事件後の経過: ジェノサイドとしての認定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 01:07 UTC 版)
「スレブレニツァの虐殺」の記事における「事件後の経過: ジェノサイドとしての認定」の解説
スレブレニツァの虐殺は第二次世界大戦以降、ヨーロッパで最大の大量虐殺である。2004年、ハーグにある旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(ICTY)での「検察官対クルスティッチ(Prosecutor v. Krstić)」の裁判において、満場一致のもと、スレブレニツァの虐殺はジェノサイドであると認定された。裁判長テオドル・メロン(Theodor Meron)はその声明において、判決文から以下を含む部分を引用した。 ボスニア・ムスリム(ボシュニャク人)の一部を消し去ることを目指し、ボスニアのセルビア人部隊はジェノサイドを犯した。彼らは、ボスニア・ムスリム一般を象徴する存在であった、スレブレニツァに住む4万人のボスニア・ムスリムの絶滅を目標とした。全てのムスリムの男性捕虜から、軍人も民間人も、老いも若きも別なく、所持品や身分証明書を奪い、意図的かつ組織的に、単にその身元(アイデンティティ)だけを根拠に殺害した。 — 原文英語。翻訳および括弧内補記は引用者。 2007年2月、国際司法裁判所(ICJ)は、スレブレニツァの虐殺がジェノサイドであったとするICTYの判断を確認し、次のとおり言明した。 スレブレニツァで行われた、条約(ジェノサイド条約)第II条(a)および(b)に該当する行為は、ボスニア・ヘルツェゴビナのムスリム人集団自体を一定程度に破壊する明確な目的をもって実行されたと、裁判所は結論する。従ってこれらの行為は、1995年7月13日前後以降にスレブレニツァおよびその周辺にてスルプスカ共和国軍の構成員によって行われたジェノサイド行為である(と結論する)。 — 原文英語。翻訳および括弧内補記は引用者。 声明はまた、セルビアはこのジェノサイドを阻止するために可能な限りの手段を尽くさなかったこと、セルビアがICTYに全面的に協力する必要があること、セルビアはICTYにジェノサイドその他の容疑で訴追されている人物をハーグへと送らなければならないこと、ICTYから逃亡中の人物が依然多数であること、それらがスルプスカ共和国かセルビアの支配領域の中に潜伏していることにも言明した。
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