主な指導歴・功績・トピックスとは? わかりやすく解説

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主な指導歴・功績・トピックス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 21:23 UTC 版)

前原正浩」の記事における「主な指導歴・功績・トピックス」の解説

高校在学時、明治中学卓球部指導し全国中学校出場を果たす。 現役引退後数々世界大会日本代表監督として選手指導にあたりオリンピックではソウル大会、アトランタ大会シドニー大会で代表監督つとめた当時日本代表合宿様子荻村伊智朗野平孝雄との情熱的なやり取り語った後にこれから日本代表について次のように語ったとされる。 「荻村さんも野平さんもこよなく卓球愛し、誰よりも志が高かった人です。これから日本は、強化スタッフにもどれだけたくさんの志の高い人が関わってくれるのかが重要になってくるでしょうそういう志の高い指導者存在すれば、質の高い練習、質の高い競技生活選手指導し、質の高いゲーム分析ができる集団になっていくと思います2度目世界卓球選手権代表監督就任時には次のようなコメントをしている。 「要は情熱だと思います」「いかに選手ベストの状態で試合に臨ませるかが大事なことだと思うんです。トッププレーヤーは、それぞれ自分意見信念持っているから、ベストにしてあげるそのお膳立てをぼくがしてあげられればいい」と語った日本の伝統的な精神面での特徴については、「土壇場になったときの集中力執念」とし、「これはぼくら日本人スペシャリティだから失ってはいけないものとコメントした全日本卓球選手権女子シングルスを7回優勝した星野美香は、大学進学して世界挑戦していく過程前原コーチ出会う。 「全日本チャンピオンになってから支えた前原コーチ存在大きい」とし、星野自身は、「出会った指導者方に恵まれていました」と前置きしたあとで指導者に関して、「私は前原さんだと変に気を使わなくてもいいし、好き勝手なことをやらせていただきましたでも、それは人間として尊敬していましたし人間として大好きだということ全体にあるんです」「前原さん知識豊富だし、世界のいろんなことを知っているから、お互いよくそういうことをしゃべっていましたね。前原さんには情の深さ感じます」とコメントしている。 “遅咲き大器”と称され宮﨑義仁が、ソウル五輪自動推薦枠入り日本人卓球選手として初めてのオリンピックへの出場第一号を決めた時のコメント。 「彼はつきあえばあうほど“俺はこの男に尽くしてみよう。この男に賭けてみよう”という気持ちにさせてくれますね」とコメントした。 『現代スポーツ評論』(2007年11月号)「卓球競技からみる監督・コーチ仕事」において、指導者役割について、次のように紹介している。 「1. 目標設定立案」「2. 選手把握」「3. 強化スケジュール作成」「4. 戦略戦術立案大会後分析評価」「5. コミュニケーション」「6. 大会海外遠征マネジメント」「7. コーチング」「8. 強化スタッフとの連携」「9. スキルアップ」とした。この誌面では、当時筑波大学教授河野一郎の「スポーツ指導者12条件」を紹介し最後に当時日本サッカー協会専務理事(現・副会長)の田嶋幸三言葉引用して締めくくった。 「指導者が学ぶことをやめたら、教えることをやめなくてはならない」 現在、公益財団法人 日本卓球協会専務理事2013平成25)年 5月15日催され国際卓球連盟総会において、国際卓球連盟副会長選出された。 「これは青天の霹靂だ」と日本卓球協会内で調整され副会長擁立についての会見後、「夢にも思わなかったポジション与えられて、今は使命感強く感じてます。日本がリーディングポジションから抜けると日本のこれから卓球盛んにならないので、天命だと思ってやるしかない」と決意表明している。 ITTF副会長上の要職に就くのは、日本からは荻村伊智朗木村興治次いで3人目である。 「人物」「主な戦績」で記載した前原4つ卓球人生の転機ターニングポイント)について、前原は、プレゼンテーション機会を得るごとに自身得た教訓を「何もしなければ、何も生まれない」という言葉卓球関係者スポーツ関係者に対して壁を乗り越える為の勇気与え続けており、還暦迎えた祝いの会においてこの言葉刻印され記念品参加者に対して贈られた。 以下、強化本部長専務理事役職時代功績日本卓球協会創立80周年記念誌「日本卓球史」から抜粋する。(一部加筆1997年平成 9年) - 初の外国人監督、ソーレン・アーレン(前スウェーデン監督)を招聘した。2000年平成12年) - 世界卓球選手権クアラルンプール大会マレーシア)で男子チーム19年ぶりに3位入賞果たし銅メダル獲得した前原日本代表男子監督2001年平成13年) - 小学生ナショナルチーム創設 競技力上の向上には、初期段階での指導が重要であるという観点で、既存ナショナルチームに、ホープスナショナルチームを加え小学生段階から計画的に強化していく方針決めた日本オリンピック委員会JOC)・文部科学省から競技者育成プログラム策定事業モデル競技文部科学省 総合評価選出されたことで、公認コーチ養成講習会における専門科目の内容および実施方法見直しまた、公認コーチ継続研修会研修合宿などを実施した。 これらの継続的な実施により、コーチ養成委員会事業による公認スポーツ指導者登録人数は、2001平成13)年は2,353であったが、2012平成24)年9月には3,414名と11年間で1,061名が増加している。<登録人口は、「平成25年度日本卓球協会ハンドブック」から抜粋今後スポーツ指導者全国津々浦々増えていくことにより、卓球愛好者のみならず選手多大な影響与えていくことが期待される2002年平成14年2月 - 有望な選手及びその世代指導する指導者・保護者ペアとなって参加し初期設定重視した指導プログラムレベルアップさせていくことを目的とした「ホープス・カブ選手指導者研修会平成15年からは、中学生対象とした4ブロック研修合宿開催し、現在に至る。 2002年平成14年) - 海外拠点とした強化スタート素質持った将来性があると思われる男子選手ピックアップし欧州のトップコーチであるマリオ・アミズィッチ指導の下、ドイツ拠点とした育成システムスタート。これは、所属母体協力日本オリンピック委員会並びにスポーツ振興センターサポートにより実現してきたものであるが、これまで岸川聖也水谷隼高木和卓、松平健太松平賢二選手らがこの育成システム活用しその後の成果上げてきている。 2003年平成15年) - マリオ・アミズィッチ全日本コーチ就任した2003年平成15年) - 全日本大会演出プロジェクトチーム発足。 “選手にとってベストコンディションで試合臨め環境づくり”“観客に対して魅せる全日本!」を意識した運営”をテーマ掲げた大会運営前原提案。 「天皇杯・皇后杯 全日本卓球選手権大会」が国内最高格式大会であることを明確にするために、プロ演出スタッフ演出音響照明アナウンス映像)の協力のもと、これまでの大会とは一味違った選手権大会実施。 さらに、大会スポンサーPRフロアデザインに加え会場内設置され大型スクリーン利用して試合情報CMなど放映また、メディアへの積極的な広報活動や、大会ポスター作成して告知を行うなど、日本一競う大会として盛り上げていくため様々な策を講じていくようになった2010平成22)年度の全日本卓球選手権大会より、フロア仮設スタンド設置するなど、さらに選手観客にとって魅力ある大会として注目集めている。 2005年平成17年) - 世界卓球選手権大会テレビ放映上海開催され世界卓球選手権大会を、テレビ東京放映した大会通じて卓球テレビ放映されたのはこれが初めてであり、卓球認知度人気高まっていくきっかけとなった福原愛というスーパースター存在もあるが、卓球というスポーツ広く一般視聴者見てもらう絶好機会となり、その後も、世界選手権放映続いている。 2009年平成21年) - 世界卓球選手権大会横浜開催日本にとって6度目となる世界卓球選手権個人戦)を2009年横浜神奈川)で開催した会場横浜アリーナには連日大勢観客訪れ8日間で6万人を超す入場となったまた、テレビ東京での放映も、高い視聴率をあげて、卓球認知度よりいっそう高まるイベントとなり、成功裏終わった。 この大会では、男子ダブルス水谷隼岸川聖也銅メダル獲得し日本男子にとっては12年ぶりの個人戦メダル獲得となった2011年平成23年)、3月11日東日本大震災があり、多く卓球愛好家被災した協会中心に個人レベルでも様々な支援活動が行われたが、復興へ弾みとして、4月協会急遽2014年東京での世界選手権開催立候補することを表明5月ITTF国際卓球連盟総会では満場一致東京開催決まった日本にとっては7度目の世界選手権開催であり、戦後だけで見れば日本開催回数ITTF加盟協会最多となったJA全農2014世界卓球団体選手権東京大会 2011年平成23年) - 「日本卓球協会創立80周年記念誌」の発刊日本卓球協会記念事業一環として前原正浩専務理事発案により、藤井基男執筆のもと記念誌作成した記念誌は、日本卓球界の栄光伝統歴史紹介する日本卓球史」として後世伝えることが目的で、2008平成20)年度に創立80周年記念編集プロジェクト設置され幾度も編集会議経て発刊至った2011年平成23年) - 「王者言霊ことだま)」DVD日本卓球史」と併せて日本卓球界の栄光伝統歴史紹介する映像DVD)が八十周年記念とともに発刊された。 以上、日本卓球協会創立80周年記念誌より抜粋

※この「主な指導歴・功績・トピックス」の解説は、「前原正浩」の解説の一部です。
「主な指導歴・功績・トピックス」を含む「前原正浩」の記事については、「前原正浩」の概要を参照ください。

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