艦名・戦歴とは? わかりやすく解説

艦名・戦歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 01:23 UTC 版)

秋月型駆逐艦」の記事における「艦名・戦歴」の解説

④計画の6隻は舞鶴海軍工廠三菱長崎造船所で3隻ずつ建造され1942年昭和17年6月に1番艦秋月竣工したマル急計画では佐世保海軍工廠加わり浦賀船渠でも1隻建造された。 日本海軍現場からは、艦名からまとめて月型(月クラス)と呼ばれることもあった。これについて「待合茶屋の名前ばかりつけて」という冗談があった。 秋月(あきづき) 1942年6月11日舞鶴海軍工廠竣工竣工直後日本本土空襲をかけるため接近中のアメリカ機動部隊迎撃のため駆逐艦2隻(浦風、朧)と共に空母瑞鶴護衛として出撃した。その後ソロモン諸島に向かう途中攻撃してきたB-17を1機撃墜した第四水雷戦隊旗艦として行動中、空襲受けて中破する。修理後第十戦隊旗艦として鼠輸送従事1943年1月19日輸送船妙法救助向かったところ、その際潜水艦雷撃右舷室下命中したかろうじてトラック島寄港できたものの、応急修理40日以上を費やしたサイパン島寄港し佐世保に向かうこととなったが、その後突然艦橋下の構造物切断した秋月やむなくサイパン戻り艦橋撤去した強度落ち折れ曲がった船体前部切断し長崎帰還建造中だった霜月艦首流用して接合することで修理工期短縮図ったが、それでも修理に9ヶ月要することになった1944年10月25日エンガノ岬沖海戦参加機動部隊援護射撃爆発起こして沈没した。これは、「味方空母(瑞鳳)に接近した魚雷自分犠牲になって受けたため」とも「味方打ち上げた高角砲弾の破片、または機関銃弾の不発弾魚雷に当たり誘爆した(当時艦長憶測)」ともいわれている。また、機関科士官として秋月乗り込んでいた山本平弥著書防空駆逐艦秋月爆沈す」(光文社NF文庫)の中で、敵機爆弾命中による魚雷誘爆原因という説を唱えている。一部書籍秋月アメリカ軍潜水艦攻撃によるとするものがあるが、雷撃した時刻沈没した時刻との関係からこれには否定的な見解が多い。 照月(てるづき) 1942年8月31日三菱長崎造船所竣工同年10月南太平洋海戦参加する同年11月中旬第三次ソロモン海戦二度夜戦参し撃沈された金剛型戦艦2隻(比叡霧島)から乗組員救助するガダルカナルへの物資輸送警戒旗艦(第二水雷戦隊司令官田中頼三少将座乗)として行動中の12月12日アメリカ軍魚雷艇攻撃を受け沈没した。 なお、アメリカ軍秋月型当初はTERATSUKI class終戦近くになってTERUTSUKI class呼んだが、これらは綴りが異なるもの本艦の名が元になっている。 涼月(すずつき) 1942年12月29日三菱長崎造船所竣工完成後、物資輸送艦隊護衛などの任務就いた1944年1月16日アメリカ潜水艦魚雷により艦首大部分艦尾喪失し初月曳航され呉海軍工廠帰還し大修理同年10月17日にもアメリカ軍潜水艦魚雷により艦首一部喪失する撃沈されず帰投している。艦首復旧時に新造された艦橋形状簡易化した角ばったものとなった。これは清月以降設計図よるもの考察されているが、就役した艦でこの形状を持つものは涼月のみである。しかし捷一号作戦直前冬月と共に潜水艦雷撃され損傷レイテ沖海戦多号作戦には参加していない。菊水作戦時には戦艦大和および第二水雷戦隊僚艦と共に出撃した。だが戦闘中艦橋近く直撃弾を受け大浸水を来たす。戦闘終了後火災のため弾薬一部誘爆し艦が前方傾斜したため前進不能になり、駆逐艦長判断によって後進での航行余儀なくされる磁気コンパス狂い南東に進む、海図全て燃え乗組員記憶日本地図作成する、さらに雷撃を受けるも後進での操艦により難を逃れるなど佐世保満身創痍帰投した逸話が残る。すでに沈没した思われており、生還知らせ驚きをもって迎えられた。涼月直ちドック入れられたが、ドック排水を待つことができず着底してしまうという、まさにギリギリ帰還だった。帰投後は防空砲台として使用され終戦迎える。1948年解体され涼月船体冬月と共に福岡県若松港防波堤となり、軍艦防波堤呼ばれた初月(はつづき) 1942年12月29日舞鶴海軍工廠竣工マリアナ沖海戦で、初め空母機動部隊護衛して対空戦闘実施した1944年10月25日エンガノ岬沖海戦には瑞鶴護衛艦として参加瑞鶴沈没時には救助活動行いその後同型艦若月軽巡五十鈴と共に千代田乗員救助に向かう。その救助作業中、ローレンス・T・デュボーズ少将指揮するアメリカ艦隊(重巡3・軽巡1・駆逐艦12)が接近し砲戦となる。初月撃沈されたが、実に2時間にわたり敵を拘束することになり、若月五十鈴無事に帰還できた。この戦闘で、アメリカ軍巡洋艦4艦は徹甲弾合計1,200発以上撃っており、前述のデュボーズ少将麾下駆逐艦からの報告併せ初月戦艦少なくとも阿賀野巡洋艦であると主張していた。またこの時瑞鶴乗員救助中の内火艇取り残され漂流21日目に台湾流れ着き瑞鶴乗員17名、初月乗員8名が生還している。 新月(にいづき) 1943年3月31日三菱長崎造船所にて竣工。第11水雷戦隊続いて第8艦隊所属してラバウル進出7月6日第三水雷戦隊旗艦としてコロンバンガラ島への輸送任務中、米艦隊との夜間水上戦闘で沈没第三水雷戦隊司令官秋山輝男少将と共に将兵戦死した(クラ湾夜戦)。秋月型駆逐艦の中で最も短い生涯遂げたであった若月(わかつき) 1943年5月31日三菱長崎造船所にて竣工。第61駆逐隊編入後、トラック泊地進出1943年10月末、ブーゲンビル島沖海戦夜間水上戦闘に参加ラバウル空襲小破し、内地帰投した。1944年6月マリアナ沖海戦第一機動艦隊旗艦大鳳沈没する司令長官小沢治三郎中将若月移乗その後重巡羽黒移乗した。レイテ沖海戦エンガノ岬沖海戦後)から生還奄美大島からフィリピン再進出し、レイテ島増援作戦参加多号作戦)。11月11日第三次多号作戦で、第二水雷戦隊旗艦島風と共に米軍機攻撃を受け沈没した霜月(しもつき) 1944年3月31日三菱長崎造船所にて竣工建造中に舞鶴工廠からのボイラー配送待ち工事遅延していたところ、回航された秋月本艦艦首移植したため工期がさらに遅延するマリアナ沖海戦エンガノ岬沖海戦参加した。再びフィリピン方面進出後の1944年11月25日第三十一戦隊旗艦として行動中にアメリカ潜水艦雷撃沈没第三十一戦隊司令官江戸太郎少将戦死した冬月(ふゆつき) 1943年10月1日、『秋月型』に類別1944年5月25日舞鶴海軍工廠にて竣工菊水作戦時には大和涼月と共に出撃帰投後は門司防空砲台として使用され終戦迎えた戦後工作艦として使用され1948年解体される船体涼月と共に若松港防波堤となった春月(はるつき) 1944年12月28日佐世保海軍工廠にて竣工瀬戸内海での防衛任務終戦迎える。復員船として使用されたあと、1947年9月25日戦時賠償艦としてソ連引き渡されるソ連では駆逐艦「ヴネザープヌィイ」として短期間運用されたのち、練習艦「オスコール」として1955年まで運用その後標的艦海上施設として運用1969年6月4日除籍され解体された。 宵月(よいづき/よひづき) 1945年1月31日浦賀船渠にて竣工戦後復員輸送従事し1947年戦時賠償艦として雪風と共に中華民国引き渡され中華民国艦「汾陽」と改名となるが、実質運用はされていない。なお、秋月型10センチ高角砲として書籍等写真載っているのは本艦の物だと言われていたが、後の研究で、この写真引き渡され雪風(丹陽)に搭載替えされた時点のものであることが判明した夏月(なつづき) 1945年4月8日佐世保海軍工廠にて竣工戦後復員輸送従事1947年戦時賠償艦としてイギリス引き渡されたが日本国内解体された。 満月(みちつき、仮称艦名365号艦) 本籍呉鎮守府建造所浦賀船渠予定1945年1月3日佐世保工廠起工同年12月竣工予定2月5日、『秋月型』に類別4月17日工程16%で工事中止1948年2月解体終了花月(はなづき、仮称艦名366号艦) 1944年12月26日舞鶴海軍工廠にて竣工1945年5月20日付け海上挺進部隊編成された。7月15日第十一水戦隊解隊後は、第52駆逐隊)も三十一戦隊に編入され海上挺進部隊所属した。同隊の松型駆逐艦艦尾特攻兵器人間魚雷回天を1基搭載したが、花月回天8基登載とされた。天一号作戦のため出撃した第一遊撃部隊豊後水道まで護衛する戦後復員輸送従事1947年戦時賠償艦としてアメリカ引き渡され青島調査された後、1948年2月3日五島列島沖で実艦的として処分された。本艦以降竣工した艦は艦隊行動はほとんどおこなわず、瀬戸内海日本近海より離れることはなかった。

※この「艦名・戦歴」の解説は、「秋月型駆逐艦」の解説の一部です。
「艦名・戦歴」を含む「秋月型駆逐艦」の記事については、「秋月型駆逐艦」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「艦名・戦歴」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「艦名・戦歴」の関連用語

艦名・戦歴のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



艦名・戦歴のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの秋月型駆逐艦 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS