2008 - 2009:ガザ紛争
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「パレスチナ問題」の記事における「2008 - 2009:ガザ紛争」の解説
「ガザ紛争 (2008年-2009年)」も参照 12月に入り、再度エジプトの仲介のもとで停戦延長をイスラエルは試みたが、ハマースが「イスラエルがガザの封鎖解除に応じなかった」と主張し、延長を拒否したため12月19日失効した。イスラエル側は、当初の合意事項であった「ガザに対する封鎖の段階的解除」は実質行われており、武器兵器などは勿論論外であるが人道物資などを初めとする様々な流通があったとしている。しかし、赤十字社は11月4日以降、封鎖は再び厳しくなり、ガザの状況を「破滅的」と報告した。国連調査官のリチャード・フォークは12月9日、イスラエルが流入を認める物資は「飢餓と病を避けるにはギリギリ」であり、イスラエルによる「パレスチナ人への集団的懲罰は人道に対する罪」であるとの見解を示した。また、ガザ地区からの輸出は、2月以来完全に禁止されたままである。 ヨルダン川西岸地区では、12月12日、イスラエルは主要入植地4箇所を含む西岸の6.8%を自国領として併合し、難民の帰国を5000人にとどめる提案を行った。イスラエルは当初の要求であった7.3%から譲歩したが、いずれにせよパレスチナ国家樹立に欠かせない土地であるとして、自治政府は要求を拒否した。 停戦の期限が切れる前から、ハマースはロケット弾や迫撃砲などで攻撃を再開。このハマースの度重なるロケット砲によってイスラエル人、一人が死亡した。 また、再三のイスラエル側からの警告があったにも関わらず無差別のロケット砲攻撃をハマースはやめなかった。12月21日、イスラエル軍はガザ地区をヘリコプターで攻撃した。さらに12月27日(現地時間午前11:30、UTC午前9:30)、本格的にガザ地区を空襲し、同日だけで200人以上が犠牲者となった。イスラエル軍は、「ハマースのテロ作戦従事者」および訓練キャンプと武器庫を標的としたと声明を出した。なおイスラエルは武器輸入を止めないハマースを6ヶ月前、即ち停戦期間中からその拠点を調べ、今後起こりうるであろう軍事作戦の計画をしていた。 両者の交渉を仲介したジミー・カーターによると、イスラエルは非公式に、48時間ロケット弾を発射しないのならば、通常の15%の物資供給は可能だとの見解を示したが、ハマースは拒否し、その結果イスラエルの報復攻撃が始まったという。 2009年1月17日までの22日間で、地上戦も含めパレスチナ側で殺害された人数は少なくとも1300人(AFP通信、パレスチナ自治政府保健省)を数え、第三次中東戦争以来最悪の数である。イスラエル側の殺害された人数は13人(イスラエル政府筋、ただし味方の誤射で死亡した4人を含む。3人は民間人。ハマース側は、地上戦で10人を殺害したと主張)パレスチナ側死者のうち、イスラエル側主張 によれば、ハマースの戦闘員500人を殺害、130人を拘束 した。ハマースのアブジャアファル(仮名)小隊司令官は、殺害されたのは48人と主張した。家屋全壊は4100棟、損壊は17000棟。地上戦突入後は救急車が現場に向かえず、死者の実数は把握し切れていないという。 国際連合も、攻撃に巻き込まれた。国際連合パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)によると、イスラエル軍のガザ侵攻で、約15,000人の住民が自宅を失うなど難民化し、国連が設けた23箇所の避難所に収容中と発表した。避難所のうち、国連が運営する学校はイスラエル軍の砲撃で、少なくとも48人が殺害された。イスラエル側は、死者に数人のハマース戦闘員が含まれていると発表したが、UNRWAガザ事務所のジョン・ギング所長は「学校に戦闘員などいなかったし、校内からの攻撃もなかった」と反論した。またイスラエルは誤爆したことを認めたとジョン・ギング所長は語っているが、イスラエル軍は、誤爆を認めておらず、学校に導火線が張り巡らされているのを軍用犬が見つけ、ハマースの攻撃があったと兵士が証言している。 1月8日には、UNRWAの輸送トラックがイスラエル軍に砲撃され、1人が殺害された。UNRWAは、イスラエル軍が職員の安全を保証するまで活動を停止すると発表 したが、1月9日にイスラエル政府から安全確保の保証が得られたとして活動を再開した。1月14日、UNRWA本部が空襲を受け、支援物資の食糧・医薬品などが焼き払われた。また、3人が負傷した。 1月9日、国際連合人道問題調整事務所(OCHA)は、パレスチナ自治区ガザ地区のガザ市近郊のザイトゥン地区で5日、イスラエル軍が約110人のパレスチナ人市民を1軒の住宅に集めた上でそこに戦車で複数回砲撃を行い、子供を含む約30人が死亡したと発表した。 イスラエルのニシム・ベンシトリット駐日大使は2008年12月28日、「われわれは国民を守るために、ハマースの施設への攻撃実施を決めた。(ハマースが)何らかの対応をとった場合は、われわれも考え直すだろう。しかし、彼らが攻撃を続けるなら、われわれも攻撃を続ける」と主張した。 12月29日、米国家安全保障会議のジョンドロー報道官は記者団に「米国はイスラエルに自衛が必要であることを理解している」とイスラエルの正当性を擁護し、今回の事態の発端となったハマースの攻撃停止を要求した。イギリス、ドイツもイスラエルの自衛権の発動であると認め、さらにエジプトやパレスチナ自治政府さえもハマースの暴挙を非難している。ハマースは自治政府とエジプトの態度に「裏切り者」と反発した。また、エジプト情報当局は12月26日夜、48時間以内の攻撃はないであろうとの予測をハマース側に伝えていたが、ハマースが挙行した警察学校の卒業式会場などが空襲の格好の標的となり、死者を増やした。そのため、ハマースは「エジプトに騙された」と非難した。 一方、湾岸協力会議首脳会議は12月30日、イスラエル非難を声明した。国連の潘基文事務総長は29日までに連日双方に停戦を呼びかける声明を出したが、事実上黙殺されている。日本は12月31日、麻生太郎首相が民間人の犠牲に遺憾の意を表明し、イスラエルに対し速やかに攻撃の停止を求めた。 2008年12月30日と2009年1月1日、フランスは人道物資搬入のための48時間の停戦案を出したが、ハマースの継続的なロケット砲攻撃を停止するためには不十分であるとし、イスラエルは拒否した。イスラエルのリブニ外相は、仏サルコジ大統領に対し、「われわれは、ガザの人道的状況をあるべき姿に維持している」と主張した。ハマースは、イスラエルの攻撃停止とガザ地区包囲解除が停戦の前提との見解を示した。 12月29日、イスラエルのバラク国防相はハマースとの「全面戦争」を宣言した。 ガザ地区の住民は、ハマースの実効支配を理由に、地区外への避難は負傷者の手当などの特例を除き認められていない。2009年1月2日、イスラエルは非パレスチナ人に限り脱出を許可し、約200人が退去した。 一方、イスラエル世論の空襲支持は高く、イスラエル国内のメディア・『ハアレツ』紙2009年1月1日号によると、52%が空爆継続、19%が地上侵攻を支持。停戦支持は20%だった。また、2月に予定されているクネセト総選挙の議席予想では、空爆直前の調査では与党は定数120中55議席だったが、60に伸ばす見込みであるという。このため、攻撃は一説に2006年のレバノン侵攻失敗や自身の金銭スキャンダルを帳消しにしたいオルメルト暫定首相 ら与党側が仕組んだ「選挙対策」ではないかとする見方も出ている。 1月3日夜、イスラエル軍はガザ地区の地上侵攻に踏み切った。イスラエル軍はガザ地区に三方から侵攻し、ガザ地区を三分断。ガザ地区最大の都市ガザ市を包囲した。国連の潘事務総長はオルメルト首相に「深い懸念と失望」を伝え、攻撃の即時停止を求めた。パレスチナ自治政府とエジプトも地上戦開始に非難声明を出した。リビアが国連安保理にイスラエルを非難する停戦決議案を出したが、米英の反対で採決には掛けられなかった。フランスを中心とした欧州連合は停戦を働きかけたが、イスラエルは拒否。しかし、欧州連合はイスラエルとアッバース大統領の自治政府とは交渉しているが、ハマースを「テロ組織」とする立場から、ハマースへの直接交渉は一切行っていない。イスラエルも同様である。 米国ブッシュ大統領は1月5日、「自衛を望むイスラエルの立場を理解する」と述べ、イスラエルが目標を達成するまで攻撃を支持する構えを見せた。一方、米国は停戦の条件として〈1〉ガザを実効支配するハマースのロケット弾発射停止〈2〉エジプトからガザへの武器密輸ルートとなっているトンネルへの対処〈3〉ガザとイスラエルとの境界にある検問所の再開を提示したが、ハマースはイスラエル寄りであるとして拒否した。ハマースは同日、エジプトに外交団を派遣した。ベネズエラは1月6日、イスラエルへの抗議として、イスラエル大使を追放した。 1月7日、人道物資輸送のため、イスラエル軍は隔日で3時間の攻撃停止を行なった。これによりガザの住民はごく短時間ではあったが、安堵する時間が与えられた。しかし困難な状況は変わっていない。 1月8日のイスラエル軍によるUNRWAへの攻撃は、攻撃停止されているはずの時間帯であった。同日、国連安保理は英国提出による双方に「即時かつ永続的停戦を求める」決議を採択した。米国は拒否権発動を見送り、棄権した。しかし、当事者は停戦決議を無視した。また、米国の上下院は相次いでイスラエル全面支持の決議を行った。1月13日、ガザ市で地上戦に突入した。1月14日、ボリビアとベネズエラはイスラエルと断交した。イスラエル、ハマース双方は実質的にエジプトを介して停戦交渉中である。しかし、イスラエルは一切の譲歩を避けるため、一方的に停戦を宣言した。ハマースはこれを拒否し、その後も衝突は続いたが、1月18日にハマース側が1週間の停戦を表明したことで、一応の終結を見た。1月21日にイスラエル国防軍は、ガザ地区から撤退した。これは、1月20日のバラク・オバマの米国大統領就任に配慮したものといわれている。オバマは「イスラエルの自衛権」に理解を示す声明を出し、引き続き米国はイスラエル支持を鮮明にした。一方、ジョージ・ミッチェル元上院議員を中東問題特使に任命したが、米国最大のユダヤ人団体名誉毀損防止同盟のエイブラハム・フォックスマン委員長は、「ミッチェル氏は中立だ」「だから心配だ」と不満を口にした。 イスラエルはガザ地区の封鎖を継続しており、ハマースはもとより、他の住民も密輸トンネルの再建で対抗しようとしている。これは民生品が長期の包囲で不足しているためである。ハマースは1年の、イスラエルは1年半の停戦案を提示したが、進展は見られない。 双方による報道管制も行われている。特に、イスラエルは報道関係者のガザ地区への立ち入りを一切禁じ、アルジャジーラなど従来よりガザ地区に記者が駐在しているマスコミ以外は、直接取材は不可能に近い状況になっている。1月3日の地上侵攻作戦では、規制解除前に報じたイランの記者を逮捕した。1月9日には米3大ネットワーク(ABC、CBS、NBC)やCNN、欧州の主要メディアなどが連名で、現地取材を認めるよう声明を出した。イスラエル最高裁は、外国メディアの現地取材を認める判決を出したが、イスラエル国防軍側はまだ認めていない。 3月31日、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ・リクード(団結)代表が、1999年以来10年ぶりに首相に就任した。
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