花巻高等女学校時代までとは? わかりやすく解説

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花巻高等女学校時代まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 14:38 UTC 版)

宮沢トシ」の記事における「花巻高等女学校時代まで」の解説

1898年11月5日、父・宮沢政次郎と母・イチとの間に宮沢家長女として、2歳離れた長男の賢治の次に誕生したトシの下には妹・シゲ1901年生)、弟・清六(1904年生)、妹・クニ1907年生)が生まれている。宮沢家岩手県稗貫郡花巻川口町(現・花巻市豊沢町にあった。 賢治とは2歳違いのすぐ下の妹であったことから、きょうだいの中では最も親しかった。賢治5歳トシ3歳小正月写され二人写真叔父撮影)が現存している(本ページ掲載)。当時宮沢家浄土真宗帰依していた。父の政次郎は篤信家として花巻仏教会などの幹事務め暁烏敏らを講師迎えた大沢温泉での夏季仏教講習会開催していたが、トシ子供の頃に賢治とともに講習会参加していたことが写真残されている。 1905年花巻川口町立花巻川尋常小学校入学成績は優秀で4年生では「模範生」に選ばれた。 1911年開校したばかりの花巻高等女学校進学するトシ高等女学校の「最初1年生であったが、開校に際して2年編入する生徒同時に募集したことから、二回生であった1年生9月在籍するクラス最初級長任命され卒業まで続け成績全教科の平均卒業まで全学学年トップであった3年生時の学年級会」では「開会ノ辞」を読みオルガン演奏披露した1914年大正3年3月一回生の卒業式では送辞読んだ4年生進級後の5月東京へ修学旅行3年生合同)に参加する。この旅行では上野開催中大正博覧会をはじめ、上野にある諸施設日比谷公園浅草など多く名所回っているが、特に東京音楽学校では演奏鑑賞する機会があり、多く生徒感銘与えたことが学校の「教務日誌」に記されている。さらにこの訪問契機となり、7月には音楽学校教授弘田竜太郎来訪し2日間の「音楽練習会」が開催され、やはり生徒感動させた。この練習会では弘田およびこの年春に東京音楽学校卒業した高等女学校音楽教員鈴木竹松演奏披露している。これらのイベント学校内音楽への関心が高まる中、トシ4年生初め頃から鈴木課外ヴァイオリン講習受けていたとされる。やがて、トシ鈴木好意を抱くようになるが、鈴木関心が他の女生徒にあると気付いたことを後述の『自省録』に記している。この艶聞何らかの事情周囲漏れ、『自省録』の表現では「衆人非難冷笑の眼」「誹謗の矢」を受けることとなった卒業目前控えた1915年3月地元紙「岩手民報紙上に「音楽教師と二美人初恋」と題して人物の名前変えたゴシップ記事3日間にわたって掲載される記事ではトシ連想させる生徒の「財産家」の親を揶揄する表現もあり、トシは『自省録』で記事家族心痛したことを記している。直後卒業式では総代として答辞読んだ

※この「花巻高等女学校時代まで」の解説は、「宮沢トシ」の解説の一部です。
「花巻高等女学校時代まで」を含む「宮沢トシ」の記事については、「宮沢トシ」の概要を参照ください。

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