古山家(福島の人々)
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「エール (テレビドラマ)」の記事における「古山家(福島の人々)」の解説
古山三郎(こやま さぶろう) 演 - 唐沢寿明 裕一の父。福島の老舗呉服屋「喜多一」4代目店主。 幼少期の裕一を気にかけ夢中になれるものを探すことを提案した。それが次男の浩二が生まれた時に購入した蓄音器に裕一が強い興味を示し、結果として裕一が音楽の道へ進む最初のきっかけを与えた。 長兄と次兄が相次いで亡くなったため、三男でありながら店を継ぐこととなった過去を持つ。そのため息子たちには自分の信じた道を歩んでほしいと願っており、内気で何の取り柄もないと思われていた裕一に音楽の才能があると知った時には大喜びしていた。後に裕一がプロの作曲家を目指して上京する時には、家族・親戚一同は最後の最後まで猛反対したが、裕一の良き理解者であった彼だけは裕一の味方につき駅まで見送った。その際、裕一に「何をやってもダメな俺だが、お前(おめぇ)だけは自慢だ」、「お前が福島を捨てても、俺はお前を捨てねぇ」と告げる。 もともと度が過ぎるほどのお人好しな性格が災いして、他人からもだまされやすく、先代の店主と違って商売の才能は全くないと周囲からは酷評されていた。そのため、裕一が子供の頃から「喜多一」の経営は危機に瀕しており、裕一が帰省する半年前に「喜多一」は廃業となった。劇中では「俺に任せとけ」が口癖であったが、その口約束が守られたことはなく、その件については上京する裕一にも謝罪していた。 裕一が帰省した時には胃ガンを患っていて、既に手の施しようがなく、立って歩けるのが不思議なくらいだと医者から言われるほどだった。そのため、妻のまさと次男の浩二は「胃潰瘍」と偽って明るく振る舞っていたが、本人は自分が助からないことを悟っていた。 そして、古山家の家・土地を浩二に譲る承諾を裕一から得た後、危篤に陥るが3日後に目を覚まして彼を喪主と家長に任命し、その夜に死去した。 なお、あの世で音の父・安隆と知り合ったらしく、第87話ではあの世で彼と将棋を指していた。 また。浩二の結婚式の時にも幽霊の姿で登場し喜んでいたが、安隆と対局する場面も含めまさの想像とも受け取れる演出でもあった。 ノベライズでは、「喜多一」が潰れた後、市役所に赴いて浩二のことを頼んでおり、その際に「あいつの言うことを聞いていれば店を潰さずに済んだ」と後悔の念を口にして、浩二は必ず役に立つからと推薦していたことが語られている。 古関裕而の父である古関家八代目当主、七代目・古関三郎次がモデル。 古山まさ(こやま まさ) 演 - 菊池桃子 裕一の母。 織物業が盛んな川俣町で生まれる。実兄、権藤茂兵衛からの養子要請と、裕一の音楽の才能を応援したい気持ちとの間で板挟みに遭ってしまう。 裕一の音楽の才能を認めつつも、その才能が世間で通用するとは思えず、裕一の上京には反対し、裕一と音の結婚にも強く反対した(このことについては裕一夫妻が帰省した時に音に「あなたが正しかった。裕一を信じてくれてありがとう」と礼を述べている)。 しかし、裕一が作曲家として大成し、福島の小学校が新しい校歌の作曲を依頼し採用されたことを藤堂先生から聞き、裕一が上京してから初めての手紙を書き、福島への帰省を誘う。 三郎の病気については、胃潰瘍と偽って明るく振る舞って隠していたが、本人には気付かれていた。苦労をかけたことと、早く気付いてあげたかったと、音の前で初めて弱さを見せて泣き崩れた。 昭和10年代後半は体調を崩していて、一時は裕一がビルマ慰問を躊躇う程に悪化したものの終戦を乗り越え、ラジオドラマ『鐘の鳴る丘』を次男・浩二と共に病床で聞いている。 昭和26年には体調も回復し、鉄男と典男の兄弟に「親は子供が生きていることが一番うれしい」と話し、浩二が結婚し畠山家に婿養子として入ることにも快諾した。 第118話では三郎の横に遺影が飾られていることで亡くなっていることことが窺える。 古関裕而の母の古関ひさがモデル。 古山浩二(こやま こうじ)→畠山浩二(はたけやま こうじ) 演 - 佐久本宝(幼少期:潤浩) 裕一の2歳下の弟。 長男でありながら家業を継がず音楽の道へ進んだ兄の裕一に反発しながらも、「喜多一」を立て直すために奮闘し、三郎にも様々な提案をするが悉く撥ね付けられる。 「喜多一」閉店後は、福島市役所の農業推進係に勤め、毎日忙しく働いている。 桑畑を果樹園に変えていくため農家へ説得がなかなかうまくいかない自分とは対照的に東京で作曲家として成功し、父の状況を何も知らない兄につらく当たるが、既に営業していない「喜多一」店内で一人、裕一の「船頭可愛いや」のレコードを大事に持って見つめるシーンがある。それでも裕一に対する苛立ちは変わらず、一時は「兄さんは、もうとっくに家族じゃない!」とまで罵るが、危篤から目を覚ました三郎と会話し、店を継いでくれたことへの感謝と迷惑ばかりかけたことへの謝罪を受け、「音楽しか能がない」裕一とはあくまで、音楽があったから話が出来たのであり、彼とは何もなくても言いたいことを言い合えたことを吐露され、更に三郎の告別式の喪主及び古山家の家長への指名と、土地・財産を全て自分に譲ること、それを裕一が、当然だと二つ返事で承諾したことを告げられ、三郎の死後は裕一とも和解した。音・華と共に東京へ戻る裕一に、福島でリンゴの栽培を計画していることを語り、うまいリンゴが出来たら送ると告げて送り出した。戦時中は、男が兵隊に取られたため地域の子供達に手伝ってもらい、その指導係をしていたとのこと。 裕一と違って結婚相手が見つからず独身のままであり、義姉の音と姪の華がまさの看病を兼ねて福島に疎開に来た時には快く受け入れた。これをきっかけに、より結婚というものに憧れを抱き、あの世にいる三郎からは「お前は固えとこがあっから女にモテねえんだ」と心配されつつ、家を守ることも兼ねて結婚することに意気込んだ。 戦後の昭和26年、自身が訪問している畠山リンゴ園の一人娘の畠山まき子に密かな思いを抱いていたが、父の親戚の会社を手伝いに上京することを聞かされ、また、何気なく「応援する」と言ったその一言がまき子の機嫌を損ねたと落ち込んでいた。母・まさから今まで断り続けたお見合いの勧めにも応じ出席もした。しかし音に強く励まされまき子に告白して結婚までこぎつけた。 まき子と結婚後は畠山家の婿養子となり、リンゴ園をまき子とともに営んでいる。それと前後してリンゴ産業の関連で兄、裕一に「高原列車は行く」の作曲を依頼した。 東京オリンピックの頃には双子の女の子の父親になっていて、まき子と家族四人で開会式をテレビで見ていた。 エールコンサートでは、関内吟(後述)と共に、途中から司会進行に入った。 モデルは古関裕而の5歳下の実弟である、デザイナーの弘之(ひろし、1914年 - 1991年)。前述のように、ドラマでは様々な確執が描かれているが、弘之の長男(裕而の甥にあたる)は、実際は非常に仲の良い兄弟だったことを証言している。
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古山家(東京編)
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古山華(こやま はな)→霧島華(きりしま はな) 演 - 古川琴音(少女期:根本真陽、幼少期:田中乃愛、乳児期:村田さゆみ) 裕一と音の一人娘。幼少時は音に似たやんちゃな性格で、音を困らせたり、裕一を訪ねてきた五郎を振り回して遊び相手になってもらっていた。 母が子ども向けの音楽教室を開くと、当初は生徒に嫉妬していたが、弘哉を通じてわだかまりが解け、華も音楽教室の生徒になった。 終戦後、疎開していた福島から東京の実家に戻り、裕一から弘哉の戦死を知り泣きじゃくった。しかし池田から作曲の依頼があった時には、落ち込む裕一に良い話だから受けるように勧めている。 学生時代は隣の高校の野球部員の竹中渉に思いを寄せていたが、渉は気づいていなかった。裕一や音のように打ち込めるものないことに悩み、音がオペラのオーディションを受ける際には家事を進んでしようとするが、家事も両立させたい音に度々遮られ苛立ちが募り、伯母の吟の家に家出したこともあった。 その後、人の役に立ちたいと看護学校に通い看護婦になる。渉とは交際は続いていたのだが、大学卒業時プロのスカウトがなく野球を断念する渉には、華の思いが重荷になり振られてしまう。 病院に勤務し4年、ロカビリー歌手の霧島アキラが怪我で入院してくるが、華はアキラに好感を持てず、渋々看護を担当。同僚の看護婦の榎木美代子の結婚が決まり、独身最年長の看護婦になった華は、重い女から軽い女宣言をし、バーで恋人を探すもうまくいかない。しかしバーで出会ったアメリカ帰りの外科医から聞いたリハビリテーションをアキラで実践し、回復につなげる。リハビリを通じ二人は恋仲になり、プロポーズを受ける。そこへ裕一が入院し、アキラと同室になる。裕一には音と二人でアキラとの交際や歌手であることを隠していたが、退院の際アキラが口をすべらせ歌手であることがばれる。その後アキラが古山家に挨拶に来たときに、重いところがある自分を飛び越えて接してくれるところに好感を持っていると答え、音に突きつけられたロザリオの前でお互いの幸せを誓う。その後結婚し、裕太と杏の二人の子供に恵まれた。 田ノ上五郎(たのうえ ごろう) 演 - 岡部大(ハナコ) 第13週の最後に突如として古山家に現れた三枚目タイプの男性。見た目は太めの体型で坊主頭をしており、美男子とは言い難いが、心根は優しい。 裕一の曲に感銘を受け、茨城から上京し、弟子入りを志願した。5人兄弟の末っ子で奉公により13歳で雑穀問屋に出ていたが、辛かったらしく逃げ出している。声がかなり大きく、子守りがうまい。 裕一達に最初は断られ、その後何度も門前払いを受けるが、恐ろしい悪臭と野犬に襲われ服がボロボロになるまで何日も居座り続けたことで音を上げられたことと、自分の境遇と彼の歌で励まされたことを裕一に話したことで、弟子として住み込みを認めてもらった。 同じ日に古山家に居候することになった梅は正反対の性格で、かつ彼女は2作目が全く書けないこともあり、きつく当たられるが、下駄の鼻緒が切れ幸文子から笑われた時に庇ったことと持ち前の優しさから惚れられる。 自分の才能の無さにより見切りを付けて古山家を出るが、「もっと自分を好きになってください」と言われ自分の気持ちに正直になった梅から「私はあなたを必要としています」と言われ、婚約者となる。 その後、梅の実家に身を寄せ、岩城に馬具職人として一人前と認められてから結婚しようということになった。 古山家を出る前に、彼が作曲した最初で最後の曲を置いていき、この曲だけは裕一から高評価された。 一見鈍そうな外見に似合わず器用で何でもそつなくこなすが、馬具試験に7回不合格になるなど本番に弱い。しかし、家出した時に裕一から「歌を歌うと気持ちがすーっとするよ」と言われ、頭の中で「船頭可愛いや」を思い浮かべ、目を閉じながら丁寧に縫い付け作業をし岩城達を驚かせ、後継ぎとして認められ梅と結婚した。 馬具職人として働いていたため、兵役は免除されていたものの、クリスチャンである関内家で生活するうちにキリスト教の信仰に目覚め、また戦争反対を唱えた。光子が止めるのを振りきり反戦集会に出席するが、特高警察に逮捕連行され激しい拷問を受けるが、終戦を迎えるとほぼ同時に釈放された。反戦活動にのめり込み過ぎて「本当に大事な物」を見失ってしまったことを後悔し、釈放されると同時に梅と岩城が入院する病院へ駆けつけ、彼らに謝った。 戦時中の空襲で関内馬具店が全焼した上、終戦と同時に馬具の需要も失われたため、これに代わる新たな革製品の手工業として野球のグローブを生産することを思い付くが、その後は劇中に登場しておらず、戦後の動向は妻の梅と共に不明である。
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