その後の米長流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 02:47 UTC 版)
△持ち駒 なし 9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 桂 王 角 桂 香 一 飛 銀 金 二 歩 歩 金 銀 歩 歩 三 歩 歩 歩 歩 四 歩 歩 五 歩 歩 歩 歩 六 歩 歩 歩 銀 銀 桂 歩 七 角 金 飛 八 香 桂 玉 金 香 九 ▲持ち駒 なし 図は▲5七銀まで しかしその後は研究が進んだことと(早めに先手が▲7九角と引くのが有効であることが分かった)、矢倉後手番における急戦の宿命である玉の薄さが嫌われ、プロ間で指されることはほとんどなくなった。その一方で、先手番における急戦矢倉として、後手番の無理矢理矢倉への対抗策の1つとして残っており、1995年頃には時折指されていた。 2003年時点においては、後手番で指すのは田丸昇くらいになってしまった、とされたが、のちに藤井猛が考案した藤井流早囲いへの対策として応用されている。 2011年にプロになった藤森哲也は、三段リーグ時代から、左銀を中央に繰り出していく米長流を採用して、やがて他の棋士もさすようになる。先手の最善の対抗策とされた▲3七銀~▲1五角に対しては、後手は飛車先の歩交換から△8三飛と引く形を採用してみずから「藤森流」とした。藤森は2014年には著書『藤森流急戦矢倉』を刊行し、2019年には囲碁将棋チャンネルの番組「将棋連盟が選ぶ 注目の一局」で、藤森流の「急戦矢倉」の解説をおこなった。藤森流の場合、先手側で採用される場合もある。 2010年代後半の米長流急戦矢倉は、先手矢倉対策としての後手居角左美濃急戦を封じる目的で、後手に3三銀と受けさせるために突き越した2五の歩を活かせる戦型として活用された。具体的には、図のように6六の銀を▲5七銀と引いて角道を通して急戦を狙う手筋が現れる。代表局として、2018年8月竜王戦挑戦者決定戦第一局▲深浦康市vs△広瀬章人戦があり、図の5七銀以下は△6五歩▲4五歩△同歩▲同桂△4四銀▲3五歩と進む。これを△同歩ならば▲2四歩で、△同歩は▲同飛から4四飛と2一飛成の狙いが生じる。
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