姿晴香 姿晴香の概要

姿晴香

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/30 15:34 UTC 版)

すがた はるか
姿 晴香
生年月日 (1952-09-07) 1952年9月7日(71歳)
出生地 日本東京都
職業 女優
活動期間 1973年 -
活動内容 1973年宝塚歌劇団入団
1974年:花組に配属
1979年:娘役に転向
1982年:星組トップ娘役就任
1983年:宝塚歌劇団退団、以降女優として活躍。
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所属事務所はしまだプロダクション。

来歴・人物

1973年59期生として宝塚歌劇団に入団。当初は男役だった。星組公演『花かげろう/ラ・ラ・ファンタシーク[2]で初舞台を踏む。宝塚入団時の成績は49人中26位[2]

同期には女優大地真央1982年 - 1985年まで月組トップスター)、平みち(1985年 - 1988年まで雪組トップスター)、ミュージカルスタジオ主宰の四季乃花恵笹本玲奈の母)、振付家山城はるか(元星組2番手スター)、元専科で1991年 - 1996年に花組組長の未沙のえるがいる。現役では専科所属で1993年 - 1996年に星組組長の一樹千尋がいる。

初舞台を踏んだ翌年の1974年4月[2]、平とともに花組に配属される。以降、ダンスの得意な男役として活躍。1979年、バウホール公演『アップル・ツリー』で娘役がつき、それを機に娘役に転向。その後は花組の2番手娘役として活躍。

1982年、星組へ組替え。東千晃の退団により、トップスター瀬戸内美八の相手役としてトップ娘役に就任。1983年11月29日[2]で宝塚を退団。瀬戸内退団後のトップスター峰さを理の相手役を1作品務めた。その作品名は東京公演『アルジェの男ザ・ストーム[2]

1986年NHKテレビドラマ『妻…愛は迷路』の主演で女優として再スタートを切った。アクターズプロモーションに所属していたが、所属事務所破産によりフリーとなったが、以後現在の事務所しまだプロダクションに所属。

宝塚歌劇団時代の主な舞台

花組時代

星組トップ娘役時代

女優としての主な活動

映画

  • 帝都物語(1988年) - 辰宮由佳理 役
  • (1990年)
  • 風の子どものように(1990年)
  • 八つ墓村(1990年) - 田治見おきさ 役
  • NIGHT HEAD(1994年) - 天元悠子 役
  • ホタル(2001年) - 山岡の母 役
  • GO(2001年) - 久子

テレビドラマ

NHK

日本テレビ

TBS

フジテレビ

テレビ朝日

テレビ東京

舞台

その他のテレビ番組

ラジオドラマ

CM

脚注

  1. ^ 姿 晴香|しまだプロダクション”. shimadapro.com. 2020年6月15日閲覧。
  2. ^ a b c d e 監修:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡り続けて(人物編)』 阪急コミュニケーションズ 2014年4月1日 85頁。ISBN 9784484146010
  3. ^ 1981年7月の東京宝塚劇場公演は、ショーが『ファースト・ラブ (宝塚歌劇)』に変更。

関連項目

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