遠征の失敗とは? わかりやすく解説

遠征の失敗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/22 16:37 UTC 版)

フランスのアイルランド遠征」の記事における「遠征の失敗」の解説

それから4日間、ブーヴェ艦隊強風打たれ続け海岸近づくには、岩だらけの海岸で船を壊すという大きな危険が伴った。錨をなくし、太索(錨索)は切れ、多くの艦が強風受けて、ウエスタンアプローチズに散らばった 。他の船も破損した11月29日にクルックヘヴン(英語版)の近く通り過ぎたエリスというアメリカの船が、風のためマスト倒れ甲板乗員散らばった状態で激しく揺れている船と遭遇したエリス船長ハーベイ報告したところによると、船に近づいたものの、嵐のために救出が困難で、船長見ているうちに船は座礁し壊れてしまった。この船はフランス44門艦アンパシエント(英語版)で、すべての乗員550人のうち、助かったのは7人のみだった。ハーベイまた、フランスレヴォルシオン英語版)とフリゲート艦シェヴォラ(英語版)に出会った時のことも詳しく述べている。40門のレイジー(低舷艦)シェヴォラのピエール・デュマノワール・ル・ペリー(英語版艦長が、艦がだめになる前に乗員下船させているところだった。この艦は悪天候で今にも沈没しようとしていた。また、レヴォルシオン見つけたのはエリスだけではなかった。アイルランドへの到着大幅に遅れていたフラテルニテも、これらの艦と出会い、シェヴォラが壊れるのを目撃した。この艦は壊れるとすぐに燃やされてしまった。 ブーヴェ旗艦アンモルタリテも、嵐が吹きすさぶ沖合流されていた。風が落ち着いた12月29日ブーヴェ侵攻計画の破棄決めた目に見える範囲内の艦に信号送り南西ブレストへ向かうよう命令した一部の艦はこの信号を受け損ねシャノン川沖合合流するのを待っていたが、こういった艦は少数派でしかも四散しており、また度重なる嵐のため、上陸不可能だった物資少なくなってきたせいもあり、これらの艦も方向変えてブレスト目指した、そこへまた天候悪化した遠征軍帰港する一方で、ド・ガレとオッシュ12月30日バントリー湾に着いた。しかし艦隊の姿はそこになかった。彼らの食糧もほとんど底をついており、フラテルニテレヴォルシオンも、他の艦同様に帰国せざるを得なかった。この侵攻計画へのイギリス側の対応不十分なままで、12月31日スピットヘッド着いたコルポイズは、指揮下のわずか6隻の艦にその時でも、フランスと戦うべく戦闘隊形取らせていた。そして、コーク基地としていた、ロバート・キングスミル少将指揮下のわずかな艦、主にジョージ・ラムスダイン艦長パリフィーマスフリゲート戦隊が、フランス艦隊阻止したパリフィーマスフランス輸送艦ジュスティーヌ12月30日捕らえ、そのすぐ後にジェイソンフランス輸送艦シュフラン拿捕したが、このシュフランその後フランスフリゲート艦タルトゥに再拿捕された。

※この「遠征の失敗」の解説は、「フランスのアイルランド遠征」の解説の一部です。
「遠征の失敗」を含む「フランスのアイルランド遠征」の記事については、「フランスのアイルランド遠征」の概要を参照ください。

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