トップの任期
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男役の場合、おおむね研12から15で就任するが、様々な事情で早くなることも遅くなることもある。スターシステムが確立された1980年以降では、前述の月組の天海祐希が最も早く研7(1987年入団 → 1993年就任)で就任したほか、研9で就任した月組の珠城りょう(2008年入団 → 2016年就任)も早い例である。遅い例としては、研18で就任した宙組の大空祐飛(1992年入団 → 2009年就任)・星組の北翔海莉(1998年入団 → 2015年就任)、研17で就任した雪組の壮一帆(1996年入団 → 2012年就任)などがある。 娘役の場合、最も早かったのは研2で就任した月組の黒木瞳(1981年入団 → 1982年就任)で、他に研3で就任した雪組の神奈美帆(1983年入団 → 1985年就任)・月組の麻乃佳世(1988年入団 → 1990年就任)・花組の千ほさち(1994年入団 → 1996年就任)・月組の映美くらら(1999年入団 → 2001年就任)などの例がある。遅い例としては、研14で就任した星組の渚あき(1988年入団 → 2001年就任)、研12で就任した雪組の朝月希和(2010年入団 → 2021年就任)などの例がある。男役の人気のほうが圧倒的に高いことから、トップスターとの容姿の釣り合いや、ダンス・演技の組みやすさなどがトップ娘役の重要な選定基準であると言われている。就任時期は入団10年未満が多く、学年も相手役より下級生であることがほとんどである。男役から娘役へ転向した後にトップへ就任した例も、星組・雪組の遥くらら、星組の姿晴香、月組の愛希れいかなど複数ある。逆に娘役から男役へ転向してトップになった例はない。 トップに就任すると、スターシステム確立後に専科へ異動した榛名由梨と轟悠の両例を除き、数年で退団する。大劇場公演の回数にして4回から10回程度が目安となるが、後継スターの成長、本人の意欲、健康上の理由などで変動する。 短期の例(いずれも男役)は、花組の匠ひびき(2001年 - 2002年)・雪組の絵麻緒ゆう(2002年)・宙組の貴城けい(2006年 - 2007年)の1年未満(大劇場公演1回)が代表的で、いずれも人事上の問題で短期となったため、劇団はファンから激しく非難された。 長期の例としては、娘役の花總まりの12年間(雪組で1994年 - 1998年、宙組で1998年 - 2006年)が代表的ではあるが、極めて稀な例でもある。他に宙組男役の和央ようか(2000年 - 2006年)・星組男役の柚希礼音と同娘役の夢咲ねね(共に2009年 - 2015年)・月組娘役の愛希れいか(2012年 - 2018年)の6年、星組娘役の南風まい(1983年 - 1988年)・月組男役の剣幸と同娘役のこだま愛(共に1985年 - 1990年)・月組娘役の麻乃佳世(1990年 - 1995年)・花組男役の春野寿美礼(2002年 - 2007年)・花組男役の明日海りお(2014年 - 2019年)の5年といった例がある。 スターシステム確立以前は、雪組の汀夏子(1970年 - 1980年)の10年、星組の鳳蘭(1970年 - 1979年)・榛名由梨(月組で1973年 - 1975年および1976年 - 1982年、花組で1975年 - 1976年)の9年、安奈淳(星組で1970年 - 1974年、花組で1974年 - 1978年)の8年などの例がある。さらに遡ると、たとえば春日野八千代は20年以上にわたって多数の公演で主演している。 トップの退団は、退団公演の集合日前に発表され、後日に記者会見が開かれる。トップおよびそれに準ずるスタークラスの退団者は、出演公演の足跡を振り返る「サヨナラショー」公演を行う。トップに限り、千秋楽の退団挨拶の際、正装である黒紋付と緑の袴ではなく、燕尾服やタキシードなど他の衣装の着用が許される。トップの退団は多くの報道機関が取り上げ、熱烈なファンは複数回観劇したり記念グッズを購入したりする。俗に「歌舞伎は襲名披露で稼ぎ、宝塚は退団公演で稼ぐ」と言われる所以である。
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