逮捕まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 17:45 UTC 版)
「パソコン遠隔操作事件」の記事における「逮捕まで」の解説
2012年11月12日から、遠隔操作に使われたサーバーがあるアメリカに捜査員を派遣し、FBIに捜査情報を提供するなどして協力も取りつけた。同年12月12日に「脅迫その他の方法で公務や事業活動の遂行に重大な支障を及した事件」についても対象とするように捜査特別報奨金取扱要綱を改正して、捜査特別報奨金対象事件に指定した。 しかし、ネット上に残された記録を手がかりにした捜査が行き詰まっていた。1月5日の犯行声明で江の島の地域猫にピンクの首輪をつけたと表明されたことから、この首輪をつけた人物に捜査の焦点が移った。江の島の防犯カメラでは、地域猫に首輪をつけたとされる時間帯の2013年1月3日15時から15時15分において地域猫に首輪をつけても不自然ではない行動をしている唯一の男の映像が確認されたことや、その男がバイクで移動する映像が写っていたことから、これらの映像を手がかりに同年1月中旬には東京都内に住むIT関連会社社員が特定された。なお、警察側は早期の逮捕を指向したが、検察側はSDカードの所持等だけでは罪に問うことができず時期尚早としていた。以後、一部の報道機関が男性Xをマークし、逮捕前の男性Xの様子を撮影している。
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逮捕まで
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「藤沢市女子高生殺害事件」の記事における「逮捕まで」の解説
犯行後、Sは従兄である甲の許(横浜市戸塚区)を訪れ、甲から自首を勧められたが、それを拒否し、「現場には(犯行の)証拠になるものは何も残していないから捕まらない。自分は、どうせ捕まれば最高の刑を受けるに決まっているから、もう少し逃げたい。時効は何年だ。」などと言って甲の許を去った。その後、Sは宿舎に戻り、友人のジャンパーを借りて、翌日(1月15日)は同僚と近くの公衆浴場に行ったが、それ以降は逮捕まで行方を晦ましていた。甲は当初、翌15日の新聞に殺人の記事が載っていなかったことから、Sの話を真に受けてはいなかった。 事件翌日(1月14日)13時30分ごろ、娘の安否を心配していたAの母親が自宅(藤沢市藤沢5115番地)から約70 m離れた市道の「石名坂」近くで、娘が失踪当日に履いていった靴1足を見つけ、同夜には藤沢警察署(神奈川県警察)に捜索願を出した。これを受け、藤沢署は極秘裏に聞き込み捜査をしていたが、3日後の1月16日には県警捜査一課の応援を受けて公開捜査に乗り出した。しかし1月17日午後、横浜市戸塚区内在住の人物(先述の従兄・甲)が神奈川県警へ「従弟のSが『13日夜、藤沢市内で女性を殺して埋めた』と言うので自首を勧めたが、そのまま行方をくらました」と届け出た。 このため、藤沢署が県警捜査一課・鑑識課の応援を受け、同日18時ごろからA宅周辺を捜索したところ、22時過ぎになってA宅西方の宅地造成現場付近で被害者Aの遺体を発見した。一方で県警は、親戚に殺人を告白したSには事件当日(13日夜)のアリバイがなかったことに加え、過去に強盗暴行致傷などの前科があったため、Sを犯人と断定。県警は藤沢署に捜査本部を設置し、Sを殺人・死体遺棄容疑で全国に指名手配したが、Sは翌日未明(1月18日3時30分ごろ)になって甲とは別の従兄弟・乙の家(横浜市鶴見区下末吉町)に現れたところ、張り込み中の捜査員に逮捕された。逮捕後、Sは同日4時50分に藤沢署へ身柄を移され、翌日(1月19日)に横浜地方検察庁へ婦女暴行・殺人・死体遺棄容疑で身柄送検された。 Sは犯行を自供した後、被害者遺族への謝罪の弁を述べたが、その後も捜査官や横浜地方裁判所に対し犯行の経緯・模様を供述するにあたり若干消極的・回避的な態度が見られた。
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