高等女学校時代とは? わかりやすく解説

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高等女学校時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 08:32 UTC 版)

愛知県立岡崎北高等学校」の記事における「高等女学校時代」の解説

1907年明治40年3月30日 - 額田郡岡崎町への高等女学校設置認可される4月1日 - 校地岡崎町大字康生定められる4月2日 - 上記校地への校舎および寄宿舎建設認可される4月12日 - 岡崎町大字門前随念寺を仮校舎として「岡崎町高等女学校」が開校4月27日 - 開校式を挙行初代校長三井政善。 12月13日 - 校舎新築移転めぐって反対派が「二校期成同盟会」を組織するこの頃連尺尋常小学校と投尋常小学校増改築同時に高等女学校新築あわせてすべきだとする「三校派」と、尋常小学校2校の増改築のみをすべきだと主張する二校派」の間で激しい対立があった。 1908年明治41年2月21日 - 岡崎町役場前の弁天坂で二校派の町民1000人ほどが三校派の議員対し投石流血を伴う暴動事件発生するいわゆる二校三校事件)。 6月15日 - 旧・連尺尋常小学校跡地(現・岡崎警察署敷地)に移転1909年明治42年4月13日 - 岡崎町大字六供にあった旧・岡崎高等小学校校舎跡地(現・岡崎市民会館敷地)に移転1909年明治42年5月10日 - 二代校長千蔵尚就任 1911年明治44年4月1日 - 実科設置1912年明治45年4月1日 - 補習科設置1916年大正5年7月1日 - 岡崎町市制施行により岡崎市になったため、「岡崎市高等女学校」と改称10月2日 - 屋内体操場が完成1923年大正12年2月28日 - 補習科廃止し本科修業年限4年から5年改定1929年昭和4年5月26日 - 講堂完成1930年昭和5年2月25日 - 本科修業年限4年または5年とする。 1945年昭和20年7月20日 - 岡崎空襲により、全校舎が焼失1947年昭和22年4月1日 - 学制改革六・三制実施が行われる。高等女学校募集停止1年生不在)。 新制中学校併設し(名称:岡崎市高等女学校併設中学校、以下:併設中学校)、高等女学校1・2年修了者新制中学2・3年生として収容併設中学校経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たな生徒募集行われず在校生2・3年生のみの中学校であった高等女学校3・4年修了者そのまま高等女学校在籍し高等女学校4・5年生となる(4年修了時点卒業することもできた)。

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高等女学校時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 23:28 UTC 版)

栃木県立宇都宮女子高等学校」の記事における「高等女学校時代」の解説

1875年明治8年10月 - 下都賀郡栃木町(現・栃木市薗部町)に「栃木女学校」として創設初代校長手塚信敬1877年明治10年2月 - 「栃木模範女学校」と改称1879年明治12年7月 - 「栃木県第一女子中学校」と改称1881年明治14年5月 - 中学校男子校栃木県立宇都宮高等学校前身)に統合され、「栃木県第一中学校女学部」となる。 1885年明治18年4月 - 栃木県庁宇都宮移転に伴い塙田町(県庁前)に移転1886年明治19年9月 - 「栃木県尋常中学校女学部」と改称1893年明治26年4月 - 栃木県尋常中学校から分離し、「栃木県高等女学校」と改称6月 - 裁縫専修科設置7月 - 河内郡姿川村鶴田(現・宇都宮高等学校敷地内)に移転1895年明治28年4月 - 塙田町の旧校舎に復帰1896年明治29年10月 - 同窓会発会1899年明治32年4月 - 専任校長決定し小堀源が就任1900年明治33年3月 - 服装規定設け全校袴着用に統一1901年明治34年5月 - 「栃木県宇都宮高等女学校」と改称1902年明治35年8月 - 寄宿舎西大寛町の新設校舎移転 9月 - 定員本科400名、補習科60名、技芸専修科60名、計520名とする。補習科技芸専修科本科修了後の課程1903年明治36年4月 - 西大寛町(現在地)に移転5月 - 校友会生徒会)が発足6月 - 校歌旧校歌)を制定 9月 - 生徒服装規準決定し木綿長袖海老茶袴、短靴とする。 11月 -徽章胸章)を制定1905年明治38年3月 - 新校舎全館完成1910年明治43年12月 - 技芸専修科廃止1911年明治44年2月 - 実科設置4月 - 校章徽章)を改定校訓制定1915年大正4年9月 - 服装木綿長袖から元禄袖改正10月 - 創立40周年記念し、操(みさおばし)が開通1918年大正7年3月 - 実科廃止1921年大正10年3月 - 補習科廃止4月 - 校歌改定現校歌)。 1922年大正11年2月 - 生徒定員1000名とする。 1925年大正14年2月 - 標準校服洋服背広型)とする。 1928年昭和3年4月 - 同窓会家事専攻部を設置8月 - 創立50周年記念館が完成1931年昭和6年4月1日 - 宇都宮市内に高等女学校新設されたことにより、「栃木県宇都宮第一高等女学校」と改称1932年昭和7年4月 - 服装セーラー型に改定校章胸章)を改定1935年昭和10年10月 - 生徒保護者会発足1936年昭和11年4月 - 同窓会経営専攻科県立移管し、修業年限2年とする。創立60周年記念し体育館完成1939年昭和14年2月 - 修業年限5年とする。 1941年昭和16年4月 - 校友会改組し、報国団とする。文部省により女子中等学校生徒服装ヘチマ衿バンド付)が制定される6月 - 生徒勤労動員開始1943年昭和18年この年 - 女子中等学校制服が(上)和服型・(下)モンペ改定される4月 - 中等学校令施行により、修業年限4年短縮される1944年昭和19年8月 - みさお保育園開設し勤労者の子教育開始陸軍省4年生戦時看護訓練実施9月 - 生徒通年動員開始1945年昭和20年3月 - 専攻科廃止4月 - みさお保育園廃止9月 - 戦時通達による附設課程廃止11月 - 報国団を解散し生徒自治会発足校友会が再び発足1946年昭和21年3月 - 修業年限5年復帰1947年昭和22年2月 - 校友会解散し生徒会発足4月1日 - 学制改革六・三制実施新制中学校発足高等女学校募集停止新制中学校併設し(名称:栃木県宇都宮第一高等女学校併設中学校、以下・併設中学校)、高等女学校1・2年修了者新制高校2・3年生として収容併設中学校はあくまで経過措置として暫定的に設置されたもので、新たに生徒募集行われず在校生2・3年生のみ(1年不在)の中学校であった高等女学校3・4年修了者そのまま高等女学校4・5年生として在籍4年卒業することもできた)。 文部省補助を受け、附設幼稚園開設

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高等女学校時代(1915-1931)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 22:55 UTC 版)

一宮市立図書館」の記事における「高等女学校時代(1915-1931)」の解説

近世一宮真清田神社門前町として栄えた町であり、「三八市」と呼ばれる門前市では綿織物絹織物などの繊維製品取引された。1915年大正4年)には日本各地大正天皇御大典記念事業企画された。愛知県中島郡一宮町一宮町会は記念事業として一宮町図書館設置することを決定し図書館設備費1,000円の支出議決12月24日には館則が制定されその後松井茂愛知県知事に対して設立申請書提出して認可受けたこの頃資料欠いているため、実際開館日定かでないが、今日一宮市立図書館は館則が成立した12月24日創立記念日としている。 一宮高等女学校時代の規則開館時0401日-07月20日 : 16時-21時(一学期07月21日-08月31日 : 08時-16時夏季休暇中) 09月01日-12月24日 : 16時-21時(二学期12月25日-0107日 : 09時-16時冬期休暇中) 0108日-0331日 : 16時-21時(三学期) 閲覧冊数 3部15以内 閲覧館内閲覧 : 1回2銭 館外貸出 : 1回3銭 同年開館したばかりの一宮高等女学校(現・愛知県立一宮高校)仮校舎間借りし、「書棚二つ充つ程度」の貧弱な施設だった上に、利用者高等女学校職員教員)に限定され開館時間は高等女学校カレンダー強く反映していた。 一宮町図書館と同じ1915年には名古屋市複数簡易図書館開館しており、愛知県下では武豊町立図書館知多郡武豊町)と刈谷町刈谷図書館碧海郡刈谷町)などが開館している。尾張地方では中島郡祖父江町明治村などに小規模な記念図書館設置された。なお、御大典記念事業一環として一宮町内の全4小学校児童文庫設置されており、今日学校図書館源流となっている。 1916年大正5年)から1924年大正13年)までは年間1,100円前後1925年大正14年)から1930年昭和5年)までは年間500円前後予算計上され、年によって30円か510程度図書購入費に充てられた。1919年大正8年)には富本時次郎編著の『帝国地名大辞典』の寄贈受けた1921年大正10年9月1日には一宮町市制施行して一宮市となり、図書館市立一宮図書館改称した

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