事後に公表された予言とは? わかりやすく解説

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事後に公表された予言

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/16 13:01 UTC 版)

ジュセリーノ・ダ・ルース」の記事における「事後に公表された予言」の解説

ジュセリーノ事件や事故などが発生した後になってから、それを予知していたと公表することがある的中したとされる予言大半このような事後に公表された予言である。ただし、手紙宛先人物機関についてはあくまで、ジュセリーノ自身送った主張しているのであって実際に手紙受け取ったことが確認されているわけではない。また予言通知によって何らかの大事故悲劇回避され事実もない。 1986年 1月28日スペースシャトルチャレンジャー墜落事故1972年3月20日予知とされる1986年 4月26日 チェルノブイリ原子力発電所事故1980年ウクライナ・ソビエト社会主義共和国指導者宛) 1988年 昭和天皇崩御1979年3月15日東京皇居宛) 1994年 アイルトン・セナ事故死1989年8月17日セナ宛他) 1995年 1月17日 阪神・淡路大震災1979年3月15日東京皇居宛) 3月15日 地下鉄サリン事件1989年8月11月予知とされる1989年9月26日ブラジルのゴイニア市市長宛) 1997年 ダイアナ元皇太子妃死亡1995年ブラジル大統領エンリケ・カルドゾ宛他) 2001年 9月11日 アメリカ同時多発テロ事件1989年10月26日アメリカ合衆国大統領ジョージ・H・W・ブッシュ宛他) 2003年 3月19日- イラク戦争2001年10月1日ジョージ・W・ブッシュ宛) 11月 マイケル・ジャクソンスキャンダルによる逮捕1999年米国大統領ビル・クリントン宛) 2007年 アダム航空574便墜落事故 - 2007年1月1日インドネシア時間アダム航空ボーイング574便がインドネシアスラウェシ島西方海上墜落し乗客乗員全員死亡した事故事故翌日当局発表として「機体残骸スラウェシ島中部山中で見つかり、12人が生存している」と報じられたが、インドネシア政府同日誤報であった訂正した事故誤報経過詳細についてアダム航空574便墜落事故参照。) 2日後1月3日サンパウロ時間)、ジュセリーノはこの事故予知しインドネシアラジオ局(ラジオ・パスFM局)に警告の手紙を送っていたとしてその手紙のコピーマスメディア公開した同局宛に3度目手紙出したのが2006年5月29日とされている、p232.)。120人の乗客載せたアダム航空ボーイング734-400型機がスラウェシ島のマネジ市とトラジャ市に墜落するが、山中森林墜落するので、かすかな生還可能性があるという前日誤報であったとされた内容酷似しているものであった(、p232-p233) 事故当初報道誤報であることが明らかにされてから3か月上後2007年4月10日初版)に「たま出版」から発行された『未来からの警告』のp234-236には、韮澤潤一郎監修者注として、事故当初誤報事実扱いし、ジュセリーノ予言通り事故起こった旨が記されている。また、2008年2月15日付の『東京スポーツ』でも韮澤ジュセリーノがこの事故期日、場所、搭乗者数、犠牲者状況を「どんぴしゃ」で当てたという旨を記している。この矛盾ジュセリーノ予知夢無くニュースで見た誤報発表したもしくは韮澤誇大解釈である可能性生じる。 英語講師リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件 - 2007年3月26日千葉県市川市発生した英国リンゼイ・アン・ホーカーさんの遺体発見され事件千葉県警はこの事件殺人及び死体遺棄事件断定するジュセリーノはこの事件予知して警告の手紙を在ブラジル日本大使館郵送した主張しており、その「警告の手紙」を事件の約半年後、同年9月25日放送日本テレビ系番組初公開した。ジュセリーノ送ったとする警告の手紙には被害者被疑者氏名記載されており、2007年3月26日殺害された日とされている。また被疑者2007年末までにブラジルリベルダーデ地区逃げるとされている。ちなみに番組では在ブラジル日本大使館この手紙の存在について確認取れない」と返答した伝えている。 [要注意ジュセリーノによる手紙には「3月26日殺される(will be killed~)」と書かれているが、「3月26日」はあくまでも事件発覚した日であり、千葉県警警視庁被害者殺害され具体的な日時時間場所について特定していない。その後同年12月21日同日テレビ系の番組の中ではナレーション差し替えて、「3月26日事件発覚した日である」ということ付け加えている。 なお、被疑者2009年11月10日逮捕されたが、逮捕までの間は国内逃亡しており、パスポート申請しようとしていた段階であったため、出国はしていない長崎市長射殺事件 - 2007年4月17日当時長崎市長伊藤一長選挙期間中にJR長崎駅近く歩道暴力団幹部の男に銃撃され死亡した事件ジュセリーノ事件の起こる10年前1997年7月31日長崎市役所伊藤一長市長宛)に対して「Itcho Ito2007年4月17日18日の間にマフィア暴力団)に殺される」旨を手紙警告した主張(、p95-p96)。 長崎市役所日本テレビ取材に対して郵便物到着有無含め確認できません」との文書による返答したことが紹介された(役所では投書などは基本的に1年処分するのが通例)。 2007年末の日本テレビ系ジュセリーノ特別番組の中で、この警告の手紙が事件発生前登記所登録されていた証拠としてサンパウロ第2登記所ジュセリーノ登記した書類マイクロフィルム映像映し出されたが、その書類記され日付を見る限り事件後の2007年7月13日登録されたものである2008年 四川大地震5月12日) -2007年中国国家主席記事では大統領)宛に 5月12日中国でM7.8の大地震発生するという予知をしたことを英文の手紙で知らせていたことを産経新聞のブログポータル『iza!』のインタビュー明らかにした。ただし、地震起き地名については「思いだせない」とした。また、同じ手紙自著掲載した9月の(南シナ海での)大地震のことも伝えていたとしたが、5月地震予言の方は自著掲載されていないことについては「たぶんスペース足りなくて載せなかったのだろう。編集上の問題だ」との見解示した。なお、前述の手紙は、自著『リアルシークレット』に掲載されている。(p110-111。) 2011年 東北太平洋沖地震3月11日2007年11月8日 ブラジル日本大使館宛てに「もしも2008年8月13日日本地震起きなければ2011年3月11日もしくは12日仙台でM8.9の大きな地震と津波発生する」と予知した手紙送っていたと、地震発生した後になってホームページ公開したASIOS超常現象懐疑的調査ための会)の本城達也ブラジル日本大使館長崎市役所場合違い4年前の郵便物保管されている)に問い合わせたが、そのような手紙届いていないとの返答得たとしている。 一丁目一番地予言温暖化である ジュセリーノ警鐘は、皆さん努力により多少遅らせる事に成功しているとみられるだからと言って安心はできない稲作では、夏の午前中温度34度を越える受精障害発生する長谷川利拡農学博士述べる(『ジユセリーノの警鐘ソフトバンククリエイティブSBC.2008年11月初版p105)。気象庁データでは日本海での水温の上昇は、世界平均の3倍の速さを示す(100年先には)(同前p108)。海面温度上昇影響なのか、水産庁2008年数値20年間で漁獲量38%減少した(同前)。もう1つ温暖化でまとめられているのが、『ジュセリーノ予言』SBC.2008年5月初版(p125~p152)本人何度も見たという予知夢内容だ。東京の暑い昼間にいて、紺色スーツ着た男性街中で、バタン倒れるという。そんな倒れるような暑い日に、外を出歩く日本人がいるのか、そんなに急激な気温上昇があるのか疑問抱かせる描写だ。でも、東京消防庁データ熱中症緊急搬送者数グラフ(各年の8月のみ比較)が本文中にあり、2005年凡(およ)そ5002006年凡そ3602007年凡そ1050人であったが、その後を窺(うかが)うと2009年から死者数はそうでもなさそうだが、搬送者数は激増している。 菅義偉(前)首相昨年10月2050年排出ゼロ」を表明した。 そして、直ち地球温暖化対策推進法改正衆院選前のコロナ収束と共に有終の美飾られた。 それを受け、30年亘る研究成果提言されてきた事を国立環境研究所西岡秀三理事表明。「脱炭素社会転換要諦」いわく、「やるしかないとの覚悟をもつ。やれる・やれないではない。~自然は待ってくれない時間限られている。……」など。『警告2』の中で、サンドラ・マイア女史(共著者)が温暖化が進むと、63度まで達すと言っている事を指摘。しかし、体を動かさない高齢者では、多湿日本熱帯夜で、30度で既に眠れずに重病になる。欧州が、いち早く50年排出ゼロ」を言い出したのは、2003年熱波で約1万5千人死んだからだろう。フランスアパルトマンは、石造り住居石造りの多い欧州だ。一週間近く40度が続けば石造りの家の屋根も、壁も、も、ベッドから何から何まで40度に達し夜になっても、あまり下がらなかったのではないか。どう対処されたのか。その後熱波では死者数は、一ケタ減らしている。一番暑くなる最上階には高齢者入れないようだ。では、日本では30度に達す熱帯夜はなかったのかと言えば日中35度くらいになり、2日続けば夕方でさえ外気温度30度あり夜中外気温2928でも、から、壁から、家具寝具まで高温さらされ物の温度は下がらなかった。室内30度は記録されていた。 温暖化への対処し仕方 ジュセリーノのよりもユニークな要諦」をまかとめられあの国環境研究所動画に、最新温暖化対処法が、語られていた。

※この「事後に公表された予言」の解説は、「ジュセリーノ・ダ・ルース」の解説の一部です。
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