遠征と死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 02:09 UTC 版)
クィエトゥスとバッリスタが東方に残って支配を固める一方、大小マクリアヌス父子は東方属州の軍団を率いてアジアからヨーロッパに進軍した。しかし261年、彼らはトラキアでアウレオルスに敗れ、共に戦死した。ヨハネス・ゾナラスによれば、マクリアヌス父子の軍団はアウレオルス軍に包囲され、パンノニア軍団を除き降伏してしまった。そこでマクリアヌスは、アウレオルスのもとに連行される前に、息子と共に自分を殺させたという。残るクィエトゥスも、後にパルミラの支配者オダエナトゥスに殺害された。
※この「遠征と死」の解説は、「大マクリアヌス」の解説の一部です。
「遠征と死」を含む「大マクリアヌス」の記事については、「大マクリアヌス」の概要を参照ください。
- 遠征と死のページへのリンク