少女期 - 女学校時代
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1911年(明治44年)、北海道余市郡赤井川村で誕生した。父は余市郡余市町の小学校の校長であり、「子供は大きな夢を持ってのびのびと育つべき」という、当時としては先進的な考えの持ち主だった。芳枝は北海道の大自然を駆け回って育つ一方、学校では算術に夢中になった。考えることが好きな性格であったため、算術は筋道を辿って答を出す学問として、大きな魅力があった。食事のときも遊びのときも、算術が頭から離れないほどだった。 1924年(大正13年)、北海道庁立小樽高等女学校(後の北海道小樽桜陽高等学校)に進学した。この学校では芳枝の姉が、裁縫の教員として勤務していた。芳枝は姉の姿に憧れを抱き、姉のように好きな進路で輝くことのできる女性になることを夢見た。 芳枝はこの女学校の在学中に、数学を勉強していきたいという気持ちを、すでに固めていた。当時、女子学生が学ぶ科目は裁縫や家事に関するものが大半であり、数学の授業時間は男子学生の半分、内容的にも劣るものだった。芳枝は意を決して、北村という数学教員に、男子の数学の教えを受けたいと相談した。北村は初めて見る、向学心に燃える女学生の姿に驚いたが、芳枝の熱意と気迫に圧倒され、特別に講義を行うことにした。女学校の教科書ではなく中学の教科書で教えを受け、芳枝は、女学校では学ぶことのできない数学を身につけていった。 芳枝はこの北村から、出身校である東京物理学校(後の東京理科大学)の数学講義の様子を聞いた。大学ならば数学を専門に、思う存分学ぶことができると、次第に憧れを抱いた。
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