代表局とは? わかりやすく解説

代表局

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/03 04:10 UTC 版)

羽根泰正」の記事における「代表局」の解説

1990年11月12日 王座戦五番勝負第4局 加藤正夫 - 羽根泰正(先番) 前年続いて加藤正夫王座への2年連続挑戦となった。第2、4、5局目が羽根先番で、前年同様先番全て高中国流布石黒7までは同じ形だが、黒9はそれまで11打っていたが、第2局目で負けたので、黒9から13右下を地にする打ち方変えてみた。次の5局目では白の加藤が白12を17-16に変え続いて12と切ることになったいずれにせよ羽根中国流模様相手追い込んで攻めることが主眼で、この後も黒19から25まで白を攻め体制にして、その後33左辺にもたれ攻め継続することになったその後黒は中央厚くし、白は右辺右上隅を荒らし、白有望となった。しかし黒は中央左上の2箇所コウにして追い上げ、白の終盤ミスもあって、黒番半目勝ち。続く第5局も黒番中押勝し、3勝2敗で初の王座となった中部総本部では島村俊廣以来王座獲得。また加藤正夫王座戦連覇記録が8で止まり1976年以来タイトル連続保持記録途絶えることとなった

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/15 22:46 UTC 版)

聶衛平」の記事における「代表局」の解説

ゴールキーパー1987年第2回日中スーパー囲碁17大竹英雄-聶衛平(先番) 聶は第13局から4人抜きして、日本主将大竹英雄との決戦となった先番聶は右辺黒石捨石にして中央厚く打ち進め97手目下辺黒1の打ち込みから黒11以下またこの石を捨石にして、中央の白石攻めて優勢確立した320手完 黒2目半勝。聶はこの碁に勝って、5人抜きで中国勝利第1回の3人抜き第3回主将戦勝利して、計9人抜きで中国3連勝立役者となった

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常昊」の記事における「代表局」の解説

世界戦初優勝第5回応昌期杯世界プロ囲碁選手権戦 決勝五番勝負第2局 崔哲瀚-常昊 第1局崔哲瀚先勝に続く第2局常昊先番序盤から激し攻防続き右下からの戦い左辺及んだところで、黒1(117手目)、5、9の頭ツケ3連発ハイライトここからコウ絡み右辺一帯の白の大石をもぎ取り179手まで黒中押勝。続いて連勝して3-1世界戦初優勝飾った2004年12月28日 崔哲瀚-常昊先番

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梶原武雄」の記事における「代表局」の解説

四人抜きで決着 東西対抗大碁戦勝抜戦第6局1950年6月27-28日) 梶原武雄六段-(先番)本因坊昭宇 この頃から梶原は「ドリル戦法」と呼ばれるようになっている東西対抗戦勝ち抜き戦では、藤沢秀行1勝の次に出場し、3人を抜いて西軍大将橋本宇太郎を残すのみとしていた。左下大斜定石新型。黒1(47手目)から進出を狙うが、白8のヤスリ攻め。黒も11切って激戦となった。白20整形したが、白24問題で、黒25から29と形を崩しながらコウ狙われ、黒がコウ立て左上隅を取り、白が中央打ち抜く振り替わりとなった。白は下辺中央黒を攻めたてながら戦い右辺及んで、白の緩手で黒優勢となるが、中央黒を追撃して逆転216手まで白中押勝。梶原は4人抜きで日本棋院勝利をもたらした坂田追い詰める12期王座戦決勝三番勝負第2局1964年10月15-16日)互先 梶原武雄八段 - (先番)本因坊栄寿名人 当時名人・本因坊坂田栄男王座戦決勝で相まみえた。三番勝負第1局先番梶原優勢に進めた坂田逆転負け喫する第2局梶原が白番で、左下梶原定石。黒1(75手目)から黒9と左辺荒らしに行くが、白10以下最強迎え撃って、白40まで突入した黒は全滅してしまい、白が勝勢となった。しかしこの後右上で黒aに白bと出たのが無用の頑張りで、白は上半分を切り取られ逆転される。さらにその後に黒が中央打ちすぎて再逆転。しかし梶原は1分碁の中で右下黒の死活間違えて無条件死のところをコウしてしまい、黒の6目半勝。坂田2-0優勝となり、悲願打倒坂田はかなわなかった。

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呉清源」の記事における「代表局」の解説

第二次藤沢朋斎十番碁第7局 5局目まで2勝2敗1ジゴ拮抗していたが、6、78、9局と呉が連勝して一気打込んだ。藤沢との対戦の中で呉はこの第7局が一番の傑作としている。 序盤左上左下で呉の得意の定石ができ、中盤で黒が中央の模様荒らした後、白は下辺黒の大石攻める。182手目の白1が史に残る妙手と言われ、これに黒が19応じると18利いて大石が死ぬ。実戦でも黒20となった時に白aの切りがあり、結局大石死んで投了1952年4月24-26日 呉清源 - 藤沢庫之助先番) 白228手まで中押勝

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/23 13:48 UTC 版)

加藤充志」の記事における「代表局」の解説

「4人抜き第8回日中スーパー囲碁第4戦 張文東-加藤充志(先番) 1993年7月21日 黒1(17手目)から3が面白コンビネーションその後上辺荒らしに来た白を攻め損ねて黒不利となるが、中盤左下コウ争い制して逆転228手まで黒11目半勝。4人抜き果たした

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/14 08:32 UTC 版)

伊藤松和」の記事における「代表局」の解説

名人所作天保12年1841年)の本因坊秀和との対局は、先相先の白番で、布石から機敏に打ち細碁持ち込んで持碁とし、一生の傑作とされる。この碁を見た丈和と井上幻庵因碩は「秀和の碁として一点非難すべきなし。然るに次郎、白を以て持碁となせるは名人所作なり」と評したという。 白1(32手目)から9が名調子で、さらに白1115軽妙に進出しつつ下辺黒に圧力をかける。すでに細碁局面で、この後黒から中央仕掛けていくが、白がうまく打ち回した秀和とは天保10年名古屋在時から互先打ち始めその後先相先弘化2年1845年)に次郎定先となった。 「古今長局天保10年1839年)の九世安井算知 (俊哲)との互先先番2目勝ちの碁は、中盤終盤大石生死を巡る劫争い延々争われ405手の長手となったことで知られ古今唯一の長局呼ばれた現在の記録1950年大手合山部俊郎-星野紀戦の411手)。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 08:37 UTC 版)

石田章」の記事における「代表局」の解説

第9期名人戦リーグ石田(黒)-林海峰戦(1984年)。左上三間高バサミ定石で、白のコスミツケに対して黒1と打ったのが新型。以下白2〜黒11進みその後激戦制して中押勝、リーグ戦ダークホースとなった

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/24 09:18 UTC 版)

古力」の記事における「代表局」の解説

李世乭破って世界戦優勝第13回LG杯世界棋王戦決勝第2局 2009年2月25日 古力-李世乭(先番)) 2009年第13回LG杯世界棋王戦決勝三番勝負で、ライバル李世乭2-0破ってLG杯では2度目世界戦5度目優勝果たした第1局古力先勝の後の第2局李世乭が黒番。右上隅の当時流行定石から上辺の黒模様大きくなり、序盤は黒が成功した。黒1(71手目)が手厚い手だが、白4で下辺、白6で左下先行することになった。黒1928へのハネ出し狙いがあるので白20守り、黒21から左辺捨て石にして、黒39まで中央を地にして微細な局面となった。黒43中央から下辺の白の分断を狙うが、白44反発し、黒aから右辺白から切断するが、白bから中央破りながら大石生き、さらに上辺黒地破れ172手までで白中押勝となった。局後の検討では、43の手上辺守っていれば半目勝負だったという。 棋戦2001200220032004200520062007200820092010201120122013201420152016応昌期杯 - 24強 - 16強 - 8強 - 30富士通× × 16強 248強 16強 16強 優勝 16強 8強 32終了 三星16強 × × 4強 16強 16強 4強 324強 優勝 準優勝 準優勝 16強 × 3232LG× × × 16強 優勝 8強 16強 優勝 8強 16強 3216強 32強 × 16強 8強 春蘭杯 - × - 8強 - 優勝 - 8強 - 8強 - 16強 - 優勝 - 16強 BC杯 - 優勝 16強 準優勝 16強 終了 トヨタ杯 - × - 16強 - 16強 - 優勝 終了 百霊杯 - 64強 - 64強 - 16強百合杯 - 準優勝 - 64強 - アジア杯 × × × 1R 1R × × × × × × × × × × × 農心杯 × 0:1 1:1 × × 0:1 × 0:1 0:1 × 0:1 × × × 3:1 ×

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/17 08:33 UTC 版)

瀬越憲作」の記事における「代表局」の解説

「秀哉に迫る」万朝報手合 1920年1月17,27日 本因坊秀哉名人 - 先 瀬越憲作五段 本因坊秀哉対抗していた方円社瀬越憲作鈴木為次郎先の手合迫っていた。序盤の白は、黒の秀策流を防ぐ方針で、白8から12ハサ布石はよく見られた。黒は15から19先手取って21回って足早布石目指した。白24アテコミは黒29ツギ期待したが、省略して27反発され戦い主導権を黒が握ったこの後黒は左辺の白を封鎖して中央厚くし、上辺大きな白地与えたが、中央制して押し切った177手まで黒中押勝。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 05:14 UTC 版)

曺薫鉉」の記事における「代表局」の解説

生涯大勝負1989年第1回応昌期杯世界プロ囲碁選手権戦 決勝五番勝負第1局 曺薫鉉-聶衛平戦 黒番聶が黒1(113手目)と出たところ、右辺一体が薄い白だったが、白2黒7までを利かしたのが機敏な手。この折衝で白一間トビ切断消え、白8が打て白地まとまり優勢確立した。曺は中国杭州行われたこの第1局勝った後、杭州寧波での2、3目を落としカド番となるが、シンガポールでの4、5局を連勝して優勝賞金40ドルを手にした。 1989年9月5日 曺薫鉉−(先番聶衛平

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/03 21:52 UTC 版)

井上幻庵因碩」の記事における「代表局」の解説

秀和との争碁第1局敗れた1年半後の天保13年1842年)、旗本磯田一郎宅で対局機会得た5月16日から18日まで二日半かけて打たれ先番秀和の6目勝となったが、白は序盤から局面リードし、幻庵の名局一つと言われる。 譜1. 2隅を空けたまま白1(16手目)から3、13奔放に打って上辺大模様にする。 譜2. 白は左下で黒一目切り離し、白1(66手目)から上辺大きく囲って白5まで白優勢だが、白7、9が打ち過ぎで、後に黒Aのコウ狙われ苦戦となった終盤で黒1目勝と思われたが、白の見損じで5目損し、黒6目勝となった。この碁で名人の道を断たれ悔しさが5目損の手打たせたとの、後世見方もある。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/30 13:48 UTC 版)

大平修三」の記事における「代表局」の解説

13期日棋院選手権挑戦手合五番勝負第4局 坂田栄男選手権者 - 大平修三(先番) 1966年1月26-27日 大平は、トーナメントでは、岩本薫三輪芳郎、杉内雅男藤沢朋斎決勝大竹英雄破って三度目挑戦手合進出となった。1964、65年日本棋院第一位決定戦坂田挑戦しいずれも敗れたものの少しずつ手応えつかんでおり、「第一位決定戦善戦で、相手が誰であれそう簡単に負けないという気がしていた」と語っている。一方坂田前年林海峰名人奪われとはいえ本因坊5連覇中、日本棋院選手権戦も7連覇ののち2連覇中で、依然棋界第一人者であった挑戦手合五番勝負第1局坂田勝ったが、「今度イヤ予感がする」とも語った第2局は、黒番の大平攻め坂田シノギコウ材の受け方誤り大平が1勝を返してタイ。続く第3局連勝第4局は、先番大平の得意とするタスキ小目で始まるが、右上隅で、黒9の一間バサミからの定石選択悪く、白の厚みが左上シマリ呼応して好形になった右下定石から右辺広げたが、白3436が鋭い手で、白48まで右辺収まり、白が優勢となる。黒は非勢意識して右下の白の攻めを狙う黒51選択し、さらに61からカラミ攻めも狙うが、白6668シノギ好手で、薄い形ながら黒からの切断ギリギリ上手くいかない。黒は一旦59から73大場を打つが、白74も鋭い打ち込み。白84アテツグのはひどい効かされだが、すぐに104ツイコウにするのは、上辺黒への攻めコウ材にされてよくないため、黒85備え難しコウ争いになったコウ作りの黒91に、白はコウ取りから94とさらにコウ大きくしていく。結局96コウ材に黒は聞いていられず右下との振り替わりとなった形勢は白有利ながら差は縮まって来たが、左辺戦いでの黒119ミスで、白が先手取って126回って優勢拡大。白128一路上の133なら勝っていたが、黒133からのコウ必死勝負手。白148でもコウ解消してしまえば左辺白と上辺黒の振り替わり白勝ち。黒153の切りのあと、白164謝ったのが敗着で、白a、黒b、白コウ取りから、黒c、白dの損コウ打たせてからち、164打っていれば白勝ちだった。実戦はここで黒の厚い半目勝負となり、その後差が開いて264手まで黒3目半勝。双方後に引かない激戦制して大平挑戦三度目の正直で初の大タイトル獲得となった

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/15 22:23 UTC 版)

馬暁春」の記事における「代表局」の解説

日中名人戦初優勝第5回日中名人戦第1局 1992年12月15日 馬暁春-小林光一(先番) 白1(36手目)のケイマ好手で、黒20までの振り代わりとなって優勢この後中央黒が生きたが白は厚くなった。259手まで白1目半勝ち。日中名人戦では1989年から91年まで3年連続小林光一0-2敗れていたが、この1992年第1局で初勝利を挙げ第3局勝って2-1初優勝する。

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