放送期間中の出来事とは? わかりやすく解説

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放送期間中の出来事

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 20:42 UTC 版)

笑っていいとも!増刊号」の記事における「放送期間中の出来事」の解説

1982年10月4日から『笑っていいとも!放送開始本放送開始からは20日後の1982年10月24日より『笑っていいとも!』のダイジェスト番組として本番放送開始番組開始当初オープニングは、対象の週の通常の放送VTRであり、放送開始とともに番組テーマ曲である「ウキウキWATCHING」に合わせてタモリいいとも青年隊が歌うシーン流されつつ出演者スタッフロール流された(「笑っていいとも!ロゴ出た後に「増刊号」のテロップ飛んでくる)が、サビ最後映像静止画となり、観客拍手の音が大きくなりテーマ曲演奏終えここで制作著作テロップ出た(その直後CM)。1990年代に入ると、タイトル増刊号独自の3DCG入れるようになり、演奏終えたCM入らずそのまま曜日レギュラー登場するシーンナレーションかぶせて最初のコーナー移っていた。 番組開始当初作家嵐山光三郎が「増刊号編集長」として、一週間ダイジェスト案内役出演しており、ゲスト嵐山トークコーナー番組最後には「編集後記」ならぬ「編C後記」というコーナーがあった。嵐山1987年10月をもって降板し、2代目として関根勤末期金曜レギュラー)に引き継いだ。更にアシスタントとして当時フジテレビアナウンサーであった岩瀬惠子が就く。岩瀬関根に「顔が服部まこ似ている」と評され、「服部なまこ」というアダ名つけられていた。 放送ライブラリーで、1989年1月15日放送分が視聴可能である。 2004年初頭より、「いいとも!」に縁の深い大物芸能人が「増刊号特別責任編集長」に就任し、「曜日対抗いいとも!選手権」のゲームや「各曜日日替わりコーナー」など番組内での想い出等を語るコーナー新設されたが、2004年9月終了した毎年8月最後の週に放送されている『24時間テレビ』(日本テレビ)には、久本雅美香取慎吾 (SMAP)、草彅剛 (SMAP)、南明奈ベッキー大島美幸森三中)などが生出演していたが、本番組は予定通り放送された。 年末年始の『増刊号スペシャル』では、『特大号』の名場面ダイジェスト放送している。また、年に1度、『FNSの日』の中で「増刊号スペシャル」として放送されるまた、爆笑問題2人裏番組の「サンデージャポン」(TBS)の生放送終了してから『増刊号』に出演するため、毎年終了時間近く十数分程しか出演できないのがお決まりである。 オープニングは、番組開始当初から2000年平成12年3月30日までは、『いいとも!』レギュラー放送5日分(1週間)の中でタモリいいとも青年隊が「ウキウキWATCHING」(作詞小泉一郎作曲伊藤銀次)を歌っている様子そのまま紹介していた。『いいとも!』のタイトルロゴもそのまま出た後、「増刊号」の文字横から飛んでくる形のタイトルロゴだった。2009年10月11日放送分からオープニング簡略化に伴い、「ウキウキWATCHING」のテーマ曲乗せてタモリ登場するオープニングシーンは廃止され番組スタートからいきなり日替わりコーナー突入する形に変更された。 このため番組タイトルロゴ画面左上部表記される形に変更された。 2004年平成16年7月11日には『緊急生放送 笑っていいとも!増刊号 選挙SP』がお台場フジテレビ本社屋より生放送され増刊号特別企画いいとも!総選挙』として、各曜日から推薦され若手お笑い芸人5組番組登場し携帯電話による視聴者投票で1位になった者が次週の『増刊号』で特別に自分のコーナー持てるという特別企画行い青木さやか 87,956票が1位となり当選となった月曜日推薦青木さやか 87,956票 火曜日推薦チャイルドマシーン 32,880水曜日推薦BOOMER 33,472木曜日推薦オジンオズボーン 59,791票 金曜日推薦スピードワゴン 83,2062004年の「FNS27時間テレビ めちゃ2オキてるッ! what A wide awakewe are! 楽しくなければテレビじゃないじゃ〜ん!!」での「増刊号スペシャル」では、ナインティナイン岡村隆史が『テレフォンショッキング』の司会・進行務めタモリテレフォンゲストとして初登場した(矢部浩之ナインティナイン)と火曜日レギュラー中居正広 (SMAP) は客席観覧していた)。通常いいとも!』ではタモリ型の携帯電話ストラップ用意されるが、この時は特別に岡村型のストラップ作られていた。 新いいとも!レギュラー陣の記者会見3月末または9月末の金曜日に『いいとも!』が生放送されている新宿スタジオアルタ行われ翌週の『増刊号』でその模様放送される2005年7月31日放送分からは、新宿スタジオアルタ同年6月25日 - 7月24日の間のデジタルハイビジョン工事完了に伴いハイビジョン制作となり地上デジタル放送ではデジタルハイビジョン放送開始した地上アナログ放送ではサイドカット放送となる。 2009年10月4日放送分からは金曜日レギュラーである関根勤オードリー若林正恭春日俊彰)がナビゲート役として「いいとも! 5DAYSのコーナー開始された。 2010年2月28日当日起こったチリ大地震による日本列島大津波警報発表されたため、日本地図画面右下当番放送終了時間まで表示されていた。 2010年7月19日から23日までの1週間動画生中継配信サイトUstreamにて、11:50 - 12:00生放送開始)の間、AD隊(クルット&ハリー)の前説模様特別に配信していた。 2011年7月24日地上アナログ放送停波するのに伴い2010年平成22年7月5日から地上デジタル放送への完全移行前提に、アナログ放送の全番組画角16:9レターボックス放送移行するため、本番組もアナログ放送では2010年平成22年7月11日放送分よりレターボックス放送されている。 2010年10月10日放送分より「戦場カメラマン渡部陽一のアルタ最前線!のコーナー開始し増刊号特別取材班」の戦場カメラマン渡部陽一レギュラー出演した。2011年4月3日放送分で当コーナー終了し渡部降板した。その後2011年5月6日放送分のいいとも!』日替わりコーナークイズ!お久しぶりゲストマラソン」の秘密ゲストとして出演したため、5月8日放送分の増刊号』で1か月ぶりに同コーナー復活し以降も「増刊号特別取材班」として時折出演した2011年5月1日放送分からは金曜日レギュラーである関根勤&萬田久子&ベッキーナビゲート役として、「いいとも! 萬DAYS!のコーナー開始された。 2011年7月24日、『増刊号スペシャル』が放送され、「地上デジタル放送完全移行セレモニー」として、当番コーナー進行中の正午以って地上アナログ放送終了し地上デジタル放送へ完全移行するため、その記念セレモニー番組内にて実施した地上デジタル放送完全移行数分前から説明地上デジタル放送完全移行への「いいとも!」コールなどをタモリが行い、正午東北3県を除く全国地上デジタル放送へ完全移行した正午に、アナログ放送では放送終えデジタル放送ではテーマ曲の「ウキウキWatching」のデジタル放送開始バージョンデジタルWatching」を、タモリが『FNS27時間テレビ めちゃ2デジッてるッ! -What A digital we are!- 笑顔になれなきゃテレビじゃないじゃ〜ん!!総合司会岡村隆史加えたいいともAD隊(クルット&ハリーと共に歌った正午から特別仕様番組タイトル森田一義アワー 地デジでいいとも!』が使用され、タイトルロゴのフラッグの色が赤・緑・青のRGB3原色となった地上デジタル放送移行延期され東北3県の岩手めんこいテレビ仙台放送福島テレビとは生中継をつなぎ、地上アナログ放送続いていることを説明した2012年7月21日土曜日18:30 - 翌22日日曜日20:54 までの2日間、当番組が放送開始30周年目と『FNSの日』が25周年と言う節目で、当番組をベースとした『FNS27時間テレビ 笑っていいとも!真夏の超団結特大号!!徹夜でがんばっちゃってもいいかな?』の放送決定した総合司会務めタモリ最年長である。 2013年10月22日(火曜日)の『いいとも!』エンディングにおいて、木曜レギュラー笑福亭鶴瓶が「曜日対抗いいともCUPのコーナー終了後突如登場鶴瓶が「いいとも!終わるってホンマ?」と問いかけると、タモリが「来年3月いっぱいいいとも!終わります」とコメントし2014年3月末で『いいとも!』『増刊号両番組の放送終了発表された。 2014年1月14日放送分で『いいとも!』放送回数8,000回を達成久々にタモリオープニングで番組テーマ曲ウキウキwatching」を火曜レギュラー陣ゴスペラーズと共に歌った。「テレフォンショッキング」には、1985年2月25日以来29年ぶりにとんねるずテレフォンゲストとして生出演し、その場レギュラーになることが発表された。

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放送期間中の出来事

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 08:12 UTC 版)

糸居五郎のオールナイトニッポン」の記事における「放送期間中の出来事」の解説

1971年1月17日自身50歳の誕生日)に、西銀座サテライトスタジオ特別番組50時間マラソンジョッキー』を敢行し(翌々日1月19日まで)、無事「完走」している。 CMフィラーには、Floyd Cramerの『Make It With You』、『Games People Play』、『Both Sides Now』などのインストゥルメンタル使用されていた。 最終回の数週間前にこれまでの放送思い出話や『ビバ例会』などイベントの話などをし、そして噛みしめるように「20代には20代青春が、30代には30代青春が、そして50代には50代青春がある」と語りかけた。そしてこの時、これまでの放送中一度も流したことのなかった涙を流したという。 さよなら糸居五郎のオールナイトニッポン 糸居五郎のポップス・グラフィティ 1981年6月30日自身勇退となる最終回放送は『糸居五郎のポップス・グラフィティ』と題して1部2部通して放送された(1部のみのネット局を除く)。司会当時同局アナウンサーくり万太郎演出ドン上野当時第1スタジオ(のちのラジオハウス銀河)にてリスナー数十名を招き、糸居と交遊のある放送関係者音楽関係者多数訪れた他、ゲストとして高崎一郎亀渕昭信今仁哲夫斉藤安弘などオールナイトニッポン黎明期人気DJたち、中島みゆきあおい輝彦出門英らが生放送駆けつけた。この他タモリ常木建男らからテープによるメッセージ宇崎竜童からは電報届いた。AM1:30頃からはカーペンターズイエスタデイ・ワンス・モア』をバックに、くりによる「糸居五郎ヒストリー」の朗読が行われた。 AM2:30頃から、薗田憲一デキシーランドジャズによる生演奏が行われた。 午前1時台・2時台はお祭り的な様相で、糸居はずっと立ちっぱなし忙しくゲストなど応対をしていたが、午前3時からようやくいつものワンマンDJスタイル進行戻った3時台の1曲目には『BITTERSWEET SAMBA』、2曲目にはオールナイトニッポン前身番組で糸居も担当していた『オールナイトジョッキー』のテーマ曲ナイト・メアー』をかけ、淡々とそれまで思い出語っていった。 また、当時当番組の直前オールナイトニッポン第1部(『中島みゆきのオールナイトニッポン』、この日は本番組のスペシャルのため休み)のパーソナリティ務めていた中島みゆきスタジオ入り、糸居に花束渡してその勇退見守ったまた、オールナイトニッポン黎明期ライバルとして同じ時間放送していたTBSラジオパックインミュージック』のパーソナリティ一人で、当時TBSアナウンサー林美雄もいちファンとして花束持って駆け付け生放送見守っていた。 最後の挨拶エンゲルベルト・フンパーディンクの「ラスト・ワルツ」をバックにかけ、その後世界は日の出を待っている」の生演奏スタジオを後にした。

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