2009年 - 2015年とは? わかりやすく解説

2009年 - 2015年(J2)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 00:02 UTC 版)

栃木SC」の記事における「2009年 - 2015年(J2)」の解説

2009年 チームスローガン一枚岩 福岡神戸監督松田浩監督就任13人の選手退団した一方甲府から井上雄幾を、千葉から川上典洋伊藤淳嗣を、山形から本橋卓巳を、神戸から栗原圭介を、京都から大久保裕樹を、大宮から4年半ぶりの復帰になる若林学を、名古屋から元日本代表の米山篤志を完全移籍で、新潟から河原和寿期限付き移籍獲得シーズン途中宮本亨レオナルド期限付き移籍獲得した。なお、シーズン成績18クラブ中の17位。 2010年 チームスローガン : 前新 松田体制2年目レンタル移籍者を含め16人の選手退団前年より期限付き移籍中の宮本、飯田健巳横浜FC)、高木和正岐阜)、林祐征徳島)、廣瀬浩二鳥栖)を完全移籍獲得那須川将大橋本真人リカルド・ロボ余孝珍期限付き移籍獲得宇佐美宏和杉本真小野寺達也船山貴之新加入した。レオナルドレンタル期間延長したシーズン途中には横浜FMから水沼宏太期限付き移籍獲得した。第14節で4位につけ、最終的な順位10位となり前年上回った2011年 チームスローガン : J1へ 松田体制3年目水戸から大和田真史を、草津から西澤代志也を、東京Vから鈴木智幸を、アルセナルFCからトリポジを完全移籍獲得6月7日契約解除)。から渡部博文を、鹿島から鈴木修人を、新潟から2009年在籍した河原和寿期限付き移籍で、東京Vから期限付き移籍していた那須川将大を完全移籍獲得7月FCファドゥースからサビアを完全移籍で、浦和から堤俊輔期限付き移籍獲得したこの年栃木グリーンスタジアムバックスタンド座席完了。しかし、3月11日東日本大震災発生したことにより観客客席通路となっている結合部分が破損した。そのため改修工事行い工事中別の安全な場所に仮ゲート設置したリーグ戦は第9節(3試合目)、第10節、第11節、第17節(11試合目)、第18節(12試合目)で首位に立ち、9月4日第4節FC東京戦は引き分け終わったが、その試合パウリーニョが右腓骨骨折戦線離脱する順位下降し最終順位10位。J1昇格は成らなかったものの、北関東ダービー初優勝した。 2012年 チームスローガン : J1へ 松田体制4年目鴨志田誉崔根植熊本移籍)、入江利和落合正幸退団リカルド・ロボへ、那須川将大大久保裕樹徳島へ完全移籍堤俊輔福岡移籍)、渡部博文復帰)、水沼宏太横浜FM復帰鳥栖レンタル移籍)がレンタル移籍期間満了退団した。 新戦力として、神戸から柳川雅樹を、横浜FCから荒堀謙次を、FC岐阜から菅和範を、鹿島から當間建文を、湘南から臼井幸平を、東京Vから菊岡拓朗を、川崎から久木野聡を、福岡から山形辰徳を完全移籍で、川崎から棗佑喜レンタル移籍獲得河原和寿鈴木修人が完全移籍移行柳大鉉新加入、ホーム開幕戦前に車永煥途中加入した。(それに伴い外国人枠の関係で今シーズンCAメトロポリターノからレンタル移籍獲得したジャイロ登録抹消となった)。シーズン途中臼井幸平退団し期限付き移籍6月鹿島から佐々木竜太が、8月には川崎から田中雄大加入したまた、パウリーニョチーム初の外国人キャプテンとなった第3節徳島戦から7節連続負けなしで、第8節終了時点で7位。第10山形戦から3連敗13位に後退したが、第21松本戦から6連勝し一時は8位に順位上げたが、最終10試合で2勝2分6敗と低迷し11位でシーズン終えた天皇杯は、2回戦横浜FC敗北3月10日にオフィシャルストアの「TOCKEY SQUARE(トッキースクエア)」がオープンした2013年 チームスローガン感動松田体制5年目武田博行河原和寿ら7人が退団棗佑喜ら3人の期限付き移籍満了した。 新戦力は、栃木県日光市出身湯澤洋介駒澤大学)、榎本達也徳島)、中野洋司横浜FC)、勝又慶典町田)、近藤祐介札幌)、元日本代表の三都主アレサンドロ名古屋)を完全移籍で、クリスティアーノレッドブル・ザルツブルク)、西岡大輝広島)、原田圭輔仙台)を期限付き移籍獲得し27人体制でスタートしたまた、宇都宮市出身鳥栖監督GM松本育夫が、シニアアドバイザーに就任し4月25日には取締役就任した。 第9節以降、第23終了時まではJ1昇格プレーオフ圏内となる6位以内キープしていたが、第19節以降4連敗1回を含む11試合連続勝利なし(6分5敗)となり、順位も第27終了時点以降14位まで低下する雷雨によって中止再試合となった9月11日の第26愛媛戦に0-1敗れた直後9月13日松田監督退任し松本後任監督就任監督交替後はリーグ戦ホームゲーム4戦全勝を含む10試合7勝1分2敗の成績挙げ結局9位でシーズン終える。天皇杯3回戦横浜FM敗北。なお、11月経営問題浮上した詳細は#経営問題参照)。シーズン終了後松本監督退任した取締役専念)。 2014年 チームスローガン挑戦-すべては栃木のために- ヘッドコーチ阪倉裕二監督就任クラブ中心戦力であったパウリーニョ期限付き移籍チーム得点王サビアクリスティアーノ當間建文高木和正菊岡拓朗三都主アレサンドロらが退団した。 新戦力宇都宮市出身中美慶哉坂田良太大卒2人大分トリニータから永芳卓磨FC東京から重松健太郎移籍加入清水エスパルスから岡根直哉イ・ミンス瀬沼優司の3人、横浜FCから大久保哲哉鹿島アントラーズから鈴木隆雅CAメトロポリターノからドゥドゥ期限付き移籍加入し総勢25人でシーズンに臨むこととなったクラブ債務超過問題あり方針を「育成クラブ」に転換図ったリーグ前半戦好成績上げてPO圏内手前キープしていたが、第22節の千葉戦から第27節の湘南戦で6連敗喫して最終順位12位。天皇杯2回戦群馬敗北経営問題改善され、新スポンサー獲得県民からの募金などで債務超過解消シーズン終了後松本取締役辞任した2015年 チームスローガン熱誠-すべては栃木のために- 阪倉体制2年目重松健太郎が町田、榎本達也FC東京鈴木智幸松本チャ・ヨンファン金沢近藤祐介北九州それぞれ移籍。またパウリーニョ期限付き移籍先の川崎から復帰した後、千葉に完全移籍し鈴木隆雅大久保哲哉岡根直哉イ・ミンス期限付き移籍満了退団柴崎邦博現役引退した新加入選手は、愛媛からハン・ヒフン広島からイ・デホン仙台から桜井繁水戸から尾本敬磐田から竹重安希彦鹿屋体育大学から吉満大介。また仙台からフェリペ広島からパク・ヒョンジン甲府から河本明人浦和から阪野豊史神戸から松村亮期限付き加入した第5節からの3連敗11節からの5連続引き分けなどで勝点稼げず、24節には降格寸前20位にまで落ちてしまう。7月20日に阪倉の監督辞任発表され倉田安治を新監督として迎える。そして新たにブラジル・ノヴォペラリウFCポルトガル語版)からジョナタン韓国天安市庁FC朝鮮語版)からイ・ジュヨン獲得して清水から金子翔太期限付き移籍加えた一方でフェリペイ・デホン放出し永芳卓磨SC相模原期限付き移籍させた。 9月ヘッドコーチの上優作辞任したが、下野新聞取材に「辞めるつもりはなく、J2残留のために頑張気持ちでいた。しかし、現体制では厳しかった」とコメントした。第29節の横浜FC戦を最後に勝利無く33節で最下位転落。『ここから這い上がるぞ! J2死守総力戦プロジェクトとして特製Tシャツ頒布し、のぼりを設置するなどしてチーム鼓舞するが、最終節コンサドーレ札幌敗れ結局最下位終わりJ3リーグへの降格決定したまた、天皇杯1回戦流通経済大学PK戦敗北したシーズン終了後倉田降格責任取り監督辞任した。また社長水沼富美男と会長中津正修が辞任GM上野佳昭と強化部長湯田一弘が解任された。

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