会津田島祇園祭の流れ
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「会津田島祇園祭」の記事における「会津田島祇園祭の流れ」の解説
1月15日前後 お党屋お千度 後述。 1月15日 - 7月7日 お党屋党本の家は祭礼当日に神霊が宿る神聖な場所になるため、この期間に畳替えや障子の張替え等が行われる。過去には屋根の葺き替えや壁塗り等も行った。 7月7日 参道掃除朝日の昇らないうちに、氏子全員が集まり、参道入口から神社境内まで掃除を行う。 お党屋注連張り当番お党屋組各戸では、正月のように玄関へ注連縄を張り、潔斎(物忌み)に入ったことを示す。注連縄は午前中に組員全員がお党屋本の家に集まって綯い、終わると宮司宅へ呼使を出す。宮司が党本へ来ると神幣を建てて神事を行い、組内安全を祈る。組員も一緒に参拝してから注連縄を各戸へ持ち帰り玄関へ張る。 通知状党本では祭礼に必要な人配りのため、その通知状を古式に定められたとおり生紙[疑問点 – ノート]を切って墨書きをする。また、「渡し」と「請取り」にも協力を依頼する。 高燈篭と御神燈神社では、この日から2基の旗竿の先高く高燈篭をあげる。また、観光協会が戦後始めた「御神燈」の列を参道の両側に連ね、一斉に7日夜から夜詣りを行う。 7月12日前後 御神酒濁酒仕込早朝より党本において米を研いで蒸してから神社に運び、町内にある国権酒造の杜氏の指導で大桶2本に9斗9升と定められた分だけ濁酒(どぶろく)を仕込む。この濁酒は7日前後で出来上がるが、アルコール発酵が旺盛になると桶の中をかき混ぜなければならないため、お党屋組より毎日2名が交代で布団を拝殿に持ち込み番にあたる。仕込桶の蓋の上には酒造の神である松雄神(松尾神)の大きな神幣が建てられる。濁酒を神酒として使用するため、別名「どぶろく祭り」とも言われる。 7月15日 鳥居注連縄縒り神社境内入口の石の大鳥居に懸ける注連縄は毎年15日の夜、宮本地区全員が祈祷所に集まって作る。太いところが直径約60cmにもなる大注連縄である。 7月19日 参道掃除翌年のお党屋組(「請取り」)全員で参道を再度掃除する。祭礼の4日前にあたり、慶長の昔から参道を掃除し道作りを行っている。 7月20日 御神橋かけ「御神橋」とは、お党屋本の前で、表道路よりの入口に当たって作られる橋で、幅約1m長さ約2m、中央が丸く盛り上がった形で、橋の縁を青い杉葉で縁取り、中央に白砂を敷き詰める。まわりに注連縄が張られた神聖な橋で、22日に神輿が到着して「神輿前の神事」が終わり、「神の渡橋」と称して大幣や宮司等が党本宅へ寄るために注連縄を解いて渡橋するまでは、誰も渡ることができない。 蕗採り会津田島祇園祭は「蕗祭り」とも言われ蕗料理が多い。細かに刻み香りの強い味噌汁にしたり、煮〆などに調理する。蕗の盛りの時期でもあるが「蕗(ふき)」を「富貴(ふうき)」に懸けて縁起を担ぐ意味もある。 7月21日 御神酒開き「御神酒濁酒仕込」で仕込んだ2桶の濁酒が出来上がり、神社にて酒造検査を受ける。検査後直ちに朱塗りの行器(ほかい。食物を容れる器)に盛って本殿に供える。続いて社務所とお党屋本に1桶ずつ分けて運び出す。党本から宮司招聘の使いが出て、宮司は直ちに党本へ赴き、神棚を設け濁酒を献じる。これが終わると直会となりお党屋組全員や関係者等が集まり濁酒の出来栄えを評しながら興じる。 神棚つり神棚は党本の家で最も神聖な場所に作られる。床の壁中央に大きな神幣を立て、その左右に神札と神号の書かれた掛軸を下げ、添え台には中央に黒塗行器に供えた神酒、左に鯛2尾、右に赤飯をそれぞれ三宝に供え、床の間のおとし垣には紙縒で作った注連縄、床上には大きな木鉢に山盛りにした白米を供える。なお、23日まで4日間いっときも消してはならない油燈明が燈される。この神棚の前で神事のあと、党本の家内、祭典の用具・衣裳、炉、かまど等まで隈なくお祓いを行う。この日作られる神棚こそ、神社制度が未だ整わぬ太古の時代の神聖な場所であり、氏子たちが祭りのたびに神の降臨を仰ぎ、党本の家主が神官に代わる一年神主の役を請けて祭祀を執り行った名残りである。 神輿台組立22日の神輿渡御で神輿は党本宅ほか町内6ヶ所で休憩するが、神輿台はその際に神輿を載せておく台のことで、木の框組みで作られている。框組みの台になったのは寛延2年(1749年)の祭礼からで、それまでは臼を4つ並べてその上に神輿を休ませていた。 党本幕打党本宅は「本陣」と呼ばれ、別に「脇本陣」が1軒定められる。この日より、党本・脇本陣は通りに面して神社の紋を染めた幔幕を張り廻らし、提灯を建てる。 7月22日 例大祭神社にて例大祭が執行され、氏子一同が参拝する。例大祭終了後、拝殿にて直会が行われる。 神事口上書23日の正午にお党屋本において「請取渡し」という行事がある。そのための呼び使を22日夜に前年と翌年のお党屋組(「渡し」と「請取り」)へ出す。この行事には「夫婦御揃い」で出席するようになっており、本祭礼の特徴のひとつとなっている。 大屋台運行後述。 7月23日 榊迎え23日の早朝(午前2時30分ぐらい)の夜の明けないうち、翌年のお党屋組(「請取り」)がこの役にあたる。まず当番党本宅に集合、党本に挨拶の後、「榊」(神聖な木)を迎える意味の祓幣を受取り、神酒で景気をつけて榊保管所へ出発する。榊保管所から当番党本まで「ワッショイ、ワッショイ」の掛声で午前4時43分頃[要出典]までに到着するよう榊を運び、当番党屋組の確認を受けて引き渡される。榊に使用されるのは、楢の若木で幹の直径8cmから9cm、長さ約4m程の先に青葉を茂らせておいたもの8本と、直径は同じくらいで長さ2.5m位に揃えて切った横木16本と定められている。榊迎え終了後、「請取り」は当番党本にて直会を受ける。直会後、神社に詣り、参道、境内の掃除を行う。 神輿洗い午前6時頃、「渡し」と「請取り」の全組員が裃を着用して神社に集合し、拝殿より神輿を境内に出し、埃をはらい、布で拭き磨き、新しく浄めて拝殿へ戻す。なお、組員は帰宅せずに神社に詰めたまま渡御のときを待つ。 七度の使いお党屋制度には、お党屋が祭りの中心となる意味があり、神輿出発の場所はお党屋本になる。そのため、神が常時鎮座する神社から党本へ神輿を迎える行事が大きな意味を持つ(後述「神輿前の神事」参照)。まず、その使いとして両親の揃った男子が2人選ばれ、裃着用、股立を取って(袴の股立を腰紐に挟んで)白扇を袴に差し、草鞋を履いて神社の宮司宅へ参る。ここで宮司に神事の使いに赴いた旨を言上し、本殿に参拝する。「七度」とは参拝の回数であるが、宮司の指示で1度ごとに手水舎で手水を使いながら6度参拝し、神迎えとして「七行器」行列の先頭になってきたときが7度目として数えられる。 七行器(ななほかい)後述。 神輿遷座式神が氏子の奉献した供物を受け取ると、神輿に遷って町内を渡御し、御旅所を廻りながら町の隅々まで悪霊疫神を祓い、氏子の安全を保障する。神の遷座する神輿は、この日の朝「神輿洗い」によって埃等を落として浄められたが、再び境内に運び出され、神輿台に載せてから、お供の党屋組と共に切麻(きりぬさ)によるお祓いを受け、拝殿へ運び入れて神官が本殿より神体を遷座する。その後、再び境内へ運び出され、神庭で待つ白丁に烏帽子をかぶった16人の供奉人に担がれ、裃姿の「渡し」と「請取り」の組員に前後を警護される。 御支度触れ神輿が神社前を出発するに先立って、「御支度触れ」が出る。神輿の出発を町内に触れて歩く役目であるが、格好が特徴的であるため注目されている。その格好は、波に千鳥の裂け羽織、5色の襷がけ、内に女性の反物を着て女帯を前で結び、頭は板冠[疑問点 – ノート]を載せて端に紙垂を垂れ、紅白の太紐で顎に結わえ、右手に軍配、素足に草鞋履きというものである。神社前、御旅所ごとに大仰な身振りで歌舞伎の六方を踏みながら「御神輿の御立ち、お支度なされましょう」と大声をあげる。 神輿渡御午前10時頃に神社前から出発し党本・御旅所を廻る。神輿の行列は露払い2人、稚児行列約20人、猿田彦1人、猿女君1人、御鉾2基8人、長持2人、挟箱2人、大拍子2人、立傘3人、沓取2人、御神輿16人、氏子総代16人、その他従者となっている。 神輿前の神事神輿が党本に到着すると、神輿を入口の神輿台に据え、そのまま雨が降っても必ず路上で神事を行う。お党屋組全員で神の臨御を迎える神事である。神輿台には当日朝早く「榊迎え」で迎えておいた榊を四隅に立て、横木を結わえて台を補強し、注連縄を張り廻らす。神輿の前には茣蓙を敷き、神官一行及び党屋組、「渡し」、「請取り」の供奉人全員が着座して神事を行う。このとき党本は夫婦揃って、男は裃、女は留袖の盛装で参拝する。神事が済むと大幣、神官は御神橋の注連縄を外して渡橋し、党本本陣の家に入る。ここで党屋側と挨拶や祝いの言葉を交わし、昼食をとる。 御鉢米神事昼食が済むと党本神棚の前に当番お党屋は夫婦揃いで着座し、その左右に「渡し」と「請取り」の党本夫婦が着座し神事を行う。神棚の神酒の約半量を3個の湯筒[疑問点 – ノート]に分け、さらに膳の上に盃を3組用意する。次に宮司は大きなひき鉢[疑問点 – ノート]に盛って床の間に供えてあった白米を指でつまんで一同に向かって左右左と撒じ、ついでに党屋組一斉に2拝2拍手の礼をして配付された祝詞を奏上する。 神輿巡行神輿出発が迫ると、それに先立ち、神輿渡御を迎える町内の警備、御旅所等のお使いが来る。お使いのあと、先述のように「御支度触れ」が出て巡幸となる。巡幸の道筋には6ヶ所の御旅所(神輿台に神輿休憩)と2ヶ所の力杖休御(白丁の持つ力杖[疑問点 – ノート]を輿柄に支えて神輿小憩)がある。一巡のあと、神輿は党本へ立ち寄り、力杖で全員お椀で神酒を振舞われ[疑問点 – ノート]、宮司は党本の家の前で挨拶をして午後4時から5時に還幸する。 奉鎮の神事朝から神輿に付き添い警護した「渡し」と「請取り」のお党屋組は、供奉者の白丁より神輿を受け取って拝殿に上げ、再び御簾を下して神体を本殿に奉鎮する。その後、社務所にて直会となり、神酒と七行器に供えた鯖の料理を食して全員で帰宅する。 大屋台運行後述。 7月24日 帰座の神事お党屋本では、宮本へ呼使いを出し、宮司を党本に招いて昇神の神事を行ったのち、宮司の手で神棚の一切を取り払う(神棚こわし)。神棚に供えてあった赤鯛は2尾のうち1尾は神社へ、1尾は党本でこのあと直会の時に吸い物にする。「御鉢米神事」の米は俵に詰め、赤飯と共にこれも神社に届ける。終了後、直会となる。 諸道具引譲り「神棚こわし」のあと、「請取り」の党屋組を招き、祭礼の諸道具一切を1点ずつ品改めをしながら渡し、終われば両党屋組共に神酒を汲んで談合する。これによりお党屋組みが引き継がれたことになる。 御幣奉鎮の神事御党屋本の「神棚こわし」「諸道具引譲り」等が一通り終わると、神社へ納めるべき神幣、注連縄類、榊、掛軸等諸道具、神餞物[疑問点 – ノート]等一切を持参し、党屋全員は紋付羽織を着用し、特に党本は21日依頼の神幣を自ら持参して神社へ納付する。神幣は本殿に奉納され、社務所で神酒を汲んで辞去すれば、党屋組の神事は終了する。 太々御神楽奉納後述。 7月24日 - 1月15日 この間、諸道具引譲りにより引継いだお党屋組みが準備を行う。
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