遠州鉄道との合併、そして廃線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 06:03 UTC 版)
「遠州鉄道奥山線」の記事における「遠州鉄道との合併、そして廃線」の解説
浜松鉄道は戦後の1947年(昭和22年)、三方原台地の下を走り、起点も近い遠州鉄道と合併し、奥山線を名乗るようになった。その3年後には、合理化の一環として曳馬野までを600Vで電化、曳馬野以北の列車との併結運転も行われるようになった。1951年(昭和26年)には非電化区間での蒸気機関車を全廃、気動車に切り替えた。また1958年(昭和33年)、起点を遠鉄二俣電車線の遠鉄浜松駅に統合している。 しかし浜松という地方中核都市の鉄道ではあるものの、沿線人口が当時それほど多くなく、また遠州鉄道になってからも軽便鉄道のままで貨物輸送も低調(奥山線自体が国鉄と接していないため、荷物の積み替えなどの手間が増えるために敬遠された)で、開業当時から続いていた赤字体質は変わらなかった。1950年代までは、直通運転や高速化、運転本数増などで乗り切ってきた奥山線だが、それでもモータリゼーションの前では苦戦を強いられ、1963年(昭和38年)の気賀口以北の廃止を経て、翌1964年(昭和39年)10月31日限りで姿を消すこととなった。
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