事件後 - 逮捕までのLの行動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 06:04 UTC 版)
「愛知県蟹江町母子3人殺傷事件」の記事における「事件後 - 逮捕までのLの行動」の解説
一方でLは、犯行後も万引きなどの軽犯罪を繰り返していた一方、後述のようにDNA型鑑定が行われるまで捜査線上に浮上することはなく、2011年(平成23年)3月には5年間在学した三重大学を卒業した。また、腎臓病の治療や婚約者の女性と会うことなどを理由に、度々中国に帰国しており、多い年には年3回帰国していた。 三重大卒業後、Lは2011年4月に新卒で三重県亀山市の自動車部品メーカーに就職し、部品検査・組み立てなどの部署で勤務しながら、研修生の通訳を担当していた。当時の勤務態度は真面目で、同じ中国人研修生の同僚とも良好な関係を築き、休日は若手社員とともにフットサルを楽しんでいた。また、就職後には中国にいる交際相手女性を日本に呼び寄せ、結婚する計画を立てていた。 しかし2012年(平成24年)春、Lは「結婚したいので昇給してほしい」と会社に相談し、同僚たちに転職を示唆するなどした。結局、Lは上司らの慰留を断り、同年6月には「家のリフォームの仕事をする」と言って会社を退職。そして、より高給職を求めて三重県外の建設関係会社に転職したが、その仕事もすぐに辞め、同年8月には名古屋市内で放置自転車を盗んで乗車していたところ、愛知県警の警察官に職務質問され、所轄の警察署で事情聴取を受けた。しかし被害が軽微だったため、県警はLの身元確認はしたものの、逮捕・書類送検などの刑事手続きや、DNA型の採取などは行わず、警察内部だけで処理する「微罪処分」に処した。
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