少女期 - 学生時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/10 05:06 UTC 版)
1917年に、大阪市北区富田町で、3人姉妹の三女として誕生した。実家の安藤家は、福島県の二本松神社の神主を務める名門であり、父の安藤重信は、大阪で事業に乗り出す資産家であった。また父方の先祖に幕末の学者の安積艮斎と歴史学者の朝河貫一がおり、このことは仁子にとって生涯の誇りであった。母の須磨は鳥取藩士の家系で「私は武士の娘です」が口癖であった。 大阪市立丸山小学校に入学後、父の事業の悪化により、大阪市淀川区十三南之町へと転居した。この小学校時代、教会の英語塾にも通い、英語を学んだ。小学校を卒業後は、母のやりくりで大阪の金蘭会高等女学校へ進学した。しかし父の倒産で、月謝不足から休学を強いられ、大阪電話局で働いた。復学後も電話局で夜勤をしながら通学、十三南之町から中津南通4丁目へ転居。日記に「最低の貧乏暮し」と記すほどの貧乏生活と苦学の末に、女学校を卒業した。
※この「少女期 - 学生時代」の解説は、「安藤仁子」の解説の一部です。
「少女期 - 学生時代」を含む「安藤仁子」の記事については、「安藤仁子」の概要を参照ください。
- 少女期 - 学生時代のページへのリンク