パラオ
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/09/14 21:30 UTC 版)
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| パラオ共和国 | |
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| Beluu er a Belau (パラオ語) Republic of Palau (英語) |
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| 国の標語:Rainbow's End | |
| 国歌:我等がパラオ |
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| 公用語 |
日本語(アンガウル州[1]) トビ語(ハトホベイ州[3]) |
| 首都 | マルキョク(首都機能は市内にあるンゲルルムッド) |
| 最大の都市 | コロール |
| 政府 | |
| 大統領 | スランゲル・ウィップス・ジュニア |
| 副大統領 | レイノルド・オイロー |
| 面積 | |
| 統計 | 459km2(198位)[3] |
| 水面積率 | 極僅か |
| 人口 | |
| 統計(2020年) | 18,094人(189位)[4] |
| 人口密度 | 39.4人/km2 |
| GDP(自国通貨表示) | |
| 合計(2025年) | 3億4,500万[5](名目)アメリカ合衆国ドル |
| GDP(MER) | |
| 合計(2025年) | 3億4,500万[5]ドル |
| GDP(PPP) | |
| 合計(2025年) | 3億4,000万[5]ドル |
| 1人あたり | 19,367[5]ドル |
| 独立 | |
| 国連信託統治(アメリカ合衆国)より | 1994年10月1日 |
| 通貨 | アメリカ合衆国ドル(USD) |
| 時間帯 | UTC+9(DST:なし) |
| ISO 3166-1 | PW / PLW |
| ccTLD | .pw |
| 国際電話番号 | 680 |
パラオ共和国(パラオきょうわこく、パラオ語: Beluu er a Belau、英: Republic of Palau)、通称パラオは、太平洋上のオセアニア州に位置し、フィリピンの東方にあるミクロネシア地域の島々からなる共和制国家。首都はマルキョク。2006年10月7日にコロールから遷都した。
国名
正式名称はパラオ語で Beluu er a Belau。公式の英語表記は、Republic of Palau。通称、Palau。日本語表記は「パラオ共和国」。漢字表記では「帛琉」と書き「帛」と略す。現地ではべラウと呼ぶこともある。国名の由来は、マレー語で「島」を意味する「Pulau」である[6][7]。
国旗
国旗のデザインは海を表す青地に月を表す黄色い丸が配置されている。平和と静寂、海と陸の豊饒を表している[8]。
日本の国旗である日の丸が元となっている説もあるが、パラオの国旗の発案者のジョン・ブラウ・スキーボング(John Blau Skebong)は「私はもちろん日の丸を知っているが、特別にそれを意識してデザインしたわけではない」と否定している[9]。
歴史
有史以前
有史以前のパラオについては未解明の状況であるが、国内に多く残る遺跡などを研究した結果、約4000年前から人が住んでいたと推定されている。紀元前と推定される居住遺跡が発見されており、7 - 8世紀の時点でインドネシア方面から文化的影響を受けていたとする研究がある[10]。
スペイン帝国の植民地
16世紀ごろから、海軍の進歩によりミクロネシア諸島にヨーロッパ人が訪れるようになった。初期のヨーロッパ人の訪問記録としてはスペイン人のルイ・ロペス・デ・ビリャロボス(1543年)やイギリス人のフランシス・ドレーク(1579年)によるものがある[11][10]。1783年にイギリスの帆船 (Antelope)がウーロン島で座礁した際には島民と接触している[11]。このときマルキョクとコロールの村落連合同士が争っており、コロールの首長イブドゥールは船長のウィルソンを助ける見返りに戦争の協力をとりつけ、勝利を収めている[12]。1883年、イギリスの仲介のもとで両連合は和平協定を結んだ[10]。ウィルソンがパラオでの体験について記した著作はヨーロッパでパラオが知られるきっかけとなった[12]。
鯨油に代わりコプラの商品価値が高まり始めた19世紀後半、欧米の商社が本格的に進出するようになった[13]。中でもドイツ商社はミクロネシア地域の交易の8割を掌握するに至り、スペインはドイツのミクロネシア領有に警戒感を抱き、1874年にカロリン諸島の占有権を主張した[13]。ドイツは国際法上ミクロネシアは無主地であると主張したが[14]、1885年にはローマ教皇のレオ13世により、ドイツの経済活動を認める一方でスペイン領有が認められている[13][14]。これらのヨーロッパ人の来訪とともに伝染病も流入し、交流以前には4万人いたと推定される人口は、1900年時点で4000人以下に減少したとされている[15]。
1886年、カロリン諸島はフィリピン総督の支配下に置かれ、1887年にポンペイとヤップに政庁が設置され統治が始まった[16]。パラオはヤップ政庁の管轄下に置かれ、統治の過程でキリスト教の布教活動が行われているが、政庁が置かれた島ほど活発には行われなかった[17]。
ドイツ帝国の植民地
1899年、国力が衰退の一途を辿っていたスペインは、ドイツ・スペイン条約によって、フィリピンとグアムを除くスペイン領東インドを450万ドルでドイツ帝国に売却した[18]。パラオも売却対象に含まれ、これ以降ドイツ領ニューギニア(Deutsch-Neuguinea)の一部となった[18]。当初はヤップ政庁の管轄下にあったが、1905年に支庁が設置され、官吏数人と軍隊が配備された[18]。
ドイツはパラオでココナッツ、タピオカ栽培、アンガウルにおけるリン鉱石採掘などの産業振興を行った[19]。このうち主力産業はリン鉱石採掘で、土地貸借とともに賃金収入源となっていたが、植民地政府は赤字経営で、本国から年間約4万マルクの補助金を貰っていた[14]。遠く離れたドイツから送られる人員はほとんどないにもかかわらず、パラオがもたらす富はドイツ人に独占された。
ドイツ植民地時代の遺構としては、リン鉱石の運搬のためにサンゴ礁を開削して作られた水路「ジャーマン・チャネル」が、現在ではダイビング・スポットとなっている[20]。
大日本帝国の委任統治領
1914年に第一次世界大戦が開始されると、日本は当時締結されていた日英同盟により、イギリスやフランスなどと同じ連合国の一員として、ドイツに対して宣戦を布告し、パラオ含む南洋諸島を占領下に置いた[21]。当初は軍政が敷かれたが、1918年から民政への移行が進められた[22]。統治にあたっては伝統的な首長制度を利用し、医療や教育の改善が進められた一方で、パラオでは反日的な首長が退けられ、モデクゲイと呼ばれる統治に抵抗した新興宗教も弾圧対象となった[22]。
1919年、第一次世界大戦の戦後処理をするパリ講和会議によって、パラオは日本の委任統治領(実質的な植民地[23])になった[22]。コロールには南洋庁および南洋庁西部支庁(パラオ支庁)が置かれ[24]、パラオは周辺諸島の中核的な島となり、多くの日本人が移住した。パラオ支庁管内の住民の4人に3人は日本人となった。軍人を除く1943年6月末時点の居住者33,960人の内訳は、内地人(内地出身日本人)25,026人、朝鮮人(朝鮮半島出身日本人)2,460人、パラオ人先住民6,474人、他にスペイン人・ドイツ人宣教師18人。
日本の統治が始まってからは、電気や水道、学校や病院、道路や公的施設など社会的基盤の整備、貨幣経済への移行が重点的に行われた。これにより1920年代ごろになるとコロールは近代的な町並みへとその姿を変貌させた。欧米の視察団から「最善の統治」と評価された一方、1933年に国際連盟を脱退した日本は同化政策を推し進めるようになり、日中戦争が起きた1937年以降には皇民化教育が徹底されていった[25]。一方で、元駐日大使のミノル・ウエキは、日本はパラオでは積極的な日本化をおこなわず、教育や医療、経済といった、社会基盤の整備に努めた、と語る[26]。
また、日本統治の開始に伴い日本語による学校教育が現地人に対しても行われるようになった。ただし、本科3年・補習科2年の課程であり、日本人子弟とは学校が別だった(公学校)。また、現地人は中等・高等教育を受けられなかった[27]。現地用の教科書編纂のため、南洋庁の書記として赴任していた中島敦は個人的感想として、原始的に暮らしている現地住民に近代的な高等教育を施すことへの疑問の手紙を家族に送っているが[28]、民政時代には3科目を省くなど、日本国民とは異なる、差別意識に基づく教育が行われた[19]。公学校では、教室内の私語や母語による会話は禁止され、日の丸・君が代や教育勅語による皇民化教育が徹底され、同化政策が行われた[29]。
日本は1933年(昭和8年)に国際連盟から脱退したが、統治委任はパリ講和会議によるものであることから、国際連盟の加盟諸国も日本による統治の継続を認めたために委任統治を続けた。統治の方針は日本から移民を受け入れて積極的に経済開発を行う方向に固められ、官有地を企業や移民に提供したほか、1936年に国策会社の南洋拓殖が創設され、南洋興発や南洋貿易とともに農業、鉱業、漁業、海運業などの事業拡大を進めていった[30]。産業振興の調査研究も進められ、熱帯産業研究所や水産試験場が設置された[31]。1937年ごろからは軍事基地化が進められ、飛行場や基地などの軍事施設が建設されていった[32][15]。
民間の大日本航空が設立されると、1940年(昭和15年)3月6日、海外路線として横浜 - サイパン - パラオの間に九七式飛行艇を使用した民間航空路が開設された[33]。更に1941年(昭和16年)1月9日からはパラオを起点として南洋島内を結ぶ空路が開設された[34]ほか、同年10月以降にはパラオと東ティモール(当時ポルトガル領)間に空路が開設された[35]。
第二次世界大戦(太平洋戦争)が始まると、コロールは海軍の重要な基地として北西太平洋方面の作戦拠点となった。そのため、西方のフィリピン戦線の状況と連動して連合軍の攻撃対象となり、1944年(昭和19年)にはペリリューの戦いなどで両軍に多くの戦死者を出した。なお、ペリリュー島の戦いではパラオ民間人の死者はなかった[36]。しかし、日本国籍を持たない現地人であっても、本人の事前の了承を受けてパラオ挺身隊などに軍属として動員されることがあった[注釈 1]。
1945年(昭和20年)8月の連合国に対するポツダム宣言受諾に伴う日本の降伏により、日本の統治が終了。 同年9月2日には第14師団の師団長、井上貞衛中将が降伏文書に調印した[37]。
遺構
コロール島
ペリリュー島
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旧 日本海軍航空隊司令部
-
旧 日本海軍弾薬庫(ペリリュー第二次世界大戦記念博物館 旧館)
-
日本海軍短二十糎砲が設置された洞窟
アメリカの信託統治
戦争終結後の1947年に、アメリカが施政権者である太平洋諸島信託統治領の一部となった。アメリカの統治下で首長の権威は弱まり、代わって政府の公務員や医療従事者、ビジネスマンが勢力を増していった[40]。アメリカはパラオを軍事戦略上の拠点として利用する一方、住民たちの伝統的生活様式を守るため、社会経済開発や福利厚生には消極的であった。こうした政策は動物園政策と批判されたため、1960年代には政策が転換され、平和部隊派遣や、教育や医療、産業などの技術指導が行われた[29][41]。
独立への動き
アメリカ合衆国はミクロネシアの自治領案を検討し、1957年に憲法制定委員会を設置した[42]。1969年、信託統治領の政治地位について交渉が始まり[10]、ミクロネシア側は1970年の政治地位会議で自由連合を提案した[43]。当初はミクロネシア地域の統一が見込まれていたが、1971年にアメリカによるミクロネシアの軍事利用計画が明かされると、パラオとマーシャル諸島はアメリカとの個別交渉に臨んだ[43][44]。
1978年、アメリカとミクロネシアは15年間の財政援助と引き換えに安全保障をアメリカに委ねることを原則とする自由連合の内容で合意した[43]。同年にミクロネシア連邦への加盟を問う住民投票が行われ、その結果パラオは分離独立の道へ進むことになった[40]。1979年、核兵器の持ち込みを禁止した「非核憲法」を住民投票で可決したが、アメリカは軍の活動に支障をきたす非核条項の修正を求め、同年内に憲法改正案が住民投票にかけられたが、これは否決された[43][44]。1980年、再び非核憲法が承認され、1981年に発布、パラオ自治政府が成立した[43]。自治政府成立後の政治は初代大統領ハルオ・レメリクが暗殺されたり、護憲派へのテロ行為が相次ぐなど不安定的で[44][45]、この混乱は1993年にクニオ・ナカムラが大統領に就任するまで続いた[10]。
1986年、ミクロネシア連邦とマーシャル諸島は自由連合盟約(コンパクト)締結国として独立したが、パラオは非核憲法が障害となって協定を締結できていなかった[43]。自治政府は独立にあたって自由連合協定が不可欠とし、協定締結を視野に憲法改正の是非を問う住民投票を実施したが、1983年から1990年にかけて7回行われた住民投票はいずれも憲法改正可決に至らなかった[46]。
独立
その後、憲法内の非核条項をアメリカとの自由連合協定においてのみ凍結することが決まり、コンパクト承認のための住民投票の可決条件を緩和(75%から50%へ)する憲法改正のための住民投票が行われ、これが可決された[44]。また、同時に行われた大統領選挙でクニオ・ナカムラが当選した。
1993年には、緩和された可決条件の下、8回目の住民投票でアメリカ合衆国とのコンパクトが承認された[47]。これにより、1994年10月1日、自由連合盟約国として独立し、信託統治が終了、アメリカは有事の際の4地域の土地使用と軍事展開を可能にし、パラオは4億4700万ドルの援助金を取り付けた[47]。同年に国際連合へも加盟した。信託統治領としては最後の独立となる[10]。大統領府は当初コロール州のアラカベサン島に置かれていたが、2006年10月にマルキョクに遷都した[10]。当初アメリカの財政支援は2009年までとされたが、コンパクトの改定に伴い、2044年まで継続される予定となっている[48]。
現在でもパラオ国会では日系の政治家が強い影響力を持つなど、日本と歴史的に密接な繋がりを持つ国である。
地理
パラオは北緯2度から8度、東経131度から135度の範囲内にある島嶼国で、カロリン諸島の西端にあたる[49]。200以上の島で構成されるが、有人島は極小数である[注釈 2]。バベルダオブ島からペリリュー島にかけての長さ約115キロメートルにわたる堡礁、堡礁に付随するカヤンゲル島などの小環礁、アンガウル島などの裾礁から成り、最大の島であるバベルダオブ島は総面積の5分の4程度を占める[53]。首都マルキョクやロマン・トメトゥチェル国際空港のあるバベルダオブ島と旧首都のあるコロール島とは橋で結ばれている。
地学的にはフィリピン海の東縁にあたる伊豆からパラオに至る島弧・海溝系、ならびに九州・パラオ海嶺の最南端に位置し、古第三紀の火山岩層を主体とする[54]。最終氷期以降の約8300年前にはサンゴ礁が形成されはじめ、海面上昇の速度低下に伴い1000年に2.2メートルの速度で成長し、現在の海面に追いついたと考えられている[55]。
バベルダオブ島は主に火山岩や火山砕屑岩で出来た火山島だが、南端部のアイライ州から連なるコロール島以南にはロックアイランドとして知られる石灰岩の島嶼群がみられる[53]。両者は異なる地形的特徴を有し、火山島ではマングローブが発達していること、淡水湖があることなどが、石灰岩島ではノッチやカルスト地形が発達していること、湖沼がすべて塩湖であることなどが挙げられる[53]。ロックアイランドはその生態系や遺跡が評価され、2012年に世界遺産に登録されている[56]。
地方行政区分
パラオは、16の行政区域に分かれている。独立前は16地区70村で構成されていたが、地区は独立後州に格上げされた[57]。
気候
全域が熱帯雨林気候(Af)であり、年平均気温は27-28℃と温暖[58][59]、年較差は少ない[60]。また、スコールなど通年で雨が多いが、特に7月と10月の雨量が多い。年間雨量は3,800mmになり、平均湿度は82%である[10]。11月から4月(12月から5月)が乾期、5月から10月(6月から11月)が雨期とされるが、この区別は年々不明瞭になりつつある[10][60]。台風の襲来はまれだったが、近年は2012年の台風24号や2013年の台風30号など台風による被害が相次いでいる[59]。
生物相
多様な海洋環境を背景に高い生物多様性を有し、約78属425種のサンゴ類、約1287種の魚類、259種の藻類が記録されている[52]。このほか、5000種の昆虫、141種の鳥類が生息するとされている[44]。サンゴ類の中ではミドリイシ属が多く観察され、この属は数千年前のサンゴ礁形成期でも主体だったと考えられている[55]。
植物種は約150種の固有種を含む約730種(1258種とも[44])が確認されている[61]。バベルダオブ島は最高標高242メートルと低いが、多様な植生を擁し、マングローブや高木林、草原様の植生が見られる[61]。高木林はアプガオやアイス、トオン (Campnosperma brevipetiolata)が優占する[58]。石灰岩の諸島で見られる亜高木林・低木林ではガジュマル Ficus microcarpaやタシロマメ Intsia bijugaなどが優占する[58]。
標準時
全土でパラオ時間(Palau Time, PWT)が施行されている。UTC+9で、日本標準時(JST)との間に時差はない。
政治
パラオは任期4年・連続3選禁止[注釈 3]の大統領制をとり、議会は二院制の国民議会(任期4年)である[63][48]。下院は16州から1人ずつ選出されるのに対し、上院の選挙区と定数は議席配分是正委員会が定める(2025年時点では15人[48])[10]。大統領府と副大統領府の下に8省が置かれ[64]、各省庁を所管する大臣は大統領によって任命される[65]。政党はない[65]。
大統領制のほか、伝統的にパラオを二分して統治してきた最高位首長2人[注釈 4]を長とする首長体制が併存しており、憲法に基づき設置された首長会議(The Council of Chiefs)には土地や伝統に関与する権限が認められている[60]。各州には政府、議会が置かれ、独自の憲法も有するが[57][60]、首長の影響力は州によって異なり、例えばガスパン州は議員全員が首長であるのに対し、アイライ州は議員全員が公選である[68]。首長は主に伝統保護の役割が求められているが、州によっては立法や議案提出といった権限を与えられている[69]。
司法権の執行機関として最高裁判所、国家裁判所、一般訴訟裁判所、土地裁判所が置かれている[70]。死刑制度はない[70]。州政府には警察組織権が認められておらず、州法の取り締まりは国家警察が行う[69]。
2021年に大統領に就任したスランゲル・ウィップス・ジュニアは省庁再編を推進し、パラオ人ファーストを掲げているほか、経済復興や産業の多角化に向けて取り組んでいる[48]。
2023年、世界銀行は太平洋諸国の過剰債務のリスクを検討。他国が2019年以降、COVID-19対策で政府支出を拡大して債務を増やす中、パラオの債務に関しては持続可能という判断を示した[71]。
軍事
独立時にアメリカ合衆国と自由連合盟約を締結しており、安全保障並びに国防上の権限をアメリカ合衆国が保持しているため、自国の軍隊は保持していない。小規模な米軍施設があるが、実戦部隊は駐留していない[48]。また、この盟約に基づき一部のパラオ国民はアメリカ軍人として採用されている。パラオ国民の人口あたりの米軍への入隊率は、アメリカのどの州よりも高い(2024年時点[72])。
環境保全
独立後の1997年、環境保全を目的とした法律がコロール州で制定され、その後のサンゴ礁の白化や赤土の海域への流出を契機として、国ぐるみで環境保全活動が行われるようになり、2003年に保護区ネットワーク法が制定された[73]。保護区ネットワークの設立以降も保護区ネットワークの基金運営や観光客からの環境税徴収、排他的経済水域をサメ保護区とし、商業漁業を禁じるなど、積極的な環境政策を進めており、国際社会から評価されている[74][75]。一方で、2010年代以降は観光客の急増に伴いサンゴ礁の破壊や生物資源の乱獲が問題視されており、依然として法制度や設備の整備が課題となっている[76][77]。
火力発電所をマラカル島とバベルダオブ島で運用している[78]が、2032年までに再生可能エネルギーの比率を100%にするという目標を掲げている(2024年時点[79])。
国際関係
2024年現在、日本や台湾(中華民国)、アメリカ、フィリピンを含む105か国と外交関係を樹立している。その中でも台湾、旧統治国の日本やアメリカとの関係を重視している[48]。環境政策を進める中でヨーロッパとの関係強化を図っており、気候変動担当の欧州連合大使のほか、各国に領事を置いている[74]。
多国間外交
1994年の国際連合加盟以降、複数の国際機関や地域機関に加盟している[注釈 5]。このうち太平洋諸島フォーラム(PIF)に対しては、事務局長選出の混乱と対中国関係の意見対立から、2021年に他のミクロネシア諸国とともに脱退を表明したが、翌年に脱退を撤回した[80]。パラオは2026年にコロール市でPIF首脳会議を開催したが、ここでも対中国関係を巡り加盟国の足並みの乱れが見られた[81]。
日本との関係
1996年に崩落したKBブリッジの再建を始めとした多くの援助が日本によってなされているなど、パラオと日本の関係は国際連盟の委任統治時代以降も深い。現在でも、パラオ国民の多くは戦争や皇民化政策を認識し、親日的な感情を持っている[19]。日本や日本語に親しみを持ち、子供に日本風の名前をつけるパラオ人も多い。パラオ語には多くの日本語の言葉が取り入れられており、また、パラオにある唯一の公立高校では、1964年から選択科目として日本語を取り入れている。さらに、アンガウル州では州の公用語の一つとして採用されている。経済的には2023年時点でパラオ最大の援助国となっている[48][注釈 6]。
日本の地方自治体との交流関係もあり、三重県はナカムラ元大統領の父が三重県伊勢市の出身であった縁で、1996年以降友好提携関係にある。また旧首都コロールは現在東京都と姉妹都市になるべく交渉中である。
- コロール島の旧官幣大社南洋神社やペリリュー島のペリリュー神社(南興神社)、アンガウル神社が、1980年代以降に日本からの資金により再建された。また、日本からの遺骨収集団や慰霊団も度々訪れている。
- 第7代大統領のトミー・レメンゲサウは、2005年7月の来日前に行われた会見で当時の小泉首相の靖国神社参拝について「すべての人のために祈るのは正しいことだ」と支持を表明した。また、第6代大統領クニオ・ナカムラの代理人が靖国神社に参拝した。
- 一方でナカムラは「南洋」という言葉が旧植民地宗主国の主観に基づくものとして「われわれの国々を“南太平洋”と呼ぶのもけっして適当とはいえない。“太平洋諸国”といってほしい。“南”は不要です」と発言している[83]。なお、パラオは北半球に位置する。
天皇・皇后の訪問
2015年4月8日から9日にかけて、日本から明仁天皇・美智子皇后(いずれも当時)が国際親善と戦没者慰霊のため訪問した[86]。
明仁天皇は長年、パラオを含む西太平洋地域での戦没者の慰霊を強く希望しており、慰霊に際してはパラオのトミー・レメンゲサウ大統領夫妻のほか、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島の大統領夫妻も同席することとなった[87]。天皇の訪問はパラオの報道で大きく取り上げられ、歓迎ムードのなか、天皇を迎えるにあたって道路の整備が行われ、道路脇などにはいくつもの日の丸が掲揚された[86][88]。
この訪問に際し、パラオ人に行われたインタビューでは「日本との交流は素晴らしかったので年配の人たちは日本と交流したい気持ちである」との声や「パラオ人も嬉しいが一番嬉しいのは同地での戦没者であろう」との声が寄せられた[86]。9日、供花のために訪れるペリリュー島では、学校、職場が休日となり全島民600人で天皇皇后を出迎えることとなり[86]、ペリリュー州は4月9日を「天皇皇后両陛下ご訪問の日」として州の祝日に法律で制定した[89]。
この訪問後、観光でペリリュー島を訪れる日本人が増加している[90]。
台湾・中国との関係
1999年12月、ナカムラ大統領は援助額や民間投資を考慮して台湾(中華民国)との国交を樹立し、以来一貫して国交を維持している[91]。台湾と対立関係にある中華人民共和国とは国交がない。2025年9月、ウィップス大統領はパラオは中華人民共和国より経済的圧力やサイバー攻撃、政治的介入を受けていると非難した[92]。
経済
独立後は低水準ながら経済成長を維持している[93]。国際通貨基金の統計[5]によると、2025年の名目GDPは3億4,500万ドル(1人あたり21,571ドル)であり、2015年の2億8,300万ドルから成長している。一方で物価を考慮した実質GDPは2億8,000万ドルであり、2015年の2億8,700万ドルから微減している。しかし、新型コロナウイルス感染症の世界的流行で観光業に打撃があった2021年前後の低迷(実質GDPは2億3,000万ドル程度)からは回復した。
世界銀行グループは世界各国を所得水準で4段階の区分に分類している。同グループは2024年にパラオの1人あたり国民総所得(アトラス方式)が基準値(14,005ドル)を超えたとして、パラオの所得区分を最高水準の「高所得国」に変更した[94]。
戦後のアメリカ統治の影響で産業開発はあまり進んでいない[95]。日本・米国及び台湾からの無償援助に依存する建設業、食料品・消費財の輸入に立脚する商業及び観光産業が主要産業となっており、それぞれの産業では外国人労働力への依存度が高い[48]。また、パラオ人の過半数が公務員である[48]。漁業は小規模ながら年間数百トンの漁獲量がある[96]。
消費財の大半を輸入に頼っているため、貿易収支は大幅な赤字であり、アメリカをはじめとする諸外国の経済援助がこれを補っている[93]。2022年時点で輸出800万ドルに対して、輸入は2億800万ドルに達する[48]。主な輸出品は、全輸出金額の7割を占めるマグロ、次いでココヤシを加工した農業生産物のコプラ、わずかな手工芸品などである。日本への輸出品は2003年時点でマグロが98.6%を占め、航空貨物による輸出も頻繁に行われている。
観光
観光業はGDPの半分から4分の3、雇用の約40%を占める基幹産業であり、特に海洋レジャーを目的に訪れる観光客が多い[52][96]。国別では日本や台湾のほか、2012年以降は中国からの観光客が急増し、2015年時点で年間9万人に達した[77]。観光客急増を受け、政府は国際線の本数を制限して入国者数を調整し、より高級な観光地化を目指す方針をとった[97]。
観光客数は2015年度[注釈 7]の168,424人をピークに減少し、2021年度には3,400人にまで落ち込んだ。その後は上昇に転じて、2025年度には65,558人に達した。2025年度の国別の内訳は中華人民共和国(21,286人)が最も多く、次いで台湾(13,367人)、米国・カナダ(10,893人)、日本(6,702人)となった[99]。
2024年8月、パラオ政府観光局は公式日本語観光情報サイトを開設した[100]。
2010年代前半までの観光客増加に伴う需要の高まりを受けて、ホテルの建設が進められたり、観光ガイドの質向上が図られるなどした[101]。1990年代まで、日本航空の関連会社が経営する「ホテル・ニッコー・パラオ」が存在したが、老朽化や台風被害の影響で2002年に閉館、その後2005年に同じJALホテルズ(現・オークラ ニッコー ホテルマネジメント)運営の「パラオ・ロイヤル・リゾート」が開業した(所有は台湾企業)。また、東急不動産の関連会社パシフィック・アイランズ・デベロップメント・コーポレーションが「パラオ・パシフィック・リゾート(1984年開業)」を運営している。
また、美しい海やサンゴ礁と合わせて、第二次世界大戦時に沈んだ船舶や航空機を売りにしたスクーバダイビングも盛んであり、多くのダイビングショップがあるほか、日本などからダイビングツアーも企画されている。本島の近くにも多くの離島があり、元プロレスラーのアントニオ猪木が名誉オーナーの通称「イノキアイランド」という、保護大型シャコガイが多数生息する離島が存在する。
メディア
放送
地上波のテレビ放送は行われていない。PNCC(パラオ国営通信公社、Palau National Communications Corporation)等の事業者がケーブルテレビを運営しており、主に米国のコンテンツを中心とした国際チャンネルが放送されている[102]。
ラジオ放送はAMとFM(エコパラダイスFM)の2系統で国営放送が運営されているほか、民間放送2社がFM放送を実施している[102]。
インターネット
固定ブロードバンドの提供事業者はPNCCと民営事業者パラオ・テレコム(Palau Telecoms)の2社である。移動体通信は、PNCCの子会社パラオセル(PalauCel)が国内唯一の移動体通信事業者である[102]。国別コードトップレベルドメインは.pwである。
新聞・出版
交通
道路
自動車は右側通行であるが、日本から輸入された右ハンドルの日本製中古車が多く走っている。
首都マルキョクや国際空港があるバベルダオブ島には、周回道路「コンパクト・ロード」がある。バベルダオブ島とその南西のコロール島の間は、KBブリッジ(Koror-Babeldaob Bridge、正式名称「日本・パラオ友好の橋」)で繋がっている。
KBブリッジを渡りコロール島に入ると、島を東西に横断する道路に接続する。メイン・ストリートと呼ばれるこの道路の沿道には商業施設が建ち並び、パラオの経済的中心地である。メイン・ストリートを西に進むと、橋を経由して国立病院があるアラカベサン島や港があるマラカル島に陸路で渡ることができる。
交通信号機がない[105]ため、歩行者も道路の横断には注意が必要である(横断歩道はある)。
タクシーは、市内で流しのタクシーを拾うのは難しいため、ホテルやショッピングセンター、レストランなどから乗車するか、電話で呼び出すのが一般的である[105]。空港にタクシーは待機していない[105]。
公共交通機関としては、JICAの支援で2024年から運用を開始した路線バスが、コロール、マルキョク周辺を平日に運行している[106][107]。
航空
成田国際空港からバベルダオブ島のパラオ国際空港(ロマン・トメトゥチェル国際空港)への直行便を、2025年10月29日からユナイテッド航空が運航している。かつてデルタ航空が運航していた成田からの直行便は2018年5月5日に廃止された。
日本航空は2025年3月21日に5年ぶりにパラオ行のチャーター便(成田発)を運航した[108]。
グアムやマニラの間にユナイテッド航空が、中華航空は台北から、アシアナ航空はソウルから定期便を就航させている。グアムとの間には1日1便または2便直行便が就航している。
国内線としては、数社が小型飛行機やヘリコプターを使って、バベルダオブ島からペリリュー島およびアンガウル島に定期便を毎日運航している。
船舶
貨物船、クルーズ船など大型船舶はコロールの外港としてパラオ唯一の国際港であるマラカル島のマラカル港(マラカル商業港、Malakal Commercial Port)が使用される。パラオ港、コロール港とも呼ばれる。コンテナハンドリング施設はあるが、陸上コンテナクレーンはない。
ペリリュー島、アンガウル島など離島との交通手段には定期船、チャーター船が使われている。コロールではコロール旅客フェリーターミナルがあり、ペリリュー島、アンガウル島行きの定期船がある[109]。
鉄道
社会
人口
| 人口推移 | ||
|---|---|---|
| 年 | 人口 | ±% |
| 1995 | 17,225 | — |
| 2000 | 19,129 | +11.1% |
| 2005 | 19,907 | +4.1% |
| 2010 | 20,717 | +4.1% |
| 2015 | 17,661 | −14.8% |
| 2020 | 17,614 | −0.3% |
| Source: パラオ政府[111] | ||
パラオでは、海外へ移住するパラオ人と1990年代初頭から海外からの非パラオ人の移住という二つの現象が起きている。パラオ人は人口の70%程度で、他に1990年代からフィリピン人労働者が多い。日系パラオ人は全人口の25%を占めるともいわれている[112]。
1970年の人口規模は1万数千人で、海外移住者は2,500人以上であったと推定されており、この年以降も数百人規模で海外移住が行われている。特に1972年以降に大規模な海外移住が始まっている[113]。この背景としては、パラオでは高等教育を受ける機会が限られ、高学歴者を吸収する部門も限られていることが考えられている[114]。
2005年時点の人口は19,907人で、このうち約6,000人がフィリピンやバングラデシュ出身の外国人労働者だった[57]。州別では人口の半数以上がコロール州に集中しており、残りの州は数百人程度に留まる[57]。一方、2006年のマルキョクへの首都移転や、2007年のコンパクト・ロード完成以降は、アイライ州をはじめ郊外地域への人口移動が進んでいる[115]。
2020年度の国勢調査[116]では、人口17,614人のうち、パラオ国外の出身者は5,922人だった。外国籍の人口で最も多かったのはフィリピン(3,211人)であり、バングラデシュ(652人)、中国(433人)と続き、日本国籍の人口は148人だった。
言語
公用語はパラオ語と英語で、パラオ語はパラオでもっとも使われている言語(65.2%; 2015年推定)でもある[3]。次いで英語(19.1%)、フィリピン語(9.9%)、中国語(1.2%)、ミクロネシア諸語(1.9%)が使われる[3]。
日本統治時代に教育を受けたパラオ人は、日本語で不自由無く意思疎通ができるレベルに達している者が多い。また、パラオ語にはかつての統治国の言語に由来する借用語が多く存在し、日本語に由来する語彙も日常的に用いられている。
宗教
主な宗教はキリスト教で、カトリックが46.9%、プロテスタントが30.9%。他にカトリックと伝統宗教が融合した新宗教モデクゲイが5.1%、イスラム教が4.9%と続く(2020年推定)[3]。
教育
義務教育は小学校(8年制)と高校(4年制)の12年間である[117]。就学前教育としては幼稚園とヘッドスタートがある[118]。国内の高等教育機関はパラオ地域短期大学のみである。2025年現在、小学校は17校(公立15校、私立2校)、高校は5校(公立1校、私立4校)存在している[119]。赤道近くに位置するため、一年を通じて気温は28度前後であり、四季はない代わりに雨期と乾期がある。それゆえ小学校では、夏休みが2か月半と長く、年末年始の休みは10日間、イースター休暇(日本の春頃の休み)は1日となっている[117]。
ただ、ミノル・ウエキによるとケネディ大統領の時代、アメリカ本土やハワイ、グアムの大学に通うことも可能だったという[26]。
医療
医療施設として、唯一入院施設のある国立病院のほか、私立クリニックが2か所、地域医療センターが10か所あるが、医者は30人のみ(2017年時点)と人手不足が問題化している[118]。医療上の問題としては少子化、糖尿病、未成年の喫煙、高肥満率などが挙げられる[118]。疾病は高温多湿のため消化器系疾患が多く、感染症もしばしば確認されている[120]。
文化
生活面ではアメリカの影響を強く受けているが、伝統的価値観も残っており、地域社会ではカブリールと呼ばれる血縁集団を基礎としている[121]。カブリールの集合をレングッドといい、レングッドにはアバイという集会場が設置される[121]。母系制を特徴としており、土地や伝統的貨幣の継承、男性首長の就任など、伝統においては女性が主導的役割を担っている[44]。集団の根拠地にはそれぞれ、資源の管理や儀礼などの様々な場面でシュウカンと総称される慣習があり、社会的に重要視される国民文化とみられている[121]。
食生活はタロイモやキャッサバなどの芋類を主食とし、バナナやココナッツなどの果実、魚介類も多く消費されるが、食料は輸入頼りであり、嗜好の変化の影響もあって米や小麦、麺類などの輸入も増えつつある[59][118]。食事の欧米化が進んだことで、肥満化が進んでおり、2010年時点で肥満率は81%と世界でも上位の肥満国となっている[118]。
娯楽の中心は映画やテレビ、ラジオであり、「エコパラダイスFM」はエフエム東京(TFM)と日本航空などが協力し設立されたラジオ局で、TFMの一部番組もネットされている。
音楽
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伝統音楽は1960年代半ばの時点で存続が危ぶまれていたが、1970年代以降はエソルス(集会歌)やダラン(風刺詩誦詠)といった伝統音楽の復興を目指す動きが見られる[122]。現代では伝統音楽のほか、現代ポップスや外来の歌が人気で、カラオケ文化も盛んである[122]。日本の影響を強く受けており、ラジオではしばしば日本の流行歌が放送されるほか、デレベエシールという日本の影響を受けた音楽ジャンルも知られる[122][123]。
世界遺産
2023年現在、パラオの世界遺産として登録されているのは、以下の一つだけである[124]。
祝祭日
| 日付 | 日本語表記 | 現地語表記 |
|---|---|---|
| 1月1日 | 元日 | New Year's Day |
| 3月15日 | 青年の日 | Youth Day |
| 5月5日 | 敬老の日 | Senior Citizens Day |
| 6月1日 | 大統領の日 | President's Day |
| 7月9日 | 憲法記念日 | Constitution Day |
| 9月 第1月曜日 | 労働者の日 | Labor Day |
| 10月1日 | 独立記念日 | Independence Day |
| 10月24日 | 国連の日 | United Nation's Day |
| 11月 最終木曜日 | 感謝祭 | Thanksgiving Day |
| 12月25日 | クリスマス | Christmas |
スポーツ
- サッカー
パラオ国内ではサッカーが最も人気のスポーツとなっており[要出典] 、2004年にパラオサッカーリーグが創設された。パラオサッカー協会によって構成されるサッカーパラオ代表は、FIFAワールドカップやOFCネイションズカップには未出場である。
- 野球
1920年代の日本による委任統治時代に持ち込まれ、1927年には日本人との試合が行われた記録がある[126]。かつては人気スポーツであったが、他のスポーツの人気拡大などに伴って人気は低迷している[127]。
実力は周辺諸国の中では抜きん出ており、パシフィックゲームズ野球競技では全ての回でメダルを獲得している[127]。しかしながら、オリンピックやワールド・ベースボール・クラシックには未出場である。
- オリンピック
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脚注
注釈
- ↑ 以下は、1973年(昭和48年)12月18日に開催された参議院外務委員会での社会党の田英夫参議院議員の質問。
これはパラオですが、五人の大体五十過ぎの人たちですが、全部日本語で話してくれましたので非常に意思の疎通が早かったわけですが、この人たちは皆日本の軍隊に強制的に徴用され、パラオ挺身隊という名前をつけられてニューギニアに連れていかれた。仲間の多くは現地で死んでいるわけであります。この人たちが口々に訴えましたのは、自分たちの仲間の遺骨はいまだにニューギニアにある。
- ↑ 島の数や有人島の数は資料によって異なり、約340(有人島8)とするもの[50]、386(有人島9)とするもの[51]、約600(有人島12)とするもの[52]などがある。
- ↑ 大統領は2期連続して務めた後も間をあけて立候補することができる[62]。
- ↑ コロール地区を本拠地とする最高位首長はアイバドール、マルキョク地区を本拠地とする最高位首長はルクライと呼ばれる[66]。在パラオ日本国大使館は「酋長」の語を用いている[67]。
- ↑ アジア開発銀行、アフリカ・カリブ海・太平洋諸国、化学兵器禁止機関、国際移動通信衛星機構、国際オリンピック委員会、国際海事機関、国際開発協会、国際金融公社、国際原子力機関、国際赤十字赤新月社連盟、国際通貨基金、国際復興開発銀行、国際捕鯨委員会、国際民間航空機関、国際連合教育科学文化機関、国際連合食糧農業機関、国際連合貿易開発会議、国際労働機関、小島嶼国連合、世界保健機関、赤十字国際委員会、太平洋共同体、太平洋諸島フォーラム、南太平洋地域貿易経済協力協定、列国議会同盟など[3][48]。
- ↑ 以下は、NPO法人日本パラオ国際交友協会のサイトに掲載されているパラオの第7代・第9代大統領トミー・E・レメンゲサウ・ジュニアからのメッセージとされる文章である。
NPO法人日本パラオ国際交友協会は、パラオにおいて国際コンベンションセンター、リゾート施設、老人ホーム、ゴルフ場などの大規模開発を謳う オーシャン・デヴェロップメント・カンパニー と同じ代表者である。(第一次世界大戦後から第二次世界大戦)終戦までの日本は、数万人に及ぶ日本人入植者をパラオに送り込み南洋庁を作り、私たちパラオ人のために様々な教育や産業を伝えました。それは後に、パラオ独立のための貴重な原動力となりました。そして現在でもパラオの長老たちは日本のことを「内地」と呼び、世界で最も親日感情が高い国、といっても過言ではないのです。 — 「パラオ大統領からのメッセージ 親愛なる日本の皆様に」、日本パラオ国際交友協会、2018年6月3日閲覧。 - ↑ パラオ政府の年度はアメリカと同様に前年10月1日から始まる[98]。
出典
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- ↑ “世界の国旗・パラオ”. トスパ東京製旗株式会社. 2025年4月17日閲覧。
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- 1 2 3 須藤 2011, p. 600.
- 1 2 3 廣瀬 2014b, p. 159.
- 1 2 坂上&八田 1990, p. 233.
- ↑ 須藤 2011, p. 601.
- ↑ 須藤 2011, pp. 601–602.
- 1 2 3 須藤 2011, p. 602.
- 1 2 3 森岡純子. “パラオにおける戦前日本語教育とその影響” (PDF). 立命館法学別冊 ことばとそのひろがり (4) 山口幸二教授退職記念論文集: 339頁. 41684195 2007年10月24日閲覧。.
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- ↑ 須藤 2011, p. 607.
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- ↑ 小林泉「南洋群島と日本による委任統治」『島嶼研究ジャーナル』第9巻第1号、笹川平和財団、2019年。「日本の南洋群島統治は、国際連盟により幾つかの制約条件を課せられて、統治を委任された。よって、「南洋群島は植民地ではなかった」という言説があるが、そのように言い切るには、植民地の定義を大幅に限定しておく必要があるだろう。そもそも「植民地」といえば、古くはイギリス人が渡った北米や豪州のように、一民族が別の地に出向いて移住・開拓した土地を意味していた。それが、帝国主義時代に入ると、搾取対象や自国領土の拡張を意図して獲得した外地を植民地と言うようになったのである。先進諸国間の獲得競争の中で手に入れた従属地を、やれ海外領土だ、属領だ、保護領だ、と領有権を国際法的に正当化させようと様々な統治形式を出現させたが、いずれも異民族による力の支配であったことに変わりはない。」
- ↑ 廣瀬 2014b, p. 160.
- ↑ 須藤 2011, p. 610.
- 1 2 野嶋剛 (2018年4月4日). “日本がパラオに残したレガシーは?:ウエキ元駐日大使に聞く”. nippon.com. 2023年6月29日閲覧。
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- ↑ 「南洋島内線空路の第一便が初飛行」『朝日新聞』1941年(昭和16年)1月10日夕刊(昭和ニュース事典編纂委員会『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p147 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ↑ 「パラオ島とチモール島間の空路も開設」『朝日新聞』1941年(昭和16年)10月15日夕刊(昭和ニュース事典編纂委員会『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p147 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
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関連項目
外部リンク
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観光
その他
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