工作艦として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 01:48 UTC 版)
工作艦関東が1924年(大正13年)12月に座礁放棄されて以降、日本海軍は工作艦を保有していなかった。1931年(昭和6年)頃、朝日に簡単な工作設備が設置された。1937年(昭和12年)7月には日華事変の勃発により中国での損傷艦が増加、また無条約時代に入っていたので、日本海軍は正式に朝日を工作艦に改造する。艦橋前にはダミーの木製30cm砲を装備した。呉海軍工廠で改装工事を実施、8月15日に工事を完了した。日露戦当時の水雷長・広瀬武夫が使用していた私室は、工作艦に改造後も記念室として残されていたという。8月16日、海軍は朝日の類別を練習特務艦から工作艦に変更する。朝日は中国へ進出、主に上海方面で修理任務に従事した。1939年(昭和14年)11月には、上海方面根拠地隊旗艦となっている。 1940年(昭和15年)11月1日、朝日工作部は上海陸上に移り第一海軍工作部と改称したため(昭和15年11月1日、発足)、朝日は日本へ戻った。11月15日からは連合艦隊付属となった。新鋭工作艦明石(昭和14年7月竣工) と共に、連合艦隊各艦の故障修理や整備をおこなう(練習戦艦から戦艦に改装された比叡など)。
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