少女時代 〜 医学の道へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/03 09:23 UTC 版)
「佐伯輝子」の記事における「少女時代 〜 医学の道へ」の解説
玩具問屋の3人姉妹の次女として誕生。男らしく育てようとする父、「女も勉強をして手に職をつけなければならない」という、当時としては近代的な考えを持つ母の影響を受けて育った。 高等女学校時代に太平洋戦争を迎え、学校が軍需工場となった。ひどい埃のために急性肺炎を患い危篤状態となったが、医師の懸命な治療により一命をとりとめた。このときの感激により「今度は自分が人を助ける側に回ろう」と、医学を志した。男子のいない境遇で、後継ぎを欲する父から「お前が男だったら」とよく言われて育ち、医師なら男女差別のない職業との考えでもあった。父親は店を継いでほしいと泣いたが、母の強い勧めが助けとなった。 最初は予防医学を志したものの、やはり人の命を救う医者に憧れ、東邦大学医学部を受験し直した。合格はできたが、富裕であった自宅の店は戦災によって没落しており、金銭面の問題があった。母は戦災を逃れていた着物を売り払い、銀座の宝石店でダイヤモンド2個を売り払い、入学金を工面した。これにより佐伯は、当時の日本全国で130名ほどしかいなかった女医の卵となった。 1957年(昭和32年)3月に東邦大学を卒業。卒業式の数日後に、級友であった佐伯誠也と結婚し、佐伯姓となった。翌1958年(昭和33年)、横浜市保土ケ谷区に構えた自宅で、内科・小児科・放射線科の医院として佐伯医院を開業した。1975年(昭和50年)からは同市金沢区の鳥浜町南部市場でも佐伯診療所を開設し、双方を掛け持ちする多忙な日々を送った。診療と自宅での家事の傍ら、薬理学の勉強のため東邦大学医学部の薬理学教室へも通った。
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