会津田島祇園祭の流れとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 会津田島祇園祭の流れの意味・解説 

会津田島祇園祭の流れ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/27 03:51 UTC 版)

会津田島祇園祭」の記事における「会津田島祇園祭の流れ」の解説

1月15日前後 お党屋お千度 後述1月15日 - 7月7日 お党屋党本の家は祭礼当日神霊宿る神聖な場所になるため、この期間に畳替え障子張替えが行われる。過去には屋根葺き替え壁塗り等も行った7月7日 参道掃除朝日の昇らないうちに、氏子全員集まり参道入口から神社境内まで掃除を行う。 お党屋注連張り当番お党屋組各戸では、正月のように玄関注連縄張り潔斎物忌み)に入ったことを示す。注連縄午前中に組員全員がお党屋本の家に集まって綯い、終わると宮司宅へ呼使を出す。宮司が党本へ来ると神幣を建てて神事行い、組内安全を祈る。組員一緒に参拝してから注連縄各戸持ち帰り玄関張る通知状党本では祭礼必要な人配りのため、その通知状を古式定められたとおり生紙[疑問点ノート]を切って墨書きをする。また、渡し」と「請取り」にも協力依頼する高燈篭御神燈神社では、この日から2基の旗竿先高高燈篭をあげる。また、観光協会戦後始めた御神燈」の列を参道両側連ね一斉に7日夜から夜詣りを行う。 7月12日前後 御神酒濁酒仕込早朝より党本において米を研いで蒸してから神社運び町内にある国権酒造杜氏指導大桶2本に9斗9升と定められた分だけ濁酒どぶろく)を仕込む。この濁酒7日前後出来上がるが、アルコール発酵旺盛になるとの中をかき混ぜなければならないため、お党屋組より毎日2名が交代布団拝殿持ち込み番にあたる。仕込の上には酒造の神である雄神松尾神)の大きな神幣が建てられる濁酒神酒として使用するため、別名「どぶろく祭り」とも言われる7月15日 鳥居注連縄縒り神社境内入口の石の大鳥居懸ける注連縄毎年15日の夜、宮本地区全員祈祷所に集まって作る。太いところが直径約60cmにもなる大注連縄である。 7月19日 参道掃除翌年のお党屋組(「請取り」)全員参道再度掃除する祭礼4日前にあたり、慶長の昔から参道掃除し作り行っている。 7月20日 御神橋かけ「御神橋」とは、お党屋本の前で、表道路よりの入口当たって作られるで、幅約1m長さ2m中央丸く盛り上がった形で、の縁を青い縁取り中央白砂敷き詰める。まわりに注連縄張られ神聖なで、22日神輿到着して神輿前の神事」が終わり、「神の渡橋」と称して大幣宮司等が党本宅へ寄るために注連縄解いて渡橋するまでは、誰も渡ることができない採り会津田島祇園祭は「祭り」とも言われ料理が多い。細かに刻み香りの強い味噌汁にしたり、煮〆などに調理する盛り時期でもあるが「(ふき)」を「富貴(ふうき)」に懸けて縁起を担ぐ意味もある。 7月21日 御神酒開き御神酒濁酒仕込」で仕込んだ2濁酒出来上がり神社にて酒造検査を受ける。検査直ち朱塗り行器(ほかい。食物容れる器)に盛って本殿供える続いて社務所とお党屋本に1ずつ分けて運び出す。党本から宮司招聘使い出て宮司直ちに党本へ赴き、神棚設け濁酒献じる。これが終わると直会となりお党屋組全員関係者等が集まり濁酒出来栄え評しながら興じる神棚つり神棚は党本の家で最も神聖な場所に作られる。床の壁中央大きな幣を立て、その左右に神札神号書かれ掛軸下げ添え台には中央黒塗行器供えた神酒、左に2尾、右に赤飯それぞれ三宝供え床の間のおとし垣には紙縒作った注連縄床上には大きな木鉢に山盛りにした白米供える。なお、23日まで4日いっとき消してならない燈明が燈される。この神棚の前で神事のあと、党本の家内祭典用具衣裳、炉、かまど等まで隈なくお祓いを行う。この日作られる神棚こそ、神社制度未だ整わぬ太古の時代神聖な場所であり、氏子たちが祭りのたびに神の降臨仰ぎ、党本の家主神官代わる一年神主の役を請け祭祀執り行った名残りである。 神輿組立22日神輿渡御神輿は党本宅ほか町内6ヶ所で休憩するが、神輿台はその際神輿載せておく台のことで、木の組み作られている。組みの台になったのは寛延2年1749年)の祭礼からで、それまでは臼を4つ並べてその上に神輿を休ませていた。 党本幕打党本宅は「本陣」と呼ばれ別に脇本陣」が1軒定められる。この日より、党本・脇本陣通り面して神社の紋を染めた幔幕張り廻らし、提灯建てる7月22日 例大祭神社にて例大祭執行され氏子一同参拝する例大祭終了後拝殿にて直会が行われる。 神事口上書23日正午にお党屋本において「請取渡し」という行事がある。そのための呼び使を22日夜に前年翌年のお党屋組(「渡し」と「請取り」)へ出す。この行事には「夫婦御揃い」で出席するようになっており、本祭礼の特徴のひとつとなっている。 大屋台運行後述7月23日 迎え23日早朝午前2時30分ぐらい)の夜の明けないうち、翌年のお党屋組(「請取り」)がこの役にあたる。まず当番本宅集合、党本に挨拶の後、「」(神聖な木)を迎える意味の祓幣を受取り神酒景気をつけて保管所へ出発する保管所から当番党本まで「ワッショイワッショイ」の掛声午前4時43分頃[要出典]までに到着するよう運び当番党屋組の確認受けて引き渡される使用されるのは、若木で幹の直径8cmから9cm、長さ4m程の先に青葉を茂らせておいたもの8本と、直径同じくらいで長さ2.5m位に揃えて切った横木16本と定められている。迎え終了後、「請取り」は当番本に直会を受ける。直会後、神社に詣り、参道境内掃除を行う。 神輿洗い午前6時頃、「渡し」と「請取り」の全組員が裃を着用して神社集合し拝殿より神輿境内出し、埃をはらい、布で拭き磨き新しく浄めて拝殿へ戻す。なお、組員帰宅せず神社詰めたまま渡御のときを待つ。 七度使いお党屋制度には、お党屋が祭り中心となる意味があり、神輿出発の場所はお党屋本になる。そのため、神が常時鎮座する神社から党本へ神輿迎え行事大きな意味を持つ(後述神輿前の神事参照)。まず、その使いとして両親揃った男子2人選ばれ、裃着用股立取って(袴の股立腰紐挟んで白扇を袴に差し草鞋を履いて神社宮司宅へ参る。ここで宮司神事使い赴いた旨を言上し、本殿参拝する。「七度」とは参拝回数であるが、宮司指示1度ごとに手水舎手水使いながら6度参拝し神迎えとして「七行器行列先頭になってきたときが7度目として数えられる七行器(ななほかい)後述神輿遷座式神氏子奉献した供物受け取ると、神輿に遷って町内渡御し、御旅所廻りながら町の隅々まで悪霊疫神祓い氏子の安全を保障する。神の遷座する神輿は、この日の朝「神輿洗い」によって埃等を落として浄められたが、再び境内運び出され神輿台に載せてから、お供の党屋組と共に切麻きりぬさ)によるお祓いを受け、拝殿運び入れて神官本殿より神体遷座するその後、再び境内運び出され神庭で待つ白丁烏帽子かぶった16人の供奉人に担がれ、裃姿の「渡し」と「請取り」の組員前後警護される。 御支度触れ神輿神社前を出発する先立って、「御支度触れ」が出る。神輿出発町内触れて歩く役目であるが、格好特徴的であるため注目されている。その格好は、波に千鳥裂け羽織5色襷がけ、内に女性反物着て女帯を前で結び、頭は板冠[疑問点ノート]を載せて端に紙垂垂れ紅白の太紐で顎に結わえ右手軍配素足草鞋履きというものである神社前、御旅所ごとに大仰身振り歌舞伎六方踏みながら「御神輿御立ちお支度なされましょう」と大声をあげる。 神輿渡御午前10時頃に神社前から出発し党本・御旅所廻る神輿行列露払い2人稚児行列20人、猿田彦1人猿女君1人、御鉾2基8人、長持2人、挟箱2人大拍子2人立傘3人、沓取2人御神輿16人、氏子総代16人、その他従者となっている。 神輿前の神事神輿が党本に到着すると、神輿入口神輿台に据えそのまま雨が降っても必ず路上神事を行う。お党屋組全員で神の臨御迎え神事である。神輿台には当日早く迎え」で迎えておいた四隅立て横木結わえて台を補強し注連縄張り廻らす神輿前に茣蓙敷き神官一行及び党屋組、「渡し」、「請取り」の供奉全員着座して神事を行う。このとき党本は夫婦揃って、男は裃、女は留袖盛装参拝する神事が済むと大幣神官御神橋注連縄外して渡橋し、党本本陣の家に入る。ここで党屋側と挨拶祝い言葉を交わし昼食をとる。 御鉢米神昼食が済むと党本神前に当番お党屋は夫婦揃い着座し、その左右に渡し」と「請取り」の党本夫婦着座神事を行う。神棚神酒の約半量を3個の湯筒[疑問点ノート]に分け、さらに膳の上に盃を3組用意する次に宮司大きなひき鉢[疑問点ノート]に盛って床の間供えてあった白米を指でつまんで一同に向かって左右左と撒じ、ついでに党屋組一斉に2拝2拍手の礼をして配付され祝詞奏上する神輿巡行神輿出発が迫ると、それに先立ち神輿渡御迎え町内警備御旅所等のお使いが来る。お使いのあと、先述のように「御支度触れ」が出て巡幸となる。巡幸道筋には6ヶ所の御旅所神輿台に神輿休憩)と2ヶ所の力休御(白丁の持つ力[疑問点ノート]を輿柄に支えて神輿小憩)がある。一巡のあと、神輿は党本へ立ち寄り、力全員お椀神酒振舞われ[疑問点ノート]、宮司は党本の家の前で挨拶をして午後4時から5時に還幸する。 奉鎮の神事朝から神輿付き添い警護した渡し」と「請取り」のお党屋組は、供奉者白丁より神輿受け取って拝殿上げ、再び御簾下して神体本殿に奉鎮する。その後社務所にて直会となり、神酒七行器供えた料理食して全員帰宅する大屋台運行後述7月24日 帰座神事お党屋本では、宮本へ呼使い出し宮司を党本に招いて昇神神事行ったのち、宮司の手神棚一切取り払う神棚こわし)。神棚供えてあった赤鯛は2尾のうち1尾は神社へ、1尾は党本でこのあと直会時に吸い物にする。「御鉢米神事」の米は俵に詰め赤飯と共にこれも神社届ける。終了後直会となる。 諸道具譲り神棚こわし」のあと、「請取り」の党屋組を招き祭礼諸道具一切1点ずつ品改めしながら渡し終われば両党屋組共に神酒汲んで談合する。これによりお党屋組み引き継がれたことになる。 御幣奉鎮の神事御党屋本の神棚こわし」「諸道具譲り」等が一通り終わると、神社納めるべき神幣、注連縄類、掛軸諸道具、神餞物[疑問点ノート]等一切持参し、党屋全員紋付羽織着用し、特に党本は21日依頼の神幣を自ら持参して神社納付する。神幣は本殿奉納され社務所神酒汲んで辞去すれば、党屋組の神事終了する太々御神楽奉納後述7月24日 - 1月15日 この間諸道具譲りにより引継いだお党屋組み準備を行う。

※この「会津田島祇園祭の流れ」の解説は、「会津田島祇園祭」の解説の一部です。
「会津田島祇園祭の流れ」を含む「会津田島祇園祭」の記事については、「会津田島祇園祭」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「会津田島祇園祭の流れ」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「会津田島祇園祭の流れ」の関連用語

会津田島祇園祭の流れのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



会津田島祇園祭の流れのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの会津田島祇園祭 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS