製作の決定とは? わかりやすく解説

製作の決定

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 06:52 UTC 版)

天国の駅 HEAVEN STATION」の記事における「製作の決定」の解説

1982年の春頃、早坂から書き出し10脚本送られてきて、これを読んだ吉永最初に読んだ企画書のような嫌悪感がなく、早坂らしい温かみ滲み出て、殺人犯した者の哀しみが胸に響いた早坂吉永出演勧め、また吉永自身「『細雪』で自分にも魔性みたいなモノがあるのかな」と感じたこともあり、人間本質的な欲望触れたドラマはやったとがないし、年齢的にも役の幅を広げて多少毒のある役にも挑みたいと考えていたこと、日活時代思い出させてくれる活気のある東映スタッフとまた仕事をしたいという思いもあり出演承諾した出目吉永出演を受け「最近映画監督恵まれませんから、守備範囲広げておきませんとね」と監督引き受けた。「別の女優さんで、いくらでも役に当てはまる人はいると思いますが、吉永さんがやらなければイヤな話になってしまう。普通のきれいな女性が辿る薄幸道。女の闇の欲望やそこから出てくる魔性描いてみたい。戦後いろんな改革進んで女性強くなり始めて我慢しなくなった。それが昭和30年頃だと思います今は女性犯罪増えていますけど、いろんな意味でモデルになった女性現代女性先駆的な人だと思います」などと抱負述べた出目東映での初演となった

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製作の決定

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 09:08 UTC 版)

きけ、わだつみの声 Last Friends」の記事における「製作の決定」の解説

その後1995年戦後50年にあたることから、邦画メジャー3社で戦争映画大作競作しようという機運高まり、また各社邦画メジャーとしての意地もあり、東映でも岡田茂東映会長が製作に強い意欲見せたことから、正式に製作が決定したフジテレビとの提携はなかったが、当時バンダイが『パワーレンジャー』のキャラクター・グッズぼろ儲けしていたため、東映が話を持って行きバンダイ山科誠社長了承し東映バンダイ共作となった山科は「(岡田)裕介さんに東映社長になる前にオヤジさんに負けないような実績作ろう」とリメイク薦めた、裕介さんは「父親作品だし、時代変わったから」と難色示したが、私が「戦後50年集大成として製作してもいいタイミングじゃないか」と提案し、裕介さんが父親話したら、岡田茂さんが快諾し、製作が決まった等と話している。 1990年代前半東映アニメ映画以外は大ヒット出ず劇映画大ヒット1991年配収10億5千万円を挙げた福沢諭吉以降ないという状況だった。岡田親二代に渡るプロデュース作で「成功させたい」という強い思い東映にあった東映本作東宝『ひめゆりの塔』と、戦争大作リメイク早く決め会社意地見せ万全体勢敷いた『ひめゆりの塔』第一作東映製作された。しかし松竹はこれに乗らずこのため東映東宝の二社で『戦後50年記念共同プロジェクト』を実施し、二作品予告編反対劇場で流す、二作品予告編一緒にしてお互い劇場で流すなどという史上初の試みを行うなどで盛り上げた松竹はこの二社の盛り上がり便乗し、二年前お蔵入りさせていた『THE WINDS OF GOD』をこの年公開した1995年1月11日銀座東武ホテルで製作発表会見があり、高岩淡東映社長山科誠バンダイ社長岡田裕介東映取締役出目昌伸監督脚本早坂暁織田裕二緒形直人仲村トオル的場浩司風間トオル鶴田真由出席会見岡田裕介プロデューサーは「内容前作とは趣を異にした早坂先生オリジナルで、6人の青春群像オールスターで描く。フィリピンロケを行い本物零戦グラマンも飛ばす予定だ」と話した高岩東映社長は「50年前にはこんな悲惨なことがあり、その上に今日の平和・繁栄があるわけで、戦争知らない若者たちアピールしたい」、山科バンダイ社長は「昭和20年生まれの私も太平洋戦争知らない世代一人だが、戦後50年という節目の年にこういう有意義な作品キチッとした形で残し次の世代受け継がれるような名作になればと思う」などと話した。製作費10億円。本来は終戦記念日合わせて8月公開理想ではあったが、東映東宝とも毎年恒例の子番組があるため、5月6月公開となった

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製作の決定

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 07:05 UTC 版)

ダイナマイトどんどん」の記事における「製作の決定」の解説

第一稿を読んだ菅原が「想像した以上に面白い。是非やろうじゃないか。どこで撮るんだ」という話になり、古田と同じ飲み屋常連だった大映佐藤正大古田からこの話を聞いていて、徳間康快大映社長武田敦に報告し大映撮ろうとなった。しかし菅原東映専属俳優のため、勝手に大映映画出演できないこのため菅原当時フリープロデューサーで、一応東映ゼネラルマネージャーという肩書だった俊藤浩滋プロデューサー担当頼み徳間大映社長岡田茂東映社長とで話し合い持たれ大映で製作、東映配給決まった監督岡本喜八最初からの構想で、菅原も「かねがね一度機会があれば組んでみたいと思っていた」と賛成した1978年7月27日後楽園ホールで製作発表会見。同所会見が行われたのは、これに先立ち、朝9時から後楽園球場東京映画記者会とスタッフ役者チーム野球親善試合行ったためで、北大路欣也欠場響き記者チーム22対2と圧勝した会見には、徳間大映社長岡田東映社長、俊プロデューサー岡本監督菅原フランキー堺金子信雄宮下順子小島秀哉らが出席徳間大映社長は「本作を再スタート大映映画第一弾として製作する」と述べ、「大映内部整理一年かかったが、今年からドンドン製作を進める。今はこれだけ野球人気集まっているんだから、この映画だって絶対当たる」と強気発言。これに対して岡田東映社長は「ウチ作るという話もあったが...」と煮え切らない態度岡本監督は「昔の愚連隊タッチ大真面目喜劇作りたい」と静かな闘志燃やし菅原は「脚本読んで傑作だ直感した健さん勝負や」とぶち上げた封切り高倉健主演角川映画『野性の証明』と同じ、1978年10月7日にぶつけると発表した東映本作ダイナマイトどんどん』を主力劇場で、『野性の証明』東映洋画系で公開するため、どちらに転んでも損はしない

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製作の決定

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 09:21 UTC 版)

あゝ決戦航空隊」の記事における「製作の決定」の解説

岡田茂東映社長は、1974年5月インタビューで、本作の製作を決めた理由を「大西中将人間として凄く魅力があるし、彼の死によって徹底抗戦主唱した厚木航空隊青年将校思い止まったという歴史的な秘話もあって、従来戦記映画にないドラマ出来ると思ったからなんだ。戦争若い人興味がないというが、これは当たるよ」と話している。また「東映カラーこれから原則的には"不良性感度"を基調にしてゆくことには変わらない。ただ、時折は"善良性感度"の強い作品作る。この8月公開予定している『あゝ決戦航空隊』、これは特攻作戦断行した大西瀧治郎中将ハナシだ。特撮鶴田浩二高倉健ほかのオールスターでつくろうと考えている。不良性では馬鹿当たりはまずありえない。それを狙うとすれば"善良性感度の企画"を考えにゃいかん時代入ってきたね」と話した

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製作の決定

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/27 07:25 UTC 版)

時雨の記」の記事における「製作の決定」の解説

しかし当時日本映画取り巻状況では、このような描写のないオーソドックス大人恋愛映画を製作できる見込みはなかった。1990年代の日本映画界は、アニメーション映画テレビ局主導による映画押され、どこも自社製作映画ヒット出せず、年を追うごとにこの傾向強くなった。東映邦画大手の中ではコンスタント自社製作続けてはいたが、1970年代から制作投資控えて強固な興行構築乗り出した東宝と差が広がっていくばかりだった。東映動画手掛けるアニメ海外での版権収入1990年代伸びて東映会長岡田茂アニメヒットしている間に何らかの手を打つよう飛ばしていたが、稼ぎ頭だった東映Vシネマ主力とするビデオ事業オリジナルビデオ過剰乱立ブームの沈静化により1994年頃から売上げ落とし厳しい状況続いた。 特に伝統ヤクザ映画赤字番組続出し配収5000万円などと、配収一億円を割るというメジャー映画会社劇場公開映画思えない作品出し始めた。いくら東映二次使用三次使用が強いといっても、あまりの不入り映画テレビ局にも放映権高く売れずレンタルビデオ店も引き取らない1994年には年間本番約半分アニメ乗る状況となった岡田1990年代前後には東映一社版権持っておいた方がいいと、提携頼らない自前映画作れ指示していたが、自社製作映画のあまりの成績悪さから1996年遂に激怒し東映発足以来堅持して来た自社製作路線軌道修正リスク軽減メディアミックス展開狙いとした提携作品強化指示し本作製作され1998年東映発足以来自社製作が0になった1997年岡田プロモートした『失楽園』と『新世紀エヴァンゲリオン』メガヒットしたため、たまたま配収前年比68.8%伸びたが、『失楽園』の映画テレビドラマ大ヒットもあって性的描写話題になる不倫劇が大流行となり、性描写一切なしで、いかにもメロドラマてんこ盛り純愛ものを大真面目作ろうという考えは、当時の状況では浮世離れしていた。撮影木村大作は後に「今世最大冒険映画」と評した東映岡田OKしないと映画製作されないため、吉永渡哲也二人で岡田直談判打って出て『時雨の記』の製作を頼み込んだものの、岡田は「気持ち判るが、客が来ないものに東映出資できない」と突っ撥ねたが、吉永は「絶対来さます。私、確信持って来させます」と言い切り、傍らの渡も「二人ギャラ要らないギャラなしで切符前売券)も売るから、とにかく作ろうと言い切った。渡と岡田は古い仲だった。岡田は「損する訳にはいかないから」となお拒否したところ、二人が「身銭切っても製りたい、二人永年想いで今ここに来ている」とまで訴える姿に驚愕し岡田は「これは買いだ」と判断し製作を決めたが、「その代わり宣伝徹してやってくれよ」と余分な条件付け加えた実際に吉永、渡はノーギャラで、撮影費用抑えるために渡は石原プロモーションの車を使っていたがそういったものがない吉永スタッフ運転するライトバン移動それほど彼女がどうしても演じたい作品だった。 他の吉永主演映画違いクランクイン前の主要スタッフによる大々的な製作発表会見なし撮影開始した

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