浜松鉄道とは? わかりやすく解説

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遠州鉄道

(浜松鉄道 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/03 05:58 UTC 版)

遠州鉄道株式会社
Enshu Railway Co., Ltd.
本社が入居する遠鉄百貨店
種類 株式会社
機関設計 監査等委員会設置会社[1]
略称 遠鉄
本社所在地 日本
430-8655
静岡県浜松市中央区旭町12番地の1[2]
北緯34度42分16.5秒 東経137度44分0秒 / 北緯34.704583度 東経137.73333度 / 34.704583; 137.73333座標: 北緯34度42分16.5秒 東経137度44分0秒 / 北緯34.704583度 東経137.73333度 / 34.704583; 137.73333
設立 1943年昭和18年)11月1日
業種 陸運業
法人番号 5080401000702
事業内容
  • 鉄道事業
  • 一般乗合旅客自動車運送事業
  • 一般貸切旅客自動車運送事業
  • 不動産業 ほか
代表者
  • 代表取締役社長 丸山晃司
資本金
  • 38億円
(2023年3月31日現在)[3]
発行済株式総数
  • 7200万株
(2023年3月31日現在)[3]
売上高
  • 連結: 1865億2700万円
  • 単独: 337億8500万円
(2023年3月期)[3]
営業利益
  • 連結: 37億2000万円
  • 単独: 4億3100万円
(2023年3月期)[3]
経常利益
  • 連結: 43億7500万円
  • 単独: 15億5600万円
(2023年3月期)[3]
純利益
  • 連結: 17億9500万円
  • 単独: 12億8500万円
(2023年3月期)[3]
純資産
  • 連結: 545億7900万円
  • 単独: 268億5700万円
(2023年3月31日現在)[3]
総資産
  • 連結: 1846億9500万円
  • 単独: 1146億4800万円
(2023年3月31日現在)[3]
従業員数
  • 連結: 5,165人
  • 単独: 1,542人
(2023年3月31日現在)[3]
決算期 3月31日
会計監査人 ときわ監査法人[3]
主要株主 (2023年3月31日現在)[3]
主要子会社 (2023年3月31日現在)[3]
外部リンク https://www.entetsu.co.jp/
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遠州鉄道株式会社[4](えんしゅうてつどう、: Enshu Railway Co., Ltd.[2])は、静岡県浜松市鉄道路線1路線(遠州鉄道鉄道線)と、静岡県遠州地方を中心としたバス事業を運営している会社である。関連事業として不動産、保険、介護事業も営む。略称は遠鉄(えんてつ)。本社は浜松市中央区旭町に所在し、鉄道営業所は浜松市中央区西ヶ崎町686-1(遠州西ヶ崎駅構内)にある。

かつては普通鉄道路線として奥山線、前身の遠州電気鉄道時代には軌道線として中ノ町線笠井線も有していたが、1964年に奥山線を廃止した後は鉄道線(旧称:西鹿島線/二俣線)が残るのみである。また浜松市街では幾度か路線変更が行われている。広義の鉄道事業に含まれる索道路線としてはかんざんじロープウェイも保有している(運行は子会社の遠鉄観光開発に委託)。

乗合バス事業の詳細は「遠鉄バス」を、貸切バス・旅行事業の詳細は「遠鉄観光」(遠鉄観光バス)を参照のこと。

歴史

鉄軌道事業

現有路線

廃止路線

分社した路線も含む。奥山線以外は軌道

路線図

車両

ここでは鉄道線(西鹿島線)以外のものについては割愛する。奥山線の車両は「遠州鉄道奥山線#使用車両」を参照。

現有車両

旅客用車両として1000形電車2000形電車の2形式が在籍する。全車ともスパニッシュレッドの車体に白とグレーのラインが入った塗装で統一されている。この塗装は1983年から新製された1000形より採用されたものであるが、それ以前より赤系統の塗装が標準色であったことから、遠鉄の車両を指して「赤電」とも称され、利用客を中心とした沿線住民に親しまれている[11]。なお、現有車両に関してはと表記するが読みはがたではなくけいである。

1000形のキノコ型貫通路

地方の中小私鉄においては大手私鉄[注釈 1]より譲り受けた車両によって車両近代化を実施する例が多く見受けられるが、鉄道線(西鹿島線)における旅客用車両は電化開業当時から最新の2000形に至るまで、二俣線乗り入れ用として1958-1959年に国鉄から払い下げを受けたキハ800形を除き、自社発注のオリジナル車両で占められている点が特筆される。また、浜松は、冬の初めに吹く「遠州空っ風」など、全体的に風が強い傾向にあり、そのため遠州鉄道の車両は、全車が鋼鉄製となっている。その他共通事項としては、貫通路形状が全車とも「キノコ型(T字型・営団6000系電車などの原形と類似した形状)」である点が挙げられる。

車両の向きは制御車(クハ)が西鹿島向き、制御電動車(モハ)が新浜松向きで各形式とも統一されており、30形(モハ25・モハ51)、1000形、2000形の制御電動車(モハ)は弱冷房車に設定されている。製造メーカーは各形式とも日本車輌製造である。

1000形
1000形1001編成
遠州西ヶ崎駅付近・2010年4月)

従来車の代替を目的として、1983年(昭和58年)から1996年(平成8年)にかけて制御電動車モハ1000形1001 - 1007および制御車クハ1500形1501 - 1507の計14両が新製された、遠鉄初の3扉構造を採用したロングシート車である。

前述車体塗装とともに車体形状も一新され、30形とは異なり全体的に直線を基調としたデザインとされている。前面形状は中央部分を大きく取った3面折妻形状で、上下にそれぞれ後退角を設けている。大型化された前面窓内側には電動式の大型行先表示幕が設置されている。前部標識灯(前照灯)ならびに後部標識灯(尾灯)は1つのケースに収められて左右腰部に設置され、台枠部分にはアンチクライマーを有する。側面は3扉化に伴って窓配置がd1D3D3D1となったほか、客用扉幅が1,300 mmに縮小された。また、30形においては腰部に設置されていた側面行先表示幕が幕板部に移設され、前面と同様電動幕となったことによって、30形における「新浜松⇔西鹿島」といった終起点表示方式から行先を単独表示する仕様に改められた。その他、側窓のユニット構造化ならびに客用扉のステンレス化といった改良が加えられている。

主要機器の仕様は30形モハ51-クハ61のそれを踏襲しているが、空気制動装置が遠鉄において初採用となる電気指令式ブレーキ(発電制動併用HRD-1D)に変更された関係で、モハ51-クハ61を含む従来車との併結は不可能となった。冷房装置は30形新製冷房車同様に分散型冷房装置を1両当たり3基搭載するが、冷房装置カバーが3基の冷房装置を覆う一体形状に改められた点が異なる。

本形式は末尾同番号のモハ・クハで2両編成7本を組成し、4両編成運用時においては本形式同士のほか、後述の2000形との併結運用も行なわれる。

2021年(令和3年)1月に同月27日をもって1001編成が引退すると報じられ、同月20日から引退記念のヘッドマークを掲げて運行し[12]、27日の西鹿島8時48分発の第48列車を持って運用を離脱、引退した[13]。1001編成はその後本形式で初の廃車となり解体され、2023年(令和5年)1月現在は6編成12両が運用されている。

2000形
2000形2003編成
遠州西ヶ崎駅 - 積志駅間(2010年4月)

1999年(平成11年)3月に登場。2001編成(モハ2001-クハ2101)は同年4月5日より営業運転を開始し、現在に至るまで増備が続いている新形式であり、2024年(令和6年)12月現在モハ2000形2001 - 2009・クハ2100形2101 - 2109の計18両が在籍する。形式称号の「2000」には「21世紀に向けての新型高性能電車」の意味が込められている。

車体構造は1000形とほぼ同様であるが、制御装置に遠鉄初となるIGBT素子を用いたVVVFインバータ制御(1C2M2群方式)を採用した。制御装置・主電動機ともに三菱電機製であるが、従来東洋電機製造製の電装品を主に採用した遠鉄にあって、三菱製の電装品の採用もまた初のことであった。制御装置のVVVF化に伴って停止用制動に回生制動が採用され、省エネルギー化ならびにメンテナンスフリー化を実現した。その他、パンタグラフにシングルアーム式のものを採用した。

車内設備もおおむね1000形に準じているが、客用扉窓の固定支持方式がHゴム固定から金属枠固定となり、扉窓が若干角ばった形状に変更されたほか、座席モケット色も変更となった。また、バリアフリー対応としてクハ2100形の乗務員室後部、助士席側が車椅子スペースとなっており、当該部分に座席は設置されていないことから、モハ・クハで座席定員が異なる。

2001年(平成13年)に増備された2002編成(モハ2002-クハ2102)より、運転機器が従来の主幹制御器(マスコン)と制動弁が別個となったツーハンドル方式から、それらを一体型としたワンハンドルマスコン方式に改良された。さらに2008年(平成20年)に増備された2004編成(モハ2004-クハ2104)においては、制動装置が純電気ブレーキ仕様に改良され[要出典]、制御装置も三菱製MAP-124-75V187(1C2M2群方式)に変更された。

2012年(平成24年)に増備された2005編成からは、台車の軸箱支持方式が従来の円錐積層ゴムばね式から軸梁式に変更となった。さらに2015年(平成27年)に増備された2006編成では、車内案内表示器が遠州鉄道初のLCD式に変更された。以後、既存編成についても入場検査の際に、車内案内表示器がLCD式に交換される予定である[14]

2001編成は、2019年春にインバータ(MAP-122-75V328)とSIV(NC-GBT70B)の機器更新を行った。

2021年令和3年)に増備された2008編成では、方向幕が遠州鉄道初の発光ダイオード (LED)に変更された。 2024年(令和6年)に増備された2009編成では、LEDの前照灯が採用された。

本形式も1000形同様に末尾同番号のモハ・クハで2両編成4本を組成し、4両編成運用時においては本形式同士のほか、1000形との併結運用も行なわれる。

2016年(平成28年)4月1日、地元企業であるユタカ技研の創立30周年を記念して、2002編成の車体全面を青色にラッピングした「青電」が登場した。これはユタカ技研のコーポレートカラーが青色であることから、話題作りの一環として企画されたもの。遠鉄において車両の全面ラッピングは史上初。2017年(平成29年)3月末まで運行された[15]

また同編成は2018年(平成30年)2月13日から2019年(平成31年)3月まで、車体全面にビレッジハウス広告の水色ラッピングを施されていた[16]

2018年(平成30年)10月11日、サーラグループ電力流通事業展開を始めてからの累計契約申込件数3万件突破を記念して、2005編成の車体全面を同クループのコーポレートカラーである緑色にラッピングした「緑電(みどでん)」が運行を開始した[17]

事業用車両

旅客用車両諸元

形式 30形
モハ30形・クハ80形
1000形
モハ1000形・クハ1500形
2000形
モハ2000形・クハ2100形
編成 2両(1M1T)[注釈 2]
電気方式 直流750V
軌間 1,067mm
営業最高速度 70km/h
全長 18,820mm[注釈 3] 19,000mm
全幅 2,740mm 2,730mm
電動機 日本車輌製造 NE-90[注釈 4] 東洋電機製造 TDK-8095-A 三菱電機 MB-5081-A
主電動機出力 112kW[注釈 4] 120 kW
台車 トーションバー台車
日本車輌製造 ND507
インダイレクトマウント式空気ばね台車
日本車輌製造 ND306[注釈 5]
ダイレクトマウント式空気ばね台車
ND309・ND309T
ダイレクトマウント式空気ばね台車
ND309・ND309T[注釈 6]
ボルスタレス台車
ND711・ND711T[注釈 7]
ボルスタレス台車
ND728・ND728T(円錐積層ゴムばね)
ND746・ND746T(軸梁式)
駆動方式 吊り掛け駆動 中空軸平行カルダン駆動 WN駆動
歯車比 4.38[注釈 4] 5.31 7.07
力行制御 2S2P永久直並列抵抗制御
弱め界磁制御
抵抗制御
直並列組合せ制御
弱め界磁制御
VVVFインバータ制御
制御装置 - 東洋電機製造
ACDF-M4120-777B
三菱電機
モハ 2001、モハ 2002:MAP-122-75V328[注釈 8]
モハ 2003:MAP-122-75V79A
モハ 2004 以降:MAP-124-75V187
制動方式 発電制動併用
中継弁付自動空気制動 AMAR-D[注釈 9]
発電制動併用
電気指令式空気制動 HRD-1D
T車遅れ込め制御
回生制動・発電制動併用
電気指令式空気制動 HRDA-1
T車優先遅れ込め制御
備考 データはモハ51・クハ61

過去の車両

  • モハ1形 - 1923年 日本車輌製造本店製。当時の遠州電気鉄道が改軌・電化の際に導入。
  • サハ101形
  • モハ6形
  • モハ11形
  • モハ13形
  • モハ15形 - 1953年7月 ナニワ工機(のちのアルナ工機、現:アルナ車両)製。
  • モハ21形 - 1956年6月 ナニワ工機製。
  • モハ22形 - 1957年7月 ナニワ工機製。
  • クハ51形
  • クハ53形
  • クハ61形
  • クハ71形
  • モワ200形
  • レカ1形
  • キハ800形
  • ED21形
30形
30形モハ30-クハ80編成
(新浜松駅、2005年7月)
30形モハ51-クハ61編成
(西鹿島駅、2006年7月)
30形クハ85を先頭とする4両編成の列車
(さぎの宮駅 - 積志駅間、2015年7月)

車両近代化ならびに旧型車の代替を目的として、1958年(昭和33年)から1980年(昭和55年)にかけて制御電動車モハ30形16両(モハ25 - 39・51)・制御車クハ80形12両(クハ61・79 - 89)の計28両が新製された。

増備の途上において車両番号(車番)が30番台・80番台には収まらなくなったことから、モハ30形についてはモハ39の次に増備された車両をモハ30と付番し、以降モハ29・28・27…といった具合に逆順で車番が付されている[注釈 10]。また、クハ80形についてはモハ30形同様の付番方式によってクハ89・80・79まで増備されたのち、1978年(昭和53年)に増備された付随車は空番となっていたクハ85が付番された[注釈 11]。さらに最終増備編成についてはモハ51-クハ61と、従来車とは全く関連性のない車番が付されている。

全車とも2扉ロングシート構造であり、大幅な前面形状改良が加えられた最終増備編成を除いて湘南型の前面形状で統一されている。客用扉は1,200 mm幅の片開扉とされたが、1967年(昭和42年)製造のモハ30-クハ80以降1,400 mm幅の両開扉に改められ、それに伴って窓配置にも変化が生じた。その他、前面アンチクライマーならびに行先表示幕の有無やアンチクライマーの形状、前面の行先表示器、運転台構造(当初は半室運転台構造であったが、1973年(昭和48年)製造のモハ28より全室運転台に改められた)の差異など、製造年次別による形態の差異が存在する。初期車には前面の排障器(スカート)が装備されていなかったが、後の増備車に合わせて取り付ける改造が施されている。第1編成(モハ31-クハ81)は後の増備車と比べて車体長が若干短く、側面の窓が一枚少ないという特徴が見られた。

車体塗装は当初グリーンとクリーム色のツートンカラーであったが、踏切事故対策として1961年(昭和36年)12月よりスカーレット一色塗装に改められた。この塗装は以降の増備車ならびに従来車にも普及し、「赤電」の愛称の由来となった[11]。後年、1000形に準じた塗装に変更され、現在に至る。

完全新製車と従来車の機器を流用して新製された車両(以下「機器流用車」)が存在し、モハ29・36 - 39ならびにクハ79・86 - 89が後者に該当する。最終的には全車とも2両編成(36 - 39はモハ同士の全電動車編成、その他はモハ-クハの組み合わせによるMT編成)を組成したが、モハのみ・クハのみの新製や編成の組み替えなどにより落成当初とは異なる編成相手と組成された車両も多く、モハとクハで形態が大きく異なる編成も存在する。

主要機器については完全新製車と機器流用車で異なり、完全新製車についても製造年次による変化があるものの、モハ51-クハ61を除いて全車とも吊り掛け駆動方式で統一されている。モハ25-クハ85は1978年(昭和53年)に新製されているが、同編成は遠鉄のみならず、完全新製の旅客用車両としては日本国内の普通鉄道においてノーズ・サスペンション方式の吊り掛け駆動方式を採用した最後の車両である[注釈 12]。なお、モハ51-クハ61は遠州鉄道初のカルダン駆動車として新製された。ただし、前述吊り掛け駆動車を含めて制動装置はWABCO系の自動空気ブレーキで統一されており、制御装置の動作シーケンスの一部に互換性はない[注釈 13]が指令線は共通化されているため、駆動方式や制御装置の差異に関係なく併結が可能である。また、モハ36 - 39を除き全車とも停止用発電制動を常用し、減速時においても吊り掛け駆動独特の唸り音が生じる。

なお、本形式は制動方式等の相違から後述の1000形・2000形と併結して運用することは不可能である。

当初は非冷房仕様で増備が進められたが、前述モハ25-クハ85ならびにモハ51-クハ61は落成当初より冷房装置を搭載し、非冷房車についても順次冷房改造が実施された。新製冷房車が分散式冷房装置を1両当たり3基搭載しているのに対し、冷房改造車は集中式冷房装置を1両当たり1基搭載している点が異なる。また、冷房改造施工時期と廃車時期が重複していたことから、冷房改造を受けることなく廃車となった車両も存在する。

1980年(昭和55年)よりモハ31-クハ81を皮切りに廃車が開始された。2015年(平成27年)1月にモハ27-クハ89が退役し、これにより片開きドアと半室構造の運転台、トーションバー台車を装備した車両が全て姿を消し、同線に残る吊り掛け駆動車はモハ25-クハ85の1編成を残すのみとなった。さらに同年4月には30形の定期運用が消滅して予備車となり、本線で走行する機会が大幅に減少した[18]

2018年(平成30年)2月の2000形(2007編成)増備を前に、まず2017年(平成29年)11月30日、モハ51-クハ61編成が同年12月16日にラストランとなり、2018(平成30)年1月に廃車されることが公式に発表された[19]。30形最後の残存車となったモハ25-クハ85編成も同年4月28日から30日までラストランを行い[20]、その後に廃車・解体された。

モハ25-クハ85の廃車により30形は形式消滅となり、2扉、吊り掛け駆動を使用する営業車両が遠州鉄道から全て姿を消した。

車両数の変遷

モハ21 モハ30 クハ80 モハ1000 クハ1500 モハ2000 クハ2000 計(冷房車)
1982-1983 1 15 11 27(4)
1984-1985 13 11 1 1 26(6)
1986 11 11 2 2 26(8)
1987 11 11 2 2 26(10)
1988 11 11 2 2 26(20)
1989 10 10 3 3 26(22)
1990-1993 9 9 4 4 26(24)
1994 9 9 5 5 28(26)
1995-1996 8 8 6 6 28(28)
1997-1998 7 7 7 7 28(28)
1999 7 7 7 7 1 1 30(30)
2000-2001 6 6 7 7 1 1 28(28)
2002-2004 6 6 7 7 2 2 30(30)
2005-2006 5 5 7 7 3 3 30(30)
  • 事業用車除く
  • 1982・1983年は1月1日時点、1984年以降は4月1日時点。
  • 『私鉄車両編成表』各年版(ジェー・アール・アール)

駅・改札設備

鉄道線では磁気式の乗車券を導入していないため、磁気券を読み取る方式の自動改札機は存在しない。ICカード乗車券ナイスパス」のカードリーダー、および駅係員・車掌の改集札で対応している。JRや他の私鉄で利用できる交通系ICカード「Suica」「TOICA」「PASMO」などは使用出来ない[21]

2025年3月1日より、タッチ決済機能付きクレジットカードなどでの乗車が可能となった[22]。対応のカード会社は、VISAJCBAmerican ExpressDiners Club、Discover、銀聯カードとなっている。MasterCardは同年6月11日に追加された[23]

無人駅や、有人駅で係員が不在の時間帯では車掌や運転士が改集札に当たり、全降車客のナイスパスの読み取り及び乗車券の回収を行なう。しかし4両編成での運転時は無人駅にも職員が派遣され、降車客の集札にあたる。

これは4両編成の場合、編成長が約70mと長く、車掌と運転士による集札だけでは時間がかかり発車が遅れてしまうためである。単線で12分間隔の運転という高密度なダイヤで運行しているため、発車が遅れてしまうとダイヤ全体への影響が出てしまう。

自動券売機は各駅に2台以上が全駅に設置されている。

新浜松駅、遠州西ヶ崎駅、浜北駅、西鹿島駅を除く各駅には、ホームに番号がついていない。相対式ホームでは行先の案内で目的のホームを判断し、片面ホーム島式ホームでは列車の方向幕によって乗車する列車を判断することになる。

新浜松駅と西鹿島駅には発車メロディが、遠州病院駅(ラッシュ時のみ使用)には発車ベルが導入されているほか、接近放送が導入されている駅では接近メロディが流れる。なお中間駅では基本的には乗務員の吹笛により発車する。

バス事業

一般路線バス・高速バス事業

本節の詳細は「遠鉄バス」を参照のこと。

なお、1997年12月25日に浜松市は全国初の「オムニバスタウン」に指定されている。

貸切バス・ツアーバス・旅行事業

本節の詳細は「遠鉄観光」を参照のこと。

特徴的な施策

基本的にはバスの施策は「遠鉄バス」にて、鉄道線の施策は「遠州鉄道鉄道線」にて述べるが、ここでは、両者に共通する事項を述べる。なお、ETカードナイスパスえんてつカードなど、各種カードに関連する事項は当該記事を参照のこと。

  • 1998年7月1日に、浜松市のオムニバスタウン施策を受け、浜松市内外を問わず、バス・電車全線では同日より初乗り運賃を150円(バス)・120円(電車)から一斉に100円に引き下げた[24]。この際、バスでは100円区間の次が160円などと飛ぶことの無いよう、120円 - 150円の間にも10円単位で運賃を設定した[注釈 14]。これは、全国的に利用者が減少基調にある公共交通機関における、利用者増の実験を兼ねたものだが、バスでは9%の、鉄道線では3%程度の利用者増と、実験は成功した。ただし双方共利用者は増えたものの値下げにより運賃収入は減っている。なお、初乗り運賃引き下げ自体は飽くまでも試験運用ではなく当初から本格運用として実施された。これは日本初の事例である。その後の消費税率の引き上げに伴い、2015年10月1日現在より初乗りは120円となっている。そのほか、高速バス空港リムジンバスを除く路線バスでは運賃区界の増設や上限運賃700円(2014年3月31までは630円、同年4月1日から2019年9月30日まで650円)制定が実施されたため、100円 - 630円の範囲内において、110円[注釈 15]を除く全ての運賃が10円単位で制定されていた[注釈 16]が、2014年4月1日からの消費税増税に伴い鉄道線では150円 - 460円の区間において10円、路線バスでは170円 - 490円の区間において10円、500円 - 630円の区間において20円値上げされたため、現在では110円のほかに170円、510円とも設定されていない。
  • 車内LED案内表示器の設置されていない30系電車を除く、全ての鉄道線車両、一般路線バス車両・e-wing車両・コミュニティバス車両において、見えるラジオを受信し、ニュースや天気予報などを流していた。見えるラジオは2014年3月31日で終了した。このほか、広告等も流れる。詳細は「遠鉄バス#LED表示器」を参照。
  • 読み方が難しいものについては、ひらがなに置き換えている。
    • 鷺宮→さぎの宮、聖隷回り 富塚循環→せいれいまわり 富塚じゅんかんなどが挙げられる。

関連事業

遠鉄では営業成績の多くを運輸事業以外の関連事業で稼ぎ出しており、本体で国内企画旅行(運輸事業部)、不動産(不動産事業本部)[25]、保険代理業(保険グループ)[26]、介護サービス事業(介護事業部)[27]といった関連事業を直営しているほか、浜松市を中心に運輸・流通・観光事業など13の関連会社を擁し、企業集団「遠鉄グループ」を形成している。経営理念は「地域とともに歩む、遠鉄グループ」。グループ全体の営業規模では中小私鉄のトップであり、準大手私鉄よりも多い[28]。中小私鉄で連結売上高が1000億円を超える鉄道事業者は日本では遠鉄を含めてわずか3社のみである[注釈 17]

グループ会社においては、遠鉄ストア2016年(平成28年)3月期売上高563.71億円[2])と遠鉄百貨店(2016年(平成28年)3月期売上高352.50億円[2])は本体を上回る売上を上げているほか、ネッツトヨタ浜松も2016年(平成28年)3月期売上高204.69億円[2]を上げるなど自動車販売業のウエイトが高いのも特色となっている。遠鉄グループの自動車販売業への参入は1967年と歴史は古く、不動産事業やスーパーマーケット事業への進出、ターミナルビルの建設よりも早くに参入した[29]

2008年9月1日よりグループ共通のポイントカード「えんてつカード」が運用開始となった。また、テレビCMも放映され、三重県出身の歌手西野カナの『stamp』という曲が使われている。

株主は特記なければ遠州鉄道(株)。※印は消滅した会社。

運輸事業

ウェルネス事業

不動産事業

リテールサービス事業

モビリティサービス事業

その他事業

社歌

参考文献

脚注

注釈

  1. ^ 主に東急電鉄西武鉄道などが多い。
  2. ^ 30形のうち、モハ29を除く機器流用車は全電動車編成(2M編成)を組成した。
  3. ^ モハ31・クハ81は17,820mm、モハ35は18,830mm。
  4. ^ a b c 過去においては日本車輌製造NE-55(出力68kW、歯車比5.85)、東洋電機製造TDK-528-9H(出力112kW、歯車比3.71)、TDK-528-16J(出力135kW、歯車比4.33)の各主電動機を搭載した車両も存在したが、現存する車両は全車NE-90で統一されている。
  5. ^ 過去においては、日本車輌製造ND501・ND506トーションバー台車、ならびに日本車輌製造D-16、木南車輌製造K-16、住友製鋼所KS-33E、国鉄TR11(いずれも釣り合い梁式台車)を装着した車両も存在した。後年の台車交換ならびに廃車進捗に伴って、これらの台車は全て淘汰された。
  6. ^ 1001・1002編成が装着。
  7. ^ 1003編成以降が装着。
  8. ^ 2019年 - 2022年に機器更新済。もとのインバータはMAP-122-75V79。
  9. ^ 発電制動を持たない機器流用車(モハ36 - 39)の制動装置はM三動弁を採用したAMM自動空気制動であった。
  10. ^ 製造順に並べると31→32→34→36→37→38→39→33→35→30→29→28→27→26→25(→51)である。
  11. ^ 製造順に並べると81→82→83→84→86→87→88→89→80→79→85(→61)である。
  12. ^ 日本国内の普通鉄道におけるバー・サスペンション方式の吊り掛け駆動方式の採用例としては、1983年(昭和58年)製造の江ノ電1200形が最後となる。なお、日本国内における最後の完全新製の吊り掛け駆動旅客用車両は1990年(平成2年)製造の近鉄三岐鉄道モ277形であり、スペースに制約のある特殊狭軌線故に吊り掛け駆動が採用された。
  13. ^ モハ51形は1 - 3ノッチ(マスコンハンドルの目盛り位置)で抵抗制御組み合わせ制御を、他のモハ30形は抵抗制御のみ行う。4ノッチはどちらも弱め界磁制御を行う。
  14. ^ 鉄道線では初乗り120円/4kmのうちの2kmを100円に値下げした形である。
  15. ^ なお、消費税が3%から5%に上がった1997年4月1日までは鉄道線の初乗りは110円だった。
  16. ^ バス停間距離により10円単位では上がらないことも多い。
  17. ^ 残る2社は同2位の大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro) と同3位の静岡鉄道である。

出典

  1. ^ 遠州鉄道株式会社 定款 第1章第4条
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 遠州鉄道株式会社 第104期有価証券報告書 (Report). 遠州鉄道. 29 June 2016.
  3. ^ a b c d e f g h i j k l 遠州鉄道株式会社『第111期(2022年4月1日 - 2023年3月31日)有価証券報告書』(レポート)2023年6月29日。 
  4. ^ 遠州鉄道株式会社 定款 第1章第1条
  5. ^ 内藤正己「モハユニ・遠州鉄道グループがホームページを開設」『RAILFAN』第546号、鉄道友の会、1998年6月1日、27頁。 
  6. ^ 内藤正己「モハユニ・遠州鉄道が初乗運賃を100円に値下げ」『RAILFAN』第548号、鉄道友の会、1998年8月1日、21頁。 
  7. ^ 「「赤電」初乗り100円→120円へ」『静岡新聞静岡新聞社、2015年7月28日、朝刊、29面。
  8. ^ 「遠州鉄道、小田急とタッグ MaaSで浜松に誘客 企画乗車券、アプリで販売」日本経済新聞』朝刊2020年1月28日(静岡経済面)2020年2月8日閲覧
  9. ^ ウェルネス事業本部の発足についてのお知らせ” (PDF). 遠州鉄道株式会社 (2025年3月17日). 2025年5月28日閲覧。
  10. ^ 遠鉄グループ 2024 年度期末決算及び、遠州鉄道株式会社の組織変更ならびに遠鉄グループの人事異動等について” (PDF). 遠州鉄道株式会社 (2025年5月20日). 2025年6月2日閲覧。
  11. ^ a b 浜松市立中央図書館『西鹿島線の歴史展』資料、1996年。
  12. ^ “遠州鉄道、1001号編成車両が引退 1983年導入”. 日本経済新聞 電子版 (日本経済新聞社). (2021年1月25日). https://www.nikkei.com/article/DGXZQOFB228N90S1A120C2000000/ 2021年1月28日閲覧. "1000形1001号編成の車両2両が老朽化のため、1月27日をもって引退する。" 
  13. ^ “遠州鉄道1001号ラストラン 新浜松~西鹿島”. 静岡新聞. (2021年1月28日). オリジナルの2021年1月28日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210128002214/https://www.at-s.com/news/article/topics/shizuoka/855760.html 2021年1月28日閲覧。 
  14. ^ 2003号-2103号編成 車内液晶画面が付きました!”. 遠鉄電車(赤電)公式サイト内「赤電ブログ」. 遠州鉄道 (2017年8月12日). 2018年4月27日閲覧。
  15. ^ 赤電が「青」に 遠鉄西鹿島線、初の全面ラッピング」『静岡新聞』静岡新聞社、2016年4月1日。2016年4月2日閲覧。
  16. ^ 本日から新ラッピング車両運行開始です!”. 遠州鉄道 遠鉄電車(赤電)公式サイト内「赤電ブログ」 (2018年2月13日). 2018年4月27日閲覧。
  17. ^ サーラグループ × 遠州鉄道 遠鉄みどり電車『通称:みどでん』運行スタート!”. サーラクラブ事業局 サーラクラブ:「サーラカード」の情報サイト. 2018年10月12日閲覧。
  18. ^ 【遠州鉄道】吊り掛け車が定期運用終了”. 鉄道ホビダス RMニュース. ネコ・パブリッシング (2015年4月22日). 2020年2月8日閲覧。
  19. ^ 遠州鉄道の旧型車30形が2018年1月に廃車…ラストランは12月16日”. レスポンス. イード (2017年12月1日). 2020年2月8日閲覧。
  20. ^ 【遠州鉄道】25編成〈勇退記念特別列車〉運転”. 鉄道ホビダス RMニュース. ネコ・パブリッシング (2018年5月1日). 2020年2月8日閲覧。
  21. ^ 遠鉄 どうして他社IC使えないの:中日新聞しずおかWeb”. 中日新聞Web. 2022年11月12日閲覧。
  22. ^ 2025年3月1日(土)より、遠鉄電車の全駅・バスの全車両で クレジットカード等のタッチ決済による乗車サービスを開始します』(PDF)(プレスリリース)遠州鉄道/三井住友カード/ジェーシービー/レシップ/QUADRAC、2024年12月3日https://www.entetsu.co.jp/release/20241203_entetsu.pdf2025年3月17日閲覧 
  23. ^ クレジットカード等のタッチ決済による乗車サービスで、「Mastercard」が利用可能になります!”. 遠州鉄道 (2025年6月3日). 2025年6月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年6月29日閲覧。
  24. ^ 遠州鉄道株式会社 有価証券報告書 第96期(平成19年4月1日 ‐ 平成20年3月31日)9頁より
  25. ^ 遠鉄の不動産(2020年2月11日閲覧)
  26. ^ 遠鉄の保険(2020年2月11日閲覧)
  27. ^ 遠鉄の介護サービス(2020年2月11日閲覧)
  28. ^ 鉄道業界 売上高ランキング(2017-18年)”. gyokai-search.com. 業界動向サーチ. 2019年10月12日閲覧。
  29. ^ 「鉄道以外」で99%を稼ぐユニーク私鉄、遠州鉄道と静岡鉄道を大解剖!”. ダイヤモンド・オンライン. 2020年2月9日閲覧。
  30. ^ a b c d e 沿革”. 遠州鉄道. 2020年9月25日閲覧。
  31. ^ 株式会社フルタフーズ”. 遠州鉄道株式会社. 2025年5月28日閲覧。
  32. ^ 遠州鉄道株式会社による静岡トヨタ自動車株式会社の株式取得について (PDF) - 遠州鉄道、2018年5月1日
  33. ^ a b 「遠鉄の静岡トヨタ、ネッツ浜松 7月統合、経営効率化」静岡新聞@S(2020年1月29日)2020年2月11日閲覧
  34. ^ 会社案内”. 静岡トヨタ自動車株式会社. 2025年5月28日閲覧。
  35. ^ 株式会社遠鉄自動車学校|遠鉄グループ企業概要 - 遠州鉄道株式会社
  36. ^ 「遠州鉄道の社歌 自筆の譜面発見 故服部正さん作曲」『日本経済新聞』朝刊2019年11月29日(静岡経済面)2020年2月11日閲覧
  37. ^ 遠鉄グループソング(2020年2月11日閲覧)

関連項目

外部リンク


遠州鉄道奥山線

(浜松鉄道 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/11 21:48 UTC 版)

奥山線
亀山トンネル跡(元城 - 広沢)
概要
現況 廃止
起終点 起点:遠鉄浜松駅
終点:奥山駅
運営
開業 1914年11月30日 (1914-11-30)
廃止 1964年11月1日 (1964-11-1)
所有者 浜松軽便鉄道→浜松鉄道→
遠州鉄道
使用車両 使用車両の節を参照
路線諸元
路線総延長 25.7 km (16.0 mi)
軌間 762 mm (2 ft 6 in)
電化 直流600 V 架空電車線方式
(遠鉄浜松 - 曳馬野間)
路線図
テンプレートを表示
停車場・施設・接続路線(廃止当時)
浜松電気鉄道:中ノ町線
二俣電車線
-0.1 板屋町駅 -1932?
遠州浜松駅 -1985
鉄道線) 1985-
-0.1 東田町駅 1932?-1958
0.0 遠鉄浜松駅 1958-
二俣電車線
0.3 北田町駅
0.4 田町口駅 -1945頃
0.8 元城駅
亀山隧道
1.4 広沢駅
2.1 名残駅
2.5 池川駅
2.8 上池川駅
3.6 住吉駅
4.0 銭取駅
4.9 幸町駅
6.2 小豆餅駅
7.0 追分駅
8.2 曳馬野駅
9.1 三方原駅
10.4 豊岡駅
11.7 都田口駅
13.2 谷駅
14.5 祝田駅
国鉄二俣線
15.9 金指駅
17.3 岡地駅
国鉄:二俣線
18.0 気賀口駅
19.4 正楽寺駅
20.1 井伊谷駅
21.4 四村駅
22.5 田畑駅
23.8 中村駅
24.8 小斎藤駅
25.7 奥山駅

奥山線(おくやません)は、かつて静岡県西部、浜松市の遠鉄浜松駅(現・遠州病院駅)から三方原台地を北上して日本国有鉄道(国鉄)二俣線金指駅を経由し、引佐町(現・浜松市浜名区)の奥山駅との間を結んでいた、遠州鉄道の鉄道路線。軌間762 mmの軽便鉄道

元は浜松鉄道(開業当時は浜松軽便鉄道)という、遠州鉄道とは別の私鉄だったが、戦後に合併し遠州鉄道の奥山線となった[1]。また1950年昭和25年)に途中の曳馬野まで電化され、曳馬野以北からの気動車と併結運転(協調運転ではない)したりもしていた[2]

戦後のモータリゼーション到来により業績を落とし、1963年(昭和38年)の区間廃止を経て、翌1964年(昭和39年)に全線廃止された[1]

路線データ

※浜松側の起点を遠鉄浜松に変更時

歴史

開業と延長

浜松北方にあたる金指は高速交通が通っておらず(国鉄二俣線の開業は昭和に入ってから)、また引佐郡の奥山には半僧坊大権現で知られた方広寺があったため、鉄道建設が待たれていた。加えて沿線の三方原はの産地でもあり、貨物需要も見込まれた。このため、中村忠七や石岡孝平をはじめとした浜松・引佐郡の有志により浜松軽便鉄道株式会社が設立され[1]大正に入った1914年(大正3年)に、まず浜松市街北西部の元城から金指までが開通した。1915年(大正4年)5月には、社名を浜松鉄道株式会社に改称し、本社を元城駅に置いた[1]。同年9月には当初の起点となった板屋町に乗り入れた[1]。同年に金指から気賀(後に気賀口)まで2.16 km延長している[1]

ここまでは建設も順調だったが、気賀から奥山までは、用地買収のトラブルや浜松鉄道自体の経営難から難航し、1923年(大正12年)4月にようやく奥山まで全通した[2][1]。なお、気賀から奥山への路線の途中で分岐し井伊谷村より伊平村までの支線を設ける予定であったが実現されなかった[1]

機関車はドイツのコッペル社製のもので[2]、煙突の形がらっきょうに似ていることから「らっきょう軽便」「ラッキョ軽便」の愛称で市民に親しまれ、新しく開通したトンネルは、浜松地方最初のトンネルとして珍しがられた[1][3]

浜松鉄道社紋

沿線の変動

大正末期から昭和初期にかけて、沿線に陸軍浜松飛行隊第7連隊(現・航空自衛隊浜松基地])等が設置され、旅客・貨物とも軍事輸送が加わり、需要が伸びた(上池川駅を聯隊前駅、小豆餅駅を飛行聯隊前駅、曳馬野駅を廠舎口駅と称した時期がある)。さらに、沿線には中学校師範学校があり軍人や生徒の利用もあった[1]太平洋戦争直前の1941年(昭和16年)には広小路建設の支障となるため、浜松側の起点を板屋町から東田町へと改めている[2]

1938年(昭和13年)、国鉄二俣西線(後の国鉄二俣線、現・天竜浜名湖鉄道天竜浜名湖線)は金指乗り入れを果たし、浜松鉄道と交差することとなった。このようなケースでは、後から開業した線が陸橋等を築いて昔からの線を跨ぐのが通例だが、二俣線の場合は国鉄東海道本線の非常時迂回線とされていたことからか、先に開通した浜松鉄道の方が陸橋を建設し、地平を通る二俣線を跨ぐ構造となった。この陸橋の遺構は長く残っていたが、2021年(令和3年)に道路工事に伴い撤去された。

国鉄二俣線(現在の天竜浜名湖鉄道)を越えていた陸橋跡(金指 - 岡地)

遠州鉄道との合併、そして廃線

1943年(昭和18年)に陸運統制令で浜松地区の鉄道事業者は合併して遠州鉄道になったが、浜松鉄道は経理上の都合でこれに加わらず、戦後の1947年(昭和22年)になって、三方原台地の下を走り、起点も近い遠州鉄道と合併し、奥山線となった[2]。その3年後には、合理化の一環として小豆餅変電所を竣工し、曳馬野までが600 Vで電化され、曳馬野以北の列車との併結運転も行われるようになった[4][1]1951年(昭和26年)には非電化区間での蒸気機関車を全廃、気動車に切り替えた[3][5]

しかし浜松という地方中核都市の鉄道で、沿線には中学校師範学校があるものの、それ以外を見ると奥山方広寺への参拝客には限りがあり、三方原は開発が遅れており人口が少なく[1]、さらに遠州鉄道になってからも軽便鉄道のままで貨物輸送も低調(奥山線自体が国鉄と接していないため、荷物の積み替えなどの手間が増えるために敬遠された)で、開業当時から続いていた赤字体質は変わらなかった。そのため電化を計画したり、値下げを行ったり、軌道自動車(単端式気動車)の運行を実施したりといった努力を続けた[1]1958年(昭和33年)には離れていた二俣電車線遠州浜松駅と東田町駅を統合して遠鉄浜松駅とした[2]1950年代までは、直通運転や高速化、運転本数増などで乗り切ってきた奥山線だが、それでもモータリゼーションの前では苦戦を強いられ、1963年(昭和38年)の気賀口以北の廃止を経て[注釈 1]、翌1964年(昭和39年)10月31日限りで姿を消すこととなった。

年表

  • 1912年明治45年)
    • 3月5日:鉄道免許状下付(浜松市-引佐郡気賀町間、引佐郡金指町-同郡奥山村間、引佐郡井伊谷村-同郡伊平村間)[7]
    • 10月1日:浜松軽便鉄道株式会社設立[8][9]
  • 1914年大正3年)11月30日:浜松軽便鉄道として元城 - 金指間が開業[10]
  • 1915年(大正4年)
  • 1918年(大正7年)1月23日:鉄道免許失効(引佐郡井伊谷村-同郡伊平村間 指定ノ期限内ニ工事ニ着手セサルタメ)[13]
  • 1920年(大正9年)6月5日:鉄道免許失効(浜松市紺屋町-同市板屋町間 期限迄ニ工事施行認可申請ヲ為サルタメ)[14]
  • 1923年(大正12年)4月15日:気賀 - 奥山間7.7 kmが開業して全通[15]
  • 1929年昭和4年)
    • 3月28日:電力工事認可(東田町-気賀間)[8]
      • 計画は電化と同時に元城町 - 池川間の線路を付け替え、1067 mmへの改軌・国鉄への貨車直通まで企図した大規模なものであった。この際の用地買収による土地の区割りへの痕跡が現在も残っている。
    • :内燃動力併用開始[8]
  • 1941年(昭和16年):浜松側の起点を、板屋町から東田町に移転[2]
  • 1947年(昭和22年)5月1日:遠州鉄道に合併、同社奥山線となる[2]
  • 1950年(昭和25年)12月21日:東田町 - 曳馬野間を電化[3]
  • 1951年(昭和26年):曳馬野 - 奥山間を気動車化し、無煙化達成[5]
  • 1952年(昭和27年)
  • 1954年(昭和29年):岡地停留所の営業再開[16]
  • 1957年(昭和32年):元城駅の新駅舎竣工[16]
  • 1958年(昭和33年)6月1日:起点の東田町を遠鉄二俣電車線の遠州浜松と統合し、遠鉄浜松に改称[2]
  • 1963年(昭和38年)5月1日:気賀口 - 奥山間7.7 kmを廃止[17]
  • 1964年(昭和39年)11月1日:遠鉄浜松 - 気賀口間18.0 kmを廃止[17]。全線廃止[18]

使用車両

電車
  • モハ1001 - 1929年昭和4年)日本車輌製のレカ1または2が戦災を受けたため、1949年(昭和24年)に富士産業半田製作所で電車として新造扱いで再生したもの[2]
  • モハ1002 - 1929年日本車輌製のレカ4が戦災を受けたため、1949年に富士産業半田製作所で電車として新造扱いで再生したもの[2]
  • モハ1003 - 1929年日本車輌製のレカ3が戦災を受けたため、1949年に富士産業半田製作所で電車として再生したもの[2]
  • モハ1004 - 1930年日本車輌製のレカ5を、1949年に富士産業半田製作所で電車として再生したもの[2]
気動車
  • キハ1801
  • キハ1802
  • キハ1803
  • キハ1804
ディーゼル機関車
  • DC1901 - 1952年(昭和27年)、遠州鉄道元城工場でC1906をディーゼル化したもの[2]
蒸気機関車
  • B1901
  • B1902
  • B1903
  • B1904
  • B1905
  • C1906 - 1946年(昭和21年)沼尻鉄道C93を譲り受け8に改番、その後C1906へ改番。1952年にディーゼル機関車DC1901に改造された。
  • C1907 - 旧宇和島鉄道6→国鉄ケ2241948年(昭和23年)に譲り受け9に改番、その後C1907へ改番。
客車付随車
  • ハ19・21 - 1923年大正12年)沼尻鉄道に譲渡、ボハ6・ボハ7に改番。
  • ハ1154 - 1917年(大正6年)名古屋電車製作所製のハ6が出自[2]
  • サハ1102 - 1922年(大正11年)雨宮製作所製のハ12が出自[2]
  • サハ1103 - 元佐世保鉄道(現・松浦鉄道)の客車で、1948年(昭和23年)に譲渡を受けた[1]
  • サハ1104 - 1923年岡部鉄工所製の佐世保鉄道ハ9が出自で、国有化で鉄道省ケコハ488となったものを1948年に譲渡を受けた[2]
  • サハ1108 - 1925年大日本軌道深川工場製のハ1が出自[2]
  • サハ1109 - 1914年(大正3年)の開業時に用意された大日本軌道深川鉄工部製のハ2が出自でその後ハ1152に改番、ブレーキ管が取りけられ、サハ1109となった[2]
  • サハ1110 - 1923年日本車輌製のハ13が出自[2]
  • サハ1112 - 1918年(大正7年)雨宮製作所製のハ7が出自[2]

保存車両 

唯一の現存車両として、尾小屋鉄道に譲渡されたキハ1803が小松市立ポッポ汽車展示館動態保存されている[19]

車両数の推移

年度 機関車 内燃動車 電車 客車 貨車
蒸気 内燃 有蓋 無蓋
1915-1916 3 7 2 4
1917-1919 4 7 2 6
1920-1921 4 8 2 8
1922 4 12 2 8
1923 5 14 2 10
1924 6 14 2 10
1925-1928 5 14 2 10
1929-1937 5 5 14 2 10
1946 7 1 9 3 1
1950 7 1 9 30 10
1953 1 1 2 4 9 25 10
1957 0 1 4 4 10 24 10
1959 1 4 4 23 24 9
  • 鉄道院年報、鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計各年度版、高井薫平『軽便追想』ネコパブリッシング、1997年、213頁

駅一覧

接続路線の事業者名・駅の所在地は奥山線廃止時点のもの。

駅名 駅間キロ 営業キロ 接続路線 所在地
遠鉄浜松駅 - 0.0 遠州鉄道:二俣電車線 浜松市
北田町駅 0.3 0.3
元城駅 0.5 0.8
広沢駅 0.6 1.4
名残駅 0.7 2.1
池川駅 0.4 2.5
上池川駅 0.3 2.8
住吉駅 0.8 3.6
銭取駅 0.4 4.0
幸町駅 0.9 4.9
小豆餅駅 1.3 6.2
追分駅 0.8 7.0
曳馬野駅 1.2 8.2
三方原駅 0.9 9.1
豊岡駅 1.3 10.4
都田口駅 1.4 11.7
谷駅 1.4 13.1
祝田駅 1.4 14.5 引佐郡 細江町
金指駅 1.4 15.9 日本国有鉄道二俣線 引佐町
岡地駅 1.4 17.3 細江町
気賀口駅 0.7 18.0
井伊谷駅 2.1 20.1 引佐町
四村駅 1.3 21.4
田畑駅 1.1 22.5
中村駅 1.3 23.8
小斎藤駅 1.0 24.8
奥山駅 0.9 25.7

かつて奥山線が通っていた自治体

2005年(平成17年)現在。運行当時の自治体名とは必ずしも一致しない。

浜松市(旧細江町引佐町域を含む)

廃線の遺構

クリエート浜松北側の奥山線線路敷跡。遊歩道として整備されている。(2012/12)
  • 浜松都心部では再開発のため、起点の遠鉄浜松駅付近の面影は失われているが、クリエート浜松北側に線路跡をなぞった歩道が整備されている。そこから旧元城駅間は軌道上に住居が建設されている。
  • 北田町駅跡は「みどり公園」という小公園となっており、傍らには「奥山線 北田町停車場跡」と記載された碑が建っている[20]
  • 元城駅跡は、「ホテルコンコルド浜松」という名の大きなホテルになっている[21]
  • 広沢駅跡は、マンションの敷地になっており、右下に「広沢駅」と記載され、電車が駅に停車しているシーンを描いたモニュメントが建てられている[21]
    • 広沢駅跡から奥山方の線路跡は約300 mに渡って、1989年平成元年)に浜松市によって「奥山線跡地緑道」として整備されている[20]。この道の途中には「奥山線広沢トンネル跡」の看板が立つ[20]、道路が奥山線を乗り越していた立体交差のトンネルが残存している[20][21]。またその附近の公園には「奥山線 線路跡(ラッキョ軽便)」と記載された碑が建ち[20]、動輪や天に向かって走る機関車のオブジェが置かれている[22][20]。歩行者専用道路自体はこの先銭取駅跡附近まで約3 kmに渡り続いている[20][21]
    • 歩行者専用道路の終点の銭取駅から奥山方の線路跡は、1997年(平成9年)時点では都田口駅跡附近までは拡幅され、自動車も通れる大きな市道[23]に転用され、痕跡は無くなっている[21]
  • 幸町駅跡は遠鉄タクシーの営業所に、小豆餅駅跡は遠州鉄道経営のアパートとなっていた[21]。幸町駅跡には、「奥山線 幸町駅跡」と記載された碑と駅の説明が記載された看板が立てられている[21]
  • 曳馬野駅跡は遠州鉄道三方原営業所となり[23]、バス転回場としても利用されていたが[21]、1997年(平成9年)時点では遠鉄ストア(初生店)となっており[21]、さらに広大な駐車場の一角に「奥山線 曳馬野駅跡」と記載された碑と駅の説明が記載された看板が立てられている[24]
  • 谷駅跡附近に築堤と小さな鉄橋が残存していた[21]。中部電力遠江変電所の前にある[21]
    • 谷駅跡附近の築堤から祝田駅跡附近までの線路跡は住宅地へ転用されているが、2007年(平成19年)8月時点では住宅地の脇にある林の中の僅かな区間に線路跡と思われる小道があった[20]。また、当駅跡附近から金指駅間の線路跡は、1997年(平成9年)時点では国道257号などの道路の拡幅により失われている[21]
  • 最大の遺構といえたのが、金指駅西方の国鉄との立体交差跡である。その前後の築堤は削られたが、古びたコンクリート橋だけは2021年に撤去されるまで長く残っていた。ここから西へしばらくは国鉄二俣線の北側を並んで走っていたため、現在も天竜浜名湖鉄道の道床脇には細長い空き地が続く。
  • 岡地駅跡には石積みのホーム擁壁が残存し[22][20]、附近の民家が使用中である[20]
  • 気賀口駅跡はハローワークの敷地になっており、当駅についての説明板も立てられていた[20]。また、岡地駅跡近くの気賀高校附近から当駅跡附近までの線路跡は2007年(平成19年)8月時点で国道362号に転用されている模様である[20]
  • 正楽寺駅跡附近から小斎藤駅跡手前附近までの線路跡が道路に転用されていて、線路跡の雰囲気が残っている[21]
  • 井伊谷駅の奥山方の、神宮寺川を渡る「神宮寺川橋梁[22]」が道路橋として再利用されており[21]、2007年(平成19年)8月時点では橋桁、ガーダー共に使用中である[22]
  • 四村駅跡は、奥山線の駅跡で唯一駅舎が残存していて、しばらくして民家に転用された[24][22]が、2010年(平成22年)の何年か前に取り壊された[24]。2010年(平成22年)時点では空地になっている[24]
  • 中村駅跡地の奥山方にあった神宮寺川を渡る鉄橋も道路橋として再利用されており[21]、レンガ積みの橋脚がそのまま再利用されていた[21]。橋の附近、川のたもとに「浜松軽便鉄道奥山線」の表題の、現役当時の写真や路線図が記載された案内板が建てられている[22][20]
  • 奥山駅跡は、遠鉄バス車庫になっている[21]

脚注

注釈

  1. ^ 新聞発表が当日の朝だったことから車内は空席が目立ち奥山駅でも見送り風景もみられなかったという[6]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 山田亮『静岡県の私鉄 昭和〜平成の記録』アルファベータブックス、2024年、113頁。ISBN 9784865989045 
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 安藤功『ヒギンズさんが撮った静岡県の私鉄』アルファベータブックス、2025年、178-191頁。 ISBN 9784865989212 
  3. ^ a b c 70年のあゆみ|第1章”. 遠州鉄道80周年記念サイト. 遠州鉄道. 2025年7月11日閲覧。
  4. ^ 年表”. 遠州鉄道80周年記念サイト. 遠州鉄道. 2025年7月11日閲覧。
  5. ^ a b 浜松市史 四 p.289
  6. ^ 須藤修太郎「遠州鉄道の一部廃止」『RAILFAN』No.115、10頁
  7. ^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1912年3月8日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  8. ^ a b c 『地方鉄道及軌道一覧 : 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  9. ^ 『日本全国諸会社役員録. 第21回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  10. ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1914年12月7日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  11. ^ 「軽便鉄道運輸開始並哩程異動」『官報』1915年9月25日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  12. ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1916年1月12日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  13. ^ 「軽便鉄道免許一部失効」『官報』1918年1月23日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  14. ^ 「軽便鉄道免許一部失効」『官報』1920年6月5日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  15. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1923年4月19日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  16. ^ a b c d 浜松市史 四 p.704
  17. ^ a b 和久田康雄『私鉄史ハンドブック』電気車研究会、1993年、p.112
  18. ^ “奥山線の軌跡たどる 浜松・中区で歴史展”. 静岡新聞(静岡新聞社). 2014年10月31日
  19. ^ (旧)尾小屋鉄道のキハ3が「なかよし鉄道」で運行”. 鉄道ホビダス. ネコ・パブリッシング (2019年8月6日). 2025年7月11日閲覧。
  20. ^ a b c d e f g h i j k l m 寺田裕一『新 消えた轍 6 中部』(ネコ・パブリッシング、2011年5月発行)p.76
  21. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 宮脇俊三(編著)『鉄道廃線跡を歩くIII』(JTB、1997年5月発行)pp.92-93
  22. ^ a b c d e f 寺田裕一『私鉄の廃線跡を歩くII 関東・信州・東海編』(JTBパブリッシング、2008年1月発行)pp.44-47。
  23. ^ a b 静岡新聞社(編)『今は昔 しずおか懐かし鉄道』(静新新書、2006年6月発行)pp.85-87
  24. ^ a b c d 『新 鉄道廃線跡を歩く3』pp.128-129

参考文献

関連項目

外部リンク




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