給炭艦から工作艦へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/24 01:00 UTC 版)
「ヴェスタル (給炭艦)」の記事における「給炭艦から工作艦へ」の解説
ヴェスタルは給炭艦として1909年秋から1910年夏にかけて大西洋および西インド諸島近海で活動した。大西洋艦隊艦艇への石炭補給任務のためヨーロッパで行動後、フィラデルフィア海軍造船所へ戻ったヴェスタルは1912年10月25日にボストン海軍工廠で解役された。ヴェスタルは1年近い改装を受けた後、1913年に工作艦としてエドワード・L・ビーチ・シニア(英語版)中佐(映画「深く静かに潜航せよ」の原作小説で知られるエドワード・L・ビーチ・ジュニア(英語版)大佐の父)の指揮の下で再就役した。 改装完了後、10月26日にバージニア州ハンプトン・ローズへ向かったヴェスタルは10月29日から11月10日まで慣熟訓練を行う。フロリダ州キーウェストで11月14日に石炭を積み込み後、ヴェスタルはペンサコーラへ移動し、ここを拠点に大西洋艦隊所属艦艇の整備を担った。1914年春にメキシコのベラクルス港占領へ他の艦艇と共に参加するまでの間、ヴェスタルは大西洋艦隊における東海岸と西インド諸島での任務を継続した。ヴェスタルは5月2日から9月20日までベラクルスで修理任務に就いた後、軽巡洋艦セーラム(USS Salem, CL-3)の護衛の下でオーバーホールのためボストンへ移動した。1914年12月当時、ヴェスタルの士官は艦長U・T・ホームズ中佐、副長L・J・コネリー少佐、幕僚E・G・オバーリン大尉およびF・M・パーキンス大尉という構成であった。 ヴェスタルはそれからバージニア岬(英語版)とキューバのグァンタナモ米軍基地沖で活動し、1915年6月10日にボストン海軍工廠へ戻った。さらにニューヨークとロードアイランド州ニューポートに寄港、ボストンで軍需品や食料の積み込みと修理を行った後で1916年5月19日にナラガンセット湾にて艦隊に復帰した。
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