遠州鉄道発足まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 08:54 UTC 版)
遠鉄バスの営業エリアにおいて、初めて乗合自動車の運行が行なわれたのは、1918年に浜松自動車が浜松と二俣(現在の遠州鉄道鉄道線に引き継がれ、現在の浜松の市内交通の嚆矢)、森と袋井を結ぶ路線を運行開始したのが始まりである。翌1919年に湖西自動車が鷲津と三ヶ日を結ぶ路線を運行開始、1920年には本多一明が浜松から掛塚を経由して磐田に至る路線を開設したほか、万歳自動車が浜松自動車の路線の引継ぎや気賀・弁天島方面への路線を開設した。浜松自動車はこの時に廃業している。1921年には坂下自動車商会が浜松と宇布見を結ぶ路線の営業を開始しており、これらが遠鉄バスのルーツとなる路線といえる。 1923年から1929年までにかけては小規模なバス事業者が乱立したが、路線が競合することも多くなったことから、各社間協議の上統合の方向に進むことになる。1929年に笠井自動車(1923年創業)・万歳自動車・遠州自動車(1924年創業)・坂下自動車の4社が合併して浜松自動車(1920年に廃業した浜松自動車とは別)が成立し、車体の色も銀色に揃えたことから「銀バス」とも呼ばれた。今日でも遠鉄バスのベースカラーは銀色であるが、この時からはじまったものといえる。1933年には、掛塚自動車(1924年創業)が寺田自動車商会(1924年創業)とキング自動車(1924年創業)を買収したほか、静岡電気鉄道からも一部の路線を譲り受けて規模を拡大した。また、1931年には遠州自動車商会と秋葉自動車商会が合併し、遠州秋葉自動車として設立されたが、同社は1937年に高木安治が運行していた水窪線・佐久間線を買収し、北遠地区全域に路線網を拡大した。 一方、1907年には浜松鉄道が発足し、同社の路線は1919年に遠州電気鉄道に事業継承されているが、この地域に発達したバス路線網と鉄道線の競合が激しくなった。自社鉄道線の防衛のため、1927年に遠州電気鉄道もバス事業に参入した。遠州電気鉄道は周辺バス事業者の買収や資本参加などで次第に営業エリアを拡大していった。また、同時期に軽便鉄道路線を運行していた浜松電気鉄道も、競合していた秋葉自動車運輸と合併することでバス事業に参入した。 他方、浜松市内では、大正時代から市営による乗合バスの運行計画が何度か立案されていたが、財政事情や社会情勢から見送られていた。1936年、浜松市では浜松循環自動車と中田島自動車を買収し、5路線で市営バスの運行を開始している。 日中戦争の勃発によりガソリンの供給規制が行なわれると、不要不急の路線は廃止され、工場や勤労奉仕者の輸送に重点が置かれるようになった。1942年には戦時統合の運輸省通牒により、静岡県内を3ブロックに分割した上で統合するように指針が示された。これを受けて各社間で調整が行なわれ、6社の合併と4社の営業譲渡により新会社を設立することとなり、1943年に遠州鉄道が発足したのである。
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