『スーパーマリオブラザーズ』などは1980年代前半のアーケードゲームと比べても遜色のないグラフィックを高いフレームレートで描画できた。

ビープ音やノイズ音しか搭載せず、メロディすら十分に奏でられない家庭用ゲーム機が普通であった当時、PSG準拠音源とPCM音源を搭載したことも革新的な出来事であった。

筐体

筐体のえんじと白を基調としたカラー配置は、「プラスチックの中で最も原価が安いものを選んだ」結果である[34]と言われていたが、ファミリーコンピュータの開発者である上村の話によると、実際のところはえんじ色は山内が好きな色で、当時山内が着ていたマフラーの色でもあり[30][31][46]、えんじ色を使用することは社長命令により決定した[30][47][48]。えんじ色以外の色およびデザインはデザイナーが決定した[30]。また筐体の素材に関しては、当初選択したコスト的には廉価だったスチール製のボディがあまりに脆かったため[47]強度的に勝るABS樹脂を使用したプラスチックになった[30]

コントローラ、マイク

コントローラーI
コントローラーII

十字ボタン、A / Bボタン、STARTボタン、SELECTボタンをそなえたコントローラを、本体に直接接続した形で2つ持つ。

横長の板状で左に十字キー、右にボタンを複数個配置した形態は、その後のゲーム機のコントローラの雛形となった。初期に製造されたコントローラA・Bボタンは四角いシリコンゴム製だったため連打がきかず、「にじり押し」と呼ばれる押し方[30]でボタンを酷使すると押し込まれたまま操作できなくなるトラブルが発生したことから[49]1984年10月製造分から[50]耐久性を増した円形のプラスチック製ボタンへと改良がなされた[51][注釈 12]。また、コントローラのケーブルが灰色になっているロットもあったほか、円形のプラスチック製ボタンを搭載したコントローラだけを販売して取替をすすめるように指導したケースもあった。

RFスイッチは黒いままである。コントローラは本体に直接接続されているが、本体の内部では基板とコネクタ接続されているため、分解すれば自分で交換することもできる。交換用コントローラは店頭でも販売しており、ボタンを含むコントローラの外装パーツのみでの販売もあった。

コントローラII(IIコン、ツーコン)にはマイクロフォン(以下、マイク)を搭載しており、音声認識機能はないがある一定以上の大きさの音声が入力されているかどうかをソフト側で判別できた[48][注釈 13]。しかし、これも故障の原因となることがあった[注釈 14]。また、本体の製造時期によってオン / オフの判別が逆にされたため、ゲームに有効なかたちでこの機能を利用するのは困難だったといわれる。マイクの機能は開発者が、新しい遊び方として将来カラオケのように音声で遊ぶ可能性を想定して、コントローラの一つに内蔵させたものである[52]。マイクの穴は23個あるが、左上の穴1つだけが本物になっている。

コントローラーのボタンの数は十字キーを4キー分として8キーである。その後に発売されたゲーム機のコントローラと比較して決して多くないが、当時はこれらの数のボタンをテレビ画面を見ながら一度にどうやって操作するのかという論争が一部のゲーム専門誌の中にあった[要出典]

カセット

ファミリーコンピュータ用カセット(MOTHER)。カセットの色や形状はタイトルにより異なる。

カセットは長方形で、下部の左右にへこみがある。本体のカセットイジェクト用レバー(取扱説明書ではイジェクト)をカセット側にスライドさせると、このへこみ部分が本体から押し上げられ、カセットが出てくる仕組みとなっている。

取扱説明書によると、電源オフ後にイジェクトを使用し、静かに抜き取ると指示があるが、イジェクトを使わず抜いても問題ない(実際、AV仕様ファミコンではイジェクトは省略された)。イジェクト機構をわざわざ入れたのは、その仕掛けで子供が喜ぶのでは、という判断によるものである[53]

なお任天堂が発売するカセットラベルは、全ソフト共通の模様がつけられ意匠が統一されていたが、のちに化粧箱と同じイラストをあしらうように改められ、最終的にはサードパーティー同様、ラベルの意匠は統一されなくなった。

カセットは作品によって色が違っており、色以外に独自の意匠を凝らしたものも存在した。特にアイレムのカセットではLEDが搭載され、通電中に点灯するという独自のギミックが特例として認められていた[54]。大容量のロムを採用した作品はカセット自体が大きくなっている。カセットの色やサイズがバラバラなのは自前でカセットを作っていたソフトメーカーもあったためである[54][48]

カセットのパッケージは、紙製の化粧箱にカセット本体とマニュアルなど[注釈 15]を収めた樹脂製の内部トレイを収納した形のものが一般的である。ごく初期に発売されたソフトにはトレイが存在せず、カセットとほぼ同サイズの化粧箱に直接カセットが収納されていたが、こうした初期ソフトも再販時にはトレイを使うタイプの箱に変更されている。

箱のサイズはメーカーやソフトによって異なっており、標準サイズと比較して微妙に小さい場合もあれば、大型のマニュアルやカセット以外の付属品が存在する都合上、より大きな箱を使用したソフトも存在している。大型サイズのカセットも同様で、カセットに合わせた大型の箱が使われていた。ナムコタイトー光栄などプラスチック製のハードケースを採用するメーカーも存在した。

ロム容量は、ローンチタイトルの『ドンキーコング』(1983年)で192キロビット(24キロバイト[55]、最大は『メタルスレイダーグローリー』(1991年)の8メガビット(1メガバイト[56][57]

なお、ゲーム機本体とゲームソフトを別にする「ロムカセット取り替え式」は1976年(昭和51年)に発売されたフェアチャイルドセミコンダクターの家庭用ゲーム機「Video Entertainment System」が[注釈 16]があった。

カセットのクリーニング
ソフトの取扱説明書には「端子部に触れたり、水に濡らさないようにご注意下さい」「シンナーベンジンアルコールなどの揮発油では拭かないで下さい」といった記載がある。端子部の接触が悪くなってしまった際は、VHSやカセットデッキ用のクリーニング液(ヘッド用)などを綿棒にしみ込ませカセット側の接点を擦り、乾いた綿棒で接点に付いた液体を拭き取ることで改善される場合がある。[60]
初期のラベル意匠
前述の、任天堂の初期のカセットに共通の独特のラベル模様は水平の直線の右側の一部が三角波の形状になったもので、ちょうど根号
CPU RP2A03E
PPU RP2C02E
メイン基板(中期型)

本体の記憶域は「複雑なゲームに耐えるよう、巨大なスペースを持っている」と評された[62]。コストと性能のバランスを考慮した上で汎用性を割り切った設計になっている[63]

主記憶は、アプリケーションのROMカートリッジによる供給を前提に、16KbitのSRAMで構成されている。音源は、デューティ比の変更が可能な矩形波と、ノイズ、三角波、DPCMが使用可能になっており、当時の低価格帯の汎用音源[注釈 26]を搭載したハードウエアよりも高い表現力を有しており、カートリッジ側とミキシング可能になった拡張スロットは、さらにその拡張も可能にしていた。

また、NTSC信号を直接生成し、スプライトを含むキャラクターに対し、カラーで制御が可能になっているカスタムチップによる設計は、汎用チップで構成された低価格帯のコンピュータや、ゲーム機に対し、その発売されたソフトウエアも相まって、特にキャラクタが多く動くリアルタイムゲームの実行において大きな優位性を示した[注釈 27]

仕様は下記の通り[64]

  • ロムカセット(カートリッジ)によりゲーム内容を交換できる方式である。
  • CPU:リコーRP2A03MOS 6502にサウンド用DACおよびDMA転送機能を追加し、BCD演算機能を削除したカスタムチップ。1.79MHz動作。8bit[7]。)
  • 音源:pAPU 上記のとおり、CPUに組み込まれている。下記の項目に詳述。
  • ビデオ用PPU:リコー製 RP2C02
    • ラスタ検出可能(0番スプライトの表示ラインによる)
  • ワーキングRAM:2kバイト(16kビットSRAM
  • VRAM:2kバイト(16kビットSRAM)
  • 表示画素数:横256ドット×240ライン(表示可能な範囲外を含む)
    • 本機はVRAM上の理論値240ラインのうち上下端の数ラインはRF出力ではまともに表示できず、実質的には224ラインほどが有効[注釈 28]。それを見越して本機はVRAM上の仮想的な上下端の数ラインに異常な表示が出ることを許容した設計になっている。エミュレーションで再現される場合には表示範囲の制限はないため、上下の異常な表示を隠すため縦を二進法で切りの良い224ラインとすることもある[注釈 29]
  • 色表示性能:52色から56色まで諸説(数え方による)
    • RGBでの指定ではなく、NTSC信号を直接生成する方式のため、与えるパラメータは64種であるものの、(有彩色12色相+無彩色2系統)×4種類(彩度と輝度の組み合わせ)という構成。表示色の数が中途半端になるのは、無彩色の一部が重複しているため。
    • ファミリーベーシックの取扱説明書では52色と記述がある。
  • 同時発色数:25色
    • スプライト用、BG用それぞれ4パレットで、1パレットは4色で構成されるが、うち1つは全パレット共通色(スプライトの場合は透明色)となる。8パレット×3色+共通1色=25色
  • スプライト(オブジェクト):サイズ8×8ドットまたは8×16ドット1画面中に64枚表示可能(水平には8枚まで)
    • スプライトのキャラクターパターン(グラフィック)は64種類定義できる。
    • スプライトは、水平・垂直反転可能。
    • スプライトの表示位置は、BGの手前か後ろかを選べる。
  • BG画面:256×240の領域を2画面(追加VRAMにより最大4画面)
    • BGキャラクターはスプライトと同じく8×8ドットを256個。ただし、スプライトとは別にBGキャラクタセットを持てる。
    • 色は16×16ドットの範囲ごとにパレットで指定。
    • 内部的には256×240の領域を4つタイル状に並べた画面を構成し、そのうちスクロールレジスタによって指定された256×224の領域が表示できる。ただし、本体内のVRAMは2領域分しか用意されていないので、ロムカセット内の結線によって縦または横方向、単一画面に反映される。したがって、ロムカセットごとに縦スクロールをするか横スクロールをするかによって、都合のよい方を選択している。ソフトから切り替えられるようにしたロムカセットもある(下記MMCの項を参照)。また、ロムカセット内にVRAMを追加し、4領域をすべて使用することもできる。中にはキャラクタROMを256×224の領域として使用できるロムカセット[注釈 30]もある。
    • 前述の制約から、カートリッジ側での拡張機能を使わずに上下左右にスクロールするゲームは、ミラーされている方向へのスクロールの際は、画面端でBGキャラクターの描き換えがチラついて見える。
    • PPUの制約から、テレビへの信号出力とBG面の描き換えを同時に行えない。このため、通常はVSYNC期間中にBG面の描き換えを行うが、一度のVSYNC割り込み期間内で描き換えられるのは32キャラクターに制限されている。このため、『ウィザードリィ』のような画面全体のキャラクター描き換えによる擬似3D視点タイプのゲームでは、テレビへの信号出力を止め(ブランクの信号を出力)、その間に画面全体を描き換える。このため、画面を描き換える度に画面全体がチラつく。なお、描き換え時にティアリングが発生しても問題ない場合はこの限りではない。
  • ACアダプタ端子、RF出力端子
    • コンポジットビデオ端子は発売当時は装備していたテレビが少数だったこともあり、搭載されなかった。基板から出る映像信号にアンプ回路を組み込み配線を引き出すことで、容易にコンポジット映像信号を出力させることが出来る。
    • RGBは出力していない(サードパーティ製の専用基板を取り付ける改造が必要[65]。)。
  • 1ch / 2chチャンネルセレクトスイッチ(RF出力先)、ゲーム / テレビ切り替えスイッチ
  • 初期にはなかったが、後にこれらの機能を説明するための漫画「これがファミリーコンピュータだ!! ファミリーコンピュータ編」が同梱されるようになった。
  • 15ピン拡張コネクタ - ジョイスティックキーボード光線銃などが接続可能、独自規格。初期を除きカバーが附属。
  • カートリッジイジェクトスイッチ、電源スイッチ(スライド式)、リセットボタン、コントローラ×2(本体筐体内コネクタにて接続)
  • 外形寸法:幅150mm×奥行き220mm×高さ60mm
  • 重量:620g

注釈

  1. ^ ファミリーベーシックとデータレコーダー経由
  2. ^ ディスクシステム経由
  3. ^ 一部セーブ機能を持っていながらもバッテリーバックアップを搭載していないソフトがある。
  4. ^ 任天堂の公式表記では、日本産業規格(JIS)の当時の表記ルール(→長音)にのっとり「コンピュータ」と末尾の長音を伸ばしていない
  5. ^ 発表時点では1983年6月下旬発売予定[5][6]
  6. ^ 韓国では任天堂ではなく現代電子産業(現・SKハイニックス)が発売し、コンボイ(Hyundai Comboy)という韓国独自の名前になっている。
  7. ^ ファミリーコンピュータとNintendo Entertainment System(NES)はカセットや周辺機器の接続部分の機械的な仕様の違いでお互いの互換性はない。また、ファミリーコンピュータには搭載されてない「海賊版対策回路」が組み込まれている。
  8. ^ ただし「おもちゃは1万円以下でないと売れない」と本機開発以前から山内が発言していたため、上村たち開発陣は山内から要求される前から9,800円の価格を想定した[33]
  9. ^ 価格以外にも「子供がうっかり踏んづけても壊れにくい」構造にするという理由もあった[35][33]
  10. ^ 他のホームコンピュータ向けに開発されたものや、テレビのチャンネル表示IC等
  11. ^ 少ないとはいえ選択が可能になっている音源の波形、⊿PCMの搭載、パレットによる選択可能な色数など。
  12. ^ 同世代のハードウェアでは、セガSG-1000IIでこれと同様のボタン改良を行っている。
  13. ^ この機能を利用した主なゲームには『バンゲリング ベイ』や『スターラスター』、『たけしの挑戦状』、『ゼルダの伝説』、『ドラえもん(ハドソン版)』、『スターソルジャー』、ファミリーベーシックV3のサンプルプログラム『ハート』などがある。
  14. ^ 例えば、マイクの機能を使わない状態に戻しても雑音が常に入ってしまう状態になるなど。
  15. ^ メーカーのチラシやアンケートはがきが封入される場合もあった
  16. ^ 日本初のロムカセット取り替え式の家庭用ゲーム機はカセットビジョンである[58]。このほか日本国外の技術を流用した日本国内機種も含めるのであれば、より古い製品もいくつか存在する[59]
  17. ^ 星のカービィ 夢の泉の物語』では主にサブメロに用いられていた。
  18. ^ 移植された作品ではオーケストラアレンジなど同曲はパイプオルガンを意識した物となっていない。
  19. ^ ドラゴンクエストIV』の「不思議のほこら」ではメロディーラインにホワイトノイズを薄く重ねることによってパイプオルガンの送風ノイズを表現している[注釈 18]
  20. ^ 1980年代前半は、1984年スティーヴィー・ワンダーレイ・カーツワイルの研究室でPCMシンセサイザー(Kurzweil K250)に初めて触れたような時代である。
  21. ^ 初期の利用例としては、『スパルタンX』の音声がそれにあたる。
  22. ^ サンソフトの『ラフワールド』では、サンプリングされたシンセベースの演奏に使われていた。コナミの『トップガン デュアルファイターズ』『スーパー魂斗羅』では、BGM中のオーケストラヒットに使われた。『スーパーマリオUSA』では、『夢工場ドキドキパニック』で本来ディスクシステム側で鳴らしていた合成音を再現するために使われた。『暴れん坊天狗』のベストスコア表示時のBGMはDPCMのサンプリング音のみで構成されていた。『バトルトード』では、DPCMを鳴らす際、ソフトウエア制御によって、直接7bitのPCMを再生させている。
  23. ^ エミュレータや互換機など、このレジスタ、フラグ、カウンタが正しく実装されていない環境ではこれらを用いた効果音は音が違ったりBGMの演奏が正常に行われないなどの状況が発生する。
  24. ^ これを利用したものは ディスクシステム波形メモリ音源、一部コナミ製ゲームの追加音源 - 『悪魔城伝説』や『魍魎戦記MADARA』などで使われたVRC VI・『ラグランジュポイント』のVRC7に内包した2オペレータFM音源。VRCについては下記MMCの項も参照。『デジタル・デビル物語 女神転生II』など、一部ナムコ製ゲームのNamco 163追加音源、『ジャストブリード』などに使われた、MMC5に搭載されている音源、『ギミック!』に使われた、一部サンソフト製ゲームのSunsoft 5B追加音源、ジャレコの『燃えろ!!プロ野球』の「しゃべる」審判員、 ベネッセコーポレーションの教材スタディボックス
  25. ^ EGG MUSIC RECORDSからリリースされたファミコン用サウンドトラック等
  26. ^ 競合製品の搭載した、AY-3-8910やSN76489等では、デューティ比の固定された矩形波が三音とホワイトノイズのみが出力可能であり、デューティ比が変更できること、⊿PCMを搭載していることは表現の幅において大きな差となった。
  27. ^ 当時の多くの競合製品、ならびに低価格帯のコンピュータは、スプライトがあっても一キャラクタで指定できるのは単色のみであったり、スムーズスクロールなどはできないものであり、高価格帯の高解像度な機種は、スプライトなどはなく、グラフィックス処理は当時のCPUにとって非常に重たい処理であり、色数も8色から16色が主流の時代であった。
  28. ^ これはLCDテレビやPCのTVキャプチャなどで画面の端まで表示可能な環境の場合である。一般的なブラウン管テレビでは全ての走査線が表示されるわけではないので、表示範囲がさらに狭くなる可能性もある。
  29. ^ ファイナルファンタジー 任天堂 このページ内の動画で上下端8ラインが表示されていないことが見て取れる。
  30. ^ アフターバーナーII』等
  31. ^ 例えば当時の月刊コロコロコミックでは当時のライバル機を含む家庭用ゲームソフト全般の評価として、『マリオブラザーズ』が1位、『ポパイ』が2位など、4本すべてが9位以内の好評価だった。なお3位はSG-1000の『スター・ジャッカー』であるなど、他機種を含めアーケードからの移植作が多くランクインしていた[87]
  32. ^ 1987年末までにはゲーム業界大手から異業種の企業まで60社近くがサードパーティーに名を連ねた)[88]
  33. ^ アクションRPGを除く
  34. ^ ファミリーコンピュータ登場以前に一歩抜けだしていたのはエポック社カセットビジョンで累計40万台を販売している[94]
  35. ^ 初期の製品には多くの不具合があり、多くのクレームが寄せられていたと言う[28]。例えば、上村は1983年12月発売の野球ゲームである『ベースボール』で、ダイヤモンドが表示されなくなる問題[30]や本体の温度がすぐに上がってしまい、素早く絵を表示するためのスプライトが消失する「消える魔球」現象[96] で正月休みを返上して回収に当たった[97]
  36. ^ 岩崎啓眞は「当時家庭用ゲームハードでは不可能だった全方向スムーススクロール・多色スプライト・当時としては悪くない音源を備えたマシンで、もうゲームをやるために必要な機能はパーフェクトに備えている」と評価している。[98]
  37. ^ サードパーティーの概念は1977年(昭和52年)にアタリが発売したVideo Computer Systemが作り上げたもので、当時の日本ではゲームソフトのサードパーティーの概念は普及しておらず、発売当初からサードパーティーの参入が想定されていたわけではない[99]
  38. ^ ファミリーコンピュータへのサードパーティーの参入はファミリーコンピュータが発売されて約1年後の1984年7月28日に『ナッツ&ミルク』を発売したハドソンが初めてであり、それによって日本で初めて家庭用ゲーム機のサードパーティービジネスが切り開かれるとともに、ソフト媒体の委託生産システムが生まれた[63][100]。ハドソンが参入した約1か月後にナムコが『ギャラクシアン』で2番目のサードパーティーとなったが、ファミリーベーシックの開発を受託したことからハードウェアに関する知識を得られたハドソン[101][102]と異なり、ナムコはハードウェアを独自に解析してソフト開発を行っていた。
  39. ^ 高橋名人が2016年にIT Mediaに寄せた記事によると、80年代当時はアーケードゲームが人気を博していたものの、利用料に絡んだ恐喝事件も起きており、PTAが小中学生にゲームセンターの利用を禁じていた[104]ため、当時の子どもたちにとっては「(親から禁じられている)ゲームセンターのゲームが家で遊べる」ということでヒットにつながったと推測している[105]
  40. ^ ただし値下げ販売を快く思わなかった任天堂は、値下げ店への対策として一時出荷を停止している[107]
  41. ^ カセットビジョンの開発に携わったエポック社の堀江正幸によれば、ファミコンとは「技術的にはたいした違いはなかった」とする一方でファミコンの勝因に関して、カセットビジョンはソフトを全て自社開発する方針だったのに対し、ファミコンはサードパーティーを引き込んだことでソフトラインアップが豊富だったことを挙げている[109]
  42. ^ ソード電算機システムM5はゲームソフトは自社では作らず全て他社からの移植という方針だったが、ソード創業者の椎名堯慶は「任天堂さんはゲーム作りが優れていた。ゲームの世界で育ってきた会社ですから、お客さんを喜ばせる方法を知っていた」[110]とファミコンの勝因を分析している。
  43. ^ 当時、米国任天堂社長だった荒川實は、ビデオゲームに対する拒絶反応があまりに強いので、最初はほとんど商売にならなかったと述べている[112]
  44. ^ これは1981年のガンプラブームの時にも見られた傾向である。
  45. ^ ファミコンCAP』、『熱血!ファミコン少年団』、『ファミコンロッキー
  46. ^ ファミ拳リュウ』、『ファミコン風雲児
  47. ^ われらホビーズ ファミコンゼミナール
  48. ^ 「ヒロインであるはずのシルビアが主人公に牙をむく」(『スパルタンX』)[117]や、「特定のエリアにて、バンゲリング帝国の最終兵器が出てくる」(バンゲリングベイ』)などが該当する[118]。作者のあさいもとゆきは担当編集者の提案により導入したと書籍『超ファミ漫』の中で説明している[118]
  49. ^ スーパーマリオ 魔界帝国の女神』など
  50. ^ ファミコンソフトを用いた大会は1987年まで。

出典

  1. ^ a b c d 任天堂株式会社 連結販売実績数量推移表” (PDF). 任天堂. 2021年5月1日閲覧。
  2. ^ a b http://www.vgchartz.com/platform/12/nintendo-entertainment-system/
  3. ^ a b はむら・あそぶ「テレホビーゲームの歴史」『Beep』1986年1月号、日本ソフトバンク、1985年12月7日、50-52頁。 
  4. ^ a b 鎌田慧「「ファミコン」で「大儲け」した男たち」『プレジデント』第24巻第4号、プレジデント社、1986年4月、328-341頁、doi:10.11501/2802646 
  5. ^ 「任天堂、家庭用ビデオゲームを最低価格で参入──8ビットで1万5000円。」『日経産業新聞』、1983年6月3日、12面。
  6. ^ a b 大西康博「任天堂 おもしろいものを出せば…」『トイズマガジン』1983年8月号、トイズマガジン社、102頁。 
  7. ^ a b c 任天堂、家庭用に参入」『ゲームマシン』第216号、赤木真澄(アミューズメント通信社)、1983年7月15日、7面。
  8. ^ 「ファミリーコンピュータ('83ビデオゲーム全紹介)」『トイズマガジン』1983年8月号、トイズマガジン社、105頁。 
  9. ^ 早川清一朗 (2019年9月2日). “かつて子供たちが駆け込んだ夢の場所。「ファミコンショップ」の思い出”. マグミクス. mediavague. 2021年11月23日閲覧。
  10. ^ 任天堂「ファミコン」日経産業省 セガ社「ハングオン」日経流通賞 日経新聞社による年間優秀作品に選ばれる」『ゲームマシン』第277号(アミューズメント通信社)、1986年2月1日、2面。
  11. ^ 第5回初心会展で新FC披露 山内社長が講演 ゲーム場には興味ない、断言」『ゲームマシン』第459号(アミューズメント通信社)、1993年10月15日、3面。
  12. ^ 高橋名人 (2016年7月14日). “ファミコンブームの終息と、日本ゲーム業界への提言”. ITmedia ビジネスオンライン. アイティメディア. 2022年8月21日閲覧。
  13. ^ 修理のご案内:修理の受付が終了した商品 - ウェイバックマシン(2012年6月27日アーカイブ分)
  14. ^ 修理のご案内:修理の受付が終了した商品 - ウェイバックマシン(2012年7月6日アーカイブ分)
  15. ^ 「日本ゲーム大賞2023」年間作品部門の大賞は『モンスターハンターライズ:サンブレイク』に決定!」『Game*Spark』、2023年9月21日。2023年9月21日閲覧。
  16. ^ a b c d e f g 情報化白書1989 80年代情報化を巡る歩みと今後の展望日本情報経済社会推進協会、1989年、105頁https://www.jipdec.or.jp/archives/publications/J0005023 
  17. ^ 任天堂の家庭用TV機に BASIC追加 キャラクターつきで6月発売に」『ゲームマシン』第238号(アミューズメント通信社)、1984年6月15日、4面。
  18. ^ 任天堂「ファミコン」出荷 1千万台を突破 なお生産中で新記録を更新中」『ゲームマシン』第307号(アミューズメント通信社)、1987年5月1日、5面。
  19. ^ 任天堂がファミコンの上位互換機「スーパーFC」計画 「スーパーマリオ・3」カートリッジは10月23日発売」『ゲームマシン』第340号(アミューズメント通信社)、1988年9月15日、1面。
  20. ^ NESがFC上回る 米国市場では空前のブーム続きさらに普及」『ゲームマシン』第355号(アミューズメント通信社)、1989年5月1日、17面。
  21. ^ 初の「FC/GB用ソフト展で」山内社長 "タイトル数よりも面白いソフト開発" CES任天堂ゾーンをモデルした展示構成 講演に引き続きパネルディスカッションも」『ゲームマシン』第371号(アミューズメント通信社)、1990年1月1日、13面。
  22. ^ 情報化白書1990 90年代情報化の展望』日本情報経済社会推進協会、1990年、104頁https://www.jipdec.or.jp/archives/publications/J0005024 
  23. ^ ゲーム場市場次第に回復 家庭用安定、遊園地好調」『ゲームマシン』第381号(アミューズメント通信社)、1990年6月1日、12面。
  24. ^ FC/GBソフトの評価情報を提供 「スーパーマリオクラブ」で」『ゲームマシン』第385号(アミューズメント通信社)、1990年8月1日、3面。
  25. ^ 「スーパーファミコン」発売間近で 関心高めるソフト 初心会のSFC/FC/GB展」『ゲームマシン』第389号(アミューズメント通信社)、1990年10月1日、3面。
  26. ^ ゲーム場市場順調に回復 家庭用安定、遊園地堅調」『ゲームマシン』第404号(アミューズメント通信社)、1991年6月1日、12面。
  27. ^ 藤田 1999, p. 72.
  28. ^ a b c “成功の鍵「ドンキーコング」 ファミコン30歳 開発責任者に聞く”. 毎日新聞 朝刊 (東京): p. 7. (2013年7月17日) 
  29. ^ 【任天堂「ファミコン」はこうして生まれた】第7回:業務用機の仕様を家庭用に、LSIの開発から着手 - ウェイバックマシン(2008年10月12日アーカイブ分)
  30. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 上村雅之(インタビュアー:山森尚)「上村雅之さん 大いに語る。 ファミリーコンピュータ インタビュー(後編)(2013年10月号より)」『Nintendo DREAM WEB』、アンビット、2018年7月21日https://www.ndw.jp/post-714/2022年9月27日閲覧 
  31. ^ a b 【任天堂「ファミコン」はこうして生まれた】第8回:ファミコン誕生、家庭用ゲーム機の代名詞に p. 5 日経トレンディネット 2008年10月6日 - ウェイバックマシン(2011年7月26日アーカイブ分)
  32. ^ 上村 1990, p. 555-556.
  33. ^ a b c d 上村雅之(インタビュアー:山森尚)「上村雅之さん 大いに語る。 ファミリーコンピュータ インタビュー(前編)(2013年10月号より)」『Nintendo DREAM WEB』、アンビット、2018年7月21日https://www.ndw.jp/post-672/2022年9月27日閲覧 
  34. ^ a b 相田 & 大墻 1997, pp. 274–280.
  35. ^ 上村、細井、中村 2013, p. 104.
  36. ^ 【任天堂「ファミコン」はこうして生まれた】第8回:ファミコン誕生、家庭用ゲーム機の代名詞に p. 4 日経トレンディネット 2008年10月6日 - ウェイバックマシン(2011年7月26日アーカイブ分)
  37. ^ 畠山 & 久保 2000, p. 64.
  38. ^ a b c 上村、細井、中村 2013, p. 98.
  39. ^ a b 上村、細井、中村 2013, p. 101.
  40. ^ a b 上村、細井、中村 2013, p. 102.
  41. ^ 【任天堂「ファミコン」はこうして生まれた】第7回:業務用機の仕様を家庭用に、LSIの開発から着手 p. 3 日経トレンディネット 2008年10月3日 - ウェイバックマシン(2012年1月11日アーカイブ分)
  42. ^ 相田 & 大墻 1997, pp. 283–287.
  43. ^ a b 畠山 & 久保 2000, p. 65.
  44. ^ 300万台保障は伝説!?[出典無効]
  45. ^ テレビゲーム・ミュージアム・プロジェクト 1988, p. [要ページ番号].
  46. ^ 週刊ファミ通」2013年7月25日増刊号、別冊
  47. ^ a b ファミコンの創造神・上村雅之「ゲーム&ウオッチには勝てないと思っていました」週プレNEWS 2013年4月27日 - ウェイバックマシン(2013年5月1日アーカイブ分)
    『週刊プレイボーイ』第48巻第18,19号、集英社、2013年5月13日、111頁。 
  48. ^ a b c QBQ 2016, p. 102.
  49. ^ 上村、細井、中村 2013, p. 119.
  50. ^ 月刊コンプティーク1986年9月号P164,角川書店
  51. ^ 上村、細井、中村 2013, p. 120.
  52. ^ 上村、細井、中村 2013, p. 109.
  53. ^ 日々是遊戯 ファミコンカラーが「アズキ色」だった理由とは――? 任天堂ハードにまつわる豆知識あれこれ”. ねとらぼ. ITmedia (2010年10月7日). 2021年3月9日閲覧。
  54. ^ a b c ファミコンのカートリッジに見る,草創期ならではの活気と混沌。ゲームソフトのメディアの形が,パブリッシャごとに違う時代があった”. 4Gamer.net (2023年7月15日). 2024年2月9日閲覧。
  55. ^ Otomaru (2023年1月29日). “「データ容量」で読み解くビデオゲーム史:40年間で530万倍にも増加したデータ容量、その時代ごとの特徴を整理する”. IGN Japan. 2023年1月30日閲覧。
  56. ^ 「メタルスレイダーグローリー」とは”. 任天堂. 2023年1月30日閲覧。
  57. ^ シティコネクション. “ファミコン用ソフト「メタルスレイダーグローリー」のサントラが5月28日に発売”. 4Gamer.net. 2023年1月30日閲覧。
  58. ^ 滝田 2000, pp. 87–89.
  59. ^ 先駆者に聞く創世の時代 Game Frontiers 株式会社エポック社 堀江正幸氏 p7”. CLASSIC VIDEOGAME STATION ODYSSEY. 2015年3月3日閲覧。
  60. ^ 『月刊ファミコン必勝本 通巻4号』JICC、1986年7月10日、88頁。 
  61. ^ a b ファミコンの“波線”が突然の商標出願、発売40周年の節目に何が起きている? 弁護士の見解と任天堂に問い合わせた結果”. 週刊女性PRIME (2023年1月11日). 2023年1月11日閲覧。
  62. ^ a b 月刊コロコロコミックNo.68(1983年12月号)、「2大テレビゲーム徹底チェック」、pp.327-331
  63. ^ a b 岩崎啓眞 (2012年2月7日). “ハドソンがファミコンに参入するまで(3)”. 2014年7月8日閲覧。
  64. ^ NES info, programs, and demos リンク先はアーカイブ。[出典無効]
  65. ^ NESRGBの要注意ポイント 三月兎日報 2014年8月22日[出典無効]
  66. ^ a b AV仕様ファミリーコンピュータ取扱説明書4頁。
  67. ^ 「ASCII EXPRESS : 任天堂が業務用ファミコンを開発」『ASCII』第10巻第10号、アスキー、1986年、ISSN 0386-5428 
  68. ^ ホテル客室用の任天堂ファミコン 業務用で初めて 独特のシステムもつ日本版NES」『ゲームマシン』第292号(アミューズメント通信社)、1986年9月15日、5面。
  69. ^ 福島市飯坂温泉・橋本舘(2014年、『ゲームセンターCX』第18シーズン(ゲームセンターCXの放送内容を参照))
  70. ^ その7/ファミコンゲーム”. どうぶつの森. 任天堂 (2001年). 2018年9月25日閲覧。
  71. ^ Nintendo Switchに「ファミコンコントローラー」発売 Onlineのレトロゲーム向け”. ねとらぼ. ITmedia (2018年9月14日). 2018年9月25日閲覧。
  72. ^ 『ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータMagazine』徳間書店、2016年11月14日、2-7頁。ISBN 978-4197104789 
  73. ^ ファミコンが、手のひらサイズで"再"登場!”. 任天堂 (2016年9月30日). 2021年3月9日閲覧。
  74. ^ 小型ファミコン“Nintendo Classic Mini”が発表!! ファミコンタイトル30種類を内蔵し、11月11日に発売”. ファミ通.com. KADOKAWA Game Linkage (2016年7月15日). 2021年3月9日閲覧。
  75. ^ 任天堂の新ハードは手乗りファミコン、マリオなど30本入りの『NES Classic Edition』を60ドルで11月発売”. engadget 日本版. ベライゾンメディア・ジャパン (2016年7月15日). 2019年11月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月9日閲覧。
  76. ^ ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ日本版と海外版の違いまとめ”. ファミ通.com. KADOKAWA Game Linkage (2016年9月30日). 2021年3月9日閲覧。
  77. ^ 勝田哲也 (2018年5月14日). “「ファミコンミニ」に「週間ジャンプ50周年記念バージョン」が!”. GAME Watch. インプレス. 2018年5月14日閲覧。
  78. ^ a b QBQ 2016, p. 103.
  79. ^ 【レアソフト紹介】特殊:DATESHIP1200(データシップ)[出典無効]
  80. ^ QBQ 2016, p. 60.
  81. ^ 「ファミコイン」百万個 タイトー、アイデア商品でヒット、さらに増産へ」『ゲームマシン』第282号(アミューズメント通信社)、1986年4月15日、5面。
  82. ^ 沿革”. ブリヂストンサイクル. 2021年3月9日閲覧。
  83. ^ ゲームだけではない FCで健康作り ブリヂストンサイクルが開発」『ゲームマシン』第340号(アミューズメント通信社)、1988年9月15日、4面。
  84. ^ 山一証券がまずサンラインFで 野村証券は今秋スタート予定」『ゲームマシン』第315号(アミューズメント通信社)、1987年9月1日、1面。
  85. ^ a b c ファミコンを使った証券取引 FCトレード本格開始 野村、大和、日興が昨年の山一に続き7月から」『ゲームマシン』第337号(アミューズメント通信社)、1988年8月1日、1面。
  86. ^ 【レアソフト紹介】特殊:MCP-24(ファミコン用プリンター) [出典無効]
  87. ^ 月刊コロコロコミックNo.67(1983年11月号)、「おもしろテレビゲームベスト20」、pp.287-291
  88. ^ 滝田 2000.
  89. ^ ファミコン、13年ぶりの最新作ソフト!?”. ギズモード・ジャパン. メディアジーン (2007年4月25日). 2016年2月3日閲覧。
  90. ^ ファミコン、13年ぶりの新作ソフトを手に入れる方法(読プレあり)”. ギズモード・ジャパン. メディアジーン (2008年1月28日). 2016年2月3日閲覧。
  91. ^ Windows 10でファミコン用ゲームを開発する手順を解説した同人誌「ファミコンゲーム製作入門(SPECIAL版)」が入荷”. AKIBA PC Hotline!. インプレス (2018年12月8日). date=2018-12-14閲覧。
  92. ^ 自作のファミコンゲームを書き込めるカートリッジ「MAPPER 4 CARTRIDGE」が入荷”. AKIBA PC Hotline!. インプレス (2019年1月26日). 2023年1月30日閲覧。
  93. ^ FC用80ゲーム偽造版 販売業者を摘発 神奈川県警が著作権侵害で」『ゲームマシン』第415号(アミューズメント通信社)、1991年11月15日、4面。
  94. ^ 滝田 2000, p. 84.
  95. ^ a b 藤田 1999, p. 76.
  96. ^ 上村雅之; 今西紘史『社長が訊く「スーパーマリオ25周年」 (3ページ目)』(インタビュアー:岩田聡)、任天堂、2010年https://www.nintendo.co.jp/n10/interview/mario25th/vol2/index3.html2022年6月30日閲覧 
  97. ^ “苦戦の任天堂 巻き返し元年 他の時間つぶしてでも遊びを追求 ファミコン開発者 上村雅之氏”. 京都新聞 朝刊 (京都). (2013年7月13日) 
  98. ^ 岩崎啓眞 (2012年2月7日). “ハドソンがファミコンに参入するまで(3)”. 2015年2月20日閲覧。
  99. ^ 岩崎啓眞 (2012年2月11日). “ハドソンがファミコンに参入するまで(4)”. 2014年7月8日閲覧。
  100. ^ 岩崎啓眞 (2012年2月15日). “ハドソンがファミコンに参入するまで(5)”. 2014年7月8日閲覧。
  101. ^ 岩崎啓眞 (2012年1月25日). “ハドソンがファミコンに参入するまで(1)”. 2014年7月8日閲覧。
  102. ^ 岩崎啓眞 (2012年1月28日). “ハドソンがファミコンに参入するまで(2)”. 2014年7月8日閲覧。
  103. ^ スーパーファミコンを開発 「自分の能力知り、一生懸命が肝心」と 活躍する校友”. 千葉工業大学 (2005年2月15日). 2021年3月5日閲覧。
  104. ^ 高橋名人 (2016年4月14日). “ファミコンブームの誕生とハドソン成功の理由 1ページ目”. ITmedia ビジネスオンライン. アイティメディア. 2022年8月20日閲覧。
  105. ^ ファミコンブームの誕生とハドソン成功の理由”. ITmedia ビジネスオンライン (2016年4月14日). 2022年8月20日閲覧。
  106. ^ 土屋 1995, p. [要ページ番号].
  107. ^ “高橋名人”という社会現象――高橋利幸氏、ファミコンブームを振り返る(前編)(5/5)”. ITmedia ビジネスオンライン. ITmedia (2009年3月12日). 2021年3月5日閲覧。 “そこで(任天堂の)社長さんがちょっと怒ったようで、「安く売るなら(出荷を)やめよう」となって、3カ月くらい出荷を止めたみたいです。”
  108. ^ 「メガドライブ」発表 セガ社が任天堂より先に16ビット家庭用を」『ゲームマシン』第343号(アミューズメント通信社)、1988年11月1日、4面。
  109. ^ 滝田 2000, p. 90.
  110. ^ 滝田 2000, p. 91.
  111. ^ 情報化白書1990 90年代情報化の展望』日本情報経済社会推進協会、1990年、103頁https://www.jipdec.or.jp/archives/publications/J0005024 
  112. ^ 滝田 2000, pp. 142–143.
  113. ^ 第6章 ファミコンバブルから衰退まで ファミコンブーム最高潮に”. 任天堂アーカイブプロジェクト. 2021年8月4日閲覧。
  114. ^ a b 上村, 細井 & 中村 2013, p. 157.
  115. ^ 早川清一朗 (2019年9月2日). “かつて子供たちが駆け込んだ夢の場所。「ファミコンショップ」の思い出”. マグミクス. mediavague. 2023年6月16日閲覧。
  116. ^ 謎解き本発行差止め ファミコンゲーム「ドラクエII」で初の司法判断」『ゲームマシン』第305号(アミューズメント通信社)、1987年4月1日、5面。
  117. ^ 「シルビアがおそってきたー!」名作マンガが残した『スパルタンX』シルビアの鮮烈なイメージ”. インサイド (2022年2月6日). 2023年2月23日閲覧。
  118. ^ a b OHTABOOKSTAND編集部 (2019年7月17日). “『ファミコンロッキー』作者 「一番反響があったウソ技はバンゲリングベイ」”. OHTABOOKSTAND. 2023年2月23日閲覧。
  119. ^ TVゲーム機の音楽を編曲して レコード化 細野氏編曲、ナムコのゲームで」『ゲームマシン』第235号(アミューズメント通信社)、1984年5月1日、6面。
  120. ^ "大胆に遊ぶLP盤" ナムコのTVゲームもとに製作。別に任天堂のEP」『ゲームマシン』第283号(アミューズメント通信社)、1986年5月1日、5面。
  121. ^ ファミコンからのレコード化 新レーベル誕生 業務用から家庭用、そして音楽へ」『ゲームマシン』第287号(アミューズメント通信社)、1986年7月1日、5面。
  122. ^ 日本物産がカセットテープ製作 「テラクレスタ」 本格的ゲームミュージックとして」『ゲームマシン』第291号(アミューズメント通信社)、1986年9月1日、4面。
  123. ^ ビデオゲーム・ミュージック コナミ、テクモも アルファレコードから次々発売」『ゲームマシン』第297号(アミューズメント通信社)、1986年12月1日、4面。
  124. ^ a b 「ファミコン」から映画も 夏休み向け2社 TVゲームは家庭用だけブーム?」『ゲームマシン』第288号(アミューズメント通信社)、1986年7月15日、4面。
  125. ^ ナムコのTVゲームでビデオ 「ナムコの伝説」 ファミコン音楽のレコードも発売」『ゲームマシン』第295号(アミューズメント通信社)、1986年11月1日、4面。
  126. ^ 森下 1986, p. 13.
  127. ^ 山本, 光藤 & 須藤 1988, pp. 291–292.
  128. ^ 山本, 光藤 & 須藤 1988, pp. 292–295.
  129. ^ 「ASCII EXPRESS : ファミコンで児童の視力が低下」『ASCII』第10巻第5号、アスキー、1986年、ISSN 0386-5428 
  130. ^ 吉井 1987, p. 50.
  131. ^ 山本, 光藤 & 須藤 1988, pp. 292.
  132. ^ QBQ 2016, p. 120.
  133. ^ 2月12日の衆院予算委 国会でファミコン論議 矢追氏の質問で首相も家庭用TVゲーム体験談」『ゲームマシン』第280号(アミューズメント通信社)、1986年3月15日、1面。
  134. ^ また国会で「ファミコン」論議 通産、業界指導に 3月7日衆院予算委で藤田氏質問」『ゲームマシン』第282号(アミューズメント通信社)、1986年4月15日、1面。






固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ファミリーコンピュータ」の関連用語

ファミリーコンピュータのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ファミリーコンピュータのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのファミリーコンピュータ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS