事件後の総括
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デロ・ロッシ新聞編集長アナトリイ・ヤコフレビッチ・グートマンが事件を総括した『ニコラエフスクの破壊』では、中国砲艦とパルチザンは領事館から逃れてきた日本兵と避難民に対して砲撃を行い、その十字砲火によって全滅させたとしている。 中国砲艦利捷の副官・陣抜の回顧談では、パルチザン部隊は日本領事館砲撃を目的に中国軍から艦載砲とガトリング砲を借り受け、使用法を教授されて、領事館砲撃を実行したとしている。 また、石塚教二の『アムールのささやき』では、パルチザンは領事館と日本軍兵営を砲撃したとしており、後藤大尉隊については領事館から逃れて来た居留民たちを中国砲艦に助けてもらおうとしたが砲艦が居留民に発砲したため、後藤隊は砲艦に突進して全滅したとしている。 2009年に発表された井竿富雄山口県立大学教授の論文『尼港事件と日本社会、一九二〇年』でも中国軍の軍艦は助けを求める在留邦人を撃ったとしている。 中国評論新聞網(2010年8月27日付)は陳世英が江享の艦載砲を紅軍に貸与し、この砲撃により日本領事館などが炎上したとしている。現在、中国共産党機関紙人民日報の国際情報紙『環球時報』は、日本政府の要求を受諾した当時の中華民国政府を軟弱無能であるとしている。
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