製作の経緯と中心スタッフ
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「おジャ魔女どれみ」の記事における「製作の経緯と中心スタッフ」の解説
この作品の生みの親は、前作『夢のクレヨン王国』でプロデューサーだった関弘美、脚本家の山田隆司、シリーズディレクターだった佐藤順一の三人である。 原作も何もなかったので、関は魔法や魔女に関する書籍など、要となる資料を片っ端から集めた。特に関を共感させたのが、『夢のチョコレート工場』の作者ロアルド・ダールの『魔女がいっぱい』である。関はこの書籍のストーリーではなく、「たくさんの魔女が人間の世界に入り込んで生活している」と言うところに惹かれ、イメージとして企画した。これが採用され制作が開始された。シリーズディレクターにはこの企画から参加している佐藤が担当した。「おジャ魔女」という名称は佐藤のアイデアである。次にシリーズ構成(脚本)である。脚本はストーリーの基本となり、それに重ねて対象年齢が小学校低学年、高学年のため、いかに子供たちに分かってもらえるかが重要となる。そのため、関による小学三年生以下の男女児童のマーケティングがおこなわれ、『おジャ魔女どれみ』という作品のコンセプトが制作されていった。加えて、クラスメイトたちの設定やシリーズ中の各エピソードは、スタッフたち自身が小学生だった頃の思い出を元にした部分が多いという。また第3シリーズで扱った不登校児の問題などは、実際の小学校で意見を集めるなどした。 シリーズディレクターに関しては佐藤の要望でもう一人加わった。それがTVシリーズのメインシリーズディレクターとなる五十嵐卓哉である。五十嵐は『美少女戦士セーラームーン』や『ふしぎ魔法ファンファンファーマシィー』で高い評価を受けていた。キャラクターデザインには『ママレード・ボーイ』や『剣風伝奇ベルセルク』で好評の馬越嘉彦を起用した。最初のキャラクターデザイン段階では手足に関節や筋肉があったが、佐藤の「誰にでも描けるキャラクターにして欲しい」という要望で「棒みたい」になった。この他、美術は前作から継続でゆきゆきえと行信三が、色彩設計も同じく辻田邦夫が担当した。2004年に放送された第5シリーズでは、監修を『どれみ』について知り尽くしていた五十嵐にしようとしていたが、生みの親である佐藤が務めることになった。製作担当については、第3シリーズの中盤まで風間厚徳がやってきたが、風間が製作編成に異動することになり、風間は同番組で製作進行のキャリアを積んできた坂井和男に後任を任せた。第4シリーズ終盤では、2年以上の空白期間があったアニメ監督・細田守が演出で参加、『時をかける少女』などで有名な女優・原田知世の声優参加などが一部で話題となった。 また、この作品は音楽にも定評がある。本編中の挿入歌やお着替えシーンやマジカルステージの音楽も特徴的で、各シリーズの挿入歌集(BGMコレクション)の売上も好調だった。BGMのすべてと挿入歌やキャラクターソングの一部は奥慶一が作曲した。 声優の起用方法も『夢のクレヨン王国』と同じく本業は女優で舞台女優もしている堂ノ脇恭子や上記にも記述されている原田知世など声優業界にこだわらず起用。また、『夢のクレヨン王国』の出演者のほとんどが引き続いて出演している。 なお、東映アニメーションが名義上の原作者として東堂いづみという名を使ったのはこの作品が初めてである。 無印のヒットに伴い、無印放送前半のゴールデンウィーク以降に、続編『#』と劇場版の制作が決定。以降現実と作中の時間経過をシンクロさせて物語が進行したものの、無印の時点から卒業までのエピソードを描くという構想や、4年を上回るとどれみたちの頭身が高くなりアクション路線に傾斜する可能性があるという懸念から、地上波では第4シリーズを以って終了となった。 スタッフ一同、第5シリーズ終了後「二度と『どれみ』に携わることはない」との気持ちであったが、『どれみ』のスタッフが多数起用されたプリキュアシリーズの『ハートキャッチプリキュア!』が好評を博し、栗山名義で同作の脚本を書いた山田のもとにも「どれみみたいな作品また作ってくださいよ」という声が寄せられるようになった。これを受けて、山田の筆により公式な続編『おジャ魔女どれみ16シリーズ』が刊行された。
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