少女時代における目標達成のための極端さ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 09:51 UTC 版)
「鈴木早智子」の記事における「少女時代における目標達成のための極端さ」の解説
先述のこだわりのある気質と関わるが、以下のように、少女時代における鈴木は、歌手になるため「やれるとこまでやる」という「目標」達成のため、自身をして「極端」と言わしめる人生選択をしている。 2006年の吉田豪によるインタビューでは、高校に入学した1984年に、「高校が芸能活動禁止だと聞くなりすぐ休学届を出しちゃうとか、ホントに極端な性格というか。」という吉田の言を受けて、鈴木は、「すごい極端です! ドラマの衣装合わせをサボッちゃったこともありますよ。バレー部員の役で、髪を切らなくちゃいけなくて、それがショックで。もちろんいけないことなのはわかってたので、すぐ事務所に「ご迷惑をおかけしたので辞めさせていただきます」って言って。」と答えた。この、芸能事務所の退所について、鈴木は後に、「歌手の仕事ではないので未練がなかったのでしょう。」と、当時の自身の気持ちを推し量っている。吉田のインタビューに戻ると、この退所後に高校を退学したことについて、鈴木は、歌手になるため「やれるとこまでやるのが目標だった」ため「あえて追い込みたかったんですよ。」と語った。この目標が達成されるのは、彼女がアップライトミュージックに所属して1年ほど経った1988年、Wink結成が未だ決定していない時期に、歌手デビューの見通しもなく下積みが続く中で引退を決意した時であり、「ホントに自分でやれるところまでやってダメだったから、悔いはなかったんですよ。」と述べている。なお、引退決意から間もなくWink結成が決るため、引退は実行はされていない。
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