光原エミカ 光原エミカの概要

光原エミカ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 10:56 UTC 版)

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神奈川県横浜市出身。宝塚歌劇団時代の芸名は大 滝子(だい たきこ)。愛称だいちゃん。身長(現在の公称)160センチ[1]法政大学女子高等学校卒業。

経歴

1963年、宝塚音楽学校を首席で卒業、49期生[2]。初舞台公演は星組公演『花詩集-1963年[2]』。同期に榛名由梨郷ちぐさらがいる。

大滝子の芸名は日本のバレエの権威大滝愛子から命名された[3]1964年12月1日雪組[2]配属になっていたが、月組[2]へ組替えとなる。

1973年、月組トップ古城都の退団を受け、同期生の榛名由梨と共にトップスターに就任[2]。男役としては、比較的小柄で華奢な体格ゆえ男役らしさを造形することに苦労したと、後年本人が各種メディアのインタビューなどで語っている。

1974年、2月公演「白い朝/ロマン・ロマンチック」トップ披露公演。

同年、9月公演「秋扇抄/ベルサイユのばら」ー 初演『ベルばら』で、主役のフェルゼンを好演[4]。この作品が好評を博し、空前の大ヒットとなった[3]。以来再演を繰り返し、ベルばらブームの到来となる。2014年には通算観客数500万人を記録、宝塚歌劇団史上最大のヒット作となっている[2]

1975年、1月公演「春鶯囀/ラビング・ユー」芝居は専科から春日野八千代が特別出演して主演したためショーのみの主演。

同年、3月「春の宝塚踊り/ラムール・ア・パリ」主演。なお榛名が花組へ(同男役トップスターとして)異動、以後退団まで月組男役トップは大の単独体制となった[2]

同年、10月-11月「恋こそ我がいのち/イマージュ」主演。

1976年、フジテレビ『3時のあなた』の番組内で退団を発表[4]

同年5月14日-6月22日「スパーク&スパーク/長靴をはいた猫[2]宝塚大劇場公演千秋楽をもち、宝塚歌劇団を退団。宝塚退団後、「武田信玄」準レギュラー、「信長」準レギュラー、「青春家族」など女優としてテレビドラマ・映画などへの出演ほか、歌手活動を続ける[4]。ことにディナーショー、リサイタルなど音楽活動に重点を置いた活動をしている[4]

2016年、芸能生活53年。40年間続けて来たディナーショーも現在帝国ホテル、ホテルヒルトン東京お台場で毎年行い続けている[4]

2018年、芸能生活55周年を迎えた。

エピソード

  • 1982年からほぼ毎年、ディナーショーやチャリティーショーを開催している[4]

  1. ^ 公式HPプロフィール2020年6月22日閲覧
  2. ^ a b c d e f g h 監修:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡り続けて(人物編)』、阪急コミュニケーションズ2014年4月1日、66-67頁。ISBN 9784484146010
  3. ^ a b 2016年7月12日原宿テレビ・道玄坂スタジオHP放送ゲスト「光原エミカ」経歴2020年6月22日閲覧
  4. ^ a b c d e f 光原エミカ公式HP・芸能史2020年6月22日閲覧


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