2009年 - 2015年(J2)
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「栃木SC」の記事における「2009年 - 2015年(J2)」の解説
2009年 チームスローガン : 一枚岩 福岡や神戸元監督の松田浩が監督に就任。13人の選手が退団した一方、甲府から井上雄幾を、千葉から川上典洋、伊藤淳嗣を、山形から本橋卓巳を、神戸から栗原圭介を、京都から大久保裕樹を、大宮から4年半ぶりの復帰になる若林学を、名古屋から元日本代表の米山篤志を完全移籍で、新潟から河原和寿を期限付き移籍で獲得。シーズン途中に宮本亨、レオナルドを期限付き移籍で獲得した。なお、シーズン成績は18クラブ中の17位。 2010年 チームスローガン : 前新 松田体制2年目。レンタル移籍者を含め16人の選手が退団。前年より期限付き移籍中の宮本、飯田健巳(横浜FC)、高木和正(岐阜)、林祐征(徳島)、廣瀬浩二(鳥栖)を完全移籍で獲得。那須川将大、橋本真人、リカルド・ロボ、余孝珍を期限付き移籍で獲得。宇佐美宏和、杉本真、小野寺達也、船山貴之が新加入した。レオナルドのレンタル期間も延長した。シーズン途中には横浜FMから水沼宏太を期限付き移籍で獲得した。第14節で4位につけ、最終的な順位も10位となり前年を上回った。 2011年 チームスローガン : J1へ 松田体制3年目。水戸から大和田真史を、草津から西澤代志也を、東京Vから鈴木智幸を、アルセナルFCからトリポジを完全移籍で獲得(6月7日に契約を解除)。柏から渡部博文を、鹿島から鈴木修人を、新潟から2009年に在籍した河原和寿を期限付き移籍で、東京Vから期限付き移籍していた那須川将大を完全移籍で獲得。7月、FCファドゥースからサビアを完全移籍で、浦和から堤俊輔を期限付き移籍で獲得した。 この年栃木グリーンスタジアムのバックスタンド座席化完了。しかし、3月11日に東日本大震災が発生したことにより観客の客席通路となっている橋の結合部分が破損した。そのため改修工事を行い、工事中は別の安全な場所に仮ゲートを設置した。 リーグ戦は第9節(3試合目)、第10節、第11節、第17節(11試合目)、第18節(12試合目)で首位に立ち、9月4日の第4節FC東京戦は引き分けに終わったが、その試合でパウリーニョが右腓骨骨折で戦線離脱すると順位が下降し、最終順位は10位。J1昇格は成らなかったものの、北関東ダービーで初優勝した。 2012年 チームスローガン : J1へ 松田体制4年目。鴨志田誉、崔根植(熊本へ移籍)、入江利和、落合正幸が退団、リカルド・ロボが柏へ、那須川将大、大久保裕樹が徳島へ完全移籍、堤俊輔(福岡へ移籍)、渡部博文(柏へ復帰)、水沼宏太(横浜FMに復帰⇒鳥栖へレンタル移籍)がレンタル移籍期間満了で退団した。 新戦力として、神戸から柳川雅樹を、横浜FCから荒堀謙次を、FC岐阜から菅和範を、鹿島から當間建文を、湘南から臼井幸平を、東京Vから菊岡拓朗を、川崎から久木野聡を、福岡から山形辰徳を完全移籍で、川崎から棗佑喜をレンタル移籍で獲得、河原和寿、鈴木修人が完全移籍に移行、柳大鉉が新加入、ホーム開幕戦を前に車永煥が途中加入した。(それに伴い、外国人枠の関係で今シーズンCAメトロポリターノからレンタル移籍で獲得したジャイロが登録抹消となった)。シーズン途中臼井幸平が退団し、期限付き移籍で6月に鹿島から佐々木竜太が、8月には川崎から田中雄大が加入した。 また、パウリーニョがチーム初の外国人キャプテンとなった。 第3節・徳島戦から7節連続負けなしで、第8節終了時点で7位。第10節山形戦から3連敗で13位に後退したが、第21節松本戦から6連勝し、一時は8位に順位を上げたが、最終10試合で2勝2分6敗と低迷し、11位でシーズンを終えた。天皇杯は、2回戦で横浜FCに敗北。 3月10日にオフィシャルストアの「TOCKEY SQUARE(トッキースクエア)」がオープンした。 2013年 チームスローガン : 感動! 松田体制5年目。武田博行、河原和寿ら7人が退団、棗佑喜ら3人の期限付き移籍が満了した。 新戦力は、栃木県日光市出身の湯澤洋介(駒澤大学)、榎本達也(徳島)、中野洋司(横浜FC)、勝又慶典(町田)、近藤祐介(札幌)、元日本代表の三都主アレサンドロ(名古屋)を完全移籍で、クリスティアーノ(レッドブル・ザルツブルク)、西岡大輝(広島)、原田圭輔(仙台)を期限付き移籍で獲得し、27人体制でスタートした。また、宇都宮市出身で鳥栖元監督・GMの松本育夫が、シニアアドバイザーに就任し、4月25日には取締役に就任した。 第9節以降、第23節終了時まではJ1昇格プレーオフ圏内となる6位以内をキープしていたが、第19節以降4連敗1回を含む11試合連続勝利なし(6分5敗)となり、順位も第27節終了時点以降14位まで低下する。雷雨によって中止再試合となった9月11日の第26節愛媛戦に0-1で敗れた直後の9月13日、松田が監督を退任し、松本が後任監督に就任。監督交替後はリーグ戦でホームゲーム4戦全勝を含む10試合7勝1分2敗の成績を挙げ、結局9位でシーズンを終える。天皇杯は3回戦で横浜FMに敗北。なお、11月に経営問題が浮上した(詳細は#経営問題を参照)。シーズン終了後に松本が監督を退任した(取締役に専念)。 2014年 チームスローガン : 挑戦-すべては栃木のために- ヘッドコーチの阪倉裕二が監督に就任。クラブの中心戦力であったパウリーニョが期限付き移籍、チーム得点王のサビアとクリスティアーノ、當間建文、高木和正、菊岡拓朗、三都主アレサンドロらが退団した。 新戦力は宇都宮市出身の中美慶哉と坂田良太の大卒2人、大分トリニータから永芳卓磨、FC東京から重松健太郎が移籍加入。清水エスパルスから岡根直哉、イ・ミンス、瀬沼優司の3人、横浜FCから大久保哲哉、鹿島アントラーズから鈴木隆雅、CAメトロポリターノからドゥドゥが期限付き移籍で加入し、総勢25人でシーズンに臨むこととなった。クラブは債務超過の問題もあり方針を「育成型クラブ」に転換を図った。 リーグ前半戦は好成績を上げてPO圏内手前をキープしていたが、第22節の千葉戦から第27節の湘南戦で6連敗を喫して最終順位は12位。天皇杯は2回戦で群馬に敗北。経営問題は改善され、新スポンサーの獲得や県民からの募金などで債務超過を解消。シーズン終了後、松本が取締役を辞任した。 2015年 チームスローガン : 熱誠-すべては栃木のために- 阪倉体制2年目。重松健太郎が町田、榎本達也がFC東京、鈴木智幸が松本、チャ・ヨンファンが金沢、近藤祐介が北九州にそれぞれ移籍。またパウリーニョは期限付き移籍先の川崎から復帰した後、千葉に完全移籍し、鈴木隆雅、大久保哲哉、岡根直哉、イ・ミンスが期限付き移籍満了で退団。柴崎邦博が現役を引退した。 新加入選手は、愛媛からハン・ヒフン、広島からイ・デホン、仙台から桜井繁、水戸から尾本敬、磐田から竹重安希彦、鹿屋体育大学から吉満大介。また仙台からフェリペ、広島からパク・ヒョンジン、甲府から河本明人、浦和から阪野豊史、神戸から松村亮が期限付き加入した。 第5節からの3連敗、11節からの5連続引き分けなどで勝点を稼げず、24節には降格圏寸前の20位にまで落ちてしまう。7月20日に阪倉の監督辞任が発表され、倉田安治を新監督として迎える。そして新たにブラジル・ノヴォペラリウFC(ポルトガル語版)からジョナタン、韓国・天安市庁FC(朝鮮語版)からイ・ジュヨンを獲得して、清水から金子翔太を期限付き移籍で加えた。一方でフェリペとイ・デホンを放出し、永芳卓磨をSC相模原へ期限付きで移籍させた。 9月にヘッドコーチの上野優作が辞任したが、下野新聞の取材に「辞めるつもりはなく、J2残留のために頑張る気持ちでいた。しかし、現体制では厳しかった」とコメントした。第29節の横浜FC戦を最後に勝利が無く、33節で最下位に転落。『ここから這い上がるぞ! J2死守総力戦』プロジェクトとして特製のTシャツを頒布し、のぼりを設置するなどしてチームを鼓舞するが、最終節でコンサドーレ札幌に敗れ、結局最下位に終わり、J3リーグへの降格が決定した。また、天皇杯は1回戦で流通経済大学にPK戦で敗北した。シーズン終了後倉田が降格の責任を取り監督を辞任した。また社長・水沼富美男と会長・中津正修が辞任。GM・上野佳昭と強化部長・湯田一弘が解任された。
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