ゲームクリエイターを夢見て、日本電子専門学校情報処理科を卒業した後、1986年4月に任天堂に入社。初期は当時の製造本部情報開発部に配属され、最初に『夢工場ドキドキパニック』(後に登場キャラクターをマリオシリーズのキャラクターに差し替え海外で発売された『Super Mario Bros. 2』及び日本でも逆輸入として発売された『スーパーマリオUSA』)でアシスタントディレクターとして主要なデザインを手がけた[1]。それ以降、宮本茂の下でスーパーマリオシリーズなどで監督業を担う中、マリオシリーズのキャラクターがカートでレースを繰り広げる『スーパーマリオカート』を開発し、大ヒットを収めた。任天堂退社まで、マリオカートシリーズのほとんどのタイトル[注 1]にディレクターやプロデューサーとして関わっていた[2][3]。
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License. この記事は、ウィキペディアの紺野秀樹 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。
Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。