製作の経緯、舞台裏
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当時の『週刊少年マガジン』(以下、少年マガジン)の看板作品で、テレビアニメ化もされた。平井と桑田のコンビで本作が連載されるまでには、次のような経緯があった。 少年マガジン編集会議で、手塚治虫の『鉄腕アトム』を越えるようなロボット漫画を連載することが決定(この段階で、『東京鉄仮面』なる仮題が与えられていたという説もある)。その開発を命ぜられたのが、後に編集長となる内田勝だった。 内田によると、平井と知り合ったのは、『SFマガジン』の編集長の福島正実が少年マガジンで連載を持っていたのが発端で、福島がSF同人誌『宇宙塵』主宰の柴野拓美(小隅黎)に声をかけ、柴野がさらに『宇宙塵』の同人だった平井を少年マガジンに紹介したという。 一方、平井はSF作家の矢野徹の紹介だとしている。 新しいロボット漫画の原作は、コンペティションによって選ばれることになっていた。『SFマガジン』の原稿料の安さに作家専業になることに難しさを感じていた平井も、内田から声がかかると原作料に惹かれ参加し『8マン』を提出。先行する『鉄腕アトム』とも『鉄人28号』とも異なる、「変身能力」「加速性能」というオリジナリティが受け入れられて採用された。本作は、平井の漫画原作家としてのデビュー作になる。 平井の原作を元に作画を行う漫画家も、原作と同様にオーディションで決定された。その中には、少女漫画から転向して間もない松本零士もいたが、オーディションであることを知った時点で辞退したという。選ばれた桑田は、講談社の『少年クラブ』で『月光仮面』を連載したことがあり、シャープでスマートな描線だったことから選定された。 「8人目の刑事で8マン」というネーミングは、当時TBSで放送されて人気だった刑事ドラマ『七人の刑事』を踏まえたものだった。『8マン』以後も、平井と桑田は『超犬リープ』『エリート』『デスハンター』『鋼鉄魔人』と、コンビを組んで作品を発表している。 連載中に桑田が拳銃不法所持による銃刀法違反で逮捕されたため、連載は急遽打ち切りとなった。打ち切りとなった回(「魔人コズマ篇」最終回。1965年〈昭和40年〉13号)は、連載当時、桑田のアシスタントであった楠高治と小畑しゅんじが代筆している。このため、「魔人コズマ篇」は単行本に収録されることはなく、長らく幻のエピソードとなっていた。ただし、読み切り作品としては、連載終了後も幾度か『週刊少年マガジン』と『別冊少年マガジン』に掲載されている。打ち切り直前の回では東八郎がエイトマンであるとさち子が知るシーンがあったが、これが描かれたのは打ち切りが決まる前なので最終回を意識しての展開ではない。 原作の平井は、1968年から1969年にかけて元警官のサイボーグを主人公とした小説『サイボーグ・ブルース』を発表している。これは元々8マンの小説化が転じたものであり、単行本の後書きでは「8マンが打ち切られなかった場合、スーパーロボット技術のルーツである超古代文明遺産の争奪戦になる予定だった」と述べている。1976年(昭和51年)には「魔人コズマ篇」の最終回のみの小説版をSF雑誌『奇想天外』に発表した(後に『ウルフランド』に収録)。 1989年(平成元年)から1990年(平成2年)にかけて、リム出版より全7巻で完全版の単行本が出版された。このとき、幻となっていた最終回も収録されている。これは、小説版を基に桑田が描き下ろした(代筆版は未収録)ものである。この単行本は50万部以上売れる大ヒットとなり、リム出版は、その余勢を駆って本作のリバイバルブームを仕掛け、実写映画化なども行った。ただし結果的にそれらはことごとく失敗、その影響でリム出版も経営破綻した。
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